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日本山岳会が選ぶ「日本の山岳古道120選」

33 三国街道 二居峠・三国峠/清水越え

上越国境を越える重要な道と消えた国道

上州(群馬県)と越後(新潟県)は標高2000mに達する峻険な三国山脈によって遮られ、冬は豪雪が行く手を阻みます。
現在でも、道路としては国道17号線の三国トンネル(新三国トンネル)、関越自動車道の関越トンネル、そしてJR上越線の清水トンネル・新清水トンネルと上越新幹線の大清水トンネルが両県を結ぶのみです。
しかし、この障壁を越えて、古くから人々の往来はおこなわれていました。
江戸時代は三国峠を越える三国街道が江戸と越後・佐渡を結ぶ基幹街道の一つとして整備されましたが、三国峠の北東16kmほどの県境稜線・谷川連峰上にある清水峠とともに、南西5kmほどにある三坂峠も中世以前から通行があったと伝えられ記録も残っています。
上州から越後への道としては、このように三国峠を中心に西の三坂峠、東の清水峠があり、いずれも中世以前から太平洋側と日本海側を結ぶ重要な道として使われていたとされていますが、江戸時代に入ると東西の二つの峠、三坂峠と清水峠は閉鎖され、三国峠が三国街道として唯一公認されることとなりました。
三国街道は、その中でも特に重要な役割を果たし、上越国境を越える標高1244mの三国峠は三国街道切っての難所でした。
群馬県側の永井宿から三国峠までは約7kmの道のりです。
現在でも古の街道の面影をとどめており、長岡藩士の墓など至る所に残された古い史跡や、高山植物の群生を楽しみながら散策できます。
また、清水峠(標高1448m)越えは上州(水上町湯檜曽)から越後(南魚沼市清水)を最短距離で結ぶ山岳コースで、越後の上杉謙信が関東行軍[天文21年(1552年)~]の際に利用したことより「謙信尾根」とも言われている歴史があります。
江戸時代に入ると往来が禁じられ、明治7年(1877年)に清水越新道として整備し完成。
しかし数年後には崩落が相次ぎ通行不能になり、昭和45年(1970年)に国道291号に指定されるも清水峠前後の30km位は修復・改修はなく整備の見通しも無いまま現在に至っています。
※写真は、三国峠の御坂三社神社(三国権現)後方は三国山

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