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山陽道の姫路と山陰道の鳥取とを結ぶ因幡街道には、兵庫県宍粟市を経由して戸倉峠をこえて因幡に入る道と同県佐用町で釜坂峠(昔は鎌坂峠と書いた)をこえて岡山県美作市に入り、同県西粟倉村の志戸坂峠をこえる道の二つがあり、前者は若桜往来、後者は智頭往来とよばれていました。
歴史的には智頭往来の方がより古く、早くから山陽と山陰を結ぶ幹線ルートとして重要な役割をはたしてきました。古代には因幡国司の赴任にこの道が使われ、江戸時代には鳥取藩主池田氏の参勤交代のルートでもありました。
旧街道は現在ではほとんどの部分が、国道179号および373号に置き換わっていますが、わずかに志戸坂峠と釜坂峠の二つの峠の前後に古道の面影が残されています。
志戸坂峠越えは1996年に文化庁により歴史の道百選に選ばれて国の指定文化財となっており、釜坂峠は若き日の宮本武蔵が母の実家のある佐用の平福へと何度も通った道として知られています。