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58 相州大山古道
八菅修験の行者道は、八菅山光勝寺(現・八菅神社)から大山寺・不動堂(現・阿夫利神社下社)に至る5宿を含む30行所を回峰する約53kmの山岳修験の道です。
行所の具体的位置が特定されていない箇所もありますが、丘陵、川、人里、谷、滝から急峻な尾根の縦走を繰り返しながら大山を目指す修験の行者道は、険しい岩尾根やバリエーションルートもありますが素晴らしい眺望に恵まれた山の道です。
この修験の行者道は、距離も長く、累計高度差も大きいことから何日かに分けて歩くことになります。
◎一本松バス停→八菅神社→石神社→愛宕神社→半僧坊→塩川滝→馬渡バス停《歩行 約3時間15分》
【1番〜5番行所】ルートは、八菅神社の森から中津川右岸を塩川滝まで比較的平坦なハイキングコースと車道を歩きます。
小田急線本厚木駅厚木バスセンターから上三増、愛川バスセンター行のバスに乗り、一本松[愛甲郡愛川町]バス停で下車します。
下車後、少し戻って八菅神社の案内看板のある一本松交差点を西の中津川方向へ曲がります。車道を緩やかに下り、カーブした中津大橋の上を進むと八菅山とその手前に「天然の結界」ともいわれる中津川を望むようになります。
八菅橋で中津川を渡ると正面に「八菅山いこいの森」の案内看板が見えます。
看板の裏には、「不動坂」の石柱と八菅修験の本拠であった「八菅山別当光勝寺」総門の石材が残されています。
ここから神社に向けて緩やかな登り坂の車道を5~6分ほど進むと八菅神社入口に着きます。
神社入口の石柱には、「郷社八菅神社」とあり、鳥居をくぐると鐘楼と宝物館があります。
この宝物館には、修験者が峰入修行の証として立てた日本最大級の碑伝(ひで)が収蔵されているとのことです。
また、入口周辺には、八菅山、社叢林の説明板のほか八菅山修験場跡要図(光勝寺配置図)があり、光勝寺の大きさがわかります。
推定樹齢約300年というケヤキの木を左に見ながら社殿に向かうと八菅の森に囲まれた「おみ坂」の石段に突き当たります。
このあたりは、神奈川県指定天然記念物の八菅神社の社叢林で、スギ、ウラジロガシ、スダジイなどの大木が迎えてくれます。
急な石段は200段を越え、上った先には、毎年開催される春季例大祭で山伏による火渡り等の儀式が執り行われる広場があります。
また、かつてこの付近には、国峯灌頂堂があり、1番行所である「八菅山禅定宿」があったところです。
修験者たちは、ここで「合宿修業」したのち厳しい修験の山道に入っていきました。
さらに石段を登ると長床を思わせる八菅神社(七社権現)社殿があり、その右奥には平安時代末期から鎌倉時代にかけて経典が納められたという経塚跡があります。
社殿の左から、光勝寺の院坊跡やアスレチック施設を見ながら「八菅修験ハイキングコース」の案内板に沿って進むと展望台があります。
展望台からは相模平野、関東平野、天気が良ければ筑波山の眺望が広がります。
この先、作業道右側にある「405」標識から林の中に入ると三角点(225.7m)があるので興味があれば寄っていきましょう。
ゴルフ場脇の仕事道からは、高取山、華厳山の奥に大山を望むことができます。
さらに進むとゴルフ場の作業場と鉄塔があり、鉄塔下からは、宮ケ瀬ダムを望むことができます。
この先すぐ右側に、八菅修験ハイキングコースの案内板と幣山への道標があります。
道標に従い、右の山道に入り、雑木林の中を進みますが、しばらくすると中津川に向かって標高差100mの急な下り坂となります。
下りきったところには獣防護柵があり、少し左側に進むと扉を見つけることができます。
扉を閉めたことを確認し、畑と民家の間を下ると車道に出、右の八菅方向へ進みます。
車道を数分歩くと左に鳥居と石の階段がある2番行所 「幣山 吒天岩屋(たてんいわや)」とされる石神社に着きます。
この神社は、703年(大宝3年)役小角の勧請によるものと伝えられています。
石段上の社殿左側にある江戸時代末期に建てられた石柱には「是より登山制禁」と彫られてあり、修験者以外の立入りを禁ずる結界と思われます。
石柱左にあるタイヘイ岩といわれる大きな岩の上が行所と考えられており、平安末期の経塚が出土したといいます。岩の反対側は中津川へ切れ落ちた断崖になっているので注意しましょう。
石神社を後にして、車道を来た方向に戻ります。次の行所までは、公共交通機関が無いため、しばらく単調な車道歩きとなります。
当時の修験者は、中津川の河原を進んだのではないだろうかと思いながら、両側に田畑を見ながら中津川の右岸を上流方向に進みます。
右の角田大橋からの道を合わせ、さらに進むと海底(おぞこ)の集落に出ます。
海底沢橋を渡ると数分で地蔵尊のある四つ辻があり、左の細い道へ入ると右側に大きな銀杏の木がある日月神社があります。
右に曲がり、神社前の細い道を進むとケヤキの古大木があるY字路となり、右先の竹と杉の林の中に愛宕神社前の赤い橋が見えると、その先に愛宕神社があります。
わかりにくいので注意が必要です。
この愛宕神社は、かつて3番行所があったといわれる尾形山の上にありましたが、砂利の採取で山が削られたため、山頂付近にあった 「尾形山 愛宕飯縄社」をここに遷座したとのことです。
ここからは、一旦、地蔵尊のある道へ戻り、勝楽寺(半増坊)に向かって細い車道を進みます。
やがて民家、資材置き場を通り過ぎ、勝楽寺(半増坊)山門前平山地区の琴平神社前に着きます。
ここから目前の国道412号線沿に左側に登った「沓掛坂」あたりに4番行所「平山 多和宿」があったとの説もありますが、場所は不明です。
重厚な山門のある勝楽寺(半増坊)前から中津川と対岸の富士居山を眺めながら国道412号線を塩川滝方面に15分程歩くと右側にマス釣り場、旅館「こまや」の看板があり、中津川へ下る車道があります。
国道と別れ、右下に下ると塩川出合です。道標に従い、塩川に沿って緩やかに登ります。
塩川を右岸へ渡る橋の手前に平地がありますが、立ち入り禁止となっています。
このあたりが5番行所「滝本 平持宿」と思われます。橋を渡り、右岸を上流に進むと先ほどの平地の奥に石の不動明王像を拝むことができます。
さらに進むと赤い小さな稲荷社のある駐車場に出、この先の橋を渡ると道は左右に分かれて、右には塩川神社があります。
左の塩川南沢はゴルジュの様相となり、この先にある赤い鉄製の橋の上から落差15m程の塩川滝の全容を目の前に望むことができます。
滝は、「愛川町景勝10選」の一つに選ばれていますが、8世紀前半の神亀年間に良弁が「清龍権現」を祀ったといわれ、滝前には、「塩川大神、清龍権現・飛龍権現」の石碑があります。
滝を後にし、先ほど通った赤い小さな社のある広場に戻ります。
ここから滝に向かって左側の尾根に突き上げる急坂を登れば6番行所「宝珠嶽」に至るとされますが、道が不鮮明で急峻なため、次の行所には、迂回路をとることとし、塩川出合まで戻ります。
ここからは25分ほどの半増坊前バス停まで戻るか中津川に沿って少し上流に15分ほどの馬渡バス停に出て本厚木駅まで戻ります。
◎半僧坊前バス停→経ヶ岳→華厳山→高取山→大平登山口→東谷戸入口バス停《歩行 約4時間 》
【6番〜10番行所】ルートは、中津川から離れ、経ヶ岳、華厳山、高取山のいわゆる西山三山を縦走し、行者の道をたどります。
この山域は、地元「西山を守る会」の人々により、指道標や山道の整備が行われています。
本厚木駅から半原行きバスに乗り、半増坊前バス停で下車します。
車道を厚木方面に5分ほど登り、右側道に入るとやがて右側に「関東ふれあいの道」、経ヶ岳登山口の道標と「道ノ入沢」の石柱があり、ここが登山口です。
道ノ入沢沿いの林道を進み、10分ほどで「道ノ入2号堰堤」を越えます。
その後3分ほどで次の堰堤があり、右から堰堤上に出たら左へ進み、沢右岸の尾根に取付きます。
杉林の急坂をジグザグに登るとベンチのある場所に出ます。コナラ等の広葉樹の中、少しなだらかになりますが再び植林帯の急登です。
この急坂を登ると法華峰林道に出ます。
ここにはカネハラニシキガイの化石をみることができ、かつてここは、海であったかと驚きます。
林道を100mほど右に進むと左側に登山道と「関東ふれあいの道」の石柱があるのでここに斜め上に入ります。
階段混じりの急坂を登ると、尾根を直上する道と左に尾根をトラバース気味に進む道があります。
現在、尾根直上ルートは、ロープで遮断されています。後ろを振り返ると関東平野、スカイツリー、相模灘が見えます。トラバースルートを進み壊れた鹿柵ゲートをくぐり、さらに尾根をトラバース気味に登っていくとベンチのある尾根に上がります。
そこから数分尾根を右に進んだところが、536m峰の「大沢ノ頭」あるいは「ぼうず山」と言われるところで、6番行所「宝珠嶽」といわれています。
塩川の滝手前の赤い小さな社の広場から直登するルートはここに到達することになります。
枝の間から関東平野、丹沢主脈の山々、奥秩父方面まで見渡せます。
先ほどのベンチまで戻り、経ヶ岳方向に10分ほど木の根の道の急な坂を登ると小ピークがあり、テーブルとベンチがあります。
ここが7番行所「山ノ神」ではないかといわれてれますが、具体的位置は不明です。
左に植林帯、右に落葉樹の自然林に囲まれた尾根道を登ると視界が開け、8番行所「経石嶽」経ヶ岳(633m)山頂に到着します。山頂にはテーブル、ベンチが設置されており、大山、丹沢の峰々の眺望が美しいところです。
山頂から仏果山方面に少し行ったところに経ケ岳の名前の由来となった「経石」があるので寄っていきましょう。
ここからは華厳山、高取山方面へ大山を望みながらの縦走路を進みます。
華厳山への道は、固定ロープのある急な下り斜面から始まります。
ロープを補助利用しながら注意して下ります。
大きなモミの木の下にまつられている「モミの木地蔵を」を通過し、下りきった薄暗い鞍部が「荻野越」です。
ここから少しの間は、きつい登り返しで9番行所「華厳嶽」、華厳山(602m)に着きます。
山頂には「西山を守る会」のみなさんによる手作りグッズ等の無人販売所と地図が置かれています。
また同会の人々によるヒオウギを保護するためのヒオウギ広場があり、ここからは大山、丹沢の峰々の眺望も優れています。
次の高取山に向かいますが、高取山へは、真東には下らず常に大山を右に見ながら南東に進む尾根道です。
道標が見当たらないので注意しましょう。
下り始めてしばらくすると大きなヤマザクラの古木があります。
ここから右手方向に下っていく一見ゆるやかに見える尾根が「華厳山南尾根」で御門橋バス停近くまで下ります。
この尾根は、バリエーションルートであり、下り初めの道が不明瞭で途中、固定ロープに頼るかなりの急坂があるうえ、長い尾根道となるためここでは紹介にとどめておきます。
大きなヤマザクラから高取山へ縦走路を進み、大沢登山口に下る道を左に分けると 10番行所「寺宿」ではないかともいわれている高取山山頂(522m)に出ます。
ここ西山エリアには、高取山がいくつかあり、地元では、この山を「荻野高取山」と呼んでいます。
山頂からは、木々の間に大山や今通り過ぎてきた華厳山方面を望むことができます。
10番行所については「修験集落八菅山」(慶應義塾大学宮家準研究室)に『行所の詳しい位置は確定できないが、水場があり、この山に滝洞寺という寺があったと伝えられる。ここが寺の宿である。』との記述もあり、その限りでは、山頂には、水場もなく、寺や宿があると考えるには無理がありそうです。
高取山の麓には、平地や滝があり、10番行所と思われる場所もありますがいずれにしても想像の域をでません。
縦走はここまでですが、下りのルートは2通りあります。先に記したように少し戻って大沢登山口から上荻野バス停に下るルートと山頂からさらに先へ進み大平登山口に下るルートです。
今回は、後者のルートを紹介します。山頂から自然林の中の急な登山道を下り始めると右側が大きく切れ落ちており大規模な砂利採掘が行われています。
山容が大きく変わり、かつての行者道も失われたと思われます。
右側に気をつけ下っていくと「発句石」への入口がありますが、ロープで立入禁止とされています。
発句石も砂利の採取により、その位置を何度か変えているようです。
発句石分岐を左へ一部ザレ気味の急な山道をジグザグに下っていくと尾根の左に石仏群があります。
注意していないと気付かない場所にあります。この下で尾根を右に巻き気味にすすみ、小沢を渡り、5分もすると鹿柵ゲートがあります。
ここが大平登山口で、「ミツマタ桃源郷」といわれ、春はミツマタの花が美しいところです。
ここからゴルフ場の赤い橋を渡り、ネットに沿って進み、車道に突き当たったところで右に進みます。
ゴルフ場入口への道を右に見てさらに進むとT字路に出ます。
右は、11番行所がある飯山方面へ行く道ですが、長い車道歩きとなるため、ここではT字路を左へ曲がり、東谷戸入口バス停に向かいます。
川を渡ると国道412号線に出て東谷戸入口バス停は右へすぐです。ここから本厚木駅までバスで戻ります。
◎舟沢バス停→蓮久寺→白山神社→八幡神社→煤ケ谷バス停→不動沢カンマンの滝→煤ケ谷バス停
あるいは、舟沢バス停から蓮久寺往復→御門橋バス停から白山神社往復→八幡神社《歩行 約3時間30分》
今日、砂利採取によって高取山からの修験道が不明となっています。
次の11番行所「仏生谷」があったとされている蓮久寺へは、いくつかのルートがありますが、いずれも長い舗装道路歩き、あるいはルートファインディングが極めて難しい荒れたルートやバリルートとなるため、今回の【11番〜13番行所】ルートは本厚木駅から11番行所に最も近い舟沢バス停までバスを使います。
舟沢バス停から案内標識に従い、蓮久寺に向います。
境内に入る許可は不要とのことですが礼節をわきまえた行動をとりましょう。
境内に入り、まっすぐ進むと墓地の左側に古く急な石の階段が伸びています。
階段の上には、開けた場所があり、3つの社と古い石祠があります。ここからは、既に歩いてきた華厳山、高取山を望むと同時に大山を遥拝でき、次の行所への途中に位置することから、ここが11番行所「仏生谷」と考えることができます。
前述の「修験集落八菅山」(慶應義塾大学宮家準研究室)にも、『山を下ると舟沢部落がある。蓮久寺(日蓮宗)裏に明神沢という沢があり、山神の祠がある。行所の跡と考えられている。』との記述があります。
ここから明神沢の左側斜面を登り、桜山・白山方面へ至る尾根道に直上する道がありますが、地形図等への記載も一切なく、わかりにくいため、御門橋バス停から白山神社まで往復する方法もあります。
ここでは、直上ルートを選択します。一番右の明神神社右側に鹿柵の扉が見えるのでここから藪に覆われた踏み跡を拾って桜山へ続く尾根道に上ります。
尾根に出て右に進み、小さなピークを越え、ハイキングコースを合わせると桜山です。
この尾根道には、様々な落葉広葉樹あり、木々を見ながら歩くのもよいでしょう。
白山に向かう途中に12番行所「腰宿」が付近にあったであろうと考えられている白山神社があり、その前には、どんな時でも枯れることのないという白山池があります。
ここからは、面白い形と素晴らしい生命力を持ったスダジイの古木を見ながら、10分ほどで白山山頂、展望台に着きます。
展望台からは、相模湾から横浜や東京方面、反対側には、鐘ケ岳や大山を望むことができます。
展望を満喫したら御門バス停方向に下ります。
御門バス停から煤ケ谷に向かう途中の別所に八幡神社がありますが、ここにはかつて八菅山光勝寺と日向山霊山寺の修験者が納めたという碑伝が保存されていたといいます。
神社本殿は、1726年(享保11年)建立の歴史ある建物です。
神社を後にし、バス道を煤ケ谷中心に向かいます。左に清川村役場、右に道の駅を見て少し進むと煤ケ谷バス停があります。
橋を渡り、左の谷太郎川添いの舗装道路に入り、三峰・辺室山方面登山口、八菅修験者の碑伝が納められているという正住寺を右に分けると左に公衆トイレがあります。
2度ほど橋を渡るとキャンプ場(清川リバーランド)があり、右から不動沢が合流します。
沢の出合手前の駐車場入口手前から左岸沿いの道に入ると鹿柵があり、それを抜けると左に堰堤「不動沢ダム」があります。
堰堤上は、土砂の流れ込みもありますが、平らな河原状になっており、その先にも広く平坦な場所がありログハウスが見えます。
「修験集落八菅山」(慶應義塾大学宮家準研究室)には、『谷太郎の支流、不動沢を西へ五百米ほど入ると平地がある。この地に不動堂があったという。七宿の内、児留園地宿である。さらに同沢を五百米ほど上がった所にカンマンの滝がある。』とあり、ログハウスのある場所には、かつて不動明王の石像があったといい、不動沢の出合から約500m地点のこの周辺に13番行所「不動岩屋・児留園地宿」があったのではないかと思われます。
不動沢を数回渡り返しながら500m程登ると滝が見えてきます。
ここが「カンマンの滝」といわれた不動滝です。
注意して右にある高巻道を落ち口まで登るとそこには石の不動明王がまつられています。
三峰山に登る前に滝行した場所であると頷ける場所です。
帰りは、同じ道を引返して煤ケ谷バス停まで戻り、本厚木駅行のバスに乗ります。
◎14番、17番〜23番行所:煤ケ谷バス停→縦走路合流点→三峰山→唐沢峠手前のピーク→不動尻→神の山峠→広沢寺温泉入口バス停 《歩行 約7時間15分》
◎第15番、第16番行所:土山峠バス停→辺室山→物見峠→分岐点 《歩行 約2時間15分》
【14番〜23番行所】ルートは、谷太郎川の谷から再び山に登り、ときに大山を眺めながら険しい三峰の山稜を通って唐沢峠の手前までいくつかの行所を越えながら縦走します。
本厚木駅から宮ケ瀬行きのバスに乗り煤ケ谷バス停で下車。谷太郎川にかかる橋を渡り左へ進むと右側に登山口の標識があり、札掛、物見峠、三峰山方面に向います。
正住禅寺を過ぎると登山カードボックスがあるので登山届を出して出発します。
出発してすぐの鹿柵の先で、地形図には、尾根道と尾根のトラバース道の2本の登山道が記されていますが、436mの小ピークを通る尾根道は、上下の分岐点、合流点がはっきりしないうえ、かなり荒れており、利用回避が無難です。
ここは、はっきりしたトラバース道を進みます。
ここからは植林帯を過ぎ、落葉樹の自然林の中の気持ちの良い登りとなります。
しばらく登ると尾根に出ますが物見峠へのトラバース道を右に分けると、やがて小さな祠と壊れた石段がある比較的平坦な場所に出ます。
ここが14番行所「五大尊嶽」なのか、この先をしばらく登った辺室山から三峰山縦走路の748mピークが14番行所なのか、あるいは、別の場所なのか、辺室山周辺を含むいくつかの行所の位置とそれらをつなぐルートは、詳しい資料がないため何とも言えません。
ここは辺室山から三峰山へ通ずる縦走路で道標やベンチのある748mピークの南地点まで登り、辺室山方面は、別の機会に譲り、直接三峰山へ向かいます。
物見峠を越え、辺室山まで往復する場合は、時間と体力を勘案してスケジュールを組むようにしたいものです。
14番行所「五大尊嶽」、15番行所「児ケ墓」、16番行所「金剛童子嶽」は、いずれも資料が乏しく位置の特定には難しいものがありますが、15番、16番行所は、辺室山とその途中にあるともいわれているため、ここ(748mピーク)からの往復となります。
しかしながら、辺室山への往復は、物見峠付近のアップダウンや、辺室山頂直下の急坂もあり、その後の三峰山を越える行程を考えると日の短い時期では時間的に厳しくなる恐れがあります。
従ってこの2つの行所へは、土山峠バス停から辺室山を経て748m地点まで歩いています。
土山峠バス停には厚木バスセンターから宮ケ瀬行きのバスに乗ります(乗車時間45分)。
土山峠バス停から辺室山への取付は、かなりの急登ですが道標は良く整備されていて迷うことはなく登山道をすすむことができます。
土山峠から300m~400m地点にはそれぞれ石の祠があります。
小さなアップダウンを繰り返しながら50分ほど登ると広い辺室山山頂に出ます。
山頂の南側に第15番行所「児ヶ墓」があったとされますが場所を特定する史跡などを見つけることはできません。
ここから三峰に向け、関東平野、三峰、大山のほか右には奥多摩が見える景色の良い尾根を歩きます。
アップダウンを繰り返しながら石祠などもある尾根を物見峠に向かいます。
途中の641mの小ピークは、この縦走路の中でも丹沢の山々、相模平野、辺室山方面の景色の良い場所です。
このあたりが、第16番行所「金剛童子嶽」ではないかと思われますが、具体的な行所位置は確定できません。
辺室山、物見峠間の道は、右に丹沢の山々左に相模平野、相模湾が見える眺めの良い場所が多い縦走路です。
物見峠までの間には石祠等もあり、行者の道の趣が感じられます。
物見峠から748mピークまでは急な階段状の上りですが、20分くらいで748mピーク南の煤ケ谷分岐点に出ます。
748m地点から先は、前方に険しい三峰山の岩峰をみながら進むことになります。
しばらくは、景色を楽しみながら緩やかな縦走路を進みます。
この先に縦走路の東側にある不動沢と鳥屋待沢に挟まれた尾根が突き上げた場所が小ピークとなっており17番「釈迦嶽」ではないかと思われますが、具体的な場所は特定できません。
縦走路は右側が崩壊した地点に出ますが、こからは、丹沢山や丹沢三峰方面を美しく望むことができます。
三峰北峰への登り手前には、ベンチがあります。
これからの悪場通過に向け、景色もよく、軽い栄養補給に良い場所です。
このあとは、いよいよ三峰北峰へ向け、険しい登りとなります。細い岩尾根に階段と鎖と木の根の段差が交互に出てくる悪場で注意して進む必要があります。
ブリッジになっている場所は、手摺の鎖の位置が膝の高さほどしかなく、バランスを崩さぬよう特に注意が必要です。
北峰の18番「阿弥陀嶽」、次に19番「妙法嶽」三峰山頂に到着します。
ここは標高934mであり、三角点標識があります。
20番行所「大日嶽」と思われる七沢山を過ぎると険しい尾根も緩やかになり、不動尻分岐に出ます。
かつての修験者達もこの悪場を無事に越え、胸をなでおろしたのではないかと想像できます。一般道は、ここを不動尻に向かい左へ下ることになりますが、今回は、まっすぐ唐沢峠手前の21番行所に向かいます。
このルートは地形図に表示はあるもののバリエーションルートであり、尾根を忠実にたどり、赤テープを拾いながら進むことが必要です。
樹間からは、相模湾に浮かぶ江の島が見える場所もあり、ホッとするところですが、周りに目を配りながら歩きます。
広い尾根、痩せ尾根が入り混じった尾根を進み、アカガシの古木を見ながら880mピーク過ぎると唐沢峠手前のピーク(865m)に着きます。
「修験集落八菅山」(慶應義塾大学宮家準研究室)には『大日岳の南西、海抜850mの峰が不動嶽である。通称「カシボッコ」「札カシの山」と呼ばれ、八菅修験が碑礼を打ちつけたかしの木があったという』とありますが、この辺りには立派なアカガシの木もあることからこの辺りが行所であったと納得できます。
その先には標高850mの大山、不動尻分岐点があり、木々の間から大山を望むことができます。。
ここには、案内標識があり、まっすぐ進めば大山ですが、左の不動尻に下ります。比較的楽な下り道は、1時間位で不動尻に着きます。
まわりはミツマタの群生地で春のシーズンは美しい黄色の花と香りが広がります。ここ、不動尻キャンプ場跡地の仙人岩付近には、22番行所「聖天嶽」という行所があったとされますが仙人岩を含め具体的な場所は不明です。
ここからは、広沢寺を目指して林道を下ります。
時間に余裕があれば立ち寄ります。
また、弁天御髪尾根北側の登山口での利用あるいはミツマタの時期に鐘ケ岳登山に合わせ、個別に訪れるのもよいでしょう。
不動尻から20分ほど下ると山ノ神隧道の手前右側に鐘ケ岳登山口の小さな案内標識があり、ここに入ります。
はじめは沢沿いの道ですが高度を上げながら、左へ曲がっていくと目前に横浜方面の視界が開け、山ノ神隧道上に近くに位置する山ノ神峠に着きます。
ここは南に弁天御髪尾根への道、北東は鐘ケ岳への道、正面・東の下りは広沢寺方面へと修験の道の交差点になっています。
丹沢で最古の行者道を持つともいわれている鐘ケ岳方面へ数十メートル進んだ尾根の上に石の小さな祠があり、江戸時代の1831年(天保二年)に祀られた祠であることが読み取れます。
ここは、鐘ケ岳行者道との接点でもあり、23番行所「涅槃嶽」ではないかと思われます。
山ノ神峠を後にし、急なザレの道を広沢寺方面に下ります。ところどころ鎖がありますが、状態が良くない鎖もあるので注意して下ります。
降りたところは、隧道の広沢寺側出入口の山ノ神トンネル広場です。ここからは、二の足林道を次の行所への入口である「大釜弁天道入口」の石碑前を通り、広沢寺温泉、そしてその先の広沢寺温泉入口バス停まで歩きます。
◎広沢寺温泉入口バス停→大釜弁財天→弁天の森キャンプ場跡~弁天見晴→893m峰→不動尻分岐→大山山頂→阿夫利神社下社《歩行 約6時間15分》
【24番〜30番行所】ルートは、大山を目指し、30行所回峰を達成するルートです。
このルートは、距離、標高差とも大きく、日の短い時期はなるべく早く出発したいところです。
厚木バスセンターから七沢行のバスに乗り広沢寺温泉入口で下車し、広沢寺温泉へ向かいます。
広沢寺前駐車場に登山ポストがあるので登山届を提出し、車道を進むと10分弱で林道が二股になるので、左の大沢林道に入ります。
鹿柵扉を開閉し、その先へと進みます。
大沢川に沿って林道をしばらく進むと右に岩登りのトレーニングゲレンデとなっている弁天岩があります。
さらに数百m先右側には、24番行所とされている「金色嶽」 大釜弁財天の鳥居が見えてきます。
岩が重なった洞の中には石祠と宇賀神と思われるとぐろを巻いた石の蛇神が祀られており、雨乞いの神とされています。
この先をさらに進むと林道が右にUターンしますがその先は鉄製の門扉で通行止めとなっています。
門扉越しに見ると左先に弁天御髪尾根にある見晴広場への登り口の道標が見えます。この地点から26番行所があったと思われる弁天見晴までは、2つのルートが考えられます。
第1のルートは、かつての弁天の森キャンプ場跡の先から「弁天見晴尾根」を弁天見晴に向けて直登するルート。
第2のルートは、ここから弁天御髪尾根下部にある見晴広場に登り、弁天御髪尾根を弁天見晴まで歩くルートです。
第1のルートは、地形図へ表記されていませんが第2のルートは、表記されています。
第1のルートは、ここ、Uターン地点から左側へ、かつて神奈川県が開発した弁天の森キャンプ場の跡地方面への道に入ります。すぐキャンプ場の跡地に出ますが、現在は、きれいに片付けられています。
ここからさらに荒れた道を進むと、ところどころにかつての道標が残っています。五段の滝方向へ向かう途中、右の急な尾根に固定ロープが見えますが、これが弁天見晴尾根といわれている尾根で26番行所がある弁天見晴に突き上げる尾根です。
この地点を過ぎ5分ほど進むと五段の滝の標識があり、右手方向から五段の滝らしき傾斜のある流れが見えます。
この滝の左横にも弁天御髪尾根へ直登する道が見えます。
この道は、地形図に示されてはいますが、利用された記録を見ることはほとんどありません。
キャンプ場跡地付近から五段の滝までの間に25番行所「十一面嶽」があったとのではないかとも言われていますが、行所の具体的場所は不明です。
先ほどの弁天見晴尾根の取付きまで戻り、急峻な尾根を何か所ものロープに助けられながら登ります。
途中ひょうたん広場と呼ばれる場所に東屋がありますが、柱が腐食しており、ワイヤーで補強してあります。
かつてこのルートはキャンプ場があったときのハイキング道だと思われますが随分傾斜のきつい場所にコースを作ったものだと驚嘆させられます。
東屋を過ぎ、さらにロープを利用しながら急斜面を登ると弁天御髪尾根に出ます。
ここが26番行所「千手嶽」と思われる弁天見晴であり、名前の通り眺望に優れた場所です。
この場所は、日向修験の「湯尾権現」という行所でもあるようです。
一方、第2のルートは、前述の林道がUターンする場所から見える鉄製門扉の先、40~50m先にある弁天御髪尾根見晴広場への登山口から登ります。
急登を30分程頑張り、見晴広場という地点で尾根に到達した後は、下弁天、中弁天、上弁天を経由して弁天見晴に至るルートを歩きます。
途中固定ロープに助けられながら登る箇所もありますが、関東平野から相模湾そして大山を眺めながら登る気持ちの良いルートです。
このルートは、景観、様相から、前述のひょうたん広場経由の第1のルートよりも行者道に相応しいルートではなかったかとも思われるほどです。
弁天見晴からは、急な傾斜やゆるやかで気持ちの良い自然林の尾根が交互にでてきて、緊張感を伴う楽しい尾根歩きになります。
見晴広場B、見晴広場Aと進み、平坦な松林の尾根を過ぎると植林の杉に囲まれた窪んだ地形のすり鉢広場と呼ばれる場所に出ます。
ここが行者の「キャンプ場」である27番行所「空鉢嶽 尾高宿」であり、ここも日向修験と共通の行所であったと伝えられています。
ここには、以前東屋が建てられていたようですが、解体されきれいに片付けられています。
この先、大沢分岐や鍵掛といわれている778mピークを越えていきます。
痩せ尾根や、木の根につかまって登る場所もありますので注意して登ります。
急登をひと登りすると三峰と大山を結ぶ縦走路に出て弁天御髪尾根も終点です。
縦走路から弁天御髪尾根の入口には、木が横に置かれ、進入禁止とされているように見えますが、安易に下りに使うなということでしょうか。
このあたりに893mピーク(「矢草の頭」)があり、28番行所「明星嶽」とされていますが、これといった特徴もなく具体的な位置を確定することはできません。
ここからはいよいよ大山に向かって約350mの高度を消化します。
縦走路に出てからは、しばらく草原状のなだらかな尾根道となり、大山も眼前に見えるようになります。
6~7分歩くと右側に壊れた石祠があり、嘉永二年(1849年)七沢村と記されています。
場所も平坦で広いことから、ここが28番行所ではなかったかとも想像できます。
【14番〜23番行所】ルートの三峰も間近に見えるなど景色には恵まれますが、疲労も蓄積してきた頃なので焦らずゆっくり登ります。
989m峰にはベンチがあり、景色もよく休憩にはもってこいです。
雷ノ峰尾根(不動尻)分岐の上の階段の登りでは、小ステップが設置されていて疲れた脚には優しい気配りが感じられます。
そして大山の肩を過ぎれば1252mの大山山頂までわずかです。
山頂は、29番行所「大山寺本宮 雨降山」です。
ここ阿夫利神社本宮には石尊権現の磐座があるとされ、江戸時代の夏山は「大山詣り」の参詣者で賑わいました。
山頂からは、丹沢山塊の山々、相模平野はもちろん相模灘の向こうに伊豆半島、大島、房総半島を望むことができます。
休憩が終わったら、いよいよ阿夫利神社下社に向います。
一般登山道ですが、急な下り道で事故も起きているので注意して下ります。
下社は、明治時代に入るまでは、「大山寺不動堂」があった場所であり、長く険しい八菅修験の行者道30行所回峰行の結願です。
下社からは、女坂を通り、現在の大山寺に立ち寄って大山ケーブルバス停まで下るか、ケーブルカーを使って麓まで下ります。
■当地域は、ヤマビルの生息地域であり、登山適期は、11月中旬から4月。また、この時期は日が短いため、スケジューリングに注意が必要。
■1番〜13番行所のルートは、ハイキング、軽登山レベルのコース。14番〜30番行所のルートは、険しい尾根歩きのうえ、ロングコースなので体力が必要なコース。特に大山三峰山越えについて、最近では2022年12月にも滑落死亡事故が発生している。ゆっくり確実に歩くことを心掛ける。
■辺室山方面にある15番行所「児ケ墓」と16番行所「金剛童子嶽」は、個別に訪れることが可能な場所なので、別の日程にすることも考えられる。
八菅修験の歴史は古く、修験道の開祖といわれる役小角来山の記録がある。
当山は鎌倉時代から修行の歴史があるが、八菅山光勝寺は、本山派修験に属し、1687年(貞亨4年)京都聖護院の直末寺となり、50坊ほどが奉仕する修験者の一山組織だった。
峰入り修行は、春の峰入り、秋の峰入りいずれも49日間で、山内で祭礼修行、祭礼の後、氏子への札配り、滝行などを繰り返しながら大山に向かって回峰した。
3月25日には大山不動堂に集結、結願という30行所、53kmの回峰ルートだった。
八菅神社所蔵の1546年(天文15年)覚養坊祐秀により書かれた神文諸次第には、八菅から大山に至る峰入り修行のルート、行所の順番が記されており、現代でいう「峰入りガイドブック」に相当するものであったと思われる。
ただし、この中には、行所の特定が困難な場所もいくつかあるという。
峰入りも1557年(弘治3年)には35日となり、永禄3年1560年(永禄3年)には秋の峰入りも中絶、明治5年1872年(明治5年)の修験宗廃止令によって断絶した。また同年の神仏分離令によって仏教系の要素がすべて廃され神のみを祀った八菅神社として発足し、修験者たちは帰農することとなった。
大山には、八菅の他にも修験の行者道があった。
一つは、日向修験である。宝城坊を含め日向12坊を擁する霊山寺を拠点とする修験者集団で寺の起源は716年(霊亀2年)、行基によって開かれたと伝えられている。
現在、宝城坊は、日向薬師として有名で平安期に彫られた重要文化財の「なた彫り」薬師三尊がまつられている。
日向修験の行者道は、大山から一旦、札掛に下り、再び表尾根から丹沢主脈を経て宮ケ瀬、華厳山、三峰を回峰する行者道とも考えられているが資料が乏しく詳細は解明されていない。
また、大山寺を拠点とする大山修験の行者道も日向修験と同様資料が乏しく具体的なルートを確定することは容易ではないが、大山から一旦札掛に下り、表尾根を通って蛭ケ岳まで縦走、その後、道志川に沿って東進し、宮ケ瀬から煤ケ谷を通り日向へ戻る修験の行者道だったと推察されるとのことである。
この他にもいくつかの修験の行者道があったとされるが、八菅修験の行者道を含めこれらの行者道は交わるところもあり共通の行所もあったようである。
1.八菅神社社叢林(しゃそうりん)
八菅神社社叢林は、神奈川県指定天然記念物に登録されている。
25,000平方mを超える社叢林では、常緑広葉樹林(ヤブコウジ-スダジイ群集)を見ることができる。
高木層では、樹高15m以上のスダジイ、アカシデ、 亜高木層以下では、サカキ、アラカシ、ツルグミ、クロガネモチやヤブツバキ等の常緑樹の自然植生が見られる。
これら八菅神社社叢林の植生は、社殿に向かう「おみ坂」200段を超える石段を登りながら見ることができる。
また、神社入口には、神奈川県教育委員会、愛川町教育委員会による社叢林の説明版がある。
2.ミツマタの群生
高取山から大沢登山口に下ったところに「ミツマタ桃源郷」、また不動尻にはミツマタの群生地があり、3月下旬の満開時は多くの人で賑わっているが、これらは地元の人々による保護、育成の賜物である。
大沢登山口のミツマタ桃源郷は、東谷戸入口バス停から、不動尻の群生地は、広沢寺温泉バス停から個別に訪れることができる。
八菅山は古名を蛇形山(じゃぎょうさん)といい、 ヤマトタケルがこの山を眺め山容が龍に似ているところから名付けられたとのこと。
703年(大宝3年)には、修験道の開祖である役小角が七神を祀ったという。
八菅神社の説明板によると「八丈八手の玉幡が山中に降臨し神座の菅の菰から八本の根が生え出たという。 そこで山の名を八菅山とよぶようになった。これが八菅神社のはじまりであると伝えられている。」とある。
八菅神社の祭神七神は、総称して八菅山七社権現といわれ、わが国でよくみられる神仏習合思想に基づいて祀られており、源頼朝、足利尊氏、徳川家康等の庇護を受けてきた。
17世紀に入ると八菅山七社権現別当光勝寺は、京都聖護院の直末となり、本坊24坊、脇坊22坊が奉仕する組織とし発展していたが、明治維新の神仏分離令により、光勝寺をはじめとする仏教関係は、すべて廃され、神のみを祀った郷社八菅神社として発足した。
またそれと同時に従来行われていた修験者による峯入り修行も断絶した。
現在は、神社下に光勝寺総門跡の石柱が残り、神社本殿周辺には経塚や白山堂の跡等の史跡が残っている。
また、八菅山と八菅神社は、「かながわの景勝地50選」にも選ばれている。
平山地区にある曹洞宗の寺院で開山は1544年(天文13年)とされており、寺内には遠州奥山方広寺から勧請した半僧坊大権現がまつられているという。
正面には、1829年(文政12年)着工、1851年(嘉永4年)落成の総欅入母屋三間造りで総高16m、階下間口9mの壮大な山門があるが地元半原の宮大工たちの手によるとのこと。
地元では、「平山の勝楽寺」というより「田代の半僧坊」という呼称が一般的だという。
落差約15m、8世紀前半の神亀年間奈良東大寺別当の良弁が清竜権現を祀ったとの伝承があり、八菅修験第五番行所、滝本・平持宿における修行の場とされている。
滝の手前には、滝壺に向かって塩川大神、清龍権現、飛龍権現と彫られた石等がある。
この滝は、滝そのものがご神体であり、本地仏であったそうである。
また、大山修験の行者の修行の場ともなっていたらしく、行者たちはここで滝籠り修行をし、回峰の行に向かっていったと考えられる。
天保12年(1841)に編纂された「新編相模国風土記稿にも「すこぶる名瀑なり」と絵とともに記載されている。
白山神社は、飯山観音背後の白山(標高284m)の山頂付近の尾根道にある。飯山観音(長谷寺)を開いたとされる行基は、この山に登り、霊水が湧き出している池を発見し、加賀国白山妙理大権現を勧請したと伝えられている。
社殿の前にある「白山池」は涸れたことがなく、雨乞いの霊地とされてきた池と伝えられている。
雨乞いのため祭られた弁財天で現在は、パワースポットとしても知られている。
大沢川のこの場所の滝壺が大きな釜底に似ていることから大釜とよばれている。
石が積み重なった洞窟状の場所には、小さな石祠と宇賀神と思われる蛇身の石が置かれている。
古代インドの神弁財天と日本古来の神である宇賀神の組み合わせは、日本の他の場所でも見ることができる。
祠の手前左には、昭和8年に七沢の人々によって建立された「雨乞祈願成就」の石碑があり、信心の深さを感じる。
今でも4月巳の日に祭礼が行われているとのこと。
■八菅神社宝物館
〒243-0305 神奈川県愛甲郡愛川町八菅山139
tel.046-286-5484
https://www.kanagawa-jinjya.or.jp (神奈川神社庁)
■愛川町郷土資料館
〒243-0307 神奈川県愛甲郡愛川町半原5287 (県立あいかわ公園内)
tel.146-280-1050
https://www.town.aikawa.kanagawa.jp
3月28日、奈良時代から続くという山伏による火渡りの儀式等が行われている。火渡りは一般参詣者の参加もできる。
日向薬師は、奈良時代716年(霊亀2年)行基により開山されたと伝えられ、かつては霊山寺を中心とし、現存している宝城坊を含め日向12坊を擁していた。
日向薬師宝城坊において毎年4月15日に開催される春季例大祭では、かつての日向修験を彷彿とさせる山伏による「神木(しぎ)のぼり」、「柴燈護摩供(さいとうごまく)」、「火渡り」等がおこなわれている。この「神木のぼり」は、1974年に約百年ぶりに復活したといい、伊勢原市無形民俗文化財に指定されている。
また重要文化財に指定されている秘仏「なた彫り」の本尊薬師三尊像が開帳される。
ちなみに本尊薬師三尊像は、正月三が日のほか1月8日(初薬師)、4月15日(春季例大祭)の年5日のみ開帳される。
碑伝とは峰入修行を行った修験者がその証として立てる木または石等で作られた棟札状のもの。
八菅神社宝物館所蔵の碑伝は、1291年(正応4年)長喜、竹重寺別当、顕秀3人の名が記されており長さ368cm、幅43cm、厚さ11cmと国内最大級のものといわれている。
この碑伝の実物大レプリカは、宮ケ瀬ダム付近の愛川町郷土資料館に展示されている。
また、行所12番と13番の間の煤ケ谷別所近くにある八幡神社にも碑伝が残されていたとのことだが、盗難により消失したとのこと。
【1番〜5番行所】
一本松[愛川町]
↓ 35分 ↑ 35分 1.7km
神社本殿
↓ 35分 ↑ 35分 2.0km
幣山分岐
↓25分 ↑ 30分 1.0km
石神社
↓30分 ↑ 30分 2.1km
愛宕神社
↓ 20分 ↑ 20分 1.1km
半増坊山門前
↓ 30分 ↑ 30分 1.7km
塩川滝
↓20分 ↑ 20分 1.4km
馬渡バス停
【6番〜10番行所】
半増坊バス停
↓ 30分 ↑ 25分 1.0km
尾根取付き
↓ 30分 ↑ 25分 0.9km
法華峰林道
↓ 20分 ↑ 15分 0.7km
6番行所
↓ 5分 ↑ 5分 0.2km
7番行所
↓ 20分↑ 15分 0.4km
経ヶ岳
↓ 40分↑ 50分 1.6km
華厳山
↓ 20分↑ 25分 1.0km
高取山
↓ 40分 ↑ 1時間 1.5km
大平登山口ゲート
↓ 35分 ↑ 40分 2.5km
東谷戸入口バス停
【11番〜13番行所】
舟沢バス停
↓ 5分 ↑ 5 分 0.3km
蓮久寺上
↓ 35分 ↑ 30分 0.6km
桜山
↓ 30分 ↑ 30分 0.8km
白山展望台
↓ 40分 ↑ 50分 1.6km
八幡神社
↓ 25分 ↑ 25分 1.6km
煤ケ谷バス停
↓ 15分 ↑ 10分 0.8km
不動沢出会
↓ 30分 ↑ 20分 0.9km
不動滝
↓ 20分 ↑ 30分 0.9km
不動沢出会
↓ 10分 ↑ 15分 0.8km
煤ケ谷バス停
【14番〜23番行所(15番、16番除く)】
煤ケ谷バス停
↓ 1時間10分 ↑ 1時間 2.8km
尾根の祠(14番行所?)
↓ 20分 ↑ 15分 0.3km
縦走路738mベンチ地点
↓ 2時間 ↑ 1時間30分 2.1km
三峰中央峰
↓ 40分 ↑ 45分 0.5km
不動尻分岐
↓ 40分 ↑ 40分 1.1km
唐沢峠手前ピーク
↓ 50分 ↑ 1時間 1.2km
不動尻
↓ 25分 ↑ 30分 1.1km
鐘が岳登山口
↓ 20分 ↑ 15分 0.2km
山ノ神峠
↓ 30分↑ 35分 1.8km
広沢寺温泉
↓ 20分 ↑ 20分 1.5km
広沢寺温泉入口
【第15番、第16番行所】
土山峠バス停
↓1時間10分 ↑1時間
辺室山
↓50分 ↑1時間
物見峠
↓15分 ↑10分
分岐点
【24番〜30番行所】
広沢寺温泉入口
↓ 30分 ↑ 25分 1.7km
大沢林道分岐ゲート
↓ 15分 ↑ 15分 0.7km
大釜弁財天
↓ 25分 ↑ 20分 1.7km
弁天見晴尾根取付き)
↓ 50分 ↑ 40分 0.6km
弁天見晴
↓ 40分 ↑ 30分 1.0km
すり鉢広場
↓ 35分 ↑ 30分 0.7km
鍵掛
↓30分 ↑25分 0.7km
縦走路(893m峰付近)
↓ 30分 ↑ 25分 0.6km
980mベンチ
↓ 25分 ↑20分 0.7km
雷峰尾根分岐(不動沢分岐)
↓ 25分 ↑ 20分 0.5km
大山山頂(大山寺本宮・雨降山)
↓ 1時間10分 ↑ 1時間30分 1.8km
阿夫利神社下社(旧大山不動堂)
【1番〜5番行所】
◎公共交通機関
・小田急小田原線「本厚木」下車 「厚木バスセンター」10番乗り場 神奈中バス「上三増または愛川町役場行」乗車、「一本松(愛川町)」下車(バス40分)
・神奈中バス「馬渡」乗車、 「本厚木駅」下車(バス40分)
◎マイカー
・圏央道・厚木ICあるいは相模原相川ICから国道129号線→県道65号線→一本松交差点
・東名高速・厚木ICから国道129号線・市立病院前→国道412号線→田代運動公園
◎駐車場
・八菅山いこいの森駐車場
・塩川滝駐車場
・田代運動公園駐車場
【6番〜10番行所】
◎公共交通機関
・小田急小田原線「本厚木」下車 「厚木バスセンター1番乗り場 神奈中バス 半原行乗車、「半増坊」下車(バス33分)
・神奈中バス 「東谷戸入口」乗車、「本厚木駅」下車(バス26分)
◎マイカー
・東名高速・厚木ICから国道129号線・市立病院前→国道412号線→田代運動公園
◎駐車場 民間駐車場を探してください。
【11番〜13番行所】
◎公共交通機関
・小田急小田原線「本厚木」下車 本厚木駅5番乗り場 神奈中バス 宮ケ瀬行乗車 「舟沢」下車(バス27分)
・神奈中バス「煤ケ谷」乗車 「本厚木駅」下車(バス33分)
◎マイカー
・東名高速・厚木ICから県道603号線にでてから→県道64号線→道の駅清川
◎駐車場
・道の駅清川駐車場
【14番〜23番行所】
◎公共交通機関
・小田急小田原線「本厚木」下車 本厚木駅5番乗り場 神奈中バス 宮ケ瀬行乗車 「煤ケ谷」下車(バス33分)
・神奈中バス「広沢寺温泉入口」乗車「本厚木駅」下車(バス28分)
◎マイカー
・東名高速・厚木ICから県道603号線に出てから→県道64号線→広沢寺前駐車場あるいは道の駅清川
◎駐車場
・道の駅清川駐車場
・広沢寺前駐車場
【24番〜30番行所】
◎公共交通機関
・小田急小田原線本厚木駅下車 「厚木バスセンター」9番乗り場七沢行乗車、「広沢寺温泉入口」下車(バス28分)
・神奈中バス 「大山ケーブル」乗車「伊勢原駅北口」下車
◎マイカー
・東名高速・厚木ICから県道603号線に出てから→県道64号線→広沢寺前駐車場
・第2東名高速・伊勢原大山ICから県道611号線→大山
◎駐車場
・広沢寺前駐車場
・大山ケーブル駐車場(公営、民営)
・宮家準編「修験集落八菅山」 慶應義塾大学宮家準研究室
・城川隆生 「相模の国峰」再考、「山岳修験 第62号 山北・丹沢特集」
・城川隆生「丹沢の行者道を歩く」 白山書房
・城川隆生「丹沢・大山・相模の村里と山伏~歴史資料を読みとく」 夢工房
・鈴木正崇「山と神と人 山岳信仰と修験道の世界」 淡交社
・各神社仏閣その他管理者等が掲示している説明板、HP等
・愛川町役場総務課「タウンナビポケットに愛川」
・厚木市秘書部市史編さん室編集「厚木市史(中世通史編)」
《担当・執筆》
葉上徹郎(神奈川支部)
《協力》
荻田 豊(西山を守る会事務局長、厚木市文化財協会副会長)
佐藤圭介(神奈川県会議員)当該山域、八菅修験のコースに精通。愛川アドベンチャーを主催)
城川隆生(日本山岳修験学会会員、万象房代表)
鈴木正崇(慶応義塾大学名誉教授、 日本山岳修験学会会長)
(敬称略)