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登路は湯泊(ゆどまり)林道から旧湯泊歩道を登り、七五岳、烏帽子岳を目指す。
七五岳は湯泊歩道から西に外れて岩の尾根を辿り、岩峰の山頂に祭祀されている石祠に参る。
烏帽子岳は湯泊歩道から北東尾根の岩場を登る。
烏帽子の形をした大岩が山頂で、祠は岩下の間隙に祭祀されている。
その後花之江河、栗生岳を祈願し、宮之浦岳にお供えを奉納し祈願する。
湯泊バス停から車道を東へ約50m、車道を北に進み(以前は湯川の右岸に旧車道があった)、湯泊林道を標高360m迄登ると西へ農道が分岐し、この道を300mほど行くと旧下湯泊歩道の入口があり、これを標高560mまで登ると再び大きく曲がってきた林道に至り中湯泊歩道入口がある。
湯泊林道をそのまま行くと標高500mにゲートがあり、「岳参り」や登山の場合はこのゲートの端を抜けて林道の大屈曲点中湯泊歩道入口に至る。
ゲートに車を止めてそのまま中湯泊歩道入口まで登ると負担がかからない。
過去湯泊林道は上の湯泊歩道入口(標高標高850m)まで車で上っていたが、大雨で林道上部が崩壊し現在は廃道として利用できない。
現在は標高360mの下歩道入口または標高560mの中歩道入口から登山を開始し、急峻な尾根を登ると顕著な烏帽子岳南西尾根上に出る。
昔この地点は中間から上がってきた歩道と合流し、坂迎えの場所であったが、今は中間からの歩道は廃道として使えなくなり、坂迎の場所としての機能も失っている。
尾根を伝いに東方向へ登ると標高850mで林道が尾根を横断し上部湯泊歩道入口に至る。
林道を横断し歩道に入ると爽やかな林が続き、次第に傾斜が増して急峻となり、入口からおよそ3時間で七五岳(1488m)への分岐に至る。
途中標高950mに餅田跡から中間川を渡って直接七五岳の東側鞍部に至る道があったが、現在は荒廃してわからない。
さらに歩を進めると5分での三能山舎跡(1380m)に至り、烏帽子岳の「岳参り」歩道が右に登っている。
花之江河へは三能山舎跡から烏帽子岳、ジンネム高盤岳の西斜面を横断して行く。
ハイノキ、サクラツツジ、ヒサカキ等の灌木が林床を形成し、モミ、ツガ、スギの大木が見事な森を造っている。
この道は登山者も少なく、灌木が茂り、倒木も多く道を外しかねない。
登下降を繰り返していると右の道脇に小さなワレノの岩屋を見る。
岩屋を過ぎると歩道は大きく西へ方向を変え、再び右へ大きく折り返すと白檀峰への踏跡程度の歩道を左に見る。
普段登山者がなく、また最近「岳参り」が行われてないため見過ごしかねない。
その名の通りビャクダン(ビャクシン)の多い露岩の山頂に立つと宮之浦岳をはじめ、屋久島中央部主稜の山々が一望のもとに開ける。
その一角に忘れ去られた「岳参り」の石祠を一基見る。
再び湯泊歩道に戻り、小さな起伏を繰り返し一つの瘤を越えて少々下ると小さな広場がある。
ここがデータロー岩屋の入口で、岩屋は右の谷側にあり登山道からは見えない。
小さな沢を渡ると右の森の中に巨岩が二つあり、この下が岩屋になっている。7〜8人は宿泊可能。
これより次第に高度を上げ、支流をいくつか渡り、高盤岳(1711m)の北側鞍部に出る。高盤岳へはこの鞍部から踏み跡程度の登路を伝って登ることが可能。山頂はトーフ岩と言われる4つに割れた巨岩があたかもトーフを包丁で切ったような形をしていることからこう呼ばれている。
花之江河へは尾根の東斜面を登る。岩場の登りからは背後に高盤岳を望み、さらに岩の混在する尾根を登り、高度を上げると左から栗生歩道が合流し、これより少々下ると花之江河に至る。
七五岳は過去湯泊、中間、栗生の前岳「岳参り」の山で、中間集落、栗生集落は七五岳の西尾根を辿って山頂に、また湯泊集落は湯泊歩道から七五岳分れ、痩せた西岩稜を伝い七五岳に至った。
「岳参り」の祠は昭和30年代山頂西側の鏡岩のテラスにあったが、現在は崩壊して祠の欠片が鏡岩の基部にまとめておかれている。
時に屋久島焼酎「三岳」の小瓶が祭祀され「岳参り」の痕跡を残している。
七五岳北壁は屋久島三大岩壁の一つで、山頂北側は足下高距300mの岩壁からなり、風雨時には要注意。山頂からは宮之浦岳をはじめ国割岳、間近にジンネム高盤岳、烏帽子岳など南西から東側の山々が望まれる。
湯泊歩道から七五岳へは七五岳分れから七五岳の西尾根痩せた岩稜を辿り、鞍部から七五岳の南面を迂回しロープを伝って10mの岩場を登ると鏡岩のテラスに達し祠の祭祀跡に出る。
最近は鞍部から直接山頂に至る歩道が開かれ、北壁の真上を西へ迂回し鏡岩のテラスに至る。
烏帽子岳は湯泊の前岳「岳参り」の山で、七五岳の分岐から5分で三能山舎跡に至り、これより烏帽子岳へ登る「岳参り」歩道が山頂へ通じている。
湯泊歩道から分かれて右の急峻な尾根道を辿ると山頂下で露岩が出てくる。
湯泊歩道の分岐からおよそ30分で烏帽子岩の形をした露岩の山頂に至る。
山頂には烏帽子の形をした巨岩があり、その基部間隙に湯泊集落の「岳参り」石祠が祭祀されている。
山頂からは七五岳の鋭鋒、どっしりとしたジンネム高盤岳(1734m)が間近に眺められる。
・湯泊林道は標高850mの湯泊歩道入口まで車で上っていたが、現在は廃道として利用できない。
・湯泊林道の標高950mに餅田跡から直接七五岳の東側鞍部に至る道があったが、現在は荒廃してわからない。
・三能山舎跡から花之江河への道は登山者も少なく、灌木が茂り、倒木も多く道を外しかねない。
往年の湯泊「岳参り」はその年の願立をする所官2人と、去年の所官2人、合計4人で行われた。
所官は集落の衛生部から一人が選任され、外の一人は区長が選任した。
つまり、集落を代表して集落の豊漁豊作、無病息災などを祈願する人のことを意味する。
女性の赤不浄はその年、黒不浄は3年間所官や「岳参り」に参加することはできなかった。
「岳参り」は秋旧暦9月10日〜11日に年一度行われる。
まず、海水、或いは川の水で体を清め禊をする。出発の日9日の午前7時迄に海岸でお潮井とりを行う。
お潮井は指の大きさほどの小石を7個拾って湯飲み茶わんに入れ、潮水を汲んで瓶に移す。
7個の石はこの後参詣する宮之浦岳、永田岳、栗生岳の三岳、花之江河、白檀峰、烏帽子岳、七五岳の七つの峰を意味し、湯泊の「岳参り」を対象とした七峰を指す。
湯泊の集落は過去の栗生集落と共に屋久島でも特に信仰が厚い。
前日大山祇神社でお籠もりをし、翌日早朝松明をかざして出発する。
明かり取りは時代とともに変わり、後には瓶に石油を詰め、ワラの芯に火を灯して照明にした。
また、服装も明治の頃までは御嶽の神に対面するために羽織袴で正装し謹んで参拝していたと言われている。
「岳参り」は早朝7時に出発し、山口の詣所で参加しない村民の見送りを受け、「岳参り」に参加しない村人は、この山口から遙か奥岳を遙拝した。
登路は旧湯泊歩道を登り、七五岳、烏帽子岳を目指す。
七五岳は湯泊歩道から西に外れて岩の尾根を辿り、岩峰の山頂に祭祀されている石祠に参った。
昭和37年頃は山頂西側の平らな鏡岩前の岩盤の上に山川石製の祠が祭祀されていたが、現在は崩壊して僅かにそのかけらが祭祀されている。
一方、湯泊歩道を挟んで相対する烏帽子岳が聳えている。
湯泊歩道から離れて北東尾根の岩場を登ると烏帽子の形をした山頂の大岩に達する。祠は烏帽子岩下の間隙に祭祀され、風化著しく碑文の存在は解らない。所官はこの二つの山を拝願した後奥岳に向かうが、途中湯泊歩道から外れて中宮的存在の白檀峰の祠に参る。山頂には一基の祠があり、山頂の開けた露岩上からは屋久島中央部の山々三岳が一望に眺められる。参拝後再び湯泊まり歩道に戻り奥岳を目指す。
途中山中での宿泊を余儀なくされた時はシモフリ(現ワレノの岩屋)、白檀峰と七五岳間のワイゴガ岩(現データロー岩屋)で周辺の枯れ木や木の葉を敷き、薪を燃やしながら毛布を被り宿泊した。
その後花之江河、栗生岳を祈願した後、御嶽である宮之浦岳にお供えを奉納し祈願する。
永田岳は宮之浦岳から遙拝することが多いが、時に体力のある所官は永田岳笠石の祠まで足を延ばし参詣した。栗生岳、花之江河、白檀峰、烏帽子岳、七五岳の祠は宮之浦岳の「岳参り」を終えた後、それぞれ参詣していた。
湯泊の「岳参り」は現在も続けられているが、往年の村を挙げての「岳参り」は時代の趨勢に押され、現在では奥岳の宮之浦岳を登ることもなく、一時隔年烏帽子岳、七五岳を交互に参っていた。
現在では 前岳の七五岳、烏帽子岳のみ日帰りで行われている。
「岳参り」を終えた所官は春田牧(ハンダマキ)まで下り、区長、役員、村民の坂迎えを受けた。所官が背負ってきたシャクナゲは村民の神様に、ビャクダン、コーノキは仏壇に挙げ神仏を使い分けた。
所官は下山すると湯泊神社に参拝し、いったん帰宅後ホイドン(神官)の司祭する祭りに参加した。
その後棒踊りや笠踊りなどの余興が続き盛大に慰労会が行われた。
現在では「岳参り」の風習が著しく衰退し、細々と継承されている現状にある。
・烏帽子岳山頂祠:欠損した笠付鹿児島石製祠、風化甚だしく碑文不明。
・白檀峰山頂祠:入母屋型鹿児島石製祠、風化著しい、奉寄進中山大□□(権現か?)
■町立屋久島町歴史民俗資料館
宮之浦川沿いの畔にあります。
屋久島の歴史や民俗をテーマに、出土した縄文式土器や使われていた農具、漁船などの貴重な資料がたくさん展示されています。
屋久島町宮之浦1593
休館日:月曜日
宮之浦大橋から約3分(約300m)
https://www.town.yakushima.kagoshima.jp/cust-facility/18580/
■湯泊「岳参り」歩道(湯泊から花之江河へ)
下湯泊歩道入口
↓50分 ↑40分
中湯泊歩道入口
↓3時間 ↑2時間30分
上湯泊歩道入口
↓2時間30分 ↑1時間40分
七五岳分れ
↓5分 ↑5分
三能山舎跡屋
↓50分 ↑50分→ →
七五岳
↓30分 ↑20分
烏帽子岳
↓1時間30分 ↑1時間20分
ワレノの岩
↓40分 ↑40分
白檀峰分れ
↓1時間 ↑1時間
データロー岩屋
↓1時間 ↑50分
花之江河
■湯泊「岳参り」歩道(湯泊から花之江河へ)
湯泊―ゲートー中歩道入口(車1時間30分)
レンタカー
【「屋久島 岳参り」共通】
・「古事記」「日本書紀」総覧 別冊歴史続本・辞典シリーズ(第二刷)新人物往来社(平成2年4月17日発行)
・「三國名勝圖會」(仏寺・法華宗の權輿)天保14年(1843年)薩摩藩主第27代藩主島津斎興の命で五代秀堯、橋口兼柄等により編纂された。内屋久島関係は巻ノ五十に表されている。
・屋久島大會圖
・益救神社「益救神社由緒記」
・村田煕「種子・屋久・トカラ列島の山岳宗教」(山岳宗教史研究書⑬)
・石飛一吉「屋久島における山岳信仰県の研究」
・山本秀雄「岳参り」(上屋久町楠川を中心として)
・(楠川区長牧実寛メモ)「楠川の岳参り」
・「上屋久町誌」(1984)上屋久町
・屋久島町郷土誌(第一巻〜第四巻・1993〜2007)屋久町
・ウィキペディア検索
仏教 全日本仏教会、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
神道 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
法華宗フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山岳信仰 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
・楠川天満宮「楠川天満宮の由緒」
・久本寺渡辺智弘御住職「渡部智弘論文」
・「屋久島『岳参り』の研究」「国際言語文化研究」第四号(1998)鹿児島純真女子大学
・太田五雄「屋久島の山岳」(1993、再販1997,再販2006)八重岳書房、南方新社
・太田五雄、三橋和己共著「屋久島の神と仏—神社・仏寺・山岳宗教・民俗神」(2020)自費出版
・太田五雄「屋久島総覧—未来への伝言」(2021)自費出版
・太田五雄論文「屋久島の山岳宗教・法華宗「岳参り」」(2023)自費出版
【「屋久島 岳参り」共通】
《執筆者》
太田五雄(日本山岳会 福岡支部)
《協力》
益救神社(宮之浦) 宮司 故大牟田信文 禰宜 大牟田祐
久本寺(宮之浦、法華宗・本門流) 御住職 渡邉智弘 僧侶 渡邉智旭
日本山岳会MCC
(敬称略)