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33 三国街道 二居峠・三国峠/清水越え

保護中: 清水越え 清水峠

清水峠への群馬県側の道は、一ノ倉沢出合まで舗装されています。それより奥はしばらく未舗装の道が続き、その先は登山道の一部に組み込まれています。
白毛門から谷川岳への「馬蹄形縦走」のエスケープルートに利用されることもあり、草刈り等最小限の整備はしてありますが、ルート崩落部分のトラバースや数回の渡渉、ロープを使用しての上り下りの箇所があります。
ルートファインディングのセンスや読図力も求められる道です。
一方、新潟県側では、十五里尾根コースと井坪坂コースの2つが清水峠までの登山道として歩行可能です。

古道を歩く

土合駅から一ノ倉沢出合まで

JR土合駅を出て北(右)へ向かって舗装された国道291号線を進みます。上越線の踏切を渡り、スノーシェッドを過ぎてしばらく進むと、左手に谷川岳インフォメーションセンターがあります。
さらに進みロープウェイの下をくくると、谷川岳山岳資料館があります。
指導センター前から、その先西黒尾根登山口、巌剛新道登山口、マチガ沢出合を過ぎ、一ノ倉沢出合までは舗装された道です。マチガ沢出合、一ノ倉沢出合は、目の前の岩壁に息をのむ絶景ポイントです。一ノ倉沢出合までおよそ1時間30分です。

しばらく悪路の林道が続く

一ノ倉沢を過ぎると舗装はなくなります。幽ノ沢出合を過ぎ湯檜曽川畔の巡視小屋方面への分岐を過ぎ、芝倉沢出合までは、なんとか自動車が入れる状態の道です。途中、道路脇には石垣が残っていて当時国道として利用されていた様子が窺えます。
芝倉沢はロープを使って降ります。降りた後は、コンクリートで砂防止めされている芝倉沢の少し上流を渡渉します。小さな滝になっていて綺麗です。その先ルートの崩落部分を越えて進み振り返ると、一ノ倉岳方面が見えます。さらに小さな渡渉が続きます。

難所の武能沢付近

武能沢には、ロープが設置してあります。足場には黄色・赤色のペンキで足場が分かり易くなっています。
渡渉後のトラバースは、足下が狭い上、谷側に傾斜していて脆く、沢側の土が崩れやすくなっています。谷側に滑落しないよう、慎重に進みます。
しばらく進むと白樺小屋(避難小屋)に到着します。蓬峠、清水峠の分岐点です。この区間は、緊張感が続くため疲労が蓄積します。(場合によっては藪漕ぎ状態も予想されます)

白樺小屋から鉄砲平、清水峠へ

鉄砲平手前にも渡渉箇所があります。ロープの設置されている登りもあります。バランスを崩さないように慎重に進みます。
しばらく進むと樹林帯を抜け広々とした清水峠に到着します。清水峠には、これといった峠の目印もありません。小さな石の祠が一基、避難小屋二棟が草地の上に静かにたたずんでいるだけです。

新潟県側の謙信尾根(十五里尾根)を登り、居坪沢ルートを下る

関越自動車道六日町I.C.または塩沢石打I.C.から国道291号線に入って登川沿いに南下していき、清水集落のバス停を過ぎると涸沢川分岐に工事用ゲートが設置されている。路肩に4~5台が駐車可能のため、一般車両はここに駐車して歩き始める。登川右岸につけられた舗装道路を1時間ほど歩くと追分に着く。
右への道をとり、砂防ダムを一つ越え、登川にかかる橋を渡ると丸ノ沢出合だ。
大源太山と七ッ小屋山の鞍部に突き上げる丸ノ沢は最も古い峠道といわれるが、砂防堰堤が二基建設され、まったく痕跡は見られない。
丸ノ沢を右に見て、十五里尾根(謙信尾根)に取り付く。所々にロープが付けられた急登から始まり、ブナ林の中、つづら折りの道を進むと1時間ほどで最初の鉄塔に出会う。
巡視路として刈り払われた道を、順調に高度を上げていく。次第に傾斜がゆるくなり、5番目の鉄塔を過ぎると低灌木と笹原になる。
峠とほぼ同じ高さまで登ると分岐があり、登川本谷側の斜面をトラバースする。
ガレた箇所もあり、足場も悪く通過するのに40分を要し、国境稜線にたどり着いた。
三角屋根の大きなJR送電線監視小屋が視界に入る。清水峠には白崩避難小屋と清水神社がたたずんでいる。
下りは、東への稜線の北斜面にある旧国道の広い道をとり、東へ緩やかに下っていく。
標高1400m付近で居坪坂(または井坪坂)ルートとの分岐となり、案内板があるが朽ちていて全文は読み取れない。
旧国道をそのまま進もうとしても藪化しているため、分岐で左に折れて居坪坂(または井坪坂)をジグザグに下る。足元はよく歩きやすい。
水量のある登川本谷を飛び石伝いに渡渉し、続いて、釜滝が見られるナル水沢を渡って、本谷右岸を行くと、兎平だ。
宿泊茶屋が3軒あったらしいが痕跡はない。
ここから送電線と並行に15分ほど下ると、檜倉沢の大堰堤におりる。
沢を渡り、登川本谷右岸の舗装道路を歩くとスタート地点に戻れる。

この古道を歩くにあたって

群馬県側の土合から清水峠へ向かうルートのほとんどは、左側(西側)が山、右側(東側)が谷となっている斜面のトラバースです。道が崩落し、谷側が切れ落ちている個所があります。
ルート外れ、踏み抜きには、十分な注意が必要です。
急斜面を降り、登り返す渡渉も数カ所あります。
石がぬるぬるしていて滑りやすいので注意が必要です。
ルートは比較的明瞭ですが、送電線の点検ルートが数カ所あり、迷い込まないよう注意が必要です。
念のため、20m程度の補助ロープ、スリング、カラビナ等を持参すると良いでしょう。また、それらを使いこなせるテクニックも必要です。

古道を知る

清水越えの記述が文書に残っているのは天文21年(1552年)からで、関東管領の上杉憲政が北条氏に追われ、春日山の長尾景虎(後の謙信)に身を寄せながら、上杉勢の越山(関東出陣)に備え上田庄の長尾政景に山中(直路)の整備を命じています。なお、上杉謙信の越山は全て三国越えが使われ、清水越えは少数の斥候部隊が往来しました。
当時、上杉勢が盛んに利用したのは清水から清水峠を通り利根川右岸の粟沢(みなかみ町)に抜ける道であり(粟沢には寺林砦址が存在)、湯檜曽谷を通る利用はその後に御館(おたて)の乱での北条勢の侵入口となり、また織田信長配下の滝川勢に追われた沼田城代藤田能登守が夜半に清水峠を越えた記録などがあります。
江戸時代に入ると幕府は清水越道の往来を禁じ、湯檜曽村(安部儀兵衛)と清水村(安部弥左衛門)に口留番所を設け、近隣住民のやむを得ない用事以外、全て通行止めとしました。そして、それは明治元年まで継続されました。
一方、当時利用されていた越後、庄内の米を北回り船(竜飛岬経由)や西回り船(下関経由)で江戸に運ぶのでは経過期間が長く品質低下や座礁による損害発生がたびたび起きるので、最短の清水・粟沢間の古道を整備して運搬しようと考える商人などが、踏査・調査を繰り返し、幕府へ開削許可申請を行いました。
さらに、ペリーの来航による海上輸送の危惧から幕府の調査も行われ、幕末にかけては沼田藩や会津藩も申請を行ないましたが、幕末、明治維新が迫る中、採り上げられる事はありませんでした。
明治になると、江戸時代末期の開削運動の必要性が広く認識されていたこともあり、明治3年に東京府等による測量、一部工事が行われ、明治6年には熊谷県令河瀬秀治が開削を決定、翌7年10月に幅6尺、距離7里17町余の山岳道路が完成しました。かつての古道は清水越新道として蘇り、一ノ倉沢出合や武能沢出合、白樺尾根上部には休泊所が設置されました。
日本海側と太平洋側との輸送拡大のみならず当時の外交状況も後押しし、道路整備政策が政府によって進められ、明治11年に政府は新たに清水越えの馬車道建設構想を打ち出し、測量等の調査が始まりました。そして、明治14年4月に内務省は高崎、長岡間に馬車道を建設することを決定。6月には工事着工となりました(塩沢町史)。古馬牧村誌によると、6月16日に地元村々に工事への人夫割当があり、一週間交代で100日間といった協力が求められています。
そして、明治18年2月に国道8号と認定され、8月には4年の歳月と工費35万円をかけた道幅3間の山岳道路が完成し、9月7日には北白川宮殿下をはじめ、山県有朋内務卿らが参列し、開通式が清水峠で行われました。
旅客や物資輸送拡大のため、興隆の兆しが見えましたが、11月から翌3月まで通行休止であることや、開通後2カ月で道路の崩壊が起こりはじめ、維持管理が極めて困難な状況が続き、大きな期待と多額の予算を費やした国道開発も、ついに明治21年には通行不能の状態になってしまいました。
一方、六日町の佐藤良太郎は新潟側の追分から国道と離れ従前の新道を整備し、登川分岐から井坪坂(居坪坂)を登る道を開削して上部の国道に通じ、清水峠に至るコースを有料道路として明治23年から運営をはじめました。また、兎平には宿泊茶屋3軒が設けられました。新道と国道を併用した峠道は賑わいを見せ、明治24年の水上村における貨物旅客数は、往復旅人で9135人、出入貨物4808個を数えました。また当時の状況が判る絵図には一ノ倉出合付近に2軒、武能沢出合付近に4軒、白樺小屋付近に4軒の施設があったことが分かります。
しかし明治26年に国有鉄道の信越線が開通すると、三国街道とともに清水街道も急激に貨物旅客数が落ち込み、宿泊茶屋等は明治41年頃には閉店し、大正9年4月、清水越の国道8号は県道に降格しました。
その後、昭和45年4月には地域振興、観光道路として清水越の県道は前橋と小出間の国道291号に生まれ変わり、57年には前橋―柏崎間に延長されましたが、峠付近は静寂に包まれたままで、地図上では点線で表される国道として現在に至っています。

深掘りスポット

土合駅

JR上越線土合駅の下り線ホームは「日本一のモグラ駅」と呼ばれるほどの地下深くにあります。駅舎との標高差は約70mあり、462段の階段で地上に上がります。地上駅には上り線のホームと、かつての駅務室の空間がレトロな雰囲気を漂わせる喫茶店『駅茶mogura』や駅直結のグランピング施設の『DOAI VILLAGE』があります。
電話0278-25-8981(駅茶mogura )

ミニ知識

谷川岳山開き

毎年7月第1日曜日に、インフォメーションセンター前で開かれる。神事は早朝4時から。例年、山開きに合わせ上野からの上越線臨時夜行列車「谷川岳山開き」が運行され、土合駅からの沿道の篝火や、キャンドルタワー、豚汁振る舞い、おにぎり販売、記念品配布(手ぬぐい、バッジ)、観光パンフレット配布などのおもてなしも。

ルート

土合駅
↓55分 3.0km
(旧道)マチガ沢出合
↓ 35分 1.6km
(旧道)一ノ倉沢出合
↓ 1時間10分 1.8km
(旧道)芝倉沢出合
↓ 4時間20分 6.5km
鉄砲尾根
↓ 1時間40分 2.5km
清水峠
*帰路は清水峠避難小屋に一泊して往路を戻るか、新潟県側の清水方面へ下る。または蓬峠を経て谷川岳方面に縦走するか、蓬峠から土樽へ下山する。あるいは清水峠から朝日岳を経て、白毛門経由で土合へ下山するか、朝日岳から宝川温泉への下山路も選べる。

新潟県側の周回ルート

清水ゲート
↓ 1時間 3km
追分
↓ 20分 0.7km
十五里尾根取り付き
↓ 2時間20分 3km
分岐をトラバースに入る
↓ 30分 150m
清水峠
↓ 30分 1km
居坪坂(井坪坂)分岐
↓ 1時間40分 2.4km
檜倉沢堰堤
↓ 50分 2.1km
追分
↓ 30分 3km
清水ゲート

アクセス

JR上越線土合駅が起点となりますが、土合に停車する列車が少ないので、水上駅または上越新幹線上毛高原駅からバス利用が便利です。
関越交通(沼田営業所) 電話:0278-23-1111

マイカーの場合は谷川岳インフォメーションセンター前の駐車場か谷川岳ヨッホ(旧谷川岳ロープウェイ)駐車場利用となります。
谷川岳ヨッホ 電話:0278-72-3575 

新潟県側では、JR上越線の塩沢駅または六日町駅から国道291号線を約15km南へ進む。清水集落先の工事用ゲート付近の路肩に4~5台駐車可能。
または、関越自動車道の塩沢石打I.C.または六日町I.C.から国道291号線方面へ進む。

参考資料

阿部利夫編『清水越えの歴史』みなかみ町谷川岳資料館
『歴史の道調査報告書 清水峠越往還』群馬県教育委員会

協力・担当者

《担当者》
日本山岳会群馬支部
田中規王
日本山岳会越後支部
松井潤次

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