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現在は日光市となっている旧栗山村の鬼怒川支流の西沢に大きな金山がありました。
明治38年(1905年)※には「西沢金山探鉱株式会社」が設立され、本格的な採掘に乗り出し、大正初めには年間100㎏の産金という日本有数の金山となりました。
標高1400mの山間に1300人が生活し、学校や病院も開設されました。
今も階段状の北東斜面には集落跡が残り、ビンが散乱するなど生活感が感じられます。
西沢金山からは於呂俱羅岳の鞍部である金田峠を越えて湯元温泉に通じる道が使われていましたが、鉱山が隆盛になるに従って、輸送力の不足をきたし、光徳から三岳と山王帽子山の鞍部を越える山王峠越えの道が開鑿されて、険阻な金田峠の物資輸送は急激に衰えました。
半世紀弱のゴールドラッシュに開鑿された金田峠越えも、廃道になってから1世紀近く経ち、チシマザサに覆いつくされている部分が多く、「夢の跡」という感じです。
※写真は金田峠にある道標。
※日本山岳会の創立年