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72 東山道 神坂峠
大和朝廷は、飛鳥時代後期から平安時代にかけて(7世紀後期〜10世紀)、幅10m以上もある直線状の道路を本州・九州・四国に敷きました。これが古代律令による官道です。
東山道(とうさんどう/とうせんどう)は官道のひとつで、京都府から滋賀県を経て美濃から中津川を通り東北までつながる街道として知られています。
神坂峠(みさかとうげ)は、中津川と園原の間に位置しています。
東山道は16kmごとに駅が置かれていましたが、神坂峠は駅と駅の間が40km、標高差は1000m以上あることから、古代東山道の最大の難所と言われていました。
神坂峠では古代の祭祀で使用された勾玉や土器などが発掘されており、この遺跡は全国初の峠祭祀遺跡として国の指定を受けています。
また「日本書紀」には日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の帰りに通った道と書かれています。
現在、神坂峠は主に登山者が富士見台高原や恵那山神坂ルートを登る際に利用されています。
神坂峠から中津川間の東山道はその時々でルートが変わっており、この場所を通っていたと確定できる道はなく、工事で土器などの遺物が発掘された際、その場所を東山道が通っていたのだろうと推測されています。
この間はいまの登山道に沿っていたとみられていますが、1000年以上前の事なので詳細不明です。その後、旅人や住民たちは東山道ではなく中山道を利用するようになりました。
阿知駅家(うまや)から神坂峠へ向かう途中に越す峠です。阿知駅家から中津川にある坂本駅家までは駅家がなく、登りもきついことから神坂峠と同様に難所と言われていました。
古道の面影が残っているルートです。登りが続く道で、当時はその険しさから「信濃坂」と呼ばれていました。
現在は富士見台高原への登山口として利用されています。
この道は古代東山道がそのまま残っているとされており、見どころが多い。少しだけ外れたところにある名木の「帚木(ははきぎ)」は昭和33(1958)年の台風で倒れてしまい、今は根元近くの幹のみが残っている。
強清水の駐車場から、東山道が通っていたと思われる樹林帯の中の細い道を登ります。
何度も林道を横切ったり、林道を歩いたりしながら峠を目指します。
見どころは強清水、風穴及び水またぎの看板くらいで、人も少なく静かな道です。
網掛山へのルート上にあり登山者が利用していますが、古道を歩く人は少なく、網掛峠から園原の間に崩落個所が多々あるため、お勧めできません。
スタート地点には古代東山道の碑や看板が設置され、峠までには、姥桜・北澤大明神・蛇瘤杉・網掛峠の説明看板があります。
富士見台高原に向かう登山者が主に利用しています。
スタート直後にブナコースとカラマツコースに分かれるため、登りと下りで別々のコースを歩くのがお勧めです。
途中で恵那山トンネルの上を通り、萬岳荘(冬期休業しますが冬季用トイレは利用可)に至り、神坂峠へは舗装路を歩きます。
東山道がそのまま残っていると言われている道で、古代の人々が通った歴史を感じられます。
暮白の滝、朝日松及び姿見の池を見ながら下っていくと駒つなぎの桜に到着し、桜が咲く景色は必見です。
何度も林道を横切るので、車に注意。駐車場の少し上にトイレ完備。
網掛峠までは道標があり道も明瞭。網掛峠から先の道は崩壊している箇所があるので歩行困難。
明瞭な道で途中には萬岳荘という山小屋がある。
散歩感覚で歩ける道。
神坂峠の歴史は古く、神坂峠遺跡の発掘調査により約6000年前の縄文時代前期まで遡ることができる。弥生時代後期の土器片も出土しており、長野県南西部と岐阜県東濃地方との交流の道の一つとして使われていた。
3世紀半ば過ぎから畿内を中心に前方後円墳が作られ、各地に伝播していった。出土した土器を調べると、古墳文化が神坂峠越えの道を通じて伊那谷へもたらされたことがわかる。異なる地域が交流する道の一つだった神坂峠越えの道は、畿内勢力が東国へ進出するために使われる道となった。
7世紀の中頃には大宝律令により東山道は、近江国から陸奥の国までの約1000kmの官道として整備された。これにより、「中央と地方との連絡の道」として使われるようになった。また「納税の道」、九州北辺の防備に徴用された「防人の道」、信濃国で生産された馬を運んだ「貢馬の道」としても利用された。
その後16世紀半ばまでは利用されていたが、その頃には主要道路としては使われていない。
天正地震(1586年)の被害で園原地区から人々が去るとともに、神坂峠越えの道は廃れてしまった。
神坂峠遺跡は、峠の神に祈りをささげた祭祀遺跡として国の史跡として指定された。発掘調査により石製模造品をはじめ須恵器・土師器・灰釉陶器・鏡・刀子など1400点以上の遺物が出土した。石製模造品は、古墳時代に使われ、鏡・刀・装飾品などを石で模したもので、旅の安全を祈り、幣(神への供え物)として捧げられたと考えられている。神坂峠遺跡は、古墳時代から古代から中世にかけて峠神祭祀の実態をうかがうことのできる代表的な遺跡として重要なものである。
約1200年前に天台宗の開祖、最澄が東国巡錫の際に神坂峠を通った際、通行困難で険しい道のりを肌身で体験し、多くの旅人が苦しんでいることに心を痛めた。そこで、旅人たちの困難を救うため廣拯院(信濃側)・廣済院(美濃側)を建てた。
廣拯院の正確な位置は諸説あり、月見堂、杉の木平遺跡または無量寺廃寺跡ではないかと言われている。
昭和33年(1958年)、廣済院は中津川市神坂霧が原に位置するとし、開宗1150年を記念して顕彰碑を設立した。
平成17年(2005年)に信濃比叡広拯院として根本中堂、鐘楼等を建立して復興開山した。
なお、現在の月見堂は、文政年間の再建である。
https://shinanohiei.com/
山頂からは北アルプス・南アルプス他360度のパノラマが楽しめる。
東山道と園原の資料館
長野県下伊那郡阿智村智里3604-1
https://www.hahakigi-kan.com
アルカリ硫黄泉で「美人の湯」として人気がある。、5000本の花桃が植えられており、春には桃源郷のような景色が広がる
長野県下伊那郡阿智村智里
https://hirugamionsen.jp
日本一の星空を眺めることができる公園
長野県下伊那郡阿智村浪合1192-356
https://namiai-park.com
富士見台高原ロープウェイで山頂近くまで登ることができる。星空観賞のナイトツアーが有名
長野県下伊那郡阿智村智里3731-4
https://mt-heavens.com
園原のシンボルとして伝承や歌枕にその名をとどめている名木である。東山道を歩いていると遠くから際立って見えるが、近づくとどこにあるのか分からなくなるので「不思議な木」とされる。
歌枕などで「人の心のうつろいや迷い、不確かなもの」の例えとして使われた。
園原や伏屋に生ふる帚木の ありとはみえてあわぬ君かな 坂上是則 新古今和歌集
帚木の心を知らで園原の 道にあやなく惑ひぬるかな 光源氏
数ならぬ伏屋に生ふる名のうさに あるにもあらず消ゆる帚木 空蝉
源氏物語の五十四帖の第二「帚木」の巻
帚木は、昭和33年の台風で倒れ、今は根元近くの幹のみが残っている。
【強清水から神坂峠】
強清水
40分↓ 1.2km ↑ 30分
鳥越峠 入口
40分↓ 1.2km ↑ 30分
神坂峠
【網掛峠へ】
中平公民館
50分↓ 3km ↓ 35分
網掛峠
【神坂神社から神坂峠】
神坂神社
100分↓ 1.7km ↑ 80分
富士見台高原口
30分↓ 1km ↑ 20分
一本立
30分↓ 1.3km ↑ 20分
萬岳荘
15分↓ 0.7km ↑ 15分
神坂峠
【古代東山道 史跡苑】
史跡苑 暮白の滝駐車場
10分↓ 0.7km ↑ 15分
駒つなぎの桜
【神坂峠 岐阜県側】 強清水 無料駐車場
中央道 中津川I.Cから車で約1時間 (冬季通行止め)
【神坂峠 長野県側】 神坂神社 無料駐車場
中央道 園原I.Cから車で約15分
【古代東山道 史跡コース】 史跡苑 無料駐車場
中央道 園原I.Cから車で約10分
【網掛峠】 昼神温泉郷 無料駐車場・中平公民館 無料駐車場
中央道 園原I.Cから車で昼神温泉郷まで約10分・中平公民館まで約20分
阿智村・東山道古文学推進協議会 「古代東山道を歩く」
阿智村観光協会 「伝説と歴史散歩」
市澤英利 「東山道の峠の祭祀」 新泉社
《担当者》
日本山岳会岐阜支部
梅田直美