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60 箱根旧街道

湯坂路

古道を歩く

小田原駅あるいは箱根湯本駅でバスに乗り、元箱根港バス停で下車するとそこには赤く大きな箱根神社一の鳥居が建ち、芦ノ湖には、湖上鳥居を望むことができる。
一の鳥居の横には、古い地蔵や石仏・石塔が集められている箱根町指定史跡「賽の河原」がある。
また時間に余裕があれば、箱根神社へ足を伸ばすのもよい。

一の鳥居から旧街道杉並木の舗装道路に入り、湯本方面へと進む。杉並木歩道橋を渡って旧街道権現坂の石畳を登る。
左の小さな赤い鳥居を過ぎると箱根旧街道入口の看板とお玉ケ池・精進池方面への道標そして享保16年(1731年)建造の石碑がある。
お玉ケ池方面へと左に曲がり、変電所の先で旧道(車道)を渡って遊歩道へ入るとやがてお玉ケ池に出る。
湖畔の木道から二子山が美しい。
お玉ケ池から精進池を目指して趣のある道を歩く。

やがて国道1号線に出て精進池に着くが、ここには「石仏群と歴史館」があり、地域の歴史、石仏等に関する掲示物のほかルート上では数少ないトイレもある。
ここから箱根石仏群に入るが、鎌倉時代の石造物が多く残されている。
まず、神奈川県下最大の中世摩崖仏である「六道地蔵」をスタート。
様々な石塔を経て石仏群「二十五菩薩」を通り、「曽我兄弟の墓」へと見どころが続く。

国道1号線に出たら、国道を渡り芦之湯温泉、東光庵へ向かう。
芦之湯は、文化・文政(1804年から1830年)の頃、江戸時代の人々に人気を呼び、大いに賑わった。賀茂真淵など当時の文人、墨客は、熊野権現の境内に建てられた東光庵薬師堂に集い、湯治のかたわら句会や茶会などの風流を楽しんだともいわれている。
芦之湯から国道1号線を湯本方面へしばらく下り、「湯坂道入口」のバス停を過ぎると「湯坂道(鎌倉古道)」と書かれた標識がある。
入った道は、はじめ林道の様相だが次第になだらかな尾根道の登りとなり、やがて鷹ノ巣山に至る。西国(中央)から関東へ行くには足柄峠を越える道と箱根山を越える道が存在し、足柄峠への道には足柄城を、箱根には鷹ノ巣城がおかれた。

鷹ノ巣城は、天正18年(1590年)小田原征伐において徳川家康に攻められ落城したとのことである。
典型的な山城とされるが、正確な所在位置については不明である。遺構が確認できないことから山頂に所在したとする説を否定的に見て鷹巣山の北側にある浅間山が真の所在地かもしれないとの見解もある。
モミジに囲まれた広く穏やかな尾根道を下っていくとやがて土塁の跡がかすかに残る湯坂城跡に出る。この山城は、応永25年(1418年)鎌倉古道を抑える目的で大森氏によって築かれたとされる。
その後、大森氏が北条早雲により滅ぼされた後は後北条氏の支配下に置かれ、大森氏統治時と同じく小田原城を守る支城として機能していたが、小田原の役にて後北条氏が滅ぶとこの湯坂城も廃城となったという。
この先、石畳化された道を過ぎ急坂を下ると国道1号線に出る。箱根湯本まではわずかである。

古道を知る

平安時代後期から鎌倉時代には、従来の足柄道(足柄古道)より距離の短い箱根越えの道が多くの旅人に利用されるようになり、元箱根から箱根湯本に至る湯坂路も整備された。
この道は、源頼朝をはじめとする鎌倉武士が伊豆山神社、箱根神社の二所権現と三嶋神社(現三島大社)を参詣するいわゆる「二所詣」の際にも利用された。
また小田原北条攻めの秀吉軍もこの道を通るなど江戸時代に入り、箱根旧街道が拓かれるまで多くの人に利用されてきた。江戸時代の旧街道は谷筋を通る険しい道であるが、湯坂路は尾根上の緩やかな道であり、両者の違いは興味深い。
湯坂路は芦ノ湖畔の元箱根を出発して芦之湯を経由、ツバキやモミジが多く見られる鷹ノ巣山から浅間山、湯坂山へと緩やかな尾根道をたどって箱根湯本に至る道で現在はハイキングコースとして親しまれている。
特に精進池周辺から芦ノ湯に向かう道筋には、「鎌倉古道」の名にふさわしく鎌倉時代の石仏、史跡が多く見られる。

ルート

小田原駅あるいは箱根湯本駅から箱根町港行バス乗車
元箱根港バス停→お玉ヶ池→精進池・石仏群→芦ノ湯・東光庵→湯坂道入口→鷹ノ巣山→浅間山→湯坂山→湯坂城址→箱根湯本
(歩程約4時間30分)

協力・担当者

《担当》
神奈川支部
葉上徹郎

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