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中山道は、近世慶長年間に徳川幕府によって整備された五街道の一つです。
中山道碓氷峠越は、群馬県の旧碓氷郡松井田町横川(安中市松井田町)の碓氷関所から坂本宿(標高460m)を経て刎石山に上り、一ノ字山(1336m)南尾根の鞍部(碓氷峠(1200m))で中央分水嶺の走る県境を越え、軽井沢宿 (旧軽井沢(942m))に下ります。律令時代の官道東山道(とうさんどう)は、碓氷峠の南約5kmに位置する入山峠(1038m)を越えていたと推定され、当時はここが「ウスヒ坂」と呼ばれていました。
その道と峠の名称が現在位置に変わったのです。
武士集団が台頭し、各地で騒乱が発生するようになったため、道が険しく大軍の移動が困難な現在位置に移されていったことがその理由と言われています。
徳川幕府もこれを継承し、碓氷関所の厳しさと併せ通行を統制したのです。
しかし、近世中期以降、流通経済の発達や寺社巡りなど人々の移動が増えるに従い、急峻な道と厳格な関所の通過を避けた、多くの脇往還が発達してきました。
※写真は、碓氷峠南側の眺望