「越後銀の道 枝折峠」を公開しました

https://kodo.jac1.or.jp/kodo120selections/number_32/
そのむかし、銀山平一帯は狩猟やマス漁をする人以外訪れる人もいない辺境の地でした。
しかし寛永18年(1642年)銀鉱脈が発見され、未開の地に空前のシルバーラッシュが起きました。
採掘した銀を江戸の銀座に運ぶための唯一のルートが銀山街道であり、その峠が枝折(しおり)峠(1236m)でした。
しかし万延元年(1860年)には200年以上続いた鉱山の歴史にも終止符が打たれました。
最盛期には民家が1000軒あったと言われる町並みは奥只見湖ダムの底に沈み、枝折峠も廃道に近い姿になっていましたが、地元の老人クラブが藪を刈り払いし、「銀の道」と命名して息を吹き返しています。日本の遊歩道百選にも選定され、トレッキングなどが実施されて、次第にこの古道を訪れる人が増えています。