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60 箱根旧街道

箱根旧街道

古道を歩く

【 箱根湯本から箱根関所 】

◎須雲川バス停→畑宿→甘酒茶屋→箱根関所跡 《歩行約2時間50分》
東坂の石畳の坂には坂名を記した石碑がありますので確認しながら歩くのもよいでしょう。
また、旧街道沿いの東海道旧道(以下「旧道」という。)には路線バスも通っているので安心してハイキングを楽しむことができるコースです。

須雲川から江戸時代の石畳を通り寄木細工の里畑宿へ

箱根湯本三枚橋から須雲川バス停までの間は、車輛の通行量も多く、歩道もない旧道を歩くことになるため須雲川バス停までバスを利用します。
須雲川バス停で下車後、車に注意しながら旧道を進みます。
鎖雲寺の霊泉の滝を過ぎると公衆トイレがあり、その先に須雲川自然探勝歩道入口があります。
ここには案内板と女転し坂の石碑があり、ここから林の中の須雲川沿いの道に入ります。
平坦な道をしばらく進むと発電所があり、白い手摺の手前を右下の須雲川に下り、木製の小橋を渡ります。
濡れている時は滑りやすいので注意しましょう。
須雲川から旧道に上がったところが発電所前のバス停です。
左に目をやると2~30mほど先に旧街道入口の標識があり、入ったところが割石坂の石畳道です。


この石畳区間には部分的に江戸時代の石畳がありますが、滑りやすいので足元に注意して進みます。
しばらく進むと発電所の導水管があり、すぐに接待茶屋跡で旧道に出ます。旧道の歩道を3分程進むと左に旧街道入口の標識があります。
滑りやすい坂を注意して下り、須雲川の枝沢を渡ると「大澤坂」の石畳に出ます。
傾斜があるうえに丸い石で黒くぬめって滑りやすい石畳道を注意しながらひと登りすると、「史跡箱根旧街道」の標識があり、旧道にとび出します。ここは、中宿場である畑宿の一角です。

畑宿から江戸時代初期創業の甘酒茶屋へ

畑宿は宿場間におかれた間の宿、中宿場の一つです。
本陣跡の先にある畑宿バス停周辺は寄木細工の店、工房が並んでいます。
寄木細工は、様々な木を組み合わせて模様を作る技法で江戸時代から土産物として広く知られるようになりました。
公衆トイレ、茶店の前で旧道と別れると江戸から23里、国指定史跡である一対の畑宿一里塚があります。
塚は、直径9mの円形で左にはケヤキ、右にはモミが植えられています。
再び石畳を進むと、箱根新道上の空中道路となり、続いて急坂の西海子坂を登り、七曲りの旧道に出ます。
ここからは、しばらく旧道横の歩道を歩きます。
この辺りは、周りの山腹に春には山桜を、秋には錦の紅葉を見ることができます。
旧道沿いの歩道を歩き何度かカーブを過ぎると左に「橿の木坂」の急な長い階段が見えます。


ヘアピンカーブで登っていく旧道の「七曲り」をショートカットしていく急な階段です。
この階段を登ると見晴茶屋直下の分岐とベンチがあります。
ここには、「雲助」についての解説板があり、彼らが、時代劇ドラマとは違って一種の「エリート職」の顔を持っていたことがわかります。
ここからは左に比較的平坦な道を進みます。
広葉樹林の中、山根橋、甘酒橋、猿滑坂を過ぎ、一旦、旧道に出て向かい側の階段を登ると道路側面上に作られた道から険しい文庫山の姿を見ることができます。
旧道をしばらく進むと追込坂の標識があります。
ここを入り、林の中を進んでいくと江戸時代の面影が残る茅葺屋根の甘酒茶屋に出ます。
横には無料休憩所、公衆トイレとバス停があります。

甘酒茶屋から芦ノ湖そして杉並木を通り箱根関所跡へ

甘酒茶屋の裏から緩やかな石畳と山道を進み、於玉坂石碑を過ぎると旧道に出ますが、その向こう側に旧街道入口の案内板ときれいな石畳道が見えます。
縦排水溝も復元されている幅広の石畳道を登ります。
この辺りは少し傾斜がありますが、天ケ石坂を過ぎると石畳は平坦になり、最高地点を過ぎると徐々に下りに転じていきます。馬子唄の碑では、駒ケ岳と右に二子山を望むことができます。
石畳道をさらに下り、お玉ケ池方面へ行く道を横切りますが、ここには1731年(享保16年)の石碑があります。


さらに3分ほど下ると権現坂の石碑と鳥居があり、ここを過ぎるとようやく木々の間に芦ノ湖を望むことができます。
権現坂の少し傾斜のある石畳を下ると平らな道となり、右下に国道1号線やガソリンスタンドそして芦ノ湖が見えます。
「杉並木歩道橋」を渡ると杉並木に入り、「ケンペルとバーニーの碑」があります。
江戸時代に長崎から江戸までの間に見聞した内容を書物にまとめ、ヨーロッパに伝えたドイツ人医師ケンペルと大正時代に箱根に別荘を持ち、箱根の自然と文化を守るため尽力したイギリス人貿易商バーニーです。
ここからは右下の芦ノ湖方面への道には行かず、舗装された杉並木を進みます。

成川美術館と一の鳥居前で国道1号線に出るとそこは芦ノ湖畔です。
駒形宮を左に見てしばらく歩くと葦原久保の一里塚跡と杉並木入口の標識があります。
この杉並木は樹齢350年、高さ30mにも及び、400本近く植わっている並木道で国指定の史跡です。
杉並木の間をしばらく歩くと右に恩賜箱根公園と箱根関所入口の案内標識が見え、国道1号線を横断したところが箱根関所への入口です。
入口に向かうと正面が、箱根関所江戸口です。ここには復元された箱根関所、箱根関所資料館や恩賜箱根公園があるので時間に余裕があれば見学していきましょう。

【 箱根関所から三島 】

◎箱根関所跡→箱根峠→山中城址→笹原一里塚 《歩行約2時間40分》《→詳細》
箱根関所跡から箱根峠まで登り、三島市の笹原一里塚まで下ります。
笹原一里塚から三島大社までは、石畳も殆どなく街中を歩くため、「笹原」バス停からは、三島駅行のバスを利用します。
南面した西坂の下りは、東坂に比べて比較的なだらかで明るい石畳道です。
三島市はこの西坂を「三島夢街道」として広報活動しています。
また、三島駅と元箱根間は、路線バスが通っており、安心して歩けるハイキングコースです。

箱根関所から箱根峠を越え、駿河国へ

箱根関所江戸口門を通るとすぐ関所京口門があります。
ここには、売店・飲食店、公衆トイレ等があり、目の前が国道1号線です。
箱根峠に向かって国道の歩道を進みます。やがて「箱根駅伝ミュージアム」を過ぎ、次の信号のある交差点には路面に旧街道の案内プレートが埋め込まれており、ここを右に曲がると駒形神社・毘沙門天前に出ます。
この先に旧街道入口があり、芦川石仏群を見て、向坂の石畳の道に入ります。
滑りやすい石畳の坂には坂の名称を記した石碑等もあります。


国道1号線の下をくぐり、樹林の中を明石坂、釜石坂、風越坂と石畳道を登ります。
最後の急な挾石坂を登りきったところで国道に出ると箱根峠まであとわずかです。
ここから箱根新道との合流地点を箱根峠方面に進み、左の「箱根くらかけゴルフ場」方面の道に入ると箱根峠の信号まで車道を歩かずにショートカットできます。
箱根峠(846m)の押しボタン式信号を渡ると遊歩道、駐車場があり、様々な分野で活躍している女性8人の揮毫を得て設置された石地蔵や公衆トイレや休憩所とその下には峠の茶屋もあります。

箱根峠から日本百名城山中城跡へと下る

旧街道は、少し三島側に下り、一旦ゴルフ場(芦ノ湖カントリー)方面への道に入り、「茨ケ平」から甲石坂の石畳を接待茶屋跡まで下るのですが、数年前の台風で石畳が流されました。
現在は、通行禁止になっていますが、一般開放に向けて復旧工事が進められており、再び甲石坂の石畳を歩くことができる日も近そうです。
いまは箱根峠から国道1号線の歩道を25分ほど下ります。
アセビとツツジが植わっている「山中一里塚」のある接待茶屋跡で国道から旧街道に入ることができます。
ここには「兜石」があり、すぐ近くにある明治天皇御休憩所からなだらかで趣のある石畳交じりの道を下ります。石原坂、大枯木坂と石畳を下ります。
途中には念仏石があります。

急な東坂とは趣が変わって明るく2間(約3.6m)幅の広めの石畳が続きます。
国道1号線が左に見える地点には「山中城まで1.3km」の案内標識があります。
さらに植林帯の中の石畳を下り、民家を過ぎると国道1号線に出ます。注意して横断歩道を渡り、国道左側の歩道を進むとしばらくで三島市に入ります。
ここからすぐ左下への階段があり、下ったところが願合寺地区石畳です。
西坂の各石畳道には、発掘時、復元時の写真と解説が掲示されており、当時の土木工事の技術の高さをうかがい知ることができます。
一本杉橋を過ぎ、さらに進み林道に合流すると徳利利助の墓があり、国道1号線沿いの山中城址の一角、駒形諏訪神社前に出ます。
国道1号線を少し下ると日本百名城のひとつ山中城跡の案内板と公衆トイレがあります。
時間に余裕があれば、山中城址の散策を楽しみましょう。
西の丸跡まで登ると有名な畝堀、障子堀と目の前に富士山、愛鷹山を望むことができます。


ここはツツジの名所でもあり、5月の連休の頃は、残雪の富士山をバックにツツジを楽しむことができます。
入口に戻り、国道の向かいにある売店の裏から再び腰巻地区石畳の旧街道に入ります。

途中国道1号線バイパスとの三叉路(山中城入口)に出ますが、まっすぐ信号のある横断歩道を渡ると階段があり、その下に浅間平地区の石畳の道があります。
この先で南側が開け、三島市街が望めるようになります。
上長坂地区の石畳、国道新バイパスの上に新しく整備された道を下り、三島スカイウォークの吊り橋を右に見ると左の笹原地区の石畳に入っていきます。
ここからは、畑の先に駿河湾、伊豆半島が眼前に広がり、やっと「駿河の国に入った」と感じます。
しばらく歩き舗装道路に出たところが「笹原」バス停で、バス道路に出る手前左側には椎の木が植わった笹原一里塚があります。
ここから三島大社までは、6kmほどですが、石畳もほとんどなく、街中の舗装道路になるため「笹塚」バス停から三島駅行のバスを利用します。

この古道を歩くにあたって

■東坂の石畳は滑りやすいので注意が必要だが、両坂ともハイキングコース。

■国道1号線の横断箇所等もあるため、必ず横断歩道を渡ること。

■以下の理由から東坂から西坂に向かうルートを推奨する。

①迂回路となる国道1号線の登り道が長い。

②東坂の石畳道は滑り易く、下りよりも登りに使う方が安心。

③笹原からのバスは、1時間に1本と少ない。

古道を知る

[日本最大の山岳石畳道]

箱根旧街道の石畳と街道の施設

江戸時代の大幹線であった箱根旧街道の地質は、関東ローム層で滑りやすく雨の日にはぬかるみ、脛まで埋まる悪路であった。

そこで幕府は箱根竹を敷き対応したが、長持ちせず莫大な維持費と労力が必要なため、石畳道とすることにした。

西坂の整備については記録が残っており、1680年(延宝8)に2間(約3.6m)幅で約10kmにわたる区間について整備されたことがわかっている。

また、西坂の石畳に使用された石の大部分は安山岩で街道周辺の来光川筋から運んできたものと推定されている。

一方、東坂で使用された石材の直接的資料はないものの「箱根御関所日記書抜」に二子山からの石の切り出しの記事があり、二子山から大規模な石の採取が行われていたことやその石質も同じであることから石畳の石は二子山からの切り出しによるものであるとも考えられている。

また、一里塚は日本橋を起点とし1里(約4km)ごとに設けられたもので形状は土を盛り上げ5軒(約9m)四方、高さは1丈(約1.7m)と定められた。

円形のものもあったというが街道の両側に対で設置され樹木が植えられることが多いという。

今回紹介ルートでは、東坂には、畑宿、葦原久保の2か所、西坂には山中、笹原の2か所があり、国の史跡に指定されているものもある。また、芦ノ湖畔の杉並木は約400本の杉の巨木で街道の両側に連なっており、街道の並木は道幅の特定のほか夏の日差しや冬の風雪から旅人を守るために植えられたという。

[標高差がもたらす多様な自然]

旧街道周辺の自然

旧街道は、東坂、西坂とも海沿いの宿場から標高約800mの高さまで登る街道であること、また南の駿河湾から湿った空気が標高の高い外輪山で冷却され霧が多いことなどから様々な植生が見られる。

標高100~500m付近に残る常緑広葉樹林、800m以上で見られるブナ林、稜線部で見られる風衝植物群など変化に富んだ植物をみることができる。

また、芦ノ湖は、箱根火山のカルデラ内の中央火口丘のひとつである神山が噴火、カルデラ内を流れている早川をせき止めて約3000年前にできたカルデラ湖で水深は約40mで外輪山と富士を背景とした風景は旅人を魅了している。

深掘りスポット

[史跡の宝庫箱根旧街道]

箱根旧街道には石畳、一里塚、杉並木などの史跡の他様々な史跡が残る。

甘酒茶屋

江戸時代から続く茶店で今もその趣を感じる。かつては何軒かの茶店があったようだが、今はこの1軒が営業、400年の歴史を持つ茶店である。
隣には無料休憩所があるので休憩場所によい。
畑宿と箱根宿の中間に位置していることから江戸時代は関所を前にした休憩所として、現在は箱根を歩くハイカーや旅行者の休憩所として親しまれている。
建物自体は、地震や火災によって被害を受けたが、その都度建て直しが行われているとのことである。

箱根関所

箱根関(はこねのせき)は、かつて箱根にあった関所である。
一般には、江戸幕府によって1619年(元和5年)から1869年(明治2年)まで、芦ノ湖湖畔に設置された東海道の箱根関所(はこねせきしょ)。
2007年(平成19年)、徳川幕府が東海道に設けた箱根関所の江戸後期の姿を江川文庫から発見された資料を基に道路の芦ノ湖岸に復元完全復元した。
関所を通る旅人たちに厳しい改めを行った大番所、関所役人たちが日常生活を送り江戸時代の生活の様相がうかがえる上番休息所や足軽番所、関所破りの極悪人を拘留した獄屋、芦ノ湖を高台から見張る遠見番所などがある。
箱根関所では、江戸時代をさまざまな視点から学び、楽しむことができる。入場料は500円。

山中城跡

山中城は、戦国時代末期の1530~1560年頃(天文年間から永禄年間)、後北条氏によって築城された。
山田川や来光川の源流に挟まれ、急峻な斜面に囲まれた自然の要害の地につくられた山城は、標高580m、城の範囲は東西500m、南北1,000mに及ぶ。
城からの展望はよく開け、西櫓からは御殿場・裾野方面が、岱崎出丸からは伊豆北部と駿東の大半を一望のもとに見渡すことができる。
山中城のある伊豆地方北部は、武田・今川領と国境を接しており、本城である小田原城にとって西方防御の要の地であった。
天正年間、全国制覇をめざす豊臣秀吉が小田原攻めに着手すると、山中城は韮山城、足柄城とともに最前線の軍事拠点として重要視され、堀や出丸などの大改修が行われた。
1590年(天正18年)、6万を超える豊臣軍の総攻撃を受け、4千の北条勢はわずか半日で落城したと伝えられている。
山中城は、後北条氏の築城技術を駆使して造られた城で、戦国時代末期の山城の様子が大変よく分かる。
1934年(昭和9年)に国の指定史跡となり、三島市では、400年間埋もれていたこの山城の発掘調査を開始し、曲輪の周囲に巡らされた堀や土塁などの防御施設、堀の上に架かっていた木橋の跡や門柱跡などが明らかになった。
なかでも「障子堀」や「畝堀」は後北条氏の城に特徴的な堀の形で、堀の中に土手状の畝を掘り残して区画し、上から見ると障子や田畑の畝のように見えることからそう呼ばれている。
現在は、型くずれ防止のために芝生が張られているが、本来はローム層(赤土)がそのまま露出し、滑りやすく、登り難い造りになっている。
出土品には、鉄砲玉・石つぶて・兜の前立などの武器・武具・陶磁器や古銭・キセルなどの日用品がある。
400年前の遺構がそのまま復元されている石を使わない土だけの山城は全国的にも非常に珍しいものだとのこと。
春から晩秋にかけていろいろな花木が咲き、天気が良い日には障子堀越しに富士山が見られる。
また、「障子堀」「畝堀」が特徴的な緑豊かな史跡公園は、歴史的な面、技術的な面で評価され、「日本百名城」にも選定されている。
(三島市HP山中城跡(国指定文化財「史跡」)より一部引用)

三嶋大社

箱根八里の駿河(静岡)側の起終点である三島宿は、三嶋大社の門前町である。
三嶋大社は、伊豆国一之宮で創建時期は不明なものの奈良・平安時代の古書に記録が残る古い神社とされる。
この神社は、中世以降武士から崇敬されており、中でも源頼朝から始まった鎌倉幕府による箱根権現、伊豆山権現、三嶋大社への参詣は、「二所詣」とされていた。
この三嶋大社は、今でも多くの参拝者で賑わっているが、境内の本殿、幣殿、拝殿は国の重要文化財であり、樹齢1200年に及ぶという金木犀は、国の天然記念物に指定されている。
また、北条政子奉納といわれる社宝「梅蒔絵手箱」は国宝である。
時間が許せば、笹原から乗ったバスを一旦、「三嶋大社前」で降り、参拝するのもよいだろう。
ここからJR三島駅までは、かつての宿場の旧跡を巡りながら1km余りの道である。

ミニ知識

箱根旧街道の変遷

古来、箱根山地を越える道は、御殿場周辺から乙女峠を越え、さらに明神ケ岳を越える大和・飛鳥時代の古箱根路あるいは奈良・平安時代に御殿場周辺の竹之下から足柄峠を越え関本を結ぶ官道、足柄道であった。

802年(延暦21年)富士山の噴火によって足柄道の通行が一時途絶えると、駿東永倉から元山中の山間集落、山伏峠の南肩を越え、芦ノ湖南岸から箱根湯本、小田原方面へ至る箱根路が開かれたが、噴火1年後には、早くも足柄道が復旧したとのことである。

足柄道は、再び官道として機能するが、箱根路は、険しさはあるものの距離の短かさもあり、引き続き利用されてきた。

鎌倉時代に入ると三島方面から箱根峠周辺を越え、芦ノ湖南岸に下り、ゆるやかな尾根を通り箱根湯本をつなぐ湯坂道が利用されるようになり、官道と位置づけられた。

江戸幕府が開かれると峠の西側のルートは、少し変更されたが、東側のルートは大きく変更された。

江戸幕府は、湯坂道に代え、須雲川沿いの旧街道を官道と定め、関所の他石畳、一里塚等街道の整備をおこなった。

この緩やかな尾根道の湯坂道から須雲川沿いの厳しい谷筋の道への変更は、旅人への水の利便性をもたらした一方、江戸を防御するための軍事的意味合いがあったともいわれている。

しかしながら大動脈であった旧街道も明治以降、東海道本線の開通や国道の整備によりその役割を終え、現在は復元、整備されて日本文化遺産にも指定、国指定の史跡も多くハイキングコースとして多くの人々に歩かれている。

箱根寄木細工

日本屈指の樹種を誇る箱根山系。

「様々な樹木がもつ自然な色を生かし、それぞれを集めて精緻な幾何学模様を作りだす技術」江戸時代後期、「畑宿の石川仁兵衛が、木の種類が豊富な箱根の山の特性に着目し、色や木目の違うさまざまな木を寄せ合わせてお盆や箱を作ったのが始まりとされています」。

現在も箱根寄木細工伝統工芸士がこの技を引き継ぎ、発展させている。(箱根町観光協会HP引用)

ルート

【 前 半 】
須雲川バス停
50分↓↑ 40分   2.4km
畑宿一里塚
1時間↓↑ 50分   2.5km
甘酒茶屋
45分↓↑ 50分   2.3km
一の鳥居
15分↓↑ 15分   1.3km
箱根関所跡

【 後 半 】
箱根関所跡
45分 ↓↑ 35分  2.5 km
箱根峠
25分 ↓↑ 35分  2.0 km
接待茶屋入口(山中一里塚)
50分 ↓↑1時間  2.8 km
山中城跡
45分 ↓↑ 50分  2.1 km
笹原一里塚

アクセス

【 前 半 】
◎公共交通機関
・箱根登山鉄道 箱根湯本  箱根湯本駅 箱根登山バス 旧街道―上畑宿行乗車 「須雲川」下車
・箱根関所跡 箱根登山バス 箱根湯本駅行乗車

◎マイカー
・小田原厚木道路・小田原日IC→国道1号線→三枚橋交差点を左折、旧東海道
・東名高速・御殿場ICから

◎駐車場
・恩賜箱根公園駐車場

【 後 半 】
◎公共交通機関
・東海道線小田原 小田原駅東口箱根登山バス 箱根町港行乗車 (箱根湯本駅経由)、「箱根関所跡」下車(小田原駅からバス52分、箱根湯本駅からバス34分)
・笹原 東海バス乗車 三島駅下車( バス32分で1時間に1本)

◎マイカー
・東名高速・御殿場ICから
・東名高速・沼津ICから伊豆縦貫自動車道三島塚原IC→国道1号線 箱根方面

◎駐車場
山中城跡駐車場

参考資料

  • 「国指定史跡箱根旧街道石畳整備事業の概要」2021年、三島市教育委員会
  • 「箱根旧街道一里塚」令和2年、三島市教育委員会
  • 「国 指定史跡箱根旧街道西坂」平成29年、三島市教育委員会
  • 箱根八里街道観光協議会制作「東海道箱根八里散策地図」三島市観光協会発行
  • 「史跡箱根旧街道保存活用計画」令和2年、箱根町教育委員会
  • 箱根町観光協会HP(寄木細工)

協力・担当者

《担当》
神奈川支部
葉上徹郎

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