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64 上高地みち
飛騨山脈を越えて信州と飛騨を結ぶ古代からの歴史の峠であり、鎌倉街道(一説には脇往還))が通っていました。
ルートは、飛騨中尾集落 ― 中尾峠 ― 上高地 ― 徳本峠 ― 信州島々集落。
江戸期には、加賀藩の前田利家公が草津温泉へ行くため利用し、播隆上人が槍ヶ岳を開山するために通っています。
明治になると、飛騨の山に登るため多くの登山家が徳本峠経由でこの峠を往復し、そのうち英国の宣教師ウォルター・ウェストンは、明治27年笠ヶ岳登山の帰路に、また大正2年には夫人とともにこの峠を通っています。
その後は主に焼岳への登山道として使われるようになりました。
峠は、明治、大正期までは焼山峠、蒲田峠とも呼ばれ、古くには信濃峠、神坂峠とも言われました
近年、信州側中の湯温泉上部の旧国道158号沿いから焼岳へ新しく登山道が付けられ(=新中の湯登山道)、中尾温泉からの峠道を歩く人が極端に減っているが、よく踏み固められた歴史の道と、すばらしいブナなどの原生林の中を歩くことができる。
中尾高原口バス停横から中尾温泉へ登る車道へ入る。
温泉街の中ほどに昔の地蔵様などを集めて安置した御堂があり、その前に「鎌倉街道」と書かれた新しい石碑がある。
温泉街を過ぎると左側に登山者用の駐車場があり、登山届ポストがある。
車道を歩くと、右側に最近できた地熱発電所が現れる。
さらに進むと右側に登山道入口の表示があり、ここで林道と別れる。
足洗谷を渡ると登りになる。15分ほどですばらしいブナの巨木がある平坦地になり、その先のなだらかな斜面を登ると、先ほどの林道終点へ出る。
ここからは、ブナ、ミズナラなど大木の下のよく踏み固められた道を歴史の重みを感じながら登ると、間もなく「白水ノ滝」の展望所に出る。
標高1600mあたりから大きく右に回り込み、「鍋助横手」から南斜面を登ってゆく。
このあたりからダケカンバが多くなり、コメツガ、トウヒなどの針葉樹林帯に入ってゆく。
所々に森林管理署がつけた樹種を書いた表示版がある。
平坦になったところの右側に国交省の雨量観測所があり、すぐ左手に秀綱神社と書いた大岩が現れる。
ここからオオシラビソの林の中を小さい涸沢に沿って少し登ると、道が左右に分かれる。
右は旧中尾峠、左は焼岳小屋が建つ新中尾峠。まずは右の旧峠道に入り、旧峠に立ってから新峠へと回りたい。
笹の中の涸沢沿いの道を登ると、やがて右側に立ち枯れたオオシラビソと焼岳の茶色い斜面が現れ、すぐに旧峠に出る。風が吹き抜ける峠らしい峠だ。
昭和37年の噴火で旧峠にあった小屋は焼失し、信州へ下る道も小屋も新中尾峠へ移された。振り返ると笠ヶ岳が一望できる。
焼岳へはここから登る。
旧峠北側にある小さいドーム状の硫黄岳へと登る。途中硫黄に覆われた穴からガスが噴き出している。
ここを下った所が焼岳小屋。一休みしてから新道に入ると、すぐに西穂高山荘への分岐の表示がある。笹の中の道を下ると、先ほどの新旧道の分岐に出る。
バスを帝国ホテル前で下車する。
田代橋を渡って突きあたりが西穂高口の門だが、中尾峠へはここを左折し、梓川の右岸林道を辿る。やがて峠への登山口が現れる。このあたりは猿の群れが出現することが多い。
なだらかな森林帯を歩くが、標高1800mあたりから岩壁帯となり、道が険しくなる。
この岩壁帯にはハシゴがいくつかある。
最初は水平に渡してあるハシゴを渡る。
これはシーズンオフにはずしてあるので注意。
いくつかの短いハシゴを登ると、焼岳が大きく見え出す。
笹の中のよく踏まれた道を登ると、次の岩壁帯には長いアルミのハシゴがかけてある。
この悪場を過ぎるとなだらかになり左に旧峠の鞍部が見え出すが、今の道は右の新中尾峠へと登る。
小さい狭い峠を越えて少し進むと焼岳小屋に出る。
この峠は活火山である焼岳直下にあるので、気象庁などで火山の活動状況を確認してから入ること。
ヘルメットは必携。
噴火警戒レベル1の場合は峠道の立ち入りは可能だが、レベル2になると、中尾、上高地側とも登山道が閉鎖されるので注意が必要である。登山届の提出は言うまでもない。
上高地から新中尾峠間は、例年、焼岳小屋閉鎖直後の10月下旬から6月上旬の間は水平ハシゴが外され、通行不可になる。なお不通期間はその年によって異なるので、確認してから入ること。
焼岳小屋連絡先:09027532560
例年の小屋営業期間は6月18日から10月21日
1500年以上前、大和政権は東国平定のための道を開き、その官道上の峠を神坂と命名した。
その名は今も岐阜県中津川市の神坂峠のほか、深坂峠、三坂峠などに残っている。
その官道がここを通っていたと伝えられており、その昔は神坂峠とも呼ばれていたという。
そしてこのあたりの大字は神坂になっている。
1820年(文政3年)の春、信州安曇郡岩岡村の庄屋伴次郎は、小倉村の中田又重郎と飛騨新道の開発にのりだした。 小倉村から鍋冠山、大滝山、蝶ヶ岳を越えて上高地へ入り、ここから中尾峠へ出て飛騨へぬけるルートである。
1831年(天保2年)には、飛騨代官所へ飛騨側38カ村、信州側17カ村連判の「新道開削願書」が提出された。
願書には「飛騨高原郷中尾村より信州上河内まで里数およそ三里。この丁数百八町。ただし、道幅は六尺に造りあげるつもり」と記されている。
飛騨側の同意取得は、本郷本覚寺の椿宗和尚が尽力して順調に進んだ。
高山郡代大井帯刀が自分の添え書きを付して幕府へ願い出、1835年(天保6年)6月には許可が下りた。
関係者はさっそく着工して8月11日には竣工し、同月20日開通するという速さであった。
この新道工事のため、両国の村々から延べ2,600人もが動員され、飛騨側では蒲田集落から峠まで飯場が建てられたという。
このように牛が通れる高規格の新道が完成したものの、開通20余年後の1860年(万延元年)、閉鎖のやむなきに至った。これは冬期間の傷みがひどくて毎年補修工事をせねばならず、旅客貨物も予想されたほど通らなかったからだ。
そして閉鎖の年に起きた豪雨災害が輪をかけた。
なお、この道は加賀藩が参勤交代の代替えルートとして関心を持ち、槍ヶ岳を開山した播隆上人も通った。
新道が廃止になると、徳本峠を通る人がまた増えた。道の栄枯盛衰は昔も今も変わらない。
飛騨側の峠道には、今も所々に飛騨新道の片鱗が見られる。
1585年(天正13年)、豊臣秀吉の命で飛騨へ侵攻した金森長近に高山の松倉城を落とされた城主、三木自綱夫妻は、奥方の実家がある信州の波田へ落ちのびるべく中尾峠にむかった。
2人は峠で別れ、奥方は上高地から徳本峠、秀綱は焼岳の裾を巻いて安房峠へとむかう。(2人は手前の栃尾で別れたという説もある)しかし、信州島々などでそれぞれ土民の手にかかり、落ち合うこともなく落命した。
道中この岩屋で一夜を明かしたともいわれ、これを悼んで地元の方が祀った。
秀綱神社は新島々にもある。
内容:高原川の砂防事業の歴史を展示
所在地:高山市奥飛騨温泉郷神坂
濃飛バス平湯・新穂高線中尾高原口バス停横、中尾温泉登り口
入場料:無料
管理者:国交省神通川砂防事務所 調査課 0578-82-1221
内容:中部山岳国立公園及び周辺の自然、観光、文化などの展示
所在地:高山市奥飛騨温泉郷平湯763番12 平湯バスセンター南側
利用時間:午前9時から午後5時まで(水曜日休館)
入場料:無料
https://hidasanmyaku-gifu.jp/okuhida-vc/information/
明治期以前、飛騨では今の焼岳を硫黄岳と呼び、焼岳小屋の上にある小さい丸いピークを焼岳(山)と呼んでいたが、信州ではその逆の名で呼んでいた。
1908年(明治41年)、飛騨山岳会員で日本山岳会員でもあった古瀬鶴之助が登って書いた登山記が日本山岳会会報『山岳』(第5年第3号)に載っているが、硫黄岳になっている。
その後国土地理院が昭和初期に地形図を作成する時、たまたま信州側の呼び方を採用したため、硫黄岳が焼岳になってしまった。飛騨では今でもこれを不本意に思っている人が多い。
中尾高原口バス停
↓30分 1.3km ↑25分
登山道入口
↓3時間30分 3.75km ↑ 2時間30分
旧中尾峠(硫黄岳経由で焼岳小屋=新峠まで20分・新峠から登山道入口までは2時間30分)
帝国ホテル前バス停
↓ 30分 1.1km ↑ 30分
登山口
↓2時間 3.95km ↑1時間30分
新中尾峠
<自家用車>
東海北陸自動車道高山I.Cから国道158号で平湯温泉へ。平湯温泉から国道471号に入り富山方面へ。奥飛騨温泉郷栃尾交差点で右折し、蒲田川沿いに新穂高へ行く県道475号線に入る。蒲田温泉からのトンネルを抜け、蒲田川の中尾橋を渡ったらすぐに右折して中尾温泉へ登る。温泉街を抜けたところ左側に登山者用駐車場がある。
<公共交通>
JR高山本線高山駅下車。濃飛バス平湯・新穂高線中尾高原口で下車して徒歩で中尾温泉へ。
濃飛バス高山営業所 0577-32―1160
<自家用車>
松本方面から: 長野自動車道 松本I.Cから沢渡(さわんど)駐車場まで約1時間。そこから上高地までシャトルバスで約30分。帝国ホテル前バス停下車。
高山方面から: 東海北陸自動車道高山I.C.から国道158号で平湯温泉あかんだな駐車場まで約45分。そこから上高地までシャトルバスで約30分。帝国ホテル前バス停下車。
<公共交通機関>
松本駅から: 松本電鉄上高地線で新島々駅まで行き、そこから路線バスまたはタクシーで上高地まで約1時間30分。帝国ホテル前下車
高山駅から: 高山飛騨バスセンターから平湯・新穂高線で平湯バスターミナルまで行き、そこからシャトルバスまたはタクシーで上高地まで約1時間25分。帝国ホテル前下車。
木下喜代男『消えゆく飛騨の峠道』岐阜新聞社
飛騨山岳会『飛騨の山―研究と案内』ナカニシヤ出版
『山岳』第5年第3号、日本山岳会
《執筆者》
日本山岳会 岐阜支部
木下喜代男