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日本山岳会が選ぶ「日本の山岳古道120選」

1 増毛山道・濃昼山道

ロシア南下対策で開削された幕末の古道

北海道西岸の日本海側、とりわけ石狩湾~留萌地方にかけては海に洗われた断崖が発達し、海岸沿いの移動がままなりませんでした。
江戸時代も後期に入るとロシアの南下の動きが本格化し、日本(江戸幕府)とロシアは1854年(安政元年)に日露和親条約を結びますが、樺太(現在のサハリン)を挟んで緊張関係が高まります。
折からこの海岸線はニシンを求めて、道外から出稼ぎ漁業者のヤン衆が急激に増え、場所請負人による漁業経営で賑わっていました。
江戸幕府は北方防衛と開拓に力を注ぐべく、箱館奉行所(現在の函館市)を通じて、この海岸線でニシン漁を担っていた場所請負人に断崖地帯を迂回する交通路の整備を命じるのです。
増毛(ましけ)山道と濃昼(ごきびる)山道はそんな経緯で1857年(安政4年)、人馬が歩ける道として誕生しました。
松浦武四郎が1859年(安政6年)に刊行した「東西蝦夷山川(えぞさんせん)地理取調図」にも両山道は不正確ながら記載されています。
明治時代後期には主要国道などに設置された一等水準点が増毛山道に17基(うち10基を発掘)、濃昼山道に6基(4基を発掘)設置され、重要な道路だった証でもあります。
両山道とも江戸、明治、大正、昭和にかけて多くの住民や旅人が通行、利用しましたが、日本海沿いの国道231号の整備(1981年全線開通)とともに利用者が減り、戦後に徐々に廃道化が進みました。
21世紀に入ってから、住民有志や行政、ボランティアの協力で、増毛山道は2016年、濃昼山道は2005年に復元し、今日に至っており、両山道は歴史的役割や機能を体感できる貴重な山道として評価、2018年に北海道遺産に選定されました。
(江戸時代に開削された増毛山道には本線のほかに岩尾支線および、2017年に新規に開削された雄冬山山頂登山道があります。濃昼山道は明治26~27年に改修された道が現在の道で、江戸時代に開削された元々の濃昼山道は「濃昼古道」の名称で区別されています。)

※写真は、増毛山道上から内陸側に広がる山並みの光景。中央の鋭鋒は郡別岳

「東西蝦夷山川地理取調図」(赤い線部分が増毛山道)

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