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安房集落の「岳参り」

安房は屋久島第二の町として古来宗教的信仰が厚く、神社、仏閣、民俗神が多く存在する
安房では時代によって「岳参り」対象の山が変遷し、一時の奥岳は宮之浦岳、太忠岳、中島権現岳とされ、前岳は明星岳、前岳、もいよ岳とした。
現在では松峰、春牧、平野が安房から分離したため、太忠岳、中島権現岳、明星岳に参るようになった。
太忠岳班はヤクスギランドから太忠岳を目指し、中島権現岳班は荒川から中島権現岳を、明星岳班は安房川左岸の林道に入り、松峰から明星岳西面を登って山頂に至る。
9月23日(秋分の日)に行われ、所願は早朝浜の砂をクワズイモの葉で包み、藁でくくった「しえ」を造り、安房公民館に参加者が集合し、それぞれの班分けが行われ車で出発する。

古道を歩く

太忠岳「岳参り」歩道

安房奥岳の「岳参り」対象の山はヤクスギランドの奥に聳える太忠岳で、山頂は50mの天柱石と言われる岩塔からなっている。
登山口へはヤクスギランドの遊歩道を辿る。
入口から林泉橋、右へ迂回して荒川橋を渡り、左岸にでると道は二分する。
荒川の左岸を上流へ辿るとほどなく太忠岳の登山口三叉路に着く。
真っ直ぐ行けば花之江河に至るが、太忠岳へは右の急斜面を登る。
小尾根を越えると荒川橋からの道(廃道)が右から合流する。
ヒゲ老人の巨杉を見て谷を横断し尾根を登ると倒木蛇紋杉(平成9年の台風で倒木)に着く。
道はここで二分し左へ行けばヤクスギランド遊歩道の150分コースで、天柱杉、母子杉、三根杉、花之江河(はなのえごう)登山道入口へと続く。
この一帯を小花山と呼び、モミ、ツガ、ヒメシャラ、スギの大木を主とした屋久島中間部の最も素晴らしい樹林帯を形成している。
大きな尾根を捲き、一旦下って支谷を渡り、しゃか杉の巨木を経て左尾根の斜面を辿ると尾根上の天文の森に至る。
天文年間に伐採され、新たに現在の森に更新されたことからこう呼ばれている。モミ、ツガ、スギの大木が随所に見られ、樹間ではシキミ、ハイノキ、サクラツツジ等の灌木が埋めつくしている。
支谷を渡り、開けた尾根を登ると左に支流を見る。上部で尾根筋から外れ、山の斜面を左へ大きく横断すると、石塚山と太忠岳を結ぶ標高1400mの吊尾根上石塚山/太忠岳分れに出る。
左へ行けば花折岳を経て石塚山へ至るが、途中道が荒廃し一般登山者は不可。
太忠岳へは右の痩せた尾根を伝い、ロープを頼りに急斜面を登って尾根を辿ると米粒を立てたような天柱石の岩塔を見る。
「岳参り」の祭祀祠は天柱石の東側から北側へ迂回すると基部に祭祀祠を見る。上の一基は崩壊して原型をとどめていないが、一基は全面を四角にくりぬいた立派な祠を成している。
「岳参り」を無事終え下山すると安房の公民館で坂迎を受け酒宴が開かれる。

中島権現岳「岳参り」歩道

中島権現岳は「屋久島大會圖」の歩道を見ると安房、船行から安房川の左岸を通って中島権現岳の近くで安房川を徒渉し、中島権現岳に参っていた。
現在は安房健康の森公園の東側を始発として安房川右岸の屋久島搬出に利用されていた森林鉄道を登って支流千頭川を渡り、屋久島電工千尋滝発電所、同発電所の寮跡を過ぎるとトンネルを抜ける。すぐ先で右へ入る歩道があり(注意してないとわからない)中島権現岳の西側から北へ登りながら回り込む。
北へ回ると歩道は急峻になり、灌木林を分けて登ると岩稜に出る。あとは鈍頂の岩稜を伝うと数十メートルの屏風を思わせる巨大な岩が立ちはだかり、その下に祠が安置してある。
また、荒川登山口から森林鉄道を下って中島権現岳に行くこともできるがここにもゲートがあり、一般の人は入れなくなっている。
平成18年に行ったときは中島神社と書かれた立派な祠が存在したが、平成23年再度訪れた時には中島神社と書かれた祠は見当たらず、台座と岩の間にはまった角柱があるのみであった。
安房の中島権現岳「岳参り」は下から行くと時間を要するため、荒川入口迄車で上がり、上から参詣することが多い。
*現在は安房健康の森公園森林鉄道発着場所は通常閉鎖され一般には入れなくなっている。

明星岳「岳参り」歩道

明星岳は船行、安房、松峯の岳参りの山で、低山ではあるが山頂部は鋭鋒をなし、安房から特徴ある山容で眺められる。
船行、安房は前浜でお潮井取りの神事や神社の参詣を行うが、松峰は安房から分離して以来海に出るのも遠く、独自の神社も持たないため簡素化して参加者はいきなり公民館に集合して神事を行うことなく山に向かう。
現在は明星岳南面を迂回する安房川左岸の林道を明星岳沢の出合いまで車を利用する。
途中ゲートがあり、許可を取り鍵を借りて入林する必要がある
明星岳沢の左岸に「岳参り」歩道があり、明星岳沢の左岸に沿って緩やかに登って行く。
道脇には松峯に供給する水道管が設えられてあり、しばらくはこの広い道をたどり、やがて広い道から離れて右の歩道に入る。
明星岳は地図を見ても解るように、コンタが詰まり山の斜面は急峻である。
明星岳沢の右俣に沿って登りが続く。高度が増すに従い沢から離れ広い斜面を登るようになる。
小さな支尾根をいくつか越え、大きなヒメシャラの木から左へトラバースしながら急斜面を登ると明星岳と三野岳を繋ぐ尾根上に出る。
ここで船行から来た道と合流するが、船行への道は荒廃して利用には注意を要す。
登山道は方向を南に変え、痩せた尾根を登り、山頂直下では西側灌木の斜面をトラバースし、最後の急斜面に懸かるロープを伝って登ると山頂の南側に出る。山頂へは北へ20mも行けば「岳参り」の御影石でできた立派な祠が祀ってある。
山頂からの展望は素晴らしく、安房の町や太平洋を俯瞰し、すぐ北には三野岳、西側は太忠岳、石塚山山塊、遠く高塚山に続く長大な尾根の山並が広がっている。
集落から持参したお供えを奉納し、集落の安寧を祈願する。
*林道入口にゲートがあり、一般者は入山禁止になっている。集落の「岳参り」は許可されるので、集落の「岳参り」に合わせて参加すること。

古道を知る

安房(あんぼう)は屋久島第二の町として古来宗教的信仰が厚く、神社、仏閣、民俗神が多く存在する。藩政時代には屋久島の聖人と言われた高僧泊如竹を排出、平盛久を祀る神社など、屋久島の歴史、文化から見ても特筆すべき土地柄である。
安房はその昔松峰、春牧、平野を含めた大きな集落であったが、昭和23年に春牧、平野、昭和34年に松峰が分離し、それぞれの行政はそれぞれの集落によって行われるようになった。そのため現在の「岳参り」は安房の「岳参り」を受け継いで安房、松峰、春牧、平野とそれぞれ集落独自の祭祀が行われるようになった。
安房では時代によって「岳参り」対象の山が変遷し、一時奥岳は宮之浦岳、太忠(たちゅう)岳、中島権現岳とされ、前岳は明星岳、前岳、もいよ岳とした。現在では松峰、春牧、平野が安房から分離したため、安房は奥岳を太忠岳、中島権現岳、前岳を明星岳とし、集落に一番近い松峰が明星岳、春牧が前岳、平野がもいよ岳に参るようになった。
安房の「岳参り」は9月23日の秋分の日に、太忠岳班、中島権現岳班、明星岳班、もいよ岳班とそれぞれ代表者所願(所官)を定め、外、参加希望者を募り日帰りで行われた。
本来14歳以上の婦女子は赤不浄として「岳参り」に参加できなかったが、中島権現岳に限って一時女性の参加が許された時期がある。
現在ではこのような風習もなくなり。参加希望者があれば誰でも参加できるようになった。
安房の「岳参り」を歴史的に考えると、藩政時代は「三國名勝圖會」に書かれているように女人禁制であり、太忠岳、中島権現岳の二峰に参っていた。「屋久島大絵図」から推察すると、太忠岳は現在の安房公園線に近いごゆう、すだの峠を通って荒川を渡渉し太忠岳に向かったらしく、到底日帰りは無理で、一泊二日は要した。
また、中島権現岳へは安房川の左岸を登り、安房川本流を渡渉して山頂下の祠に参ったようである。
その後大正12年、屋久島国有林開発の拠点として小杉谷(現楠川分れ)に安房官行斫伐所が開設され、それに伴って屋久杉搬出用森林鉄道が敷設され、伐採も含めて荒川左岸に太忠岳のへ歩道が開かれた。以後「岳参り」は森林鉄道を利用して荒川左岸から太忠岳の北東尾根を登って直接山頂の天柱石直下に至り、北面の祠を参るようになった。
戦後「岳参り」は村の行事として青年団を中心に、村の安泰招福を祈願して行われたもので、主に中島権現岳、明星岳の参詣を対象とし、9月23日の秋分の日に青年団を中心に村の代表者所願をたて、外に一般参加者を募って早朝出発し、目的の山に参詣した後夕方下山して坂迎えを受けた。
その後昭和38年(1963年)に屋久島電工尾立(おたて)ダムが建設され、荒川からの太忠岳歩道は廃道になった。昭和61年現屋久島公園安房線が開発された。
これを機に昭和46年(1971年)ヤクスギランド、太忠岳への歩道も開かれ、容易に太忠岳への「岳参り」が行われるようになった。
一方、中島権現岳は屋久島公園安房線から枝分れした町道荒川線が開かれ、車で縄文杉への登山口である荒川入口まで入り、安房森林鉄道を安房方向へ下り、中島権現岳下のトンネルの手前で左の参道に入り、急峻な斜面を登ると岩峰からなる中島権現岳直下の平らな岩盤に立つ。
頭上には中島権現岳の山頂を成す岩峰が屏風状に広がり、平成18年には基部に祠の台座と中島神社と記された屋根型祭祀祠が二基安置されていた。
平成20年に再度訪れた時には一部祠の台座だけが残され、中島神社と記された祠は風に飛ばされたか周辺を探したが見当たらなかった。
現在の「岳参り」は9月23日(秋分の日)に行われ、所願は早朝浜の砂をクワズイモの葉で包み、藁でくくった「しえ」を造り、安房公民館に参加者が集合し、それぞれの班分けが行われ車で出発する。
太忠岳班はヤクスギランドから太忠岳を目指し、中島権現岳班は荒川から中島権現岳を、明星岳班は安房川左岸の林道に入り、松峰から明星岳西面を登って山頂に至る。
祈願する祠では持参した「しえ」やお供え物を奉納し、集落の安寧願って拝願する。
帰路はシキミ、サカキ、ビャクシンを山の授かりものとして採取し、粟穂神社、泊如竹廟に奉納される。
「岳参り」参加者は公民館で村民の暖かい坂迎えを受け、慰労会が行われる。

安房集落からと淀川入口へのアクセス

安房は明治から昭和にかけて屋久島第二の町、林業の町として発展してきた。
昭和34年(1959年)敷設された安房からの林道は現尾之間「岳参り」歩道の淀川入口(標高1360m)の先まで伸長し、現在観光道路として町道に昇格、昭和46年(1971年)には林野庁の休養林ヤクスギランドを一般に開放し、奥岳太忠岳「岳参り」への歩道も再生された。
現在安房から荒川分れ迄を屋久島公園安房線、縄文杉への荒川入口までを町道荒川線とし、ヤクスギランド、紀元杉観光、宮之浦岳登山の淀川入口までを町道淀川線として、花之江河、栗生岳、宮之浦岳、永田岳の登拝を楽にした。
現在この車道を利用して登拝する集落は宮之浦、原、尾之間、湯泊、中間、栗生で、各集落は高齢化、負荷軽減のため尾之間歩道の上半部を登り、一日にして「岳参り」を可能にし、負荷軽減が図られるようになった。
*淀川入口から花之江河、栗生岳、宮之浦岳、永田岳の登拝は尾之間「岳参り」歩道を参照のこと。

深掘りスポット

「三國名勝圖會」に見られる「岳参り」の記述

神社・神社合祀の項では
中島權現祠 安房村に屬す、村落より西方、四里許にあり、安房川の上流に中島あり、島上に石の小祠あり、因て中島權現といふ、土俗靈地と稱して崇敬す、毎年8月彼岸、男女參詣するもの多し。
山水・天柱石(現太忠岳)の項では
この石は絶高なる故、遥の雲間に見え、かゝる不思議の神石なれば、古より崇め祭りて、立石權現と稱す、毎年八九月の比、土人參詣する者多し、然れども拾四歳以上の女は、禁制なり、實に奇石といふべし、安房川上流四里ぐらいのところに川中島があり、島の上に小さな石祠を建てているので中島権現ともいう。人々は霊地として崇敬し、毎年秋の彼岸に参詣する男女多い。
当時中島権現に至っては女性の参加も認められていたが、太忠岳に至っては14歳以上の婦女子は禁制がとられていたことが伺われる。

祠の碑文

・太忠岳:山頂天柱石下東側に祠二基あり。一基は入母屋型山川石製、享和二年、船行村、町田喜平太。奥の二基目は風化崩壊して台座、屋根部分のみ有り。詳細不明。

・中島権現岳:山頂露岩北側下に二基あり。一基は崩壊して台座のみ。一基は切妻型鹿児島石製、表書き中島神社(平成22年に再調査した時は祠は無くなっていた)。
一部権現様、奉上、八月大神、永野の字が見られた。その他角柱あり。

・明星岳:御影石の家型社内に家型山川石製祠を安置
中央前面;南無一品法壽大権現、左側面;為悦衆生故現無量神力、右側面;諸仏救世者住於大神通。外郭裏面;妙法観世音菩薩、大中原住人一念

ルート

■太忠岳「岳参り」歩道
安房(屋久島公園安房線、町道淀川線)
↓↑
ヤクスギランド
↓1時間30分 ↑1時間10分
天文の森
↓1時間15分 ↑1時間
石塚・太忠岳分れ
↓30分 ↑30分
太忠岳

■中島権現岳「岳参り」歩道
荒川入口
↓20分 ↑20分
中島権現岳参り歩道入口
↓40分 ↑30分
中島権現岳祠

■明星岳「岳参り」歩道
安房屋久島庁舎(安房川左岸林道)
↓1時間 ↑1時間
明星岳入口(明星岳沢)(三野岳/明星岳鞍部)
↓1時間30分 ↑1時間
明星岳
※安房(屋久島公園安房線)―(町道荒川線)―荒川入口―中島権現岳(荒川入口にゲートがあり入山禁止)

アクセス

■太忠岳(標高1497m)「岳参り」歩道
公共バス:安房―ヤクスギランド(標高1020m、一日往復2便)
タクシー、レンタカー

参考資料

【「屋久島 岳参り」共通】
・「古事記」「日本書紀」総覧 別冊歴史続本・辞典シリーズ(第二刷)新人物往来社(平成2年4月17日発行)
・「三國名勝圖會」(仏寺・法華宗の權輿)天保14年(1843年)薩摩藩主第27代藩主島津斎興の命で五代秀堯、橋口兼柄等により編纂された。内屋久島関係は巻ノ五十に表されている。
・屋久島大會圖
・益救神社「益救神社由緒記」
・村田煕「種子・屋久・トカラ列島の山岳宗教」(山岳宗教史研究書⑬)
・石飛一吉「屋久島における山岳信仰県の研究」
・山本秀雄「岳参り」(上屋久町楠川を中心として)
・(楠川区長牧実寛メモ)「楠川の岳参り」
・「上屋久町誌」(1984)上屋久町
・屋久島町郷土誌(第一巻〜第四巻・1993〜2007)屋久町
・ウィキペディア検索
仏教 全日本仏教会、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
神道 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
法華宗フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山岳信仰 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
・楠川天満宮「楠川天満宮の由緒」
・久本寺渡辺智弘御住職「渡部智弘論文」
・「屋久島『岳参り』の研究」「国際言語文化研究」第四号(1998)鹿児島純真女子大学
・太田五雄「屋久島の山岳」(1993、再販1997,再販2006)八重岳書房、南方新社
・太田五雄、三橋和己共著「屋久島の神と仏—神社・仏寺・山岳宗教・民俗神」(2020)自費出版
・太田五雄「屋久島総覧—未来への伝言」(2021)自費出版
・太田五雄論文「屋久島の山岳宗教・法華宗「岳参り」」(2023)自費出版

協力・担当者

【「屋久島 岳参り」共通】
《執筆者》
太田五雄(日本山岳会 福岡支部)
《協力》
益救神社(宮之浦) 宮司 故大牟田信文 禰宜 大牟田祐
久本寺(宮之浦、法華宗・本門流) 御住職 渡邉智弘 僧侶 渡邉智旭
日本山岳会MCC
(敬称略)

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