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朝鮮半島と九州本土の間に浮かぶ対馬は、南北82km、東西18km、面積の89%を森林が占める自然豊かな島です。
島内には貴重な生態系により国の天然記念物に指定されている原始林が3か所(白嶽、龍良山、御岳)あり、ツシマヤマネコなどの貴重な動植物が生息し、野鳥の渡りの中継地としても知られています。
歴史も古く、3世紀の中国の文献、いわゆる「魏志倭人伝」には、以下のように描写されています。
「居る所絶島、方四百余里ばかり。土地は山険しく、深林多く、道路は禽鹿(きんろく)の径の如し」
岩がちで山地が大部分を占め、深い森が多く、古くから陸上交通が困難だったことが想像できます。
また、古事記や万葉集などの我が国の古典にもたびたび登場し、674年には日本最初の銀が対馬で採掘された(日本書紀)と記録されています。
国境の島と称される対馬には、外国との交流と攻防に満ちた、2000年近い独自の歴史が刻まれてきました。
佐須坂三里は、東海岸の厳原(府中)と西海岸の佐須をつなぐ峠道で、佐須で採掘される銀の運搬路でもありました。
元寇(文永の役)では、対馬守護代・宗助国と一族郎党が、この峠道を越えて決戦の地・佐須浦へ向かうことになります。
元禄13年(1700年)に対馬藩が制作した元禄国絵図(長崎県立対馬歴史民俗資料館所蔵)は、100年後に来島した伊能忠敬を驚かせるほど精密なもので、古道も詳しく記されていますが、現在、道路整備および自動車の普及により、その多くが消失し、忘れ去られようとしています。
なお、佐須坂以外は現在舗装道路で、厳密な古道は佐須坂のみです。
※写真は、佐須坂道。