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この道は、中尾峠を経て飛騨と信濃を結ぶ街道でした。
高山市の栃尾を経由して蒲田に至り、そこから中尾集落を経て焼岳方面に上がると中尾峠に着きます。峠から上高地に降り、徳沢から徳本峠を越えて島々集落へ下り、松本へ通じていました。
天正十三(1585)年、高山の松倉城主三木秀綱が秀吉の将、金森⾧近に攻められ、夫妻で信州に落ち延びた時にこの峠を利用しました。夫妻は中尾峠で別れ、夫人は徳本峠を越えた所、秀綱は安房峠を越えた所でそれぞれ盗賊の手にかかって命を落としました。夫人は島々集落の神社に祀られています。
文政三(1820)年には、信州の小倉村から鍋冠山、大滝山、蝶ケ岳を越えて、神河地(上高地)へ入り、中尾峠を経て飛騨へ抜ける「飛騨新道」が付けられましたが、冬期間の傷みがひどく、利用者が少ないことから、開通後20年で閉鎖になっています。
旧中尾峠の小屋は、昭和37年の焼岳の噴火で焼失し、その後北側につけられた新峠のそばに焼岳小屋がつくられました。旧峠から焼岳への登山道が分岐しています。
※写真は、焼岳から見た上高地。