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22 二口街道 二口峠

二口街道 二口峠

古道を歩く

起点は野尻足軽集落とし、番所跡を見学後に仙台市秋保ビジターセンターまでは車で移動し、ビジターセンターの駐車場から歩く。
二口キャンプ場、小行沢橋、大行沢橋、姉滝、磐司橋(水場)、展望台、白糸の滝入口、ゲート、風ノ洞橋、二口番所跡(境目守屋敷跡)、清水峠、高野集落終点をコースとする。清水峠を主として紹介する。
野尻集落は足軽衆の集落で、藩政時代に農業を営む家は無く、扶持が支給されていた。
街道沿いにはお互いに向き合う形で屋敷が形成され、通行人を監視する軍事上の目的があった。
番所跡には、大きな石碑が建てられている。
足軽組頭の居宅の庭に植えてあった樹齢270年といわれる桜の木がある。オオヤマサクラの突然変異した新種と認定され「秋保足軽紅重」と、場所に因んで命名された。4月中旬には満開となるので、是非楽しみたい。
集落の西端を過ぎたところには、寛政時代などの「山神」の石碑などが立ち並んでいる。

車で移動し、ビジターセンターの駐車場から歩き始める。ビジターセンターでは二口周辺地域の自然などを紹介している。(トイレ、公衆電話あり)
ここからは、しばらく林道を歩くことになるが、歩き始めてすぐに大東岳の登山口の標識が見えてくる。
小行沢橋、大行沢橋を渡ると間もなくキャンプ場がある、バンガローやテントサイト、炊事場などが完備されている。
名取川の本流、二口沢沿いを再びたどると、滝の音が響いてくる。国指定天然記念物となっている姉滝が現れる。高さ16mの瀑布。甌穴(おうけつ)と滝が結合した珍しい形で、昭和9年に天然記念物に指定されたが、昭和20年に崩壊したため当時の面影はない。
右岸手前に「妹滝」があり、「姉妹滝」と総称されている。(仙台観光情報サイトせんだい旅日和から引用)

林道からの入口に「姉滝」の看板がある。林道を隔て反対側の山手には銭山神社、石割桜があり、大岩を貫いている山桜を見ることができる。そばには、天然記念物 「姉滝」の石塔もある。

林道を歩いていくと名勝磐司の看板が見えてくる。後ろを見上げると壮大な磐司岩が見えてくる。

しばらく歩くと二口沢を渡る磐司橋に着く。そこには磐司清水と言われる冷たい水が流れ出ていて、この水を汲みにくる人も多い。
ここで一息入れてから少し進むと、展望台があるので表磐司を見てみよう。
その先で林道は左急カーブとなるが、ここから古道1起点として古道に入る。
大きな岩がごろごろとしている中を歩くと、やがて林道に出る。
またすぐに林道から二口沢に下るように古道2に入っていく。
ここからはしばらく沢沿いに開けた道をたどることになるが、よく見ないとルートを見失いやすい。
小さな沢を渡るような所に、石を積んで土留めなどされているのが数カ所見受けられる。

再び林道に出ると白糸の滝入口の標識に着く。ここは糸岳(1227.5m)に至る白糸の滝コースの登山口となっている。糸岳を登るには二口沢を渡渉しなければならないので注意しよう。
ここを過ぎると白糸ゲートがあり、車の通行止めなどあるが、歩きの場合は通ることができる。

再び林道を歩き古道3起点につき、ここから再び古道歩きとなる。
この部分は林道工事の時に古道部分が埋められたので歩きにくいところがある。
途中、沢を渡る所は注意を要するが、間もなく御境目守屋敷跡に着く。
周辺の土地は山形市の市有林となっており、屋敷跡の二口沢寄りには、翠雲荘という避難小屋があり、登山者に開放されている。

境目守屋敷には前後に門があって、入ると両脇に向かい合って住居があったと記録がある。
そこを進むと二口の名称由来の道しるべ石を見つけることができる。この二口を左へ進む、(右は山伏峠道だが調査困難)

古道の様子が判明しにくいが、急登していくと林道パノラマ展望台に着く。一息入れて、ここからの眺望を楽しんだら、再び古道に取りつく。
展望台から少し下った林道急カーブのところが取りつき点となる。
ここからは、古道の形態が比較的分かりやすく、南斜面をトラバース気味に登る。
ブナ林で歩きやすく、南方面には神室岳から東に延びる山々が眺められる。
しばらく歩くと、二股に分かれている。左は旧来の古道とも思われるが、しばらく進むと行き止まりとなるので注意を要する。
右のルートを進んでいくと林道上部(古道3終点)に着く。
林道を山形県との県境にあるゲートまで歩くと一般登山道の入口となる。
ここからは県境稜線沿いに45分ぐらいで清水峠に着く。

山形側については、高沢から清水峠までのルートを紹介する。
車で、高沢の集落から高瀬川沿いに林道を辿ると、蔵王縦走コース・清水峠登り口と書かれた道標が見えてくる。
ここは車4台ほど駐車できるスペースがある。
ここから古道歩きを開始する。しばらく広い林道を進むと、左斜面から流れ出る「沓掛の水」が現れる。
その後、倒木などが多く道を塞いで歩きにくい箇所を通る。

 

その後、沢歩きのルートとなり、豪雨による土砂崩れなどで道が不明なところがあるが、沢沿いに進めば迷うことはない。
ルート上唯一存在した石塔を発見(962m地点)する。左側面に名前と思われる字「井上」が読み取れる。
間もなく沢が二股に分かれるが、左の方に進むと尾根道となり、古道の趣きとなって歩きやすい山道になっていく。

稜線に近くなり、山形方面の視界が広がってくる。間もなく清水峠に到着。
峠からは稜線上を北上し県境ゲートに出る。

※ルートは林道(舗装)を歩く部分が多いが、いわゆる古道として歩く部分を仮に古道1~4までを任意に設定し手書き地図に記載した。

この古道を歩くにあたって

古道については、ルートから外れないよう地図、GPSなどを利用して確認しながら注意して進むように。
境目守番所跡から展望台までについてもわかりにくい部分があるので注意。

古道を知る

二口越えについて

仙台から山形を結ぶ峠道はおよそ6道ありますが、その最も短い重要なルートがこの二口越え最上街道となります。
仙台から西に向かって名取川沿いに遡るルートで、秋保温泉の奥に入ると二口渓谷があり、北には大東岳や糸岳、南には神室岳に囲まれた峡谷を通り、マタギ伝説の地、名勝磐司岩などがあります。
蔵王国定公園の中にあって、現在は、ハイキングや本格的な登山、そしてキャンプなどでにぎわう市民の憩いの場として親しまれている地域です。
自動車で山形方面まで走行可能な林道があり、新緑や紅葉などで楽しまれ、人気があります。
古の時代、奥羽山脈を跨ぐ重要な交通路としてたくさんの旅人が行き交う道でした。
仙台藩領からは海産物や唐竹などが山形方面へ、山形方面からは上方からの下がり荷の古着や雑貨などが運ばれました。特に沢ぞいを辿るので冷涼な環境ですから、塩釜でとれた海産物などを運ぶのには便利で人気があったのでしょう。
隣の関山街道と笹谷街道とはそれぞれ有機的な使われ方をしており、脇道が5つもあり状況に合わせて利用されていました。
野尻集落には御番所、そして峠下に境目守番所と番所が2か所おかれていました。
その境目守番所から、馬形経由山寺に通じる道を山伏峠、高野から平清水に通じる道を清水峠と言い、二つに分かれることから「二口」の名がついたといわれています。今もその道しるべ石には「右ハ山寺道左ハかうやゑ」と書かれています。
山形側からは、天童市の風間追分で山寺経由山伏峠と高野経由清水峠に分かれます。
(山伏峠は現在通行禁止となっていることからコースの紹介は行っていません)

二口街道の山寺道について

二口街道は、境守二口番所までは名取川沿いの一本の路ですが、二口番所を過ぎるとすぐ追分で、清水峠と山伏峠(現二口峠)への路に分かれます。
番所を出て直ぐに二つの路に分かれる事から二口という言葉が用いられて、元来は清水峠と山伏峠を合せての意味がありました。
しかし、昭和48年に秋保・山寺間に車の通れる林道が開かれました。この道が山伏峠を経由していたことから、いつしか二口峠越えの道と呼ばれて、山伏峠の名称が消えてしまい、山伏峠が二口峠と呼ばれるようになり、旧名称が消えて二口峠と表現されるようになってしまいました。
山寺側も秋保側も、明治6年の秋には古道の工事が落成しており、更に明治7年には海運業が始まり、塩釜で降ろされた山形への荷物が二口を経由する事となり、荷運びもおおいに忙しくなりました。
さて、二つの峠越えの路はそれぞれ大きな違いがあります。
山伏峠路は追分を過ぎてから宮城・山形両県とも沢に沿った路であり、清水峠への路は両県ともに主に尾根に沿って歩かれた路です。この大きな違いが以後の路管理に大きな違いを生み出したと考えられます。
宮城県側も山形県側も路の維持管理に大変な費用負担を強いられる事となり、登山者や山菜や茸取りのための路となってしまった明治15年以後では、修繕費用が大きすぎたのでしょう。
山形県側はついに入山通行禁止となりました。
宮城側は更にもう一つ、車林道工事時の開削土や岩をそのまま押し出して、古道を埋没させてしまった部分が多く出てしまったり、新車道により古道が寸断されてしまい、車道山側が数メートルの土留め壁となり、階段も作られないので通過できなくなってしまったのです。
現在の県境境界では山形県側となっておりますが、以前の県境は、山伏峠(934m)から約450m(標高差約184m)下った標高約750m地点、「二本橅境」と呼ばれている場所に「仙台山寺道終点」という黄色の標識が残っています。
伊達の無理境と云われ、このような地点が他にも数ヶ所みられました。
地元の言い伝えによると、明治初期、この境界付近で遭難があり、山寺側から救助活動が出されなく、宮城側からの救助で事なきを得たとの事。
この事が宮城側主張の因り所となり、又、当時の伊達と最上の力関係も影響してか、県道の終点が決められた、とのお話を野尻集落の二瓶様から伺いました。
山伏峠から二本橅境の標識まで、小さな崩壊が数か所ありますが、完全に流失崩落している部分は1か所です。
路跡は約10m消失しており、急斜面通行の補助にトラロープが1本張られています。
当時この路は、路幅はおよそ3.6mで作られたとみられ、ジグザグ路で急斜面の通過に対応しています。
この境界杭を通過すると、合流する枝沢の流域も広くなる事が影響していると考えられ、路の流失部分が多くなり、残存路跡部分を見つけるのに苦労します。
沢の両側に岩壁部分の露出が多くなり、沢の中を歩くことになります。
滝場を通過する巻き路も、草付きの40度~50度前後の急斜面であり、「弥吉ころばし」の地名が残るように、ロープが欲しくなる部分が少しあります。
千畳敷を過ぎるとやがて標高約540m付近の左岸に「千本桂」が現れ、その向い山側に地上3m位の石碑、「十八夜供養塔」が建っています。
当時の月山や湯殿山・山寺詣での信仰の路でもあった事が推察できます。
標高470m付近まで下ると、左岸側は杉の植林となり、意識して斜面を登ると植林地管理用の林道に出る事ができ、ほぼ平坦な下りで山寺に通じる車道に出られます。
ちなみに、この沢の名称は「大道沢」と呼ばれ、名前の通り、明治15年の関山道開通までは大変活躍した道であったことと理解できます。
★参考資料は後述
(記:髙橋二義)

深掘りスポット

高沢の開山スギ(山形県県指定文化財 天然記念物)

山形市大字高沢の清雲寺の地続きにあるスギの巨樹で、根周り8.5m、地上1.3mの幹囲が6.3m、高さはおよそ25mに達する。地上1.5mの高さで北へ、また2.5mのところから南へ横に大枝を張り出し、その上部はたこ足状に分岐する。
この特異な樹形は日本海側に自生するスギの特性をよくあらわしている。
樹齢710余年と推定されているが、樹勢ますます旺盛で、一樹で森をつくり、神秘性を醸し出している。

由緒書きによれば弘安2年(1279年)、一向上人が同寺を開いたときに杖を立てたのが着根し、生育したものと伝えられ、そのために「開山スギ」の名があるという。また、「さかさスギ」の名は特異な樹形に由来している。
山形県のホームページ(山形の宝)
https://www.pref.yamagata.jp/cgi-bin/yamagata-takara/?m=detail&id=1649

ミニ知識

平家の落人

二口の足軽衆は元来、平家の落人であることを誇りとし、武勇にすぐれていました。
二口街道は泥棒街道と言われましたが、一人として召し捕らわれた者はいませんでした。
特に寛文事件(伊達騒動)には、最上に逃げようとした2人の悪侍を20人の捕り方が大滝不動尊と野尻の間のカナキ沢でもてあましているのを、野尻の足軽がわけなく押さえた。という出来事がありました。(二口谷の民俗から)

峠の慣習

(仙台市博物館 学芸企画室 菅原美咲氏から)
二口街道では、仙台城下の肴町から出荷された五十集物(いさばもの)などが山形へ向けて多く運ばれました。
しかし、山伏峠・清水峠とも険しい山道が続くため、馬での通行ができず、特に積雪が多い冬期の通行は厳しいものでした。そのため、峠の荷物の運搬は人が荷を背負っていました。
仙台藩側では野尻宿から境目守屋敷まで荷継を行います。
その先は、出羽側の馬形村と高野村の人足が境目守屋敷まで荷を迎えに来て、荷継をしました。
通常、江戸時代の荷継は、荷物を受けた宿場の人足が次の宿場まで運びます。
二口街道の荷迎えは、自然条件を反映した峠ならではの慣習と言えるでしょう。
この荷継をめぐっては、峠が低い馬形村経由の方が迅速に荷物を輸送できるため、荷継が馬形村に偏り、高野村の生計が成り立たないとして荷継を高野村にもするように紛争がおきました。
この争いは、依頼主である仙台城下の商人の意向や、荷継に関する三村(馬形・高野・野尻)の意向も絡んで複雑化し、その調停には幕府も関わりました。

日本最初の有料道路

明治5年(1872年)、仙台と山形の交通を活発にしようという動きがあり、 仙台の士族大竹徳治と商人若生儀兵衛が宮城県側から、そして山形県側からは山寺村の馬形組から二口街道改修を県に願い出ました。
大竹らは、工事に要した経費を償却するため、峠を通る人や荷物に対して通行料を徴収することを認められ、明治6年(1873年)に通行料を10年間の期限付きで徴収することが認められました。

まつわる話

古くは、慈覚大師(第3代天台座主の円仁)がこの峠を越えて山寺立石寺を創建したといわれています。
この峠を越す際に、慈覚大師は磐次・磐三郎兄弟に襲われ、教えを諭して、行いを改めさせたという伝説があります。
山立根元記で知られる日光派の狩人の開祖として、北関東、奥羽一円のマタギから崇められる磐司・磐三郎兄弟の生まれ故郷とされる伝説の地です。

ルート

仙台市秋保ビジターセンター(366m)
↓40分 2.1km  ↑30分 2.1km
姉滝(402m)
↓35分 2.2km  ↑30分 2.2km
磐司清水(479m)
↓70分 1.5km  ↑60分 1.5km
糸岳登山口(593m)
↓30分 1.5km  ↑25分 1.5km
古道3起点(700m)
↓40分 0.4km  ↑25分 0.4㎞
御境目二口番所跡(722m)
↓50分 0.5km  ↑30分 0.5km
林道展望台(857m)
↓65分 0.6km  ↑30分 0.6km
上部林道(989m)
↓5分 0.2km  ↑5分 0.2km
県境ゲート(1,000m)
↓45分 1.2km  ↑35分 1.2km
清水峠(1147m)
↓20分 0.7km  ↑30分
沢から尾根道に入る地点(1,045m)
↓15分 0.4km   ↑20分 0.4km
石塔(962m)
↓60分 1.2km  ↑85分 1.2km
清水峠登山口(736m) 車4台駐車可(高沢から)
※清水峠登山口から清水峠までの野堀のタイムは実測で下山のタイムについては予想タイムとした。

アクセス

バス利用の場合

JR仙山線愛子駅より市営バス「二口」行きで約50分、終点で下車
(2020年4月1日のバスダイヤ改正後は、平日の「二口」行きはありません。約2km手前の「野尻町北」バス停での下車となりますのでご注意下さい。)
https://akiusato.jp/kannai/pdf/jikoku_shiei.pdf

車利用の場合

仙台南ICから国道286号線・県道62号線経由で45分、仙台宮城ICからは国道48号線、錦ヶ丘経由で50分。秋保温泉(秋保・里センター)から30分。

参考資料

「仙台領の地誌」初翻刻本、橋浦隆一(発行者)
柴崎徹「宮城の名山」 河北新報社、1995年
三原良吉「二口谷の民俗」宝文堂、昭和58年
高倉淳「仙台領の街道」無明舎、2006年
秋保町史編纂委員会編「秋保町史 本編」昭和51年
加藤榮一「仙台西部宮城と秋保の歴史物語」蕃山房、令和2年
山形県教育委員会編「山形県歴史の道調査報告書 二口街道」昭和56年度

協力・担当者

《執筆者》
日本山岳会 宮城支部
千石 信夫

《協力者》
二口街道ツアーガイド 槻田氏 須藤氏 土合氏
東北大学名誉教授 平川新氏
東北大学災害科学国際研究所准教授 佐藤大介氏
仙台市博物館 学芸員 菅原美咲氏
関山街道フォーラム 事務局長 横山修司氏

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