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尾之間集落の「岳参り」

尾之間(おのあいだ)の「岳参り」は、奥岳は宮之浦岳とし、前岳は本富岳、耳岳、割石岳としてきた。
宮之浦岳へは、尾之間歩道から花之江河を経て詣で、耳岳、割石岳へは尾之間歩道から割石岳東斜面を横断する耳岳「岳参り」歩道を登り、割石岳と耳岳の鞍部から割石岳、耳岳それぞれを登り登拝した。
割石岳の祠は山頂より少し西に外れた尾根上に5基あり、耳岳は山頂岩峰の基部に二基祭祀されている。
一方本富岳へは原集落からの登山道を利用している。

古道を歩く

本富岳(940m・もっちょむだけ)の「岳参り」歩道

本富岳の「岳参り」歩道は過去平石詣所から南面(正面)の歩道を登っていたが、平成の台風による大雨で上部が崩壊し通行不能となったため現在では万代杉、モッチョム太郎の巨杉を経由するタナヨケ歩道を登っている。
本富岳へは千尋之滝駐車場に始まるが、通常レンタカーで上がることが多く、農道入口から千尋滝駐車場までは歩いても50分程度である。
駐車場の先は千尋之滝(落差40m)の展望台があり、屋久島名瀑景勝地の一つとして多くの観光客が訪れる。
本富岳への歩道は駐車場の北側売店の奥に詣所千尋嶽神社の小社があり、その横に本富岳タナヨケ歩道入口がある。
この一帯オタギ山とも言われ、本来奥岳へ通じる原「岳参り」歩道で、歩道入口から歩道へ入るとすぐ十字路になり、ここは真っ直ぐ山道を辿り、クエン川を渡ると入口から15分で本富岳歩道と原歩道の分岐にでる。
旧原歩道はもともと尾之間温泉から尾之間歩道の上部に連絡する原歩道であったが、現在廃道となって灌木が繁り登ることは困難。
本富岳への歩道へ入るといきなり急峻な胸突き八丁の登りになる。
30分の急坂を登ると小さな尾根を越え、苔に覆われた谷を渡り次第に高度を上げ尾根上に出ると突如巨大な万代杉が立ちはだかる。尾根を跨ぐように屋久島の大地に根を張り、その大きさと生命力に感動する。
万代杉の右を捲き尾根上を辿る。上部で尾根から外れ右の谷に入り支流を渡り、右へ迂回しながら高度を上げると10m下方に藩政時代の試し切りの跡を残すモッチョム太郎の巨木を見る。
広い尾根を左右に迂回し、登山口から2時間半で本富岳と割石岳の主尾根上に達する。尾根伝いに登ると露岩の神山展望台に至る。
尾根は次第に険しい岩稜に変わり、岩を捲いたり、登下降を繰り返すと最後は左から急峻な尾根を登り、露岩に架けられたロープを頼りに腕力で登ると露岩の山頂に出る。
「岳参り」の祭祀祠は頂上露岩の南側にあり、露岩を越えて南側のテラスに立つと一品法壽大権現を祀った石の祠が5基安置されている。
足下は屋久島三大岩壁の一つ本富岳の南壁(高距300m)を成し、空間を隔てて尾之間や原の海岸線、太平洋の輝きが眺められる。

耳岳・割石岳の「岳参り」歩道

尾之間温泉から尾之間歩道を20分ほど行くと右の平坦地に耳岳への歩道がある。「耳岳入口」の道標があり、疎林の平坦で緩やかな登路を進むと次第に傾斜が増し、やがてP1092から南に延びる尾根を辿るようになる上部へ高度を増すに従い傾斜も増してくる。P1092を越えると小さな鞍部があり、道は割石岳の南面斜面を東へトラバースすることになる。
小さな沢を起伏に従って横断し高度を上げる。二又川の上流男谷(おとこにた)が次第に接近し、やがて男谷源流のガレを登って割石岳と耳岳の鞍部に至る。耳岳へは灌木の茂った中に南へ細々と道が通じており、岩峰の直下に達する。頂上へは上部の岩を登らねばならないが、一般には登れない。岩壁と灌木の境には岳参りの祠が2基安置されている。
耳岳へはこのルートの外に本富岳タナヨケ歩道の神山展望台下から灌木林を分けて耳岳の鞍部に至ることも可能であるが、歩道は荒廃し踏み跡程度の道とテープが案内してくれる。密生した灌木林を分けて耳岳の岩峰の東側斜面をトラバースすると先程の割石岳と耳岳の鞍部に至る。
一方、割石岳への「岳参り」の登路がP1092上部の鞍部から尾根伝いに延びていたらしい。現在は岳参りの衰退により廃道となって判然としない。このコースは標高1300m付近より岩稜に変わるが、この上部の岩稜を避けて北側の斜面をトラバースしながら割石岳本峰と南側のピーク間に登り、北へ尾根を辿れば灌木に覆われた標高1410.2mの本峰に出る。南へ辿れば二峰とも言える標高1400mのピークに至る。二峰には二つの巨岩があり、「岳参り」の祠は南側の庇状に張り出した岩の下に2基見られる。
さらに、割石岳と耳岳の鞍部から踏み跡程度の道が通じており、灌木を分けて登ることもできる。近年まで行われていた「岳参り」は耳岳の歩道を登り、鞍部から割石岳に登っていた。
何れも現在は利用者も皆無で荒廃し、ルートの見極めが困難であろう。

尾之間から淀川入口へ(尾之間歩道下半部)

尾之間は屋久島の南に位置し、背後の本富岳の岩峰が美しく、最も温暖で亜熱帯的雰囲気を漂わせる山岳景勝地である。
尾之間から奥岳への登路は西の尾之間温泉に始まる。割石岳から大きく南に伸びた尾根の末端から鈴川の方へ緩やかな登りで迂回する。いつしか鈴川の左岸上部を辿るようになり、次第に高度を上げていく。
この一帯は二次林で爽やかな照葉樹の林が歩調を速めスダジイ、カシ、バリバリノキ、リンゴツバキ、ルリミノキ等多く目にする。左に目を転じれば鈴川の清流が梢を通して見るようになる。
小さな沢をいくつか渡ると蛇之口滝(500m)への道が分岐する。
滝へは真っ直ぐ鈴川の左岸を辿り、鈴川二俣の上部で右俣を渡渉し左俣に出ると落差30mの蛇之口滝に至る。滝の上部は角度30度、100mからなる大スラブの大河床が続いているが、下から仰ぎ見るため上部スラブの全容は見えない。この蛇之口滝迄ハイキングコースとして島の人達にも親しまれ一見に値する。
花之江河への登路は蛇之口(じゃのくち)滝分岐点で直角に右折し、支尾根上に続く急峻なジグザグの登りに変わる。途中梢の間からかいま蛇之口滝と上部の大スラブを見る。暫く滝の音を耳にしながら淡々と高度を稼ぐ。割石岳の北に続く尾根の西斜面から流れ落ちる沢をいくつか渡り、急峻な小道を登り終えると標高1200mの鈴岳(1637.7m)、割石岳間の最低鞍部に到達する。
これより開けた尾根を辿り、150m下ると鯛之川の渡渉点に出る。尾之間から8km、花之江河との丁度中間点である。この渡渉点は過去遭難があり、水量が増すと渡れないので要注意。
本流を転石伝いに渡渉し、苔の美しい沢道を辿り、上部で支流を渡ると乃木尾根への急峻な登りになる。途中二本の支流を渡り、300m程登って尾根上に辿り着く。
ここから淀川入口まではほとんど尾根上を伝う。モミ、ツガ、スギの大木が屋久島の森に相応しい雰囲気を醸し出す。
鈍頂な乃木岳(のんきだけ)を巻き、次第に高度が増すとやがて左に脇道がある、この道を50mほど辿ると尾之間大杉の巨木を見る。歩道を下ると突然前が開け標高1360mの淀川入口の広場に出る。

淀川入口から花之江河へ(尾之間歩道上半部)

この歩道は三岳、宮之浦岳の「岳参り」を行う場合に高齢化に伴い負荷軽減を図るうえで利用される歩道で、宮之浦集落、安房集落、原集落、尾之間集落、湯泊集落、栗生集落が利用している。
本来この歩道は尾之間歩道の延長上にあるが、昭和34年に安房林が開かれて以来標高1360mの淀川入口まで車が入るようになり、宮之浦岳へは最短コースとして一日にして往復が可能になった。
淀川入口の広場から尾之間方向へ少し戻ると右に入る歩道があり、その奥に一見に値する試し切りのある尾之間大杉の巨木がある。
宮之浦岳へは淀川入口から尾根を登り、これを越えると淀川側の斜面を辿る。淀川入口から15分で左上に胸高周囲11mを超える淀川大杉の枯存木があり、周囲モミ、ツガ、ヒメシャラ、ヤマグルマ、ハリギリなどの大木が屋久島中間山岳地帯の見事な樹林帯を成している。急な斜面から、湿地帯の木道を抜けると淀川河畔のログハウス調淀川小屋(収容60人)に着く。
小屋から淀川の清流に架かる鉄橋を渡り、本格的な登りになる。
急峻な登り、加えて多くの登山者が訪れるため登路は荒廃し段差が大きく難儀する。
尾根上に辿り着くと緩やかな登りになり、スギ、モミ、ツガの大木が屋久島の雰囲気を漂わせる。
次第に高度を増し、再び急峻な登りが始まると左に高盤岳展望台がある。
淀川の小屋から1時間強、展望台からは枯存木が美しい森を隔てて巨岩(トーフ岩)の高盤岳(1711m)、左に目を転じればジンネム高盤岳(1734m)、鈴岳(1637.7m)のどっしりした山容が望まれる。
一呼吸入れた後、木の階段を登って高度を上げると大木の森から灌木林に変わる。
サクラツツジ、シキミ、タンナサワフタギ、ヤマボウシ、ユズリハ、ヒメヒサカキ、イヌツゲ、シャクナゲ、アセビなどの温帯上部の植物が目立つようになる。
尾根上の1700ⅿピークを越え、暫く下ると標高1630m小花之江河の景勝地に着く。
小花之江河は日本最南端の泥炭層湿原で、ヤクシマミズゴケモドキ、オオミズゴケ、スギゴケの中にヤクシマホシクサ、コケスミレ、イグサなどを見る。
周囲庭仕立ての松を思わせる杉が川面に映え、日本の名庭を彷彿とさせる景勝地である。
感動の余韻に浸りながら一つの尾根を越えると15分で小花之江河同様、標高1640mの花之江河の泥炭層湿原が開ける。
黒味岳を背景に風光明媚な湿原で周囲ビャクシンが繁茂し、中央には疱瘡退散の石祠が二基祭祀されている。
花之江河は麦生歩道(現廃道)、原歩道(現廃道)が途中尾之間歩道と合流し、湯泊歩道、中間歩道(現荒廃)、栗生歩道、花之江河登山道が一同に合流する。
三岳、奥岳を参詣する過程で屋久島南部、旧屋久町の各集落が奥岳「岳参り」の詣所、黒味岳(黒御嶽)の遙拝所として多くの島民に崇拝されてきた。

古道を知る

尾之間(おのあいだ)の「岳参り」対象の山は過去奥岳は御嶽、権現様である宮之浦岳とし、前岳は尾之間の背後に聳える尾之間三山、本富岳、耳岳、割石岳(わいしだけ)としてきた。
奥岳コースは古来山口(現千尋嶽神社)からの原歩道を利用していたが、大正末期鈴川沿いの現尾之間歩道が開かれたことによって、山口からの歩道は廃道になってしまった。
過去尾之間の「岳参り」は秋の新暦9月2日に行われ、東町、中町、西町の三つの地区が一年交代で8戸の戸頭(とがっしゃ)として選出され、希望者も加えて催行されていた。
戦前女人禁制が敷かれ、前岳までは入山が許されたが、戦後は女人禁制が解かれて誰でも自由に参加できるようになった。
しかし、家族に死者があった黒不浄は一年あるいは三年間は「岳参り」に参加できなかった。
奥岳の「岳参り」は3人3日がかりで行われ、一日目の夕刻海岸で禊を行って身を清め村の神社でお籠もりをする。
二日目奥岳詣での組は早朝海岸でお潮井とりとして海砂を採取し、供え物を持参して山に入った。
当時は山口からの歩道を辿り、乃木小屋で一泊、翌日現尾之間歩道上部を登り、花之江河を経て宮之浦岳に達した。
山頂笠石の下に祭祀されている祠にお供え物を奉納し、村の安泰を祈願し、三岳の一峰である永田岳を遙拝した。下山途中に栗生岳、花之江河の祠を参拝し、春はシャクナゲ、秋はビャクシン、コウノキ(シキミ)を採取し土産として持ち帰った。
特に奥岳組は下山中シャクナゲの幹でめしげ(シャモジ)を作り村に持ち帰った。このめしげは火であぶり、腫物や歯痛の患部に当てると治ると言われ大変喜ばれたという。
一方 前岳である耳岳、割石岳の組は、三人で当日海岸で禊を済ませ、山口(二又川詣所)を詣で、尾之間歩道から割石岳東斜面を横断する耳岳「岳参り」歩道を登り、割石岳と耳岳の鞍部から耳岳へ延びる尾根を辿って耳岳頂上岩峰下の基部に祭祀されている二基の祠に参った。
また、割石岳には、耳岳との鞍部から耳岳とは反対方向に割石岳の東斜面を登り、割石岳山頂から南に延びる尾根上を少々下った露岩下の祠に参った。
さらに、山口(二又川詣所)から耳岳の歩道と途中で分れ、割石岳から南に延びる岩尾根を辿り、直接割石岳の祠前に出るコースもあったと言われているが、いずれも近年「岳参り」の衰退と共に登山者もなく、現在は廃道として利用されていない。
また、一時現尾之間歩道1.5km先から耳岳歩道が分岐し、山口からの古道と合流し耳岳に至っていたが、現在は利用者もなく灌木が茂って解らなくなっている。
一方本富岳は山口の歩道から耳岳を巡り、本富岳の神山展望台を経由して山頂に達していた様であるが、昭和29年に発生した耳岳中腹からの洪水によって登山道の大部分が決壊し、以来原集落からの登山道を利用するようになった。
前岳詣での組は正午頃耳岳、割石岳の山頂に登り、供え物を納めて拝願を終えると、あらかじめ決めていた展望の良い大石の集合場所で奥岳「岳参り」の一行と合流し、川または温泉で禊をしたのち戸頭、区長、役員、村民に迎えられ、御馳走をもって坂迎えが行われた。
その後、海岸あるいは神社の境内で御神酒、御馳走が振る舞われ、盛大に慰労会が行われた。
一般には持ち帰ったシャクナゲやビャクシンは家族や「岳参り」に参加しなかった村人に配られ、床の間や墓に供えられた。「岳参り」の参加者には村人が作ったお米を竹の葉に包んだササマキまたは各戸より徴収した現金が配られた。
*本富岳(940m・もっちょむだけ)の「岳参り」歩道は原集落に同じ。

深掘りスポット

祠の碑文

■耳岳山頂下
入母屋型安山岩製祠二基、内一つは尾之間休□□とある。詳細不明。
■割石岳
左から鹿児島石製角柱、寄棟型山川石製祠、鹿児島石製角柱、寄棟型山川石製祠、寄棟型山川石製祠、計5基の祠が祭祀されているがいずれも風化著しく碑文は読めない。
■本富岳山頂:山川石製、家型祠三基、角柱祠一基あり。
・山川石製家型、笏を持った仏像(菅原道真公)が浮彫されている。
・山川石製、明和2年(1765年)。
・山川石製、安政5年(1858年)の祠。
・明治9年(1876年)尾之間村副戸長岩川比賀助奉納の「奉寄進比賀助」の石塔。

ルート

■耳岳・割石岳の「岳参り」歩道
尾之間温泉
↓30分 ↑30分
耳岳歩道入口
↓2時間20分 ↑2時間
割石岳/耳岳鞍部
↓30分 ↑20分
割石岳
↓10分 ↑10分
耳岳

■尾之間集落から淀川入口へ(尾之間歩道下半部)
尾之間温泉
↓2時間 ↑1時間40分
蛇之口滝分岐
↓4時間 ↑3時間30分
鯛之川出合
↓2時間30分 ↑2時間
淀川入口

■淀川入口から花之江河へ(尾之間歩道上半部)
淀川入口
↓50分 ↑50分
淀川小屋
↓1時間30分 ↑1時間15分
小花之江河
↓15分 ↑15分
花之江河

■本富岳の「岳参り」歩道

↓50分(車20分) ↑40分(車20分)
千尋滝駐車場
↓1時間30分 ↑1時間
万代杉
↓1時間10分 ↑1時間
神山展望台
↓50分 ↑50分
本富岳

■尾之間集落から淀川入口へ(尾之間歩道下半部)
尾之間温泉
↓2時間 ↑1時間40分
蛇之口滝分岐
↓4時間 ↑3時間30分
鯛之川出合
↓2時間30分 ↑2時間
淀川入口
↓50分 ↑50分
淀川小屋
↓1時間35分 ↑1時間15分
小花之江河
↓15分 ↑15分
花之江河
↓50分 ↑45分
投石平
↓1時間 ↑1時間
翁岳/栗生岳鞍部
↓35分 ↑30分
栗生岳
↓15分 ↑10分
宮之浦岳

紀元杉
↓2時間分 ↑2時間分
淀川入口

アクセス

■本富岳の「岳参り」歩道
徒歩、タクシー、レンタカー
■尾之間集落から淀川入口へ
公共バス:島内周回バス(尾之間温泉下車)
■淀川入口から花之江河へ
公共バス(合庁前―紀元杉、一日往復2便)、紀元杉―淀川入口(徒歩2時間)
タクシー、レンタカー

参考資料

【「屋久島 岳参り」共通】
・「古事記」「日本書紀」総覧 別冊歴史続本・辞典シリーズ(第二刷)新人物往来社(平成2年4月17日発行)
・「三國名勝圖會」(仏寺・法華宗の權輿)天保14年(1843年)薩摩藩主第27代藩主島津斎興の命で五代秀堯、橋口兼柄等により編纂された。内屋久島関係は巻ノ五十に表されている。
・屋久島大會圖
・益救神社「益救神社由緒記」
・村田煕「種子・屋久・トカラ列島の山岳宗教」(山岳宗教史研究書⑬)
・石飛一吉「屋久島における山岳信仰県の研究」
・山本秀雄「岳参り」(上屋久町楠川を中心として)
・(楠川区長牧実寛メモ)「楠川の岳参り」
・「上屋久町誌」(1984)上屋久町
・屋久島町郷土誌(第一巻〜第四巻・1993〜2007)屋久町
・ウィキペディア検索
仏教 全日本仏教会、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
神道 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
法華宗フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山岳信仰 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
・楠川天満宮「楠川天満宮の由緒」
・久本寺渡辺智弘御住職「渡部智弘論文」
・「屋久島『岳参り』の研究」「国際言語文化研究」第四号(1998)鹿児島純真女子大学
・太田五雄「屋久島の山岳」(1993、再販1997,再販2006)八重岳書房、南方新社
・太田五雄、三橋和己共著「屋久島の神と仏—神社・仏寺・山岳宗教・民俗神」(2020)自費出版
・太田五雄「屋久島総覧—未来への伝言」(2021)自費出版
・太田五雄論文「屋久島の山岳宗教・法華宗「岳参り」」(2023)自費出版

協力・担当者

【「屋久島 岳参り」共通】
《執筆者》
太田五雄(日本山岳会 福岡支部)
《協力》
益救神社(宮之浦) 宮司 故大牟田信文 禰宜 大牟田祐
久本寺(宮之浦、法華宗・本門流) 御住職 渡邉智弘 僧侶 渡邉智旭
日本山岳会MCC
(敬称略)

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