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日本山岳会が選ぶ「日本の山岳古道120選」

103 別子銅山廃道

別子銅山の鉱石・粗銅・物資を運んだ道

江戸時代、元禄4年(1691)に別子銅山最初の坑口歓喜間符が開口。
元禄15年(1702)からは銅山越え~東平(とうなる)~立川中宿(仲持ちによる人力)~新居浜口屋(馬利用)までの輸送ルートが開設されました。
明治13年(1880)牛車道(約28km)が旧別子山村の目出度町から新居浜口屋まで完成。明治26年(1893)に上部鉄道(石ケ山丈~角石原)並びに下部鉄道(惣開から端出場)が開通。
牛車運搬が廃止されました。
大正5年(1916)に足谷川を中心とした旧別子銅山の採鉱本部を新居浜側の東平に移転しました。
今回の古道調査では起点を旧別子銅山登山口の日浦。銅山越・東平経由で終点を遠登志までとしました。
この間には別子銅山の遺構が多く残され住友グループが登山道整備並びに遺跡の案内板設置を行っています。
※写真は、別子銅山最初の坑口、歓喜間符。

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