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群馬県と福島県は隣接していますが、全国的にも珍しく両県を直接結ぶ車道はありません。
しかし、昔から往来があったのがこの沼田会津街道です。
沼田会津街道は会津若松市と上州沼田市を結ぶおよそ四十里の長い道中です。
福島県側からは沼田街道、群馬県側からは会津街道と呼ばれていました。
福島(会津)からは米や酒、群馬(上野)からは塩や油が運ばれ、現在の尾瀬沼湖畔で中継されていたといいます。
交易上の往来だけでなく、戦も行われました。
1600年、徳川家康による会津上杉景勝討伐のため、上田城主であった真田信之が沼田城から会津に向けこの街道を整備したと伝えられています。
戊辰戦争では会津藩が尾瀬の湿原に土塁を築き、戸倉の関所を焼き払うなどの歴史に残る事件も起きています。また吹割の滝付近には刎橋(はねばし)があり、軍事的にも重要な道でした。
また、尾瀬は日本における自然保護運動発祥地ともいわれています。
その拠点となったのが桧枝岐集落で、長蔵小屋三代の平野長蔵、長英、長靖らの熱い思いが尾瀬には残されています。
さまざまな歴史を秘めた沼田会津街道。往時を振り返りつつ歩いてみましょう。
※写真は、尾瀬沼からのぞむ燧ヶ岳。