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楠川(くすがわ)集落の「岳参り」は創始以来絶えることなく屋久島本来の「岳参り」が伝承されてきたが、現在、石塚山の参拝は行われず、楠川前岳のみで行われている。
楠川前岳の「岳参り」は、楠川の林道から楠川歩道に入り、急峻な敬神坂を登って白谷の林道に出る。
そこから一般には登られない不明瞭な道を辿って楠川前岳に至る。
山頂には楠川集落、椨川集落の「岳参り」祠が4基祀ってある。
また、石塚山は、昭和時代までは必須の奥岳「岳参り」であった。
小杉谷の右岸に石塚集落跡に行く森林鉄道があったが廃道となり、最近はヤクスギランドから石塚山/太忠岳に登るルートがとられるようになった。石塚山は銅鏡のような丸い巨岩や天然の鳥居状巨岩がある、天孫降臨を彷彿とさせる神秘的な山である。
現在「岳参り」は代表者の高齢化、参加者の減少により奥岳石塚山の参拝は行われず、前岳である楠川前岳のみ行われている。
参加者は楠川天満宮の海岸で禊、お汐井取りを行い、楠川天満宮、正木の森で参拝し、城之川(じょんこ)左岸の開けた田畑を辿り、横に走る農道を過ぎ、楠川歩道に至る林道に入ると右に大きなタブの木があり、その根元に詣所野のよけいの祠が一基設えられている。
参拝を済ませ、林道を辿って杉木立の中の林道を3km辿ると楠川歩道の口に至る。
これより歩道に入るがしばらくは羊歯類の繁茂した植林地を辿る。
林内ではヘゴやクワズイモ、ヤクシマサルスベリなどが散見される。
緩やかな山の斜面を登り、炭焼き窯跡を過ぎると急峻なジグザグの敬神坂(よしときの坂)の登りに変わる。
登りつめると標高670mの詣所三本杉(合体木、祠あり)に着く。
三本杉からローソク尾根の西斜面を辿り、小さな沢を二箇所渡渉し、100m程登ると白谷の林道に出る。
楠川から5.1km、小杉谷まで4.6kmの位置。
この林道を東へ500mも行くと小さな沢を渡る錦水橋に出る。
この沢の右岸に注意していないと見過ごしそうな細々とした歩道を見る。
この道が楠川前岳に至る道で、一般には登られる事はないが現在では楠川集落及び椨川集落の重要な「岳参り」歩道である。
登山道に入ると右岸伝いに歩道は続く。
やがて左へトラバースし、涸沢を渡って支尾根に立つ。
開けた暖傾斜の尾根を辿り、しばらく登ると尾根の左側をトラバースするようになる。
杉の植林地を過ぎて小さな支流を二度渡り、小さな尾根を越えて急なルンゼを下ると右に100m程のガレを見る。
このガレから道は不明瞭になるが、目印を頼りに登路を辿る。ガレの下端を横断すると再び支流を渡り、不明瞭な道を探しながら高度を上げる。
急峻な杉林を登りつめるとかなり大きな尾根に至り、右へ尾根に従って高度を上げると尾根の右側をトラバース気味に登るようになり、やがて楠川前岳の西のピークとの鞍部に辿りつく。
大きな木はないが小灌木の林で山頂からの展望はきかない。
山頂には楠川集落、椨川集落の「岳参り」祠が4基祀ってあるが、内左端のが椨川の祠と言われている。
下山後は正木の森で坂迎えを受け、久本寺の僧侶による読経が行われ、公民館で直会が行われる。
因みに楠川集落では楠川前岳、椨川集落では過去高岳と言っていた。
石塚山(1589.4m)は楠川奥岳「岳参り」の山とした昭和時代までは必須の「岳参り」であったが、最近は催行者の高齢に伴って標高1020mのヤクスギランドから石塚山/太忠岳の分岐を登り、北の方向へ尾根を縦走して石塚山に至るルートがとられるようになった。(注)
昭和の「岳参り」コースとして石塚集落跡からのコースとして記録を残す。
小杉谷の右岸に石塚集落跡に行く森林鉄道があり、過去石塚歩道として10キロ峠を経て花之江河、宮之浦岳の登山コースとして多く利用されていた。その後森林鉄道、石塚歩道共に廃道になり、現在の淀川からの尾之間歩道上部を利用するようになった。
石塚歩道の石塚沢と24km沢の中間に森林軌道が廃止されるまで営林署の石塚集落があった。
石塚山への登山口はこの集落より石の階段を登り、鳥居をくぐり抜けて山を目指した。現在でも踏み跡程度の道があるが荒廃して一般には判りづらい。
登路は石塚沢と24km沢間の尾根を辿る。
一帯伐採がなされ、時に小さな沢を渡る。
最上部で石塚山の北側斜面を大きく迂回するとやがて鳥居のある巨岩の東側に至る。
巨岩はまさに天然の大鳥居を連想し、2m幅の廊下の奥には楠川集落の岳参り「一品法壽大権現」、楠川屋久島大社の上宮「伊邪那岐命」、「伊邪那美命」が祀られている。
鳥居の東側から急斜面の踏み跡を登ると大鏡岩に至り、さらに灌木を分けて露岩の山頂に達すると眼下に天然の大鳥居を見る。まさに天孫降臨を彷彿とさせる神秘な神山として楠川集落が奥岳として崇拝するのも納得できる。
(注)ヤクスギランドから石塚山の「岳参り」歩道参照
現在「岳参り」は代表者の高齢化、参加者の減少により奥岳石塚山の参拝は敬遠されているが、令和の時代まで行われていた。
ヤクスギランドから石塚山/太忠岳分れ間は安房の太忠岳「岳参り」と同じコースを辿り、石塚山/太忠岳分れから石塚山に至った。
石塚山は楠川集落の「岳参り」対象の奥岳で、過去楠川、辻峠、旧小杉谷、石塚集落を経て石塚山に登り参拝していた(前項)。
現在安房川本流の吊橋がなくなり、安房川南沢右岸の森林鉄道作業道も廃道になって、石塚集落からの「岳参り」は行われなくなった。
現在はヤクスギランドから太忠岳歩道を利用して石塚山の「岳参り」を行っている。
楠川から車で安房経由屋久島公園線を登りヤクスギランドに至る。
太忠岳歩道入口へはヤクスギランドの遊歩道をランド入口から林泉橋を渡り、右へ迂回して下ると荒川の本流に架かる荒川橋に出る。
足下は花崗岩の河床からなりダイナミックな荒川の清流が岩を噛み、その水音が周囲の森に轟いている。
荒川の左岸に渡ると道は二分する。左へ荒川の左岸を上流へ向かい、ほどなく太忠岳の登山口三叉路に着く。
真っ直ぐ行けば花之江河登山道に通じ、太忠岳へは右の急な斜面に取付く。
ヤクスギランドから40分で小尾根を越える。途中荒川橋からの道(廃道)が右から合流する。
ヒゲ老人の巨杉を見て小さな谷を横断し尾根を登ると蛇紋杉に着く。この杉は樹齢2000年の巨木であったが、平成9年の台風で倒れ、現在は下方の谷に横たわっている。
道はここで二分し、左へ行けばヤクスギランド遊歩道の150分コースで、天柱杉、母子杉、三根杉、花之江河登山道入口へと続く。
この一帯を小花山と呼び、モミ、ツガ、ヒメシャラ、スギの大木を主とした屋久島中間部の最も素晴らしい樹林帯を形成している。
大きな尾根を捲き、一旦下って支谷を渡り、しゃか杉の巨木を経て左尾根の斜面を辿ると尾根上の天文の森に至る。天文年間に伐採され、新たに現在の森に更新されたことからこう呼ばれている。
モミ、ツガ、スギの大木が随所に見られ、樹間ではシキミ、ハイノキ、サクラツツジ等の灌木が埋めつくしている。
支谷を渡り、開けた尾根を登ると左に苔に覆われた支流を見る。
上部で尾根から外れ、山の斜面を左へ大きく横断するように登ると、石塚山と太忠岳を結ぶ標高1400mの吊尾根上石塚山/太忠岳分れに出る。
この分れから石塚山に行くには太忠岳とは反対方向北に向かう尾根を伝い、花折岳の東側を巻いて山の斜面を辿る。
小さな上り下りをくり返し、トラバースして行くと石塚山の直下巨岩の下の鳥居のある岩の広場に着く。
巨岩は高さ10m程の天然の鳥居状を成し、岩の間幅2mほどの廊下の奥に楠川集落岳参りの一品法壽大権現と屋久島大社の伊邪那岐命、伊邪那美命が祀られている。
石塚山の山頂へは少し太忠岳側に戻り、急な斜面の僅かにつけられた道を登ると丸い巨岩に出る。
東側の小さな岩稜に立つと眼下に先程の祠を祀った天然の鳥居状巨岩が見える。
正面には藩政時代の銅鏡をおもわせる丸い巨岩を見る。
石塚山は天孫降臨を彷彿とさせる神秘的な山で、山頂は密生した灌木に覆われ、露岩の上から奥岳の東面、北面を一同に眺める事ができる。
*ヤクスギランドから石塚山/太忠岳分れ間は安房の太忠岳(標高1497m)「岳参り」歩道参照のこと。
白谷の林道から楠川前岳に至る道は注意していないと見過ごす。
楠川前岳に至る道は、小さな尾根を越えて急なルンゼを下ると右に100m程のガレを見る。
このガレから道は不明瞭になる。ガレの下端を横断すると再び支流を渡り、不明瞭な道を探しながら高度を上げる。
楠川の「岳参り」は旧暦4〜5月にかけてトビウオタケメーと言って海産物の供養と豊漁を願って登拝した。
秋は旧歴8月14〜15日に一泊二日で楠川前岳(旧名浄光坊山)、奥岳は石塚山で「岳参り」が行われた。
本来の「岳参り」は集落を代表して奥岳2人、前岳2人の所願計4人が選ばれ、二人は前岳、二人は奥岳に分かれて行われた。
前岳と奥岳は行程が異なるため時間差を考慮して行われ、帰路両所願は三本杉で合流し、村人の待つ集落に下山した。
「岳参り」の前日所願は体を清め、本蓮寺で宮籠もりを行い、翌日氏神様である楠川天満宮にお参りし、鳥居前の海岸でお潮井取り、清めの儀式を行い、神主よりお祓いを受けて米、酒、塩、海藻、竹筒に入れた浜砂、賽銭、村人から預かった供え物を持参して村外れの詣所「正木の森」を参詣し、僧侶や村人たちの見送りを受けて出発する。
この「正木の森」は山口とも言われ、「岳参り」の所願を送迎した場所でもある。
これより農地を過ぎると樹林との境に一基の祠が立つ「野のよけい」がある。
この場所は神域と俗域を分ける重要な場所で、不浄の者や一般の村民はこれより先山に入ることができなかった。
所願は敬神坂(よしときの坂)の急斜面を登り標高600mの三本杉に到る。この三本杉より前岳である楠川前岳と奥岳である太忠岳への道が分かれる。
先立ちの奥岳へは400年の歴史ある楠川歩道を辿り、標高979mの辻峠を越えて安房からの縄文杉のコースに合流する楠川分れに出る。
まだ林業が盛んな頃はこれより安房川の吊り橋を渡って右岸に敷設された森林鉄道作業道を辿って石塚集落に到ったが、その後吊り橋が朽ちて利用できなくなり、小杉谷を迂回して石塚集落跡に到った。
この石塚集落跡から道上の鳥居を抜け、石塚山への急峻な参道を登って石塚山山頂下の自然巨石の大鳥居に至る。
祠前で再び金属製の鳥居をくぐり、巨岩の間の廊下の奥に昭和52年恵命我神散創始者柴昌範氏によって建立された屋久島大社の奥宮である「伊耶那岐尊」、「伊耶那美命」の祠と、本来の「岳参り」の山川石製祠(崩壊著しい)が同居して祀られている。
昭和45年安房森林鉄道の廃止にともない、小杉谷、石塚周辺の林業が廃止され、昭和時代に栄えた小杉谷から花之江河に通じる石塚歩道も廃道へと追い込まれた。
その後安房から淀川の先まで林道(現安房公園線、町道淀川線)が敷設され、楠川集落の奥岳石塚山の「岳参り」は安房からヤクスギランドまで車で上がり、これより太忠岳の歩道を登って上部太忠岳への別れから花山の東斜面辿り、新たに石塚山に至るコースを辿って参詣するようになった。
現在石塚集落からの本来の「岳参り」歩道は楠川の奥岳石塚山の「岳参り」が衰退し、現在廃道となって利用できなくなっている。
前岳組は、一泊または二泊でお籠もりをして下山してくる石塚集落からの奥岳組に合せて楠川前岳山頂でお籠もりをし、三本杉で奥岳組と合流、共に「正木の森」まで下ると僧侶、村民の坂迎えを受け、所願の労をねぎらって慰労の直会が行われた。
楠川集落の「岳参り」は創始以来絶えることなく屋久島本来の「岳参り」が伝承されてきたが、平成に至って各集落同様高齢化に伴い簡略化され、本来の「岳参り」を見ることができなくなった。
石塚山の山頂へは少し太忠岳側に戻り、急な斜面の僅かにつけられた道を登ると丸い巨岩に出る。
東側の小さな岩稜から見ると眼下に先程の天然の鳥居状巨岩が見え、正面に鏡状の丸い巨岩を見る。正に天孫降臨を彷彿とさせる神秘な山で山頂は密生した灌木に覆われ、露岩の上から奥岳の東面、北面を一同に眺める事ができる。
楠川の県道から200m程山側に入った左側に新旧祭祀祠をみる。
宮之浦の詣所と同様、楠川の「岳参り」の登拝者を送迎する重要な場所で山口とも言われ、正木の森から上部はすべて仏式で行われる。
■正木の森の碑文
・ 一本法壽大権現の石柱(寄棟型山川石製の祠)
・ 「南無妙法壽大権現」「祈願成就」の碑文
・ 天保十四年(1843年)
・ 明治二十一年(1888年)
楠川集落から楠川前岳へ20分ほど歩くと横に走る農道があり、その先右側の森にタブの大木が目に付く。その根元に一基山川石製寄せ棟型の祠がある。気を付けていないと見過ごす所にある。この野のよけいは神域と俗域を分ける場所で詣所としての役目もはたし、祠は天保時代のものと推察されている。
■野のよけいの碑文
・ 寄棟型山川石製「一品法壽大権現」天保十三年寅歳大吉日
三本杉は3本の杉の木が合体し、2mの高さに角柱があり、「石塚大権現」の碑文が刻まれている。木の生長に伴って下部は合体杉に取り込まれ、碑文も埋もれて見えなくなっている。
本来この三本杉から楠川前岳の「岳参り」歩道があったが、現在は上部白谷雲水峡宮之浦線を辿るようになり、廃道として利用されなくなっている。
■三本杉祭祀角柱の碑文
・山川石製角柱「石塚大権現」の碑文
■楠川前岳山頂(楠川前岳には四基の祠がある) の碑文
・角柱 鹿児島石製、奉寄進、大権現、寄進者牧亀七、年代は不明、八月大吉
・寄棟型山川石製、奉寄進、南無中山大権現宮、弘化二歳年九月、外無諸年命中、令百由向内
・自然石 一品法壽大権現、岳参り、平成八年九月二十七日、楠川区民一同
・寄棟型山川石製、中山大権現宮、楠川村、福造之船頭中、文化五位威戌辰之歳九月吉辰日
■奥岳・石塚山山頂下祭祀祠碑文
山川石製「岳参り」祠二基、花崗岩製「伊耶那岐命」、「伊耶那美命」が二基
・内一基は南無一品法壽大権現、嘉永七年□寅歳八月吉日、上主柴徳之進奉上
昭和52年(1977年)製薬会社・恵命堂初代社長柴昌範氏によって「屋久島大社」の奥宮として建立。
・他の祠は崩壊著しく一部権現宮の文字が見られる。
・花崗岩製石柱 「伊耶那岐命」、「伊耶那美命」
■楠川前岳(1124.8m)の「岳参り」歩道
楠川
↓20分 ↑20分
野のよけい
↓40分 ↑40分
楠川歩道入口
↓1時間30分 ↑1間10分
三本杉
↓30 ↑20分
楠川前岳入口
↓2時間30分 ↑2時間10分
楠川前岳
■石塚山(1589.4m)岳参り歩道(石塚〜石塚山)
小杉谷
↓1時間30分 ↑1時間10分
石塚歩道入口
↓3時間 ↑2時間15分
石塚山
■ヤクスギランドから石塚山(標高1589.4m)の「岳参り」歩道
ヤクスギランド
↓1時間30分 ↑1時間
天文の森
↓1時間15分 ↑1時間
石塚山/太忠岳分れ分れ
↓30分 ↑30分
石塚山
【「屋久島 岳参り」共通】
・「古事記」「日本書紀」総覧 別冊歴史続本・辞典シリーズ(第二刷)新人物往来社(平成2年4月17日発行)
・「三國名勝圖會」(仏寺・法華宗の權輿)天保14年(1843年)薩摩藩主第27代藩主島津斎興の命で五代秀堯、橋口兼柄等により編纂された。内屋久島関係は巻ノ五十に表されている。
・屋久島大會圖
・益救神社「益救神社由緒記」
・村田煕「種子・屋久・トカラ列島の山岳宗教」(山岳宗教史研究書⑬)
・石飛一吉「屋久島における山岳信仰県の研究」
・山本秀雄「岳参り」(上屋久町楠川を中心として)
・(楠川区長牧実寛メモ)「楠川の岳参り」
・「上屋久町誌」(1984)上屋久町
・屋久島町郷土誌(第一巻〜第四巻・1993〜2007)屋久町
・ウィキペディア検索
仏教 全日本仏教会、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
神道 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
法華宗フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山岳信仰 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
・楠川天満宮「楠川天満宮の由緒」
・久本寺渡辺智弘御住職「渡部智弘論文」
・「屋久島『岳参り』の研究」「国際言語文化研究」第四号(1998)鹿児島純真女子大学
・太田五雄「屋久島の山岳」(1993、再販1997,再販2006)八重岳書房、南方新社
・太田五雄、三橋和己共著「屋久島の神と仏—神社・仏寺・山岳宗教・民俗神」(2020)自費出版
・太田五雄「屋久島総覧—未来への伝言」(2021)自費出版
・太田五雄論文「屋久島の山岳宗教・法華宗「岳参り」」(2023)自費出版
【「屋久島 岳参り」共通】
《執筆者》
太田五雄(日本山岳会 福岡支部)
《協力》
益救神社(宮之浦) 宮司 故大牟田信文 禰宜 大牟田祐
久本寺(宮之浦、法華宗・本門流) 御住職 渡邉智弘 僧侶 渡邉智旭
日本山岳会MCC
(敬称略)