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38 小白川道
富山県南西部、南砺市城端(じょうはな)の背後には高清水(たかしょうず)山系の山並みが屏風のように連なり、これを越えて秘境五箇山の集落とを結ぶ峠越えの道がいくつもありました。
善徳寺の門前町として栄えた旧城端町から、上田集落(廃村、旧二ツ屋村)を通り小瀬(おぜ)峠(930m)を越えて旧上平村の小瀬集落にいたる道は小瀬峠越えと呼ばれ、砺波平野と五箇山を結ぶ交易の道でした。
自動車道ができてからは徐々に利用が減り、昭和30年代には小瀬峠越えは廃道にちかいものになりました。
小瀬から庄川沿いの道に出て上流に進むと、浄土真宗の古刹行徳寺のある西赤尾に出ます。
西赤尾からさらに上流に進み、加賀藩時代に籠の渡しがあった飛騨との国境の境川を渡ってしばらく行くと岐阜県白川村の北端、小白川にいたります。
ここは口留番所のあった所で、この先白川村の中心を通って郡上八幡までが白川街道です。
■城端市街から二ツ屋跡を経て古道入口まで
城端の市街地を出て山田川の支流、二ツ屋川に沿って上流を目指すと、かつて小瀬峠越えの歩荷(ぼっか)で栄えた上田集落の跡にいたります。さらに人喰谷出合を過ぎ、その先の林道城福線で左岸に渡って二ツ屋川を遡ると三つの沢に分岐する地点となり、そこが古道の分かれ道となります。
■細尾峠への道
二ツ屋から谷間の道を小峠に登り山腹をトラバースしながら小瀬峠を越えるルートは、藩政時代には「飛州小白川村間道」と呼ばれていました。
小峠への道は長らく人が通らなくなって歩けないので、明治23年(1890年)に開通した細尾峠への道を古道調査の対象としました。
この峠道が開かれたのは、明治に入って養蚕業や和紙製造が盛んになった五箇山との間の物資の輸送力を上げるために、馬が通れる道を新たに計画したものでした。尾根通しの道なので雪崩の心配が少なく積雪期の通行が容易になりました。
■小瀬峠を越え小瀬へ
昭和2年(1927年)に城端から五箇山の下梨間に自動車道(八幡道路)が開通し、その時細尾峠のそばに細尾トンネルが掘られました。
このトンネルの城端側出口を起点とする林道袴腰線が昭和52年(1977年)に完成して、小瀬峠の下を迂回して小瀬に出られるようになりました。
この林道の開通により、袴腰山登山口とともに小瀬峠へ最短で至ることができます。
小瀬峠から谷鞍谷を下って小瀬集落にいたるルートは廃道状態でしたが、今回の古道調査と合わせて昔の道が復元され、歩けるようになりました。
■西赤尾から小白川へ
菅沼合掌集落から西赤尾までは庄川の左岸沿いの舗装された道路を歩きます。
飛騨への出口として口留番所の置かれた西赤尾町村は赤尾谷の中心地で、合掌造りの岩瀬家や行徳寺、道の駅ささら館など観光客の多く訪れる所です。県境の境川から小白川にかけては旧国道156号線跡の舗装路を歩きます。
城端市街 → 大鋸屋 → 大谷島 → 二ツ屋村跡 → 林道城福線(ここまで車道)→ 沢分岐 ≪歩行約10分≫
善徳寺前の交差点から国道304号線が南に真直ぐ伸びています。
行く手正面には旧城端町のシンボル、袴腰山(1165m)の端正な台形の山容を望めます。
道路沿いにある城端市民センターなどを過ぎ、広域農道との信号のある交差点を通過すると大鋸屋(おがや)の集落に入ります。村はずれで左にカーブする国道と別れて右手の旧国道に入り打尾川を渡ります。
狭い道をさらに山に向かって進むと大谷島の公民館前の五差路に出ます。
さらに瀬戸村の入口から二ツ屋川の谷へと砂利道が続いています。
右側には小さな水田が広がっていますが、すぐ耕作放棄地になり、やがて谷幅が狭まり道路脇に石の祠が二つ。
前方に砂防ダムが見える所です。
二ツ屋川右岸の車道を進んでいくと産業廃棄物の処理場があります。
やがて昭和49年(1974年)に廃村となった上田(旧二ツ屋村)の集落跡にいたります。
記念の石碑や地蔵堂が立っていますが、周りはうっそうとした杉林になりつつあり、かつて40戸もあった村の跡とは想像もできません。
さらに進むと人喰谷の合流点を過ぎて採石場のプラントがあり、国道304号線から分岐してきた林道城福線と交差します。この舗装林道に出て右へ進み、二ツ屋川の橋を渡ってしばらく行くと二ツ屋川左岸に沿った細い道があります。
車1台がやっと通れる悪路です。(車は林道の脇にとめたほうがよいでしょう)
なお、ここまでは車でも入れますが、歩いても気持ちがいい道です。
谷はやや開けて明るくなっています。
古い砂防堰堤を過ぎてしばらくすると、二ツ屋川が四つの沢に分かれる場所にでます。
一番右の沢は西又といい、小峠を経て小瀬峠に至る道が通っていたところですが、現在は踏み跡が残る程度の廃道です。
その左にある尾根筋には関西電力の送電鉄塔が立っており、急な尾根通しに巡視路がついています。
その左側の沢を挟んで伸びる尾根が細尾峠に続く尾根です。
(2022年5月18日調査)
沢分岐 → 砂防堰堤 → 尾根取り付き → 郵送隊小屋跡 → 旧国道 → 旧細尾峠 → 旧国道 → 細尾トンネル《歩行約2時間》
沢の合流点で崩落寸前のコンクリート橋を渡ります。水量が豊富で清らかな流れです。
谷沿いに踏み跡をたどり砂防堰堤2基を過ぎていきます。草が茂って道がよくわかりませんが、右の急斜面を登りきると尾根に取り付く広い旧道に出ます。
背の低い草木が生い茂って足元が見えにくいですが、幅の広い歩き易い道が尾根伝いに続いています。
国土地理院の地形図にもこの旧道が載っています。
最初は尾根の西側を登っていくので、右手の尾根には送電鉄塔が見えています。
稜線に出たところで、今度は左手前方に人喰谷を通る旧国道が見えてきます。
所々に旧電電公社のマークの入った石柱が埋まっています。
植生がいつしかスギ林から広葉樹に変わり、明るい尾根になってきます。
突然前方に現れたのは、かつて郵送隊(逓送隊)の人達が城端と五箇山の郵便局からそれぞれ郵便物を運んできて交換するときに利用した建物です。
ブロック造りですが窓も入口のドアも壊れて、天井は鉄骨だけが残る廃屋となっています。
中には冬に暖をとるための囲炉裏もあります。
ここから旧国道までは近いのですが、傾斜がきつく歩きにくいトラバース道で、最後はトラロープにすがって舗装道路に出ます。
旧国道から細尾峠への取り付きは草が茂って分かりにくくなっています。
細尾峠を越える道は、明治時代にひらかれ、南砺市の文化財になっています
鞍部の細尾峠には倒れた標柱があり、2000年とやま国体開催記念として小さな看板に峠の歴史が記されています。
「昭和45年郵便逓送隊の廃止とともに廃道化」とあります。
平村側に下りる道の最初の部分は、コンクリートの階段が草に隠れており、下りていくと水が湧き出した沢沿いの道となり、厳しい藪を抜けると旧国道の舗装路に出ます。
標識もないので、こちら側の入口も気づくのは難しいでしょう。
静かな旧国道を西へしばらく歩くと、細尾トンネルが現われます。
昭和2年(1927年)に城端・下梨間に自動車道路が開通した時に造られたトンネルです。
昭和10年(1935年)から村営バスが運行されますが、この狭いトンネルをボンネットバスがくぐり抜けていたのです。その後、この道路が国道304号線となり、トンネルの天井を高くするため下部が掘り下げられたり補修工事をされたりしていますが、内部に照明はありません。
五箇山側からトンネルを抜けて城端側に出たときには、目の前に砺波平野の展望が広がります。
(2022年10月2日調査)
細尾トンネル → 林道袴腰線 → 小瀬峠 → 巡視路 → 谷鞍谷旧道 → 基幹林道 → 小瀬 → 菅沼
細尾トンネルの城端側からは、昭和52年(1977年)に開通した林道袴腰線が始まります。
すぐ「富山の百山 袴腰山」の標柱が見えます。
この林道は5月下旬の日曜日に開催される「袴腰山山開き」に始まり、年間多くの登山者が利用しますが、砂利道で路面はあまりよくありません。旧城端町と旧平村の境界をなす尾根の中腹を削ってつけられています。
この尾根には関西電力の送電鉄塔が並び、右側は山田川源流の深い谷越しにとてもいい眺めです。
途中左手に「袴腰林道の洞窟」と書かれた看板があり、この穴は昔、石灰を焼いた跡だと言われています。
しばらく行くと左の尾根と林道が同じ位の高さ(標高797m)となる鞍部があります。
ここが小瀬峠越えの道の取り付き点です。
以前、小峠を出た古道は急斜面を七回も折り返してここまで登っていましたが、袴腰林道を作る工事で土砂を下に落としたので、古道が埋まってしまい、今では「七曲り」の名前だけが残っています。車は少し手前の路肩に駐車できます。
小瀬峠道は尾根をトラバースする形でつけられ、最初は送電線の巡視路となっていて歩き易く整備されています。
途中で巡視路は左に分岐しますが、見上げると次の送電線鉄塔までは相当の高度差です。
小瀬峠道はまっすぐトラバースを続けますが、灌木が生えて歩きにくいです。
山田川東谷の源流部であり、急峻な沢をいくつか横切りますが、足元がもろく崩れやすい所もあります。
やがて前方にコンクリート造りの建物が見えてきます。峠の旧関電小屋で、風雪に耐えた二階建ての立派なものです。
建設当時、鉄骨はヘリコプターで運びましたが、その他の資材は細尾トンネルの五箇山側からすべて人力で運んだそうです。
林道への下降路と合流すると、ブッシュの道から開放されます。
そこから一登りで小瀬峠(標高730m)に到着します。スギの木立が伸びて見晴しはよくありません。
かつて雨量計小屋や峠の地蔵もあったようですが、今は何もありません。
峠から右手(西)へ小高いピークを越えて進むと袴腰林道に出ます(そこを新小瀬峠と呼ぶ人もいます)。
この道は2000年とやま国体の縦走競技コースとして整備されたものですが、今はススダケが生い茂った道になっています。
小瀬集落への下降路は、送電線巡視路になっている道を南側に下りてしばらく進んで小沢を渡り、谷側に石垣の積まれた下り坂です。古い五万分の一地形図を見ると、ジグザグの道が右手の谷へ下っています。
我々のグループの調査では当初、この旧道への入口が見つからず苦労しました。
地元で小瀬峠越えの旧道を復活させようとしている方の協力で、ようやく昔の道形を見つけ出すことに成功しました。
その後、刈払い機による藪の伐採が行われ、長年廃道となっていた小瀬峠道が令和5年(2023年)秋に歩ける峠道として復活しました。
旧道への下り口は、ピンクテープが縛り付けられた枝が目印です。
長いゆるやかな下りのあと、ジグザグ道となってさらに下って行くと沢の音が近づいてきます。
長年歩く人もなく自然に帰った昔の街道でしたが、藪が茂ってもちゃんと道形が残っていました。
やがて左から小沢が流れてくる所に出ます。ここから沢音を間近に聞きながら標高を下げていきます。
やがて石垣の残る場所にでます。長さ20m位にわたって右側に石を積んで道が崩れないようにしてあります。
昔の人の苦労がしのばれる所です。ここは反対側が巨大な岩壁となっています。
しばらく進むと、また左から小沢が流れ落ちるところで、対岸に渡り踏み跡を進みます。谷が開けて遠くに白山連峰が望まれます。
さらに下っていくと本流の徒渉地点がありますが、水量が少ないので飛び石伝いに渡ることができます。
この先は右岸沿いに踏み跡を辿っていきますが、草が伸びていると歩きにくいです。
このあたりは地形が複雑で沢に下りたり登ったりで、昔の道形を見つけるのは難しいようです。
やがて左の尾根の送電線巡視路に取り付くため対岸に渡るポイントがあります。
踏み跡を慎重に下りきると基幹林道の橋のたもとに出ます。
谷鞍谷の橋を渡ってこの緑資源幹線林道(大山・福光線)は先へ延びていますが、1kmも行かずに行き止まりとなっています。
橋のたもとに駐車可能なのでここに車をデポしておけば便利です。
小瀬までの舗装林道は手入れがされていなくて、両側から灌木が茂っています。
小瀬集落は現在2軒のみです。
小瀬谷は水量が豊富で小水力発電所が川沿いにあります。
合掌造りの羽馬家は富山県の重要文化財に指定されており、以前はユースホステルを営業していました。
藩政時代は塩硝の上煮屋として知られる名家です。
ここから庄川沿いの道までは現在の舗装道路を使って下りていくことになります。
谷鞍谷の橋を渡って谷沿いに下り、最後に庄川との合流点手前で小瀬谷の橋を渡ります。
前方の大きな鉄製吊り橋で庄川を渡った先が世界遺産になっている五箇山合掌造り集落のひとつ、菅沼集落です。
五箇山地方の幹線道路である国道156号線へは菅沼集落を抜けた先で合流できます。
(2023年5月16・25日、6月17日、10月26日調査)
五箇山合掌の里駐車場 → 菅沼橋 → 漆谷 → 下島 → 新屋橋西詰 → 西赤尾八幡社 → 岩瀬家 → 行徳寺 → 段丘上の農地 → タカンボースキー場林道 → 旧道 → 旧国道 → 境川橋→ 小白川口留番所跡 → 小白川バス停 ≪歩行約3時間≫
五箇山合掌の里駐車場から出発します。
駐車場から歩行者用トンネル通路を抜けると、菅沼合掌造り集落に出られます。
庄川に架かる立派な菅沼橋を渡り、小瀬集落からの道と合流します。
ここから庄川左岸沿いに舗装された道を歩くことになります。
菅沼橋のたもとには昔の籠の渡しの説明があります。川に張ったワイヤーの中間に当時の籠の模型が下がっています。
東海北陸自動車道の高架下を通り、やがて漆谷(うるしだに)集落へと入っていきます。
右に念仏道場があり、入口両側には大きなスギの切り株が残っています。
ここへは福井県鯖江市にある万法寺から道場報恩講に来られるそうです。
一向一揆時代の「血染めの名号」が南砺市の指定古文書に指定されています。
隣にある慰霊碑は昭和15年(1940)1月28日に発生した泡雪崩によって亡くなった村民13人の殉難を伝えています。
右手からの臼谷川を渡ると次の集落は下島(したしま)です。
対岸には五箇山インターチェンジの巨大な橋脚が見えています。
道路脇に建つ地蔵堂には弘法大師像が安置され、進んでいくとこの村にも念仏道場があり、さらにその先には市営住宅が並んでいます。この裏手は一段登ると広い河岸段丘となり水田が広がっています。
国道156号線の新屋(あたらしや)橋西詰めを右折して、200mほど先がブナオ峠への県道刀利・西赤尾線の入口です。現在土砂崩れによる通行止めのためゲートが閉まったままです。
草谷川の橋を渡り、西赤尾の集落に入っていきます。
国道を離れ右手に折れて、旧道と思しき細道を少したどると八幡社の境内に出ます。
国道沿いの入口の鳥居の前には穴のあいた石柱が立ててありますが、これは昔、籠の渡しで藤綱を繋いだ石と言われています。
境内から先、岩瀬家、行徳寺へと続く細い道は旧道の名残りということです。
国指定重要文化財(昭和33年)に指定されている岩瀬家は、五箇山では最大の合掌造り家屋です。
隣の行徳寺は赤尾道宗が開いた浄土真宗大谷派の古刹で、境内には赤尾道宗遺徳館があって予約すれば見学できます。
寺の前の国道に面して、藩政時代には西赤尾口留番所がありました。
その街道を南に進むと右側の民家の間に細い道があり、そこに入って小沢を渡って高台の農地へと登っていきます。
段丘上の農地は、ほ場整備が行われたため、昔の旧道は失われています。
近くの舗装された林道を進むと、タカンボースキー場への広い林道に出ます。
その林道を右折して少し歩くと、左手に刈り払われた旧道があらわれます。
幅の広い昔の街道跡が関電の送電線巡視路として利用されています。
小さい沢を渡り、立派な石垣の横を通ります。辺りはスギが植えられて暗い道です。
やがて旧道は崩れて行き止まりとなっており、その手前で左手の急な下り坂に続いています。
プラスチックの階段が設けられた急な道を下りきると、旧国道に出られます。県境の境川まではすぐです。
境川発電所の横に旧国道156号線の境川橋があります。車は1台ずつ通行するようにと看板があり、いかにも古いコンクリート橋です。橋を渡れば岐阜県(飛騨国)です。藩政時代は籠の渡しでした。
岐阜県に入り静かな旧道を進むと、途中に地蔵堂が2ヶ所あります。
庄川の対岸には飛越五橋とともに改修された新しい国道156号線があり、車がひっきりなしに通っていますが、こちらの旧国道は今は車両通行止めとなっています。
日陰の静かな舗装路を進んでいくと小白川口留番所跡に出ます。
小白川集落の中間には蓮光寺があり、小白川橋のたもとに出ると、現国道を走る路線バスのバス停があります。
世界遺産バスを利用すれば、菅沼や城端駅、高岡駅まで戻ることができます。
(2023年7月2日調査)
袴腰林道を小瀬峠の真下まで進んで直接小瀬峠に登ることも可能です。
林道からかなりの急登ですが短時間で峠に出られます。
小瀬峠から小瀬集落への沢沿いの旧道は、あまり整備されていません。
新小瀬峠から舗装された林道袴腰線を歩いて小瀬に下りることもできます。
ただし距離が長く、1時間半ほどの歩行時間を要します(小瀬集落~袴腰山登山口間は雪解け後から夏にかけ車両通行止めのゲート閉鎖)。
この山域には、庄川で発電された電気の送電線鉄塔が数多く建っており、それを管理するための巡視路が作られ、いたる所で分岐しています。
巡視路は毎年1回は確実に整備されるので、歩き易くなっていますが、地形図上には記載されていませんし、現地の分岐点には道標や説明板等は一切ありません。
越中の砺波平野から五箇山を経て飛騨に至る街道は二つありました。
一つは井波・庄川から利賀村を通って岐阜県の飛騨市羽根に抜ける「羽根道」、もう一つは城端から小瀬峠、西赤尾を経て岐阜県の白川村小白川に抜ける「小白川道」です。
神通川沿いの飛騨街道に比べて、庄川からの道は交通量が少なく「間道」と呼ばれたものです。
二つの街道とも庄川水系を遡って飛騨に出る街道ですが、自動車道が開通する前の旧ルートを忠実に辿るとなると、部分的に廃道になっている区間が多く、現地調査がどの程度可能か検討を重ねた結果、「羽根道」は、車道が開通してから古来の道が忘れ去られ、また廃村となった集落も多く、口留番所のあった大勘場より先が通年車両通行止めで、県境部に入ることができないことからあきらめました。
「小白川道」は、砺波平野から五箇山赤尾谷を経て飛騨白川にいたる最短距離の道として利用された道筋です。
五箇山の住民が古くから通っていた歴史のある峠道でもあります。
また、江戸時代には加賀藩が支配し、赤尾谷で集めた塩硝が城端へと運ばれた道の一つです。
藩政時代に越中から飛騨へ抜ける道の一つとして、飛州小白川村間道が古地図に残っています。
城端から二ツ屋を経て、谷間を通って急勾配の坂を一気に小峠に登り、小瀬峠を越えて小瀬・菅沼へ出るルートです。
小峠(標高615m)の近くには、炭焼きをした窯の跡が残っています。
小峠から小瀬峠までの道は、山田川上流東谷の山腹をトラバースしながら高度を上げ、現在の袴腰林道の洞窟(石灰窯跡といわれる)のあたりに繋がっていたと思われます。
小峠の入口、湧き水の出る所に安置されていた不動尊石像は、その後、細尾トンネルのそばに移され、国道304号線の五箇山トンネルが開通した後は梨谷トンネルを抜けた人形山展望駐車場脇に再度移されています(昭和59年8月5日)。
袴腰林道の途中から小峠を目指して急な斜面を下りていくと、広くはっきりした旧道の道形が残っていました(しかし反対に小瀬峠方向にのびる道跡は確認できません)。
小峠に向かって下りていくと、ブナの木があり、左手東谷側はスギの植林地です。
炭焼き窯跡を過ぎるとすぐ小峠です。
峠の大杉から右手の沢に向かって急な下りが続きます。沢沿いの道は藪にはばまれて歩きにくくなっています。
右岸に渡ったり左岸に戻ったりしてどんどん標高を下げると、沢の流量も増えてきて林道跡に出ました。昔はこのあたりまで車で入れたそうです。あとは15分位で細尾峠へ向かう旧道の分岐のコンクリート橋に出ます。
*大正5年陸地測量部発行の五万分一地形図「西赤尾」(現在は「下梨」)には、小峠の地名、上田~小峠~小瀬峠~小瀬の道路が印刷されています。 (調査 2023年12月14日 山が雪に覆われれる直前)
庄川は砺波平野に出る谷口に近い小牧のあたりで両側が絶壁となっていて、川沿いに五箇山へと遡行することは、古来、困難となっていました。「そこで、庄川左岸と砺波平野の間に屏風を立てたように連なる高清水山系の鞍部を求めて越すことになる。逆にいうと、平野から目ざす集落へ直接山越えで入れるというのが、庄川筋五箇山の地形の特徴である。(「平村史・上巻」)」
五箇山から砺波平野へ出るために利用された峠は、上流からブナオ峠、小瀬峠、細尾峠、朴峠・唐木峠、杉尾峠、栃原峠、杉谷峠。このうち古くから最もよく利用されたのが朴峠・唐木峠を越え若杉村を通って城端に出る道でした。
「大体大正期くらいまで、五箇山から砺波平野へ出る場合、どのあたりの人はどの峠を主に越えたか。老人たちに逢うたびに聞取ったものを整理してみると—小瀬峠は菅沼以南の赤尾谷および飛騨白川の村々。朴峠は細島以北の上梨谷、下梨谷、それに小谷の入谷・寿川辺りから南、それに、山の神峠を越えて利賀谷の南半分くらいの村々。—(佐伯安一)」
「明治20年、細尾峠が開かれて、城端から上田村まで馬車で運び、あとはボッカと牛の背中で運べばよいようになった。その後大正年代に庄川沿岸道路開通と発電工事用索道架設、昭和2年の自動車道開通によって、米などを人の背中で運ぶことはなくなった。(「平村史・上巻」)」
「藩政期に五箇山西赤尾・飛騨方面へ通ずる小瀬峠越え往来の道筋にあたり、物資の運搬や通行人の休憩地として大きな役割を果たした。藩政後期には、牛が19頭も飼育されていた。明治初期にこの村から細尾峠へ通じる道が開かれて、五箇山へ通じる道筋の主要拠点となった。昭和2年に細尾トンネルを利用して五箇山へ抜ける自動車道が開通してからは上田を通過する人や荷物の往来が衰退してしまった。(角川日本地名大辞典・富山県)」
戸数は昭和5年(1930年)42戸(最盛期)、同46年(1971年)22戸、同48年(1973年)8戸と次第に町部へ移住する家が増えて、昭和48年に住民が集団移住して翌49年(1974年)には閉村式が行われました。約500年の歴史を有するといわれた二ツ屋村の歴史に幕がおろされたのです。
離村して35年を経過したのを機に記念碑を建立することになり、平成21年(2009年)7月5日に完成除幕式が挙行されました。石碑は二つあり、35戸あった昭和20年頃の集落の地図と集落の歴史、村名が彫り込まれています。また平成27年(2015)には二ツ屋村史「土韻―二ツ屋物語―」が刊行されています。
城端から上田を通り梨谷に出る細尾峠の道は、明治20年(1887年)に開通した新しい峠道です。
大量の製品や原材料が城端町判方商と取引されるようになり、馬が通行できる道となって輸送力は増大しました。
これまでの朴峠道に比べ雪崩の危険の少ない尾根道で、冬期の通行も比較的容易となりました。
昭和2年(1927年)に城端・下梨間に自動車道(八幡道路)が開通した後も、細尾峠を越える物資や人の往来はまだ盛んでしたが、昭和28年(1953年)に国鉄バスが開通するや急速に往来が少なくなりました。
しかし冬期間は自動車が通行できないため、一部に庄川沿いに下って小牧ダムの連絡船の利用もありましたが、多くは細尾峠の徒歩交通に頼らなければならなかったのです。(郵便物交換所の解説板から)
城端から平、上平村への郵便物を背負って隊列を組み、細尾峠を越えて輸送した人々は郵送隊(逓送隊)と呼ばれました。戦前は平村郵便局の人夫二人で片道20キロの山道を城端郵便局まで往復していたそうです。
昭和20年(1945年)からは、平局(下梨)、城端局からそれぞれ午前9時に出発し、中間点の細尾峠で受け渡しをする方式に変更されました。バスの開通により夏期にはバスに託送されましたが、12月から4月までの冬期間は人夫による輸送が続きました。
城端局からの郵便物や小包を背負って細尾峠を往復するのは、上田集落の人々。当時は新聞や雑誌等も郵便で運んでいました。荷物の重さは一人20kgにきめられており、正月前後になると年賀状やお正月用の小包等で郵便量が数倍に増えるので、雪の中を20人位が隊列を組んで運びました。
昭和45年(1970)から小牧ダム・祖山ダムの船便を利用した郵送に切り替えられて、長らく続いた郵送隊は廃止されました。
飛州小白川村間道および西赤尾道(ブナオ峠を越え金沢に通ず)で飛騨国へ往来する商人や通過していく荷物の取り締まりのための番所。
西赤尾町村の南端の街道に柵が設けられ、往来する箇所は六尺ほど開けてあったといいます。
飛騨への荷物は米、塩など、飛騨からの荷物は干し栗や生栗、キハダ、小豆、栃の実など山や畑で穫れたもの、他に木地椀や曲げ物等33品目が記録されています。
国道156号線は富山県高岡市と岐阜市を結ぶ延長222kmの中部横断幹線道路です。庄川沿岸道路の改良工事後、昭和54年(1979年)11月に庄川町小牧と岐阜県白川村間の39.9kmの全線が開通しました。富山・岐阜両県の県境付近には合掌造りをイメージしたスマートな橋が誕生して「飛越峡合掌ライン」と呼ばれる新しい観光ドライブコースとして生まれ変わりました。(「庄川町史・続巻」)
この付近は蛇行する庄川の中心部が県境になっているため、橋を渡るたびに富山県・岐阜県の標識が目まぐるしく変わる所です(県境入組み区間)。約3kmの間に7ヶ所の県境を6本の橋で通過しますが、この6本の橋に富山県側の楮橋を加えた総称を「飛越七橋」と言います。
飛越七橋と呼ばれるのは下流から順に、楮橋107m、火の川原橋120m、宮川原橋128m、小白川道橋126m、成出橋198m、飛越橋149m、合掌大橋440m。
「越中西赤尾村に通じる白川街道の小白川には口留番所が設けられていた。—独立した建物であり、農家の空き家となっていた納屋を仮番所に用いたとされる。—口留番所の主な職務は、国境を出入りする物品から口役銀を徴収し、通行人を改めることであった。」白川村指定史跡(平成26年4月1日指定)
(白川村ホームページより)
行徳寺の祖ともいえる赤尾道宗は、月に一度は井波の瑞泉寺に参ることをこころがけ、長年通い続けたその道は、いつしか「道宗道」と呼び伝えられてきました。
その行程は、西赤尾にある行徳寺と道宗生誕の地と伝えられる新屋の道善寺を起点として、井波の瑞泉寺までの全長約30kmで、ほとんどが尾根筋の山道です。道宗は朝暗いうちに歩き始め、その日のうちに瑞泉寺に着いたと伝えられています。
歴史遺産である古道を復興しようと南砺市内の山岳関係者等有志が「道宗道の会」を結成して、地元で言い伝えられているルートをつなぎあわせて整備を進めました。そして平成21年(2009年)に全区間約30kmの通行が可能となりました。要所要所には木製の道標が設置されています。
道宗が生きた時代とは瑞泉寺のあった場所が異なっており、また道筋自体定まったものではなかったと考えられることから、今回復興されたルートは「平成の道宗道」ともいえるものです。
高清水山系の標高1000m前後の尾根道をたどる「道宗道」は、豊かな自然の中に山城跡などの歴史遺産が点在し、五箇山と砺波平野を結ぶいくつもの峠をつないで行きます。また北アルプスの山並みや砺波平野の散居村風景を楽しみながら歩けます。(以上「古道 道宗道」道宗道の会刊より)
古道「道宗道」を会場にトレイルランの大会が平成25年(2013年)から開催され、「世界遺産五箇山・道宗道トレイルラン大会」として毎年10月に令和元年(2019年)の第6回まで継続されましたが、新型コロナウイルス感染症の影響で中止となってしまいました。ロングコースは行徳寺をスタート、瑞泉寺ゴールの約37kmで競技がおこなわれました。
道宗道の会では、道宗道全長約30kmの全行程を6つに分けて紹介しています。
・行徳寺~小倉山登山口 3.5km:岩瀬家、菅沼合掌集落—素朴な山里の風情を感じる
・小倉山登山口~たいらスキー場 6.1km:白山などの峰々を遠望しながら尾根道を一気に登る
・たいらスキー場~高清水山 6.4km:旧五箇山街道から“南砺市のへそ” そして道宗道の最高地点へ
・高清水山~赤祖父山 4.7km:歴史ロマンを感じながら かつて生活を結んだ道をたどる
・赤祖父山~八乙女山 4.8km:四季折々のブナ林を楽しみ 砺波野の散居村を眺めて進む
・八乙女山~瑞泉寺 3.3km:井波の街並みを眼下に 林道を下り終点・瑞泉寺へ
・世界遺産菅沼集落五箇山民俗館
電話0763-67-3652
無休(年末年始休館)
・世界遺産菅沼集落塩硝の館
電話0763-67-3262 無休(年末年始休館)
・国指定重要文化財岩瀬家
電話0763-67-3338
毎週木曜日定休日
・行徳寺
(参拝の際は要予約)
・行徳寺赤尾道宗遺徳館(要予約)
電話0763-67-3302
冬期(12~3月)休館
・道の駅上平ささら館
明治42年(1909年)6月、白川から五箇山へ入り、小瀬峠を越えて城端へ出た民俗学者の柳田国男は、小瀬峠を「むやみに高い峠なり」といっています(『北国紀行』)。
標高940m、登り口の小瀬で約400m、降り口の上田(二ツ屋)で約300m、それを一挙に登り、一挙に降りるのであるから「むやみに高く」感ずるのはもっともです (「平村史・上巻」)。
また柳田国男は、小瀬峠を越えた時に「峠に裏と表あることを発見して独り喜びに堪へず。表といふのはそちらから通交を求めたことを語るもので、是が経済生活の方向ともいふべきものを示すかと思えば也」と有名な「峠の表裏論」を発見、提唱しています(柳田国男『北国紀行』、『秋風帖』)。
■城端~上田~細尾峠~細尾トンネル~林道袴腰線~小瀬峠~谷鞍谷~小瀬~庄川
城端市街~上田集落跡~
↓ 自動車道 6.5km
城福林道(出発)
↓
細尾峠道登山口(沢分岐)
↓
逓送隊小屋跡 ここまで1.8km 50分
↓
細尾峠
↓
細尾トンネル出口 ここまで1.2km 30分
↓ 1.4km 30分
袴腰林道から取付き点
↓ 0.9km 30分
小瀬峠930m
↓ 2.1km 4時間
谷鞍谷林道
↓ 自動車道
小瀬集落
↓ 自動車道
庄川菅沼橋 ここまで2.2km
■五箇山合掌の里~菅沼橋~漆谷~新屋橋~西赤尾~林道~旧国道~境橋~岐阜県小白川
五箇山合掌の里~菅沼~
↓ 1.7km 45分
漆谷
↓ 1.9km 35分
新屋橋
↓ 0.5km 10分
西赤尾(岩瀬家・行徳寺)
↓ 1.9km 40分
旧国道境川橋
↓ 1km 25分
岐阜県小白川バス停
↓ 国道41号線世界遺産バス
菅沼 or 城端
JR城端線
世界遺産バス
・東海北陸自動車道 福光ICまたは桜ヶ池SIC→城端
・東海北陸自動車道 五箇山IC→西赤尾・小瀬・菅沼または下梨経由で細尾トンネル・林道袴腰線
菅沼 五箇山合掌の里駐車場
西赤尾 岩瀬家前駐車場、道の駅上平ささら館駐車場
富山県教育委員会「富山県歴史の道調査報告書-飛騨街道(その2)五箇山道-」1981.3
二ツ屋村史編集委員会「土韻-二ツ屋物語-」2015.10
平村史編纂委員会「越中五箇山 平村史」上巻、平村発行、1985.5
平村史編纂委員会「越中五箇山 平村史」下巻、平村発行、1983.4
上平村役場編集「上平村誌」上平村役場発行、1982.3
庄川町史編さん委員会「庄川町史」上巻・下巻、庄川町発行、1975.6
庄川町史編さん委員会「庄川町史」続巻、庄川町発行、2002.11
塩照夫「富山県歴史の五街道」 ヨシダ印刷富山営業所、1992.4
平凡社地方資料センター「日本歴史地名体系16巻 富山県の地名」平凡社、1994.7
角川日本地名大辞典編纂委員会「16富山県」角川書店、1979.10
道宗道の会「古道 道宗道」 2010
《担当者》
日本山岳会富山支部
山田信明
《協力》
橋本 英司(元城端山岳会・旧城端町上田出身)
開澤 浩義(城端山岳会・富山県山岳連盟副会長)
酒井 眞照(五箇山自然文化研究会・旅館よしのや)
(敬称略)
《謝辞》
地形図、森林基本図等で世話になった
・国土地理院北陸地方測量部
・富山県農林水産部森林政策課
・中部森林管理局富山森林管理署
・南砺市城端図書館 (城端町基本図)