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会津と越後と結ぶ「会津街道」(会津では「越後街道」と呼称)は、越後山脈の横谷(おうこく)阿賀川に沿って切り開かれた街道です。
会津盆地を横断した後、尾瀬に源を発する只見川を渡り、阿賀川と山間部で合流するという複雑な地形を縫うように開削されました。
江戸時代には新発田藩、村上藩の参勤交代道として、さらに佐渡金山の金や瀬戸内の塩を運ぶ道として、阿賀川の水運をも利用した盛んな交易が行われてきました。
若松城下から穀倉地帯の会津盆地を過ぎ、会津坂下の只見川の舟渡し場を渡って「束松峠」「車峠」「鳥井峠」など5つの峠を越え、津川(新潟県阿賀町)の宿から阿賀野川を渡り、さらに「諏訪峠」を越えて新発田までをつないだ街道です。
その峠は100mから300m未満の標高を切り開いたものです。
江戸後期から明治期にかけ、十返舎一九、吉田松陰、山縣有朋、イザベラ・バードなどがこの街道を通っています。
現在、地元「古道を守る会」の人々が整備と保存活動を行っています。
※写真は、鳥井峠から見た飯豊山