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40 蠅帽子峠

蠅帽子峠

古道を歩く

橋が失せ、渡渉が必要

国道157号線から河原へ延びる車道に入る。
(駐車スペースまでは「アクセス」を参照)
かつて工事用道路として利用されていたが、少し奥に入ると自然に還ってしまっている。
小広い所を選んで他の車の邪魔にならないように車を停める。
なおこの周辺では令和5年秋、クマに襲われて怪我をした事故が起きているので、早朝などの利用は注意が必要である。

車道の痕跡から左へと河原へ向かい、荒れたススキ原を横切ると根尾西谷川の川岸へ降り立つ。
対岸の右手には支流のコワタビ川が合流している。
飛び石伝いに対岸に渡る場所を探すより、水深の浅い場所を選んで徒渉した方が早い。
多くの人は川底に堰状の岩盤が対岸まで連なる箇所を渡っているようだが、初心者がいる場合は、水深によってはロープを張るなどの対応が必要。
この徒渉がこのコース最大の要注意箇所である。
徒渉した対岸に岩を組んだ祠があり、中に乳くれ地蔵が祀られている。
国土地理院発行の地形図には根尾西谷川を渡る橋の記号が記載されているが、橋は無くなって久しい。
古道歩きにこだわらないなら、赤布に従って尾根を直登した方が早い。
下部は急な登りだが、古道が合流する辺りからは傾斜も落ち着いてくる。


古道は乳くれ地蔵から根尾西谷川の左岸を少し上流へ向かうが、如意輪観音までは不明瞭である。
山裾を進んで岩壁の基部を抜けると杉林になり、この林の中に如意輪観音がある。
近年は枝葉に半ば埋もれていたため人目に付かなかったようだが、掘り出されている。
祠の再建計画もあるので、近いうちに真新しい祠に安置された如意輪観音を拝むことができそうである。
古道はここから斜面をつづら折れに登っていく。

不明瞭な道の跡

地形を丁寧に観察すると、古道の形状や石積が確認できる。
植物の生え方も周囲とは異なるので、ルートファインディングの力量を培って臨んでいただきたい。
スギの倒木を乗り越えるなど下部は荒れている。
程なく広葉樹の森に変わり、傾斜が緩くなるとポイント908mは近い。
この辺りからブナの大木が目に付くようになる。
古道はポイント908の西側、ポイント943の東側を通っている。
古道は尾根上のトレースも枝を払いのける程度の藪なので、歩きやすいところを選んで進む。

左手後方に奥美濃最高峰の能郷白山(1617m)が見える。山頂から右へと下っている尾根の先の鞍部が温見峠である。温見峠と這法師嶺の標高はほぼ同じなので、自分がどの程度登ってきたかの目安になる。
ポイント943を越えて暫く進むと、傾斜の増した尾根から離れてトラバース道になり、道幅は狭くなる。
道が大きく左に曲がると、這法師嶺へ直登するルートを示す標識・赤布が現れる。

古道は急斜面を横切って先へと延びている。
前方にヒノキがまとまって生えている峠地形が現れるが、這法師峠はその先になる。
枯れ谷や細い流れの沢を経て、崩落した急斜面を慎重に横切った先の鞍部が這法師峠である。
峠の岐阜県側に「峠の地蔵」が祀られ、峠には標識が立つ。
古道は福井県側の蠅帽子川へと下っていくはずだが、道は消失している。

山頂を往復し、もと来た古道を戻る

這法師嶺へは、赤布と踏み跡を頼りに進む。
コースを見誤ると藪漕ぎを強いられる。
峠から山頂を往復する場合、特に復路では県境稜線から北へ延びる尾根に迷い込んでしまう可能性がある。
赤布やトレースに頼るだけでなく、地形図とコンパスなどを使って現在位置を把握しながら歩いてもらいたい。

山慣れていれば、這法師嶺の西隣のピークから往路に辿った尾根へ直接下ることもできる。
尾根を忠実に下り、乳くれ地蔵の脇へ降り立った方が古道を辿るより手っ取り早い。
最後に再び徒渉を強いられる。
往路より増水している場合は、左手のコワタビ川出合いの下流部に広がる浅瀬を探して渡るルートを選んでもいい。
往路で紹介した堰状の岩盤が連なる箇所は、下流側が一段低くなっていることに注意する必要がある。
転倒した際に水没する危険があることは経験者ならではの忠告である。

この古道を歩くにあたって

根尾西谷川の渡渉がこの古道を歩く際の最大の注意点である。
よほどの渇水期以外は靴を濡らさずに渡ることはできないと思ったほうがよい。
乳くれ地蔵から如意輪観音までの100m程は山裾を辿る。如意輪観音からは道は消えつつあるが、危険な箇所はない。
藪漕ぎは枝を手で振り払う程度。
尾根を辿ればトラバース道へと入っていく。
ザレた斜面の横断は滑落に注意が必要。
「古道」と言われなければ利用者の少ない踏み跡程度の道と変わりないため、地形図やコンパスなどの登山装備を持参のこと。
参考までに、這法師嶺を目指すルートは細かく見ると3本ある。
内訳は、
①トラバース道に入らずに尾根通しに県境稜線を目指すルート
②トラバース道を少し辿ってから斜面を直登するルート
③峠から県境稜線を辿るルート
いずれも赤布や踏み跡に頼りながら登ることになる。
【難度】
①根尾西谷川の渡渉=水深によってはロープの使用を推奨
②乳くれ地蔵~這法師峠=中級者向け(専ら整備された登山道を歩く方にはお薦めしません)

古道を知る

幕末の混乱期、鎖国攘夷派と開国派に割れた水戸藩では、武田耕雲斎を首領とする水戸天狗党が、開国に傾く幕府に再考を訴えるため一橋慶喜を頼って京都に向かった。
しかし、関ケ原の手前で幕府側の大垣藩や彦根藩に行く手を阻まれたため、北進して揖斐谷汲から北陸に抜ける際に利用したのが這法師峠である。
水戸天狗党の悲劇的結末と相まって語られる這法師峠だが、峠の名称の由来は諸説ある。
法師が急峻な道を這って登ったからとか、蠅が帽子のように真っ黒になるほど纏わりついたからとかなどと語り継がれている。
ハイに「灰」の字、法師を一文字で表示するため「星」の字を充てる文献もあって定まっていない。
福井県側には国土地理院地形図に「蠅帽子川」の記載があるが、代掻き馬が「白馬」に、御領菱が「五竜」になった事例を知っている岳人なら、蠅帽子川を素直に信じることはないだろう。
鎌倉時代末期・南北朝時代から美濃と越前を結ぶ道として利用され、戦国時代には美濃の蚕食をねらう朝倉勢がこの道を利用して本巣郡一帯を荒らしたと言われている。
根尾長島から根尾黒津までの間は倉見渓谷と呼ばれる断崖が続いている。
江戸時代の文化6年(1809年)には大垣藩が根尾西谷側の左岸側に、昭和の初めには今の国道157号線が右岸側に道普請された。
これらの道が整備されて時代が下がるとともに、特に黒津や大河原の集落にとっては、峠を越えた越前側より下流側の根尾南部との交流が盛んになり、這法師峠の道は廃れていったようである。
なお、国道157号線は現在でも「酷道」と称される狭隘な道である。
古道としての価値はさておき、水戸天狗党が美濃から京都へ向かう際に越前を経由することを強いられたことからも、官道ではあっても地域を結ぶ主要な街道ではなかったと推察する。
根尾大河原の集落は廃村となって久しい。天狗党が這法師峠を越えた12月4日は現在、国道は冬季閉鎖の期間に入っており、往時を偲ぶため登山口にたどり着くことも容易ではない。
福井県側も笹尾川貯水池の完成にともなって登山口の集落は水没している。
雪深い峠道で、犠牲者を出しながら越えた800余人を待っていた過酷な運命や武装蜂起に至るまでの経緯については、歴史書や小説で度々取り上げられているので、ここでは割愛する。

深掘りスポット

乳くれ地蔵

根尾西谷川と支流であるコワタビ川の出合に祀られている。
「拝むと母乳の出が良くなる」イメージのある名称だが、元々はここを渡る際に亡くなった子供2人を弔うために父親が建てた地蔵である。
子供が乳児と捉えられるなどの誤解を経て今の呼称になったようだ。

峠の地蔵

這法師峠の岐阜県側に祀られており、設置は明治元年頃。
水戸天狗党の峠越えは1864年である。

ミニ知識

淡墨桜

品種はエドヒガン。樹高17.3m、幹回9.4mの大木は、山梨県の「山高神代桜」と福島県「三春滝桜」と並んで日本三大桜のひとつに数えられ、国の天然記念物に指定されている。
蕾のときは薄いピンク、満開に至っては白色、散りぎわには特異の淡い墨色を帯びてくることから「淡墨桜」と名づけられている。継体天皇お手植えという伝承や、作家の宇野千代がその保護を訴えて、活動したことでもよく知られている。桜の見頃は、4月初旬頃。

能郷白山

養老元年(717年)に泰澄が白山を開山した際に、白山から南に目立つ山を遠望し、白山権現の分祠を思いついて翌年の748年に開山。
地元では「権現山」と呼ぶ。
岐阜県、富山県、石川県及び福井県に跨がる山域は両白山地と呼ばれる。
「両白」は加越山地主峰の白山と越美山地主峰の能郷白山のそれぞれの山地を代表する二つの山を示している。
標高は1617m。日本二百名山に選ばれている。登山道は二本あり、古くから利用されている能郷谷を詰めるコースは能郷からの登拝路である。もう一本の温見峠コースは1988年に拓かれた。

能郷の能・狂言

国指定の重要無形民俗文化財。根尾能郷地区の猿楽衆の16戸により国土安穏、五穀豊穫、家内安全を祈って奉納されてきた神事芸能で、猿楽衆は能方・狂言方・囃子方とそれぞれの家で世襲的に口伝として受け継がれてきた。毎年4月13日、能郷白山神社で演じられている。翁面、三番雙面、若女面、尉面、般若面、狂言面や衣装は、室町時代のものといわれている。

大栄ストア

本巣市根尾分庁舎(旧根尾村役場)の向かいの食料品店。
ここの名物のサバ寿司は「登山の際にはわざわざ立ち寄って購入する」という登山者がいる逸品。
数量限定、毎日店舗に並ぶ品ではないので、購入できるか否かは運次第。
確実に入手したいなら能郷白山の開山祭(五月中・下旬)を狙うか、販売日を確認してから登山を計画する。数量がまとまれば予約できるかもしれない。

ルート

駐車スペース→(10分)乳くれ地蔵→(1時間30分)ポイント908→(50分)這法師峠→(1時間30分)乳くれ地蔵
→(10分)駐車スペース
峠までの往復=4時間10分  往復距離=7.5km

アクセス

岐阜県側から
公共交通機関:樽見鉄道終点「樽見駅」で下車。タクシーで国道157号線を能郷経由の場合23km
マイカー利用:樽見駅から根尾上大須を経由し、林道折越線・猫峠線を利用の場合32km
福井県側から
公共交通機関:JR越美北線「越前大野駅」で下車。タクシーで温見峠を越えて登山口まで49km
冬季(12月~4月)は国道・林道とも閉鎖

参考資料

岐阜地区歴探訪講座「水戸浪士とハイボーシ峠」根尾村教育委員会
今谷明「古道逍遥 第7回 蠅法師峠 天狗党転進の道」
根尾村史、岐阜日々新聞コラム編集余記(S49.10.21)、本巣市根尾公民館の所蔵資料

協力・担当者

《担当》
日本山岳会岐阜支部
原稿:水谷嘉宏
写真:梅田直美
《協力》
杉山新次郎
(敬称略)

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