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94 京と丹波路往還 明智越・唐櫃越・老ノ坂
唐櫃越(からとごえ)は京都盆地の西京区山田から、亀岡盆地の亀岡市山本を結ぶ間道で、山陰道本道の老ノ坂北側に位置し、沓掛山から亀岡市山本のみすぎ山に連なる400m級の峰道約10kmを繋ぐものです。
天正10年(1582)6月、明智光秀が本能寺攻めの経路として、山陰道の本道である老ノ坂及び明智越と共に進軍したと伝わる山道です。
娘婿の明智左馬之助秀満が率いる明智勢本隊は山陰道を通り、従兄の明智治右衛門光忠が唐櫃越、光秀本人は明智越を行ったと『明智軍記』は伝えています。
出発点は馬堀です。
JR山陰本線馬堀駅で下車し、ロータリーに出ると唐櫃越への概略案内板があり、そこからトロッコ駅方面に向かいます。
「鵜の川遊歩道」の「からと越」を指示する道標により、唐櫃越登山口の「南条橋」に誘導されます。
南条橋から左折し「如意寺」の駐車場で舗装路は終わり、左の山道入り口に案内標示があります。
登り出すと直ぐに小さな谷筋が現われ、ガラガラの道を登りつめると尾根の鞍部に出ます。
右方面に折れて植林の尾根道を進むと鉄塔が望めます。
ほどなく送電鉄塔のある広々とした「みすぎ山430.1m」三角点に着きます。
そのまま尾根道を進むと下りとなり、次の送電線下で林道に合流。この辺りからの愛宕山方面の景観は素晴らしい。
そこからは未舗装の林道を進むとP404の先に大きな広場があり、林道は舗装路となります。
沓掛山への分岐まで2度ほど右へ林道は分岐しますが、道路にペンキで大きな矢印が書かれているのが、沓掛山方面への山道の分岐で、林道を直進すれば老ノ坂に出ます。
舗装路の林道及び先の広場等は、昭和60年代の山陰線新線建設に伴い、この下を通過するトンネル工事の時、垂直シャフトを設けて掘削土砂を搬出した道路の名残で、いまは古道の風情はまったく残っていません。
分岐から沓掛山までは2021年の台風のため、倒木が多く路盤も荒れた悪路ですが、沓掛山(414.7m)山頂手前の「カモメ谷分岐」まで来れば歩きやすくなります。
沓掛山山頂手前で左に折返し谷に下りるのが「カモメ谷分岐」で、分岐から尾根を行くと「カモメ尾根展望所」があり、愛宕方面の景色が素晴らしい。
次の分岐を左に進めば数分で「沓掛山三角点」です。
この辺りから南下する破線路は廃道となっています。
沓掛山の降りからは尾根筋の細い山道ですが、その先は道も広くなり桂坂野鳥公園から登って来る道と出会うと、京都市内の展望が良い休憩所が造られています。西から眺める京都御所方面の景色もまた一味違います。
桂坂野鳥遊園遊歩道の標識に注意し、山田東海自然歩道方面(唐ト越)に向かいます。
ようやく背丈ほどもU字形に掘り踏まれた古道跡が残る路となります。
緩やかな道をのんびり楽しんで降ると「丁塚」到着。
この辺りから竹林が目立ち、「京都塚原の筍」で「魯山人」が紹介したことで有名です。
老ノ坂断層の南西部地域は赤土が深くまであり、恵まれた土地で柔らかい筍が育つのです。この竹林が終わると大きな「桜谷共同墓地」に出ます。
墓地を降ると住宅街で、東に進み山田別れ、山田口交差点を直進。
阪急上桂駅まで500m程です。
古道は400m前後の低山であり、年間を通して季節に応じて登山用の軽装で歩ける。
登山者は比較的少ないようだが、京都市側は「桂坂野鳥遊園」監理区域、亀岡側は亀岡市や保存会の愛好者によって道標等も多く、良く整備されている。
唐櫃越は京都盆地の西京区山田から、亀岡盆地の亀岡市篠町山本を結ぶ間道で、山陰道の本道の老ノ坂北側に位置し、沓掛山からみすぎ山に連なる400m級の峰道約10kmです。
古くから山城国と丹波国を結ぶ本道で関所のある老ノ坂を避け、間道・軍道として使われていました。
部分的に山道の両面が浸食され幅5〜60cmのところもあり、軍道といっても大軍や軍馬の通過は困難な所もあり、間道というのが本当かもしれません。
1333年(正慶2年/元弘3年)、鎌倉幕府に対して挙兵した足利高氏(後の尊氏)が六波羅探題を攻め落とす際に通ったのが、老ノ坂もしくは唐櫃越で、「建武の乱」において、尊氏は後醍醐天皇方の反撃にあい、籠城していた東寺を出て老ノ坂、唐櫃越を通り西国九州に逃がれています。
また、1352年(正平7年/観応3年)の観応の擾乱の際には、千種顕経(ちぐさ あきつね)が500余騎の軍勢を率いて唐櫃越から入洛したと『太平記』に記されています。
明智光秀が本能寺に向けて進軍した道の1つとされています。
このように老ノ坂、唐櫃越は多くの武将達が行き来した歴史の道です。
京都を流れる桂川、亀岡市保津町請田から京都市嵐山までを保津川という。
桓武天皇は、平安京を造営するために桂川の上流にある丹波国の山国荘から木材を運んだ。
丹波国から奈良まで木材を運んでいたことが正倉院文書に残っており、きわめて歴史が古い。
筏流しによる木材の運搬は昭和まで続き、現在は保津川下りが観光名物となっている。
JR嵯峨野線の嵯峨嵐山駅から、旧山陰線の線路を利用して開業されたトロッコ列車がJR馬堀駅近くのトロッコ亀岡駅まで走っている。
旧山陰道を馬堀まで歩き終えた折には、このトロッコ列車の旅を楽しむのもよい。
または、JR亀岡の保津から出ている保津川下りで帰ることもお勧めする。
船からの眺めを楽しむか、トロッコ列車からの眺めを楽しむか、何れにしても嵐山に着く。
現在の山陰線は複線化されており、長いトンネルを抜けて亀岡に向かうので保津峡の眺めは部分的にしか見られない。
トロッコ列車は、複線化前のJR山陰線旧線路を再利用し、第三セクター鉄道として開業された。
線路脇には職員の手で一本々植えられた桜の木が立ち並ぶ。春は満開の桜、秋には紅葉が美しい。
◉嵯峨野トロッコ列車
https://www.sagano-kanko.co.jp/?
◉保津川下り
https://www.hozugawakudari.jp/
1331年(元弘元年)後醍醐天皇が鎌倉幕府討幕を意図して笠置で挙兵した。
これがいわゆる「元弘の乱」である。
足利高氏(後の尊氏)は、鎌倉幕府北条高時の命により「クーデター」を鎮圧、後醍醐天皇は1332年(元弘2年)隠岐に流され、高氏は鎌倉へ帰った。
しかし、1333年(元弘3年)後醍醐天皇は隠岐を脱出し伯耆国船上山に籠城した。
高氏は再び後醍醐天皇を封じる命を受け上洛するが、後醍醐天皇と密かに連絡を取合い、鎌倉幕府討幕の密勅を受取る。
5月7日、兵2万5000を率いて丹波篠村八幡宮を出発、おそらく老ノ坂、唐櫃越を通り鎌倉幕府の京の拠点である六波羅探題を攻め落として鎌倉幕府150年の歴史の幕を引くにあたり大きな役割を果たした。
高氏は出陣前の4月2日篠村八幡宮に戦勝祈願の願文を奉じており、尊氏自筆の祈願文が残っているとのことである。
後醍醐天皇の建武の新政に当たり高氏は、鎮守府将軍に任ぜられ、名前も高氏から尊氏へと変わった。
尊氏が戦勝祈願した篠村八幡宮は、JR馬堀の駅、あるいはトロッコ亀岡駅から南東へ徒歩10分程度である。
1335年(建武2年)鎌倉では北条残党による「中先代の乱」が勃発。
尊氏の弟直義が対応したが戦況は思わしくなく尊氏自らが朝廷の許可なく鎌倉へ出向き対応した。
勝利した尊氏は鎌倉に留まって戦の恩賞を独自に配ったという。
なかでも同門の新田義貞の所領まで下げ渡したという。
これらにより後醍醐天皇との関係も悪化し、1336年ついには「建武の乱」が勃発する。
尊氏は、箱根、足柄古道の竹之下の戦で勝利し、上洛するも後醍醐天皇方の反撃にあい、籠城していた東寺を出て老ノ坂、唐櫃越を通り西国九州に逃がれた。
途中、再び篠村八幡宮で味方の兵を集め、再起祈願をしたという。
その後光厳上皇の院宣を受け、太宰府天満宮を拠点に西国武士を集め上洛し、京都を制圧して光明天皇即位を支援した。
これらの功より1338年(歴応元年)征夷大将軍に任ぜられた。
この篠村八幡宮に尊氏は、2度の大願成就をしたとして1349年お礼参りをしているという。
このように老ノ坂峠、唐櫃越は、明智光秀以前にも足利尊氏をはじめ多くの武将達が行き来した歴史の道である。
唐櫃越という古道は京都の東西にあり、西は「カラトコエ」として残っていますが、東の一乗寺から無動寺あるいは白鳥越を経た「カラヒツコエ」は、古い文献にはあるものの経路も判然とせず呼び名も残っていません。
足利健亮『景観から歴史を読む』によると、1336年の古文書には「賀羅富津越(カラフツゴエ)」名で見えるとあります。
これが転じてカラフトゴエになり、「フ」が飛んで現在の唐戸越(カラトゴエ)になったと過程が推測されています。
宝永2年(1705)に、山城の名所・旧跡、寺社などを、引用して紹介した『山城名勝志』(大島武好)には「カラフトコエ」とルビが振ってあります。
六甲山麓や比叡山山麓にある唐櫃越は、「カラヒツコエ」と呼ぶようです。
ちなみに唐櫃(からびつ、からひつ)とは、前後二人で担ぐ仕様になった荷物箱のことで、細い道でも荷物を運ぶことができます。
JR嵯峨野線馬堀駅
↓ 約1.2km:30分
如意寺唐戸越登山口
↓ 約0.7km:60分
唐戸越の鞍部(380m)
↓ 約0.4km:20分
みすぎ山(430.3m)
↓ 約1.9km:30分
広場
↓ 約1.5km:25分
林道分岐
↓ 約1.7km:45分
沓掛山
↓ 約1.3km:20分
野鳥遊園道出合
↓ 約1.7km:40分
丁塚
↓ 約0.7km:15分
墓地
↓ 約1.2km:30 分
阪急嵐山線上桂駅
合計=約12.3km:5時間15分(休憩時間は含まない)
阪急電鉄嵐山線上桂駅
JR嵯峨野線馬堀駅
JR馬堀駅には、JR嵯峨野線と阪急桂駅から京阪京都交通バスで向かう方法があります。
また、JR嵯峨野線の嵯峨嵐山駅からは、旧山陰線の線路を利用して開業された観光トロッコ列車が、JR馬堀駅近くのトロッコ亀岡駅まで営業しているので、春の桜・秋の紅葉を楽しみながらトロッコ列車で向かうのも一興です。
(「お勧めスポット」参照)
足利健亮『景観から歴史を読む』NHKライブラリー、日本放送出版協会発行
村井康彦編集『京都・大枝の文化と歴史』思文閣出版
鈴木康久、肉戸裕行『京都の山と川』中公新書
大島武好編『山城名勝志』宝永2年(1705)
《担当》
日本山岳会京都・滋賀支部
村上 正
岡田茂久
《協力》
日本山岳会MCC