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三浦新道は、三浦泉八(現・五戸町出身)が1883年(明治16)に私費を投じて開削した約16㎞の牛馬道(幅約2m)です。
開削の主な目的は、銀山(十和田湖西部)と八戸方面間の物資の輸送でした。
写真(2023年4月4日撮影)は、南方にある十和利山から見た大文字山(手前中央)と戸来(へらい)岳(右奥:大駒ケ岳、左:三ツ岳)です。
大文字山の右の肩(東方)がアクリ峠(約880m)で、ここから左(西方)にある885m峰に向かっている白い直線(残雪)が三浦新道です。
江戸時代、この十和利山から三ツ岳にかけての山域は、「三嶽(みたけ)山」と呼ばれた霊山で、麓にある戸来三嶽神社では三嶽山権現を祀っていました。
かつて迷ヶ平(十和利山登山口)に鳥居があったので、ここは霊峰「三嶽山」への入口であったように思われます。
また、江戸時代の十和田御堂(現・十和田神社)への参詣道である十和田古道(三戸道・田子道・戸来道・西越道)が迷ヶ平で一つになり、十和田湖へ向かっていました。
なお、三浦新道は、十和田古道(戸来道)の一部を利用して十和田湖畔宇樽部まで開削された青森県初の有料道路でした。