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日本山岳会が選ぶ「日本の山岳古道120選」

42 会津中街道 大峠

標高1486mを越えた短命の街道

山王峠越えの会津西街道が、天和3年(1683年)の日光大地震による五十里湖出現で通行不通になりました。
そのため元禄8年(1695年)に阿久津河岸へ最短で繋がる大峠越えの中街道が開鑿されました。
しかし、参勤交代で使われ、物資の輸送で賑わう道でしたが、峠は1468mと標高が高く、高低差があるうえ積雪による決壊もしばしば起こり、困難な通行を強いられました。
享保8年(1723)に会津西街道が復活したことによって、大峠越えの交通量は減り、茶臼岳中腹の御宝膳を信仰対象とする白湯山信仰の道へと変遷しました。
その後、幕末の会津戦争で会津軍と新政府軍の戦いがあり、三斗小屋宿が全焼。それ以降、大峠越えが再び活気を取り戻すことはありませんでした。
大峠の福島県側は、一部旧道から外れるものの、林道が整備され、車留めから峠も石畳が残るなど旧状が良く保たれています。
栃木県側は、峠から三斗小屋温泉分岐までは整備されていますが、その先は刈払いが十分でないので、一度三斗小屋温泉を経由して宿駅の三斗小屋宿に出ることが無難です。
無人の宿場には盛時の賑わいを彷彿させる石灯篭や大日如来像が残っています。
※写真は、大峠の地蔵尊。

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