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5 恐山古道
このルートは、優婆(うば)寺(浄土宗)を起点に正津川に沿って進むルートです。
優婆寺の境内には多くの地蔵尊が並び、墓地には『菜の花の沖』(司馬遼太郎)に登場する川口寅吉(択捉島で漁業に従事)が眠っています。
また、江戸後期の旅行家菅江真澄もここを訪れました。
優婆寺から関根橋までは右岸に沿って進み、以後は宇曾利山湖まで左岸を進みます。下小川までは小さな石仏が迎えてくれます。そこから先は現在通行止め(車)となっています(歩行は可能)。
正津川は宇曾利山湖から流れ出る唯一の川で、ウグイ(淡水棲で強酸性でも生息可能)が中流域まで生息しているようです。
正津川口のルートは、正津川の河口にある優婆(うば)寺が起点となります。
優婆寺(浄土宗)本堂には、阿弥陀三尊仏と慈覚大師作と伝えられる恐山信仰仏の「優婆夷像(奪衣婆)」があります。
320年以上も昔から霊場恐山と関わり、信者は恐山に入る前に、必ず立ち寄ってきたという寺院です。
境内には、大本山増上寺千躰地蔵尊分院の地蔵尊が並んでいます。
下小川の橋から先は、豪雨による土砂崩れのために通行止め(車)になっています(2022年10月現在)。
『山と信仰 恐山』(宮本袈裟雄・高松敬吉。佼成出版社)によると、正津川口は、優婆寺で先祖供養をすませた後に、恐山へ登拝するルートとして利用されていました。
正津川河口から川に沿って車道を関根橋集落まで歩いてゆくと、一部旧道が確認できます。
大畑地区の参詣者は、イカツケ(烏賊釣り)漁など漁業に従事する人が多かったので、他の地区とは異なり、大漁祈願をかねた男性の登拝が多くみられたといわれます。
大間町方面からの恐山参詣者も、かつてはこのルートを通りました。
一方、かつては大畑口が恐山参詣のメインルートであったという伝承もあるそうです。
『山と信仰 恐山』には、大畑から歩いて17分ぐらいで外山流(そとやまながれ)(現在の「外山長根」と思われる)に着き、かつてそこに三十三体の観音像が祀られていたとあります。おそらく北前船による海産物やヒバ材などの交易で財をなした船問屋らが寄進したものと推測されています。
その後この観音像は、たびたびの道路改修のために心光寺(むつ市大畑町)の境内に移されたようです。心光寺の案内板には、三十三観音(豊漁、海上安全、商売繁盛にご利益がある)は、もとは大畑登山口にあったと伝えられ、恐山参詣の人々は必ずこの観音様を拝んでから登ったようだとあります。
古地図(大正三年測圖)を見ると、正津川沿いの八滝の北(標高約300m)に「旧恐山道」(地図に記載)とあり、三本の古道が合流しています。一つは、大畑市街と関根橋集落の中間付近から標高142m、標高229m付近を通っています。二本目は、関根橋集落から「正津川発電所」(上小川下流付近)を経由し、正津川に沿って尾根伝いに登っていくルートです。そして、小名目沢を登って合流するルートです。合流した後西進し、湿原の北側を通って「三途の川」付近に出ています。また、大畑川に沿って、薬研温泉から釜沢の谷合いを通る道もあったようです。
1939(昭和14)年に開業した大畑線が2001年(平成13)に廃止となり、バスが普及するようになると古道は廃れていきました。
現在は、関根橋集落から正津川沿いに林道を進むコースが利用されています。
・「むつ来(か)さまい館」
むつ市田名部町10-1(0175-33-8191)
http://kasamaikan.info/index.html
・「北の防人大湊 安渡館(あんどかん)」
むつ市桜木町3-1(0175-29-3101)
https://www.city.mutsu.lg.jp/bunka/leisure/kankousisetu-anndokann.html
・「東通村歴史民俗資料館」
下北郡東通村大字田屋字家ノ上29-2
(教育委員会教育総務課:0175-27-2111)
http://www.vill.higashidoori.lg.jp/kyouikai/page000015.html
司馬遼太郎氏の『菜の花の沖(四)』は、江戸時代の廻船商人である高田屋嘉兵衛(1769~1827)を主人公とした歴史小説です。
高田屋嘉兵衛は淡路島の出身で、択捉島・国後島間の航路を開拓し蝦夷地の開発と函館の発展に貢献した人物として知られています。
後にゴローニン事件(1811)でカムチャツカに連行されますが、日露交渉の間に立って事件解決へと導きました。
この小説に、下北半島出身の川口寅吉が登場します。
彼は、冥土への入り口とされていた優婆(うば)寺(恐山参詣道「正津川口」の起点)のある正津川河口(むつ市大畑町)に生まれ育った漁師で、次男・三男の出稼ぎ地であった蝦夷地の魚や昆布とりなどにも詳しい人物でした。
若いころに蝦夷地の山々で修行したという故郷の修験者のお陰で、読み書きや勘定もできました。
その修験者は絶えず、蝦夷人はうそをつかないこと、友諠を重んずることなどを語り、「蝦夷人は人として和人より上等だ」と話していたといいます。
後年、寅吉は択捉島の現場を取りしきる幕府の足軽になり、川口という苗字を名乗りました。
寅吉は優婆寺(浄土宗)の墓地で眠っています。
また、江戸後期の旅行家菅江真澄(1754~1829)も、1792年(寛政4)10月にこの地(優婆寺)を訪れています。
『あおもり県の鳥とけものウォッチング』(東奥日報社、平成2年発行)には、下北半島のサルについて次のようにあります。
地球上に生息している209種のサルの仲間のうち、208種が東南アジアからアフリカにかけて熱帯地方にすんでいるのに、ニホンザル一種だけが北緯30度以北の寒い北国日本に住んでいる。そのなかでも最北に生息しているのが「下北半島(気温が零下20度にも下がる)に生息しているニホンザルである。
今から約40万年あまりも前の第一間氷期から第二間氷期といわれる古い時代(日本列島がアジア大陸と陸続きであった)に、大陸から渡ってきたサルの一部が、今は熱帯地方にだけすむゾウや水牛たちと一緒に北に進んで下北半島までやってきた。
やがて洪積世後期といわれるもっとも寒い時代になったとき、下北半島にいたゾウや水牛は全滅したが、サルたちは生きのびた。
現在(平成2年)、下北半島の平舘海峡(脇野沢)に面した西海岸地域に三つの群れ約80頭、大間町の山奥に四つの群れ約220頭、合わせて約300頭のサルが生息している。
なお、文化庁より「下北半島のサルおよびサル生息北限地」として、ニホンザルは下北半島に生息するもの全てが「天然記念物」に指定されていますが、近年は畑の作物を食い荒らすという食害も頻発しており、人とサルの共存に地元では頭を痛めています。
大畑川を遡って大畑カルデラの内側に入ると、かつてのヒバ産業の歴史を感ずることができます。
この川の流域はかつてヒバの一大産地で、流域のヒバは北前船で日本各地に運ばれていました。
北前船とは、西廻り航路(日本海航路を大坂まで年に2回)に就航していた廻船で、下北には室町時代から盛んに来航するようになりました。
下北からはヒバ、中国貿易用の長崎俵物(干し鮑、煎海鼠(いりこ)、昆布、スルメ)などを運び、下北への下り荷は、米、粟、木綿、古着、酒、たばこ、畳、仏壇、墓石など様々でした。
また北前船は、京都や大坂の文化(佐井村の漁村歌舞伎など)も運びました。
(優婆寺→太鼓橋)
優婆寺
↓90分(徒歩)
関根橋集落
↓2.8㎞(40分)
下小川
↓
上小川(関根橋集落から徒歩50分)
↓(50分)
八滝
↓(80分)
県道4号
↓
太鼓橋(田名部道と合流)
【優婆寺から太鼓橋まで徒歩約5時間】
『青森県史(民俗編 資料下北)』2005年
『青森県史(資料編 近世4)』2003年
『むつ市史(民俗編)』昭和61年
『むつ市史(近世編)』昭和63年
『大畑町史』1992年
『川内町史(民俗編・自然Ⅰ)』1999年
『川内町史(近・現代、林野、教育)』2001年
『脇野沢村史(民俗編)』昭和58年
『東通村史(民俗・民俗芸能編)』平成9年
森嘉兵衛『岩手県の歴史』山川出版社、1972年
とよだ 時『日本百霊山』山と渓谷社、2016年
宮本 袈裟雄・高松 敬吉『山と信仰 恐山』佼成出版社、平成7年
月光 善弘編『東北霊山と修験道』名著出版、昭和52年
速水 侑『観音・地蔵・不動』講談社、1996年
西海賢二・時枝務・久野俊彦『日本の霊山読み解き事典』柏書房、2014年
青森県高等学校PTA連合会下北文化誌編集委員会『下北文化誌』青森県高等学校PTA連合会下北文化誌編集委員会、1990年
九学会連合下北調査委員会『下北-自然・文化・社会-』平凡社、1970年
楠 正弘『庶民信仰の世界-恐山信仰とオシラサン信仰-』未來社、1984年
小松 和彦『鬼と日本人』角川文庫、平成30年
飯倉 義之『鬼と異形の民俗学』ウェッジ、2021年
森本 守『恐山と下北(ほっつきある歩き記)』昭和63年
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東奥日報社『あおもり県の鳥とけものウォッチング』東奥日報社、平成2年
速水 侑『地蔵信仰』塙書房、1975年
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小泉武栄『日本の自然風景ワンダーランド』ベレ出版、2022年
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畑中徹『恐山の石仏』名著出版、1977年
笹澤魯羊『下北半島町村誌(上巻)』名著出版、1980年
下泉全暁『密教の仏がわかる本』大法輪閣、2019年
藤沢周平『春秋山伏記』新潮社、昭和59年
『うそりの風(第9号)』(うそりの風の会 会長 祐川清人)
【原稿作成】
遠藤智久
【ルート図作成】
鈴木幹二
【協力者】
田中武男(国立研究開発法人・海洋研究開発機構むつ研究所前所長)
むつ山岳会(会長 前田惠三)
酒井嘉政(郷土史研究家)
佐藤衞(むつ市教育委員会川内公民館)
若松通(むつ市立図書館大畑分館)
鈴木久人(泉龍寺住職)
新井田定雄
(敬称略)