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49 十文字峠越え
「十文字峠越え」の道は、鬱蒼とした樹林に囲まれた奥秩父を代表する自然景観が残る歴史と交易及び信仰の道です。
秩父から雁坂峠を越えて山梨市への抜ける秩父往還道と秩父から十文字峠を越えて、川上村梓山へ向かう分岐が栃本です。
栃本には江戸時代の関所跡が残され、往時を今に偲ぶことが出来ます。
また、十文字峠道は、中山道の裏街道として、古くから信濃国川上村と武蔵国秩父とを結ぶ道として知られていますが、古代には信州和田峠付近に産出する黒曜石が十文字峠を越えて秩父に運ばれたと伝えられています。
峠道は奥秩父を代表する自然景観が残る歩きやすい道で、昔ながらの十文字小屋が登山客を迎えてくれます。
また、十文字峠を挟んで一里ごとに観音菩薩の苔むした石像(里程観音)が安置され、三峯山への参詣や秩父夜祭を楽しみに通行する旅人の安全を見守っています。
川上村の梓山バス停から梓川に架かる梓川橋を渡ると左側に秩父多摩甲斐国立公園と記された大きな標識があり、その前に庚申塔、御嶽開山普寛行者碑(元治元甲子十月立之)、2基の道祖神、座王大権現(元治元年甲子十月吉日・講中)等の石仏石碑が集められています。
木曽御嶽山の王滝口を開いた旧大滝村落合出身の普寛行者の碑や座王大権現碑は同一時期に建てられたもので、御嶽信仰が地域の人達に篤く受け入れられたものと思われます。
栃本に向けて早朝に小屋を出発します。
十文字小屋から甲武信ヶ岳方面に少し登ると、栃本方面と甲武信ヶ岳方面との分岐を示す道標があり、栃本方面へと左折します。苔に覆われ鬱蒼としたコメツガ、シラベ、トウヒなどの樹林帯を東に向かっては墲水平な巻き道を下ると道標「股の沢・川又-栃本」の分岐にでます。
分岐を左手に栃本方面に数分下ると、鞍部の左手に四里観音があります。
観音像の両側には文字が刻まれていて「右に中島市太夫、左に川上百助」と確認でき、「民族資料 十文字峠の里程観音(四里観音)」の標識が建てられています。事前の予想通りに見事に彫られた観音像です。
・赤沢山山頂や白泰山山頂は樹木に覆われていて展望は期待できません。
時間に余裕がない場合はカットすることも考慮する必要があります。また、栃本から道の駅・大滝温泉、川又から三峰口駅までのバスは最終運行時刻が早いので、事前に調査が必要です。
・十文字小屋から降った先の栃本と川又の分岐には「この先約5km地点の柳小屋附近 丸木橋は増水時には利用不可能となることがあります。埼玉県」の注意版が設置されています。
新編武蔵風土記稿(以後、風土記稿)・秩父郡の古大瀧村の条に「十文字峠 御林山の内にて、栃本より坤にあたり、五里餘にあり、」と記されているのみで詳細な峠の記載はありません。
しかし、大滝村誌にはお雇い外国人R・W・アトキンソンとW・G・ディクソンら3人が強石から十文字峠を越えて梓山への山旅をしたことが記されており、昔からよく知られた峠道として、十文字峠越えは明治の初期には既に外国人も利用されていたことがわかります(①)。
更に、大滝村誌には十文字峠の里程観音に関する詳細な記載があります(②)。
十文字峠越えの古道は、鬱蒼とした樹林に覆われた奥秩父を代表する自然景観が残る歩きやすい道ですが、峠道の特徴として、栃本から梓山への間は明治期以前には行き倒れた旅人も多かったのか、一里ごとに通行人(参詣者を含む)の安全を祈願し、亡くなった旅人を供養するために里程観音が設置されたものと推測されます。
また、毛木平の信州側登山口には隆盛だった三峯信仰の記憶を今に留める三峯大権現の石碑が残り、栃本側の登山口近くには三峯神社と密接な関係が知られている両面神社があるのは興味深いことです。
大久根茂著「秩父の峠」には、信州と武州との信仰で結ばれた庶民交流の歴史が記されています(③)。
《注記》
①大滝村誌:「アトキンソンの十文字峠越え イギリス人で当時の東京改正学校(のちの東京大学。注:東京開成学校の誤記載と思われます。)教師、いわゆるお雇い外国人R・W・アトキンソンとW・G・ディクソンら三人が強石~大達原~大輪~落合~栃本~十文字峠~梓山コースの山旅をしたのは明治十二年(1879)夏のことである。」とあります。
②大滝村誌:「十文字峠の里程観音 本村域に四体、長野県川上村域に一体、計五体が一里ごとに配置されている石造観音像。竣工は元治元年(1864)四月。寄進者は次の10名。上田平右衛門、木村義兵衛、中島嘉十郎、大村久兵衛、中島為之助、中島助之丞、中島市太夫、川上百助、上田市兵衛、木村善兵衛。銘によると梓山登山口に一里観音、順次二里、三里と設置したことがわかる。大滝側では栃本を起点にして一里観音、二里観音と呼ぶのが習慣になっている。」
と里程観音に関する詳細な記載があります。
③大久根茂著「秩父の峠」には、「三峯山は、ひと昔前までは、足が頼りの信仰の山だった。人々は年に一度は登拝して“お犬さま”の加護(火防、盗難よけ)を得ようとした。特に信者の多かったのは、信州の村々だった。こうして十文字峠は、三峯信仰を通じて信州と秩父を直結させていた。信州では峠を越えて行くことを「裏」から三峯に行くといった。江戸・東京をはじめ、関東平野の村々からの代参者が表参道を登ったのに対して、信州の人々は二瀬からの裏参道を登ったからだ。」と記されています。
大山祇神社を千曲川沿いに歩いたところに、アズサバラモミの木があります。説明板には「アズサバラモミ(村天然記念物)昭和47年3月3日指定、 昭和15年頃、清水大典氏に偶然発見され、他に同種のものがないことから『アズサバラモミ』と命名されました。葉の形態に特徴があり、マツ科トウヒ属のヒメバラモミの変種と考えられます。常緑針葉樹で、樹高は約24mあり、樹齢は発見当時、130年と推定されています。平成13年12月、川上村教育委員会」とあります。
毛木平の石像群(地蔵尊、馬頭観音、如意輪観音などが並び里程観音の起点となる石仏が含まれる?)や石碑(□□経千部供養塔)
大滝村誌には「十文字峠路の里程観音 村域内にたくさんある峠路のうち、良く知られている遺物は十文字峠コースに設置された石仏・里程観音である。長野県側の川上村・梓山集落から峠にむかった300メートルほどのところに、起点となる石仏が安置されている。刻字は『右ハ三峯道 居倉上田氏、梓山から□(二あるいは三)丁』。二つ目も川上村内にあり『梓山より一里六丁』『元治元年(1864)子六月吉日、願主上田市兵衛・木村喜兵衛』と刻まれている。本村内にはいっても『梓山より二里六丁』とあるから、これらの石仏が梓山を起点にして、三峰山への参詣人のために造立されたことがわかる。願主の氏名はいずれも長野県側の人名で、本村側の人名は三里観音の大村久兵衛のみ。栃本側の峠への登り口に安置されている石仏が観音像(如意輪観音)であることから、秩父側ではこれを起点の里程観音としている。しかし、刻字は『享保七年(1722)寅 大村久兵衛妻』となっており、元治と享保とは140年余の開きがある。この石仏は造立目的がことなっていたのかも知れない。」と記されています。
・栃本関所跡:甲州と武州との秩父往還を交通する人たちを取締る関所
〒369-1901 秩父市大滝1623
のぞき岩が避難小屋の向かい側にあり、岩に登ると足元が絶壁となっていて奥秩父の山々の展望が開けています。
奈良県吉野の大峰山の”西の覗き”と同様に岩の下は断崖となっていてスパッと切れ落ちています。
かつては修験者が修行をした行場であったのか、大峰山をよく知る先人が名付けたものか、興味は尽きない“のぞき岩”です。
赤沢山の山頂は樹木が刈りはらわれていますが狭く、木々に覆われて眺望は全くありません。標高1818.9mの三等三角点があります。
標識もなく、三角点の傍に手書きで赤沢山と書かれた小石が置かれているのみです。
白泰山頂へは、シダに覆われた斜面につけられた登山道を辿ると、標高1794.1mの二等三角点(基準点名:白泰)が設置された山頂につきます。
赤沢山頂と同様に展望は全くありませんが、山頂には『白泰山』の標識が設置され、樹木は綺麗に刈り払われていて、予想外に広い印象を受けます。
風土記稿に午房平の愛宕地蔵に関し「栃本関所跡を右折し、彩甲斐街道大峰トンネルの真上に十数軒程の集落がある。その集落の入口にあるのが愛宕地蔵堂である。一月二四日の縁日には参詣人が『ばくち』をうつのが恒例の行事になっていたという。」と古の風習の一端が記されています。
・毛木平のキャンプ禁止の看板「この地域内では、キャンプ(幕営等)を禁じます。無許可でキャンプ等をすると罰金を頂きます。 川上村・林野保護組合」と記されています。
・コメツガ「マツ科 本州の中・北部の亜高山帯に多く見られます。短くて小さい葉を、米にたとえて名づけられました。 中部森林管理局」の説明板があります。
・カラマツ(針葉樹マツ科)「信州を代表する樹木で、落葉松の名のとおり日本の針葉樹ではただ一つの落葉樹でもある。春の芽吹きの黄緑、秋の黄金色は見事なほど美しい。 東信森林管理署」と説明板に記されています。
・シャクナゲの説明板に「シャクナゲはツツジ科の常緑低木で、奥秩父山地には、アズマシャクナゲとハクサンシャクナゲの2種類があります。アズマシャクナゲは本州中北部の深山の森林帯に分布し、この十文字峠付近では、6月上~中旬ごろ淡紅色の花をつけます。つぼみのうちほど紅色が濃く、美しく見えます。ハクサンシャクナゲは本州中部以北の高山地帯の針葉樹林、ハイマツ帯に自生し、この付近では甲武信岳の稜線部で見ることができます。7月上~中旬ころ、白またはわずかに紅色を帯びた花を咲かせます。 埼玉県」と記されています。
・十文字峠付近の説明板「十文字峠植物群落保護林 場所;秩父郡大滝村中津川山国有地 面積;2260ヘクタール 設定目的:この保護林はコメツガ、シラベ、トウヒ等の常緑針葉樹を主とする亜高山帯の天然林です。林相は極相を示し原生状態を保つ貴重な森林です。 林野庁 関東森林管理局 埼玉森林管理事務所 」があります。
・演習林の説明板には「東京大学農学部附属演習林は、林学・林業に関する基礎的および応用的な試験・研究を行い、あわせて学生実習の用に供する目的で設置されたものです。私たちの生活をより豊かに発展させる森林を愛し、樹木を大切にしましょう。林内での“たき火”、“たばこ”など火のあつかいには十分注意しましょう。 秩父演習林」と記されています。
・栃本下山口の表示「注意 山道では、思わぬ危険が起こりがちです。通行中は常に充分な注意を払って、転倒、転落、落石等の事故防止に努めて下さい。尚、大雨の時や冬期間(12月中旬~4月上旬)は危険ですので、通行を禁止します。 秩父市」があります。
・栃本下山口の表示「登山者へのお願い 次の事を記入して登山ルールを守って入山して下さい。一.住所・氏名・職業・年令・連絡先、二.パーティの名称(人員)、三.登山ルート、四.行動計画(登山開始時間・場所等・下山予定日時)、以上の事を『入山届書』に記入して下さい。奥秩父の山を満喫する為に気をつけて入山して下さい。秩父警察署・秩父市」、また「山をあまく見ないでください!ここでチェック!! *はきものなど完全ですか? *家の人に予定など話してきましたか? *この山林の中をよく知っていますか? *帰り道はわかっていますか? *自分の体力は大丈夫ですか? 全部OKでなかったら、この辺で帰った方が安全です。 秩父警察署・大滝村」などの具体的な記載が入山者への安全登山に効果的と思われました。
1日目:
梓山~毛木平 75分 5km
毛木平~十文字小屋 120分 3.2km
2日目:
十文字小屋~四里観音 15分 1km
四里観音~四里観音避難小屋 30分 1km
四里観音避難小屋~三里観音 30分 2.7km
三里観音~二里観音 100分 3.5km
二里観音~一里観音 80分 3.4km
一里観音~白泰山登山口 30分 1.3km
白泰山登山口~栃本 60分 3km
JR小海線・信濃川上駅から梓山へは川上村営バス
川又バス停から三峰口駅までは西武観光バス
栃本関所跡から三峰口駅へは秩父市営バス
駐車場:毛木平、栃本関所跡、二瀬ダム、三峰口駅
南日(田部)重治著「山岳」第6年第1號、日本山岳会、明治44年5月5日発行
南日(田部)重治著「山岳 秩父號」第11年第1號、日本山岳会、大正5年10月20日発行
大島亮吉著、本郷常幸・安川茂雄編集「大島亮吉全集2「峠」」あかね書房、1970年2月15日発行
「大日本地誌大系 新編武蔵風土記稿(第12巻)・秩父郡・古大瀧村及び新大瀧村」雄山閣、昭和46年2月25日発行
編集・秩父市大滝村誌編さん委員会「大滝村誌」発行・秩父市、平成23(2011年)3月31日発行
大久根茂著「秩父の峠」さきたま出版会、昭和63年4月30日発行
明治43年測図5万分の1地形図「金峰山」
《担当》
埼玉支部
松本敏夫(文・写真)
浅田 稔(写真)
本村貴子(写真)