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47 榛名山古道
江戸時代から観光地としてにぎわいを見せた伊香保温泉への道は、江戸を中心として考えたいわゆる「表口」の道(渋川・水沢からの道)と、「裏口」の道(榛名山方面から伊香保に入る)とがありました。裏口の道は、一つは榛名信仰の中心である榛名神社と結びつけて発達しました。さらに妙義から榛名を経て赤城をまわる旅も広まりました。二つ目は沢渡温泉、草津温泉との関連、さらに伊香保―沢渡―草津-信州渋―善光寺という広域観光ルートとして開かれ、山岳地帯の悪条件でありながらも発達しました。
伊香保温泉から榛名湖および榛名神社への道は、この裏口の道の一つを榛名神社へと逆にたどるもので、伊香保温泉街から一条の急な坂道をたどりました。湯元から山にかかり、急な斜面からヤセオネ峠を越えて、さらに榛名湖畔から榛名神社へとつながっていました。明治時代末期に大町桂月がこの道をたどり、榛名神社を参拝し、榛名湖畔から岡崎への道を下り、伊香保へ戻った記録が『関東の山水』に残っています。
伊香保温泉→伊香保森林公園(鷲ノ巣風穴)→ヤセオネ峠→相馬山分岐→沼の原→ビジターセンター《歩行約5時間》
伊香保温泉は榛名山の北面の傾斜地にあり、古くから栄えた石段の湯の街として有名です。
伊香保温泉街の南にある湯元の手前、秋には紅葉の名所となる河鹿橋右岸から伊香保森林公園方面の道標を確認し登山道に入ります。
歩きやすく、分かりやすい登山道を、いくつかジグザグを切って標高を上げていきます。
火口原・ヤセオネ峠入り口から再び登山道に入ります。
ここから沼の原までは「関東ふれあいの道」をたどります。
登り始めは左を二ツ岳の北西斜面、右手を低い尾根に挟まれた浅い沢状を登ります。
オンマ谷駐車場分岐を過ぎ、登り切るとヤセオネ峠です。
いったん車道に出て、進行方向左の相馬山の鳥居から西斜面をゆるやかに登りながら進みます。
相馬山との分岐を左に登れば相馬山です。
山頂までは短い距離ですが、途中にハシゴやクサリ、急斜面が続くので、登る場合は注意しましょう。
沼の原を北から南へ横断し、県道高崎東吾妻線へ右折すると伊香保から榛名湖を結ぶ車道(県道渋川松井田線)に出ます。
この道は交通量が多いので注意して横断すると昭和天皇行幸の道となります。
右手に榛名富士を望み、土産物店が並ぶ広場を過ぎると、ビジターセンター前の榛名湖畔駐車場へはわずかな距離です。
榛名湖畔から天神峠へはしばらく車道歩きとなります。ここも交通量が多いので注意しましょう。
榛名神社へは天神峠を越え、沢沿いに下ると榛名神社裏へ着きます。
詳しくは室田道の項参照。
なお、磨墨峠から外輪山の尾根に延びる関東ふれあいの道をたどり、天神尾根までつなげることもできます。
道標も整備され、歩きやすい道ですが、登山に適した服装、靴と基本的な登山装備は必要です。
榛名山北の中腹に位置する伊香保は、温泉によって発達してきた街です。温泉はかつて医療のために重視され、病をいやすために人々が集まりました。また、行楽目的で旅客が増加しました。ことに庶民文化が興隆してきた江戸時代中期以降は遊楽目的での来訪が増えてきました。古来の名湯は、京都や奈良の付近に限定されていましたが、政治の中心が、鎌倉、江戸に移ると関東の温泉が歴史の中に現れるようになってきました。伊香保の興隆は、江戸幕府の設立とも深い関係があります。次いで東京が日本の首都になると、伊香保は東京人の保養地となり観光地となりました。さらに時代が下ると横浜、東京在住の外国人がしきりに訪れるようになりました。
伊香保への道は、江戸方面からの道を表口の道とし、榛名湖からの道を裏口の道と表現されます。妙義山に登り、妙義神社に参詣したものは榛名神社、榛名湖、伊香保へ結ぶというコースが確立していました。このコースは碓氷川の谷から尾根を越え、松井田から秋間川の谷に降り、さらに風戸峠を越えて烏川に降り、榛名神社に参詣しました。榛名神社の下を流れる川に沿って登り、天神峠から榛名湖畔に出ます。榛名湖畔をめぐり、ヤセオネ峠から急坂を下り伊香保の湯元に出ました。有名な平沢旭山が妙義から榛名神社に行くときにこの道を通過しています。天明2年4月20日のことです。
伊香保と結んで江戸時代から関連観光地としてにぎわいを見せた榛名湖および榛名神社への道は、一条の急な坂道をたどりました。湯元から山にかかり、折れ曲がりながらヤセオネ峠へ出たものですが、直線距離は2kmほどですが。しかし標高差は400m以上と大きいため、一気に登山できる交通機関を設ける機運が高まり、ケーブルカーが布設されました。昭和4年9月に伊香保からヤセオネ峠まで全長2100mのケーブルカーが開通しましたが、戦争が激しくなるとともに、資源不足などからこのケーブルを撤去して他に流用することとなり、昭和15年に運転休止となりました。戦後再び運転を開始しましたが、自動車に押されて経営が成り立たず昭和41年ついに廃止となってしまいました。
伊香保温泉街の上部に上野国三宮の伊香保神社が鎮座しています。伊香保の語源は万葉集にも歌われる「いかほ=いかつほ(厳つ峰・雷の峰)」で、これは山名であったと考えられています。その山は伊香保温泉の南東、榛名山塊の北東の端に鋭くそびえる水沢山(1194m)と言われ、伊香保神社の本社も水沢山の麓、現在の水沢観音付近にあったものと言われています。この水沢山の東のすそ野には伊香保神社の里宮が各地にあり、これらの里宮から集まる道が、水沢山麓の伊香保神社の本社に集まり、そこから信仰の道は水沢山を登ったものと思われます。
上野国三宮として信仰のあつかった伊香保神社ですが、中世以降は榛名神社の台頭と逆に衰微しました。伊香保温泉にある伊香保神社も水沢から分かれたものです。
伊香保森林公園は榛名山の北東に位置する二ツ岳(1343m)を中心に、北は伊香保スケートリンク付近から南は相馬山までの南北1.9㎞、東は水沢山西登山口から西はヤセオネ峠付近までの東西2.9kmに及ぶ広大な森林公園です。二ツ岳風穴、ワシノス風穴、むし湯跡などの史跡と、榛名山北東部の寄生火山である相馬山や二ツ岳、そしてオンマ谷などの自然景観に富み、ツツジ、モミジ、カンバの群落など自然植生にも恵まれた森林公園です。
気軽に歩けるゆるやかな起伏の散策コースから、二ツ岳への登山コースまでいくつかのコースがあり、いずれも植物や野鳥も豊富です。伊香保温泉にも近く、また榛名湖への古道からのアクセスも良いので、時間に余裕があれば、ぜひ散策や登山を楽しみたいところです。
歴史ある伊香保温泉には、さまざまな名所・旧跡があります。
温泉街の中央を貫く石段の両側には旅館や土産物店が並び、伊香保ならではの温泉情緒を楽しめます。
また、明治の文豪、徳冨蘆花は代表作の小説「不如帰」を伊香保で執筆し、晩年には療養のため伊香保を訪れ、この地で生涯を閉じました。その定宿としていた離れを移築・復元した徳冨蘆花記念文学館には遺品などが多数展示されています。
そのほか伊香保神社、伊香保関所、ハワイ王国公使別邸、御用邸跡などの史跡・文化財があります。古道探訪と合わせて訪ねてみるのもよいでしょう。
伊香保温泉とヤセオネ峠を結ぶケーブルカーで、昭和4年に開業しました。全長約2100m、標高差400m以上を一気に登り、伊香保から榛名湖、榛名神社への行程を大幅に短縮しました。しかし昭和15年に戦況の悪化、資源不足により営業を休止し、19年には客車とケーブルの施設も撤去され戦争資源として供出されました。昭和36年にいったんは営業を再開しましたが、急速に進むモータリゼーションの進展や道路整備の影響も大きく、昭和41年には廃止されました。
伊香保温泉湯元
↓ 1時間10分 1.5km↑
車道 ワシノ巣風穴
↓ 1時間00分 1.2km
ヤセオネ峠
↓ 1時間00分 1.2km
磨墨峠
↓ 1時間30分 3.0㎞
榛名湖畔駐車場
伊香保温泉までは関越道渋川伊香保ICから県道渋川松井田線経由で20分。公共駐車場があります(有料)。
JR利用の場合は渋川駅からは関越交通バス25分。高崎駅から群馬バス70分。
そのほか、新宿から伊香保温泉へは高速バス(上州ゆめぐり号・2時間15分)も利用できます。
群馬県教育委員会「歴史の道調査報告書・信仰の道」群馬県教育委員会
伊香保町「伊香保史」伊香保町
「群馬新百科事典」上毛新聞社
《調査担当》
日本山岳会群馬支部
《原稿作成》
田中規王(日本山岳会群馬支部)