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日本山岳会が選ぶ「日本の山岳古道120選」

94 京から丹波へ 明智越・唐櫃越・老ノ坂峠

本能寺攻めの経路と伝わる古代からの道

7世紀から8世紀にかけて平城京・長岡京・平安京と都が移り替わりましたが、古代日本の律令制においては都所在地を五幾、全国を七道の広域行政区画に別け、五幾と各地方の広域行政区画に向かう官製街道として七道が制定され、七道の国府それぞれ同名の幹線官道(駅路)で結ばれていました。
山陰道はそのうちの一つであり、京都盆地から亀岡盆地に抜けるには、「大枝の関」が設けられていた「老ノ坂峠」を越えるのが山陰道の本道とされています。
その間道として、京都西北部に位置する愛宕山の麓から、京都西南部の小塩山南麓にかけて「明智越」「唐櫃越」と「逢坂峠」があります。
そのうち、舗装道路で大阪府を経由する「逢坂峠」を除いた、明智光秀が本能寺攻めの経路としたと伝わる三つの道、本道の「老ノ坂峠」と共に「明智越」「唐櫃越」を本調査の対象としました。
※写真は唐櫃越から見た京都市内の遠望

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