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10 秋田街道 国見峠
国道46号線にある「道の駅雫石あねっこ」(標高293m)が出発地点です。
道路向いにある「旧秋田街道入口」から坂本川林道を約4km屋敷沢橋を渡る前のところまで進みます。
作業用道路なので乗用車で通行する場合は管理者の盛岡森林管理署(019-663-8001)に申し出てください。
屋敷沢橋脇の登山口(標高388m)の歩き始めは川沿いの細い道なので、赤テープの目印に注意します。
ここには、東北電力鉄塔86番への管理道が分かれていて、道が広い方に引き込まれやすいところです。
最初に小さな沢を1つ越える地点だけは急で狭いですが、そこからはかつて牛馬が通った道幅2~3mでゆるやかな登りが続いています。
高圧線鉄塔管理道が交錯しているところが2箇所あって、よけいな回り道をとりやすいので道幅の歩きよさでルートを選ぶのではなく、地図と磁石を活用し、目印の赤テープを参考にして登ります。
倒木・落石・積雪などの障害がと発生する恐れはありますが、一年を通じて通行可能で、積雪期にはスノーシュー、スキーでの登山に利用されます。
登りきった地点が仙岩峠(標高893m)で、別名的方(まとがた)といい、30cm角×高さ164㎝の秋田藩標石(従是西南秋田領)があります。
ここから稜線部をヒヤ潟(標高835m)までたどりますが、電波反射板設置にともなう工事車両のために簡易舗装された路です。
中間地点には「助け小屋跡」の石標があります。
秋田・盛岡両藩からの運搬物資を相互交換する小屋があったところです。
旧国道の最高地点にあたるヒヤ潟という池畔には、国道貫通記念の巨大石碑が立っています。
なお、舗装道路の跡はあるものの車両通行不可能ですが、荒天候時のエスケープルートとして国見温泉へ避難する、あるいは仙岩トンネル入口に下りるなどで歩いて使うことはできます。
また、国見温泉手前のゲートのある合流地点までタクシーを呼ぶことも可能でしょう。
ヒヤ潟より先の古道は、道幅1m弱の掘割道を1㎞国見峠(標高950m)の盛岡藩境界石標まで至ります。
寸法や文面(従是東北盛岡領)は仙岩峠の秋田藩標石と同等で、対を成していることに感動します。
国見温泉の石塚旅館ならびに森山荘へは、旧国道を歩かずとも笹森山をまいて、一度沢を渡る1時間足らずの近道があります。
国見温泉は秋田駒ヶ岳への登山口になっています。
国見峠の盛岡藩境界標石から秋田藩生保内までの稜線をたどる古道は、刈り払われていないササヤブの道になり、高圧線鉄塔(標高713m)で旧国道46号線に合流して、現在の国道46号線ドライブイン峠の茶屋に下るコースになります。
深い谷間の広がりが印象的。遠く盛岡の市街地が見えます。
近くの貝吹岳の山頂付近に1対のマイクロ波反射板があるのが目立っています。
雪渓、残雪、新緑、紅葉といずれの時期でのハイキングも可能なので、秘湯国見温泉への宿泊、秋田駒ケ岳を目的とする観光登山には最適です。
また、周囲の植生は、スギ、マツ、ブナの混交林。年代を経た巨木も観察されます。
メインコース(岩手県側)に危険箇所はほとんどありません。
高圧線鉄塔管理道と交錯しているところで、間違わないようにしてください(2箇所)。
なお、このコースは、往復する、あるいは通り抜けたあと出発点に戻る必要があります。
秋田街道は盛岡城下から雫石(しずくいし)村(現雫石町)を経て国見峠を越え、秋田藩領の生保内(田沢湖町)から角館方面に至る街道です。
古代から利用されていた道で、雫石に居城があり後に角館の領主となった戸沢氏や南部氏が出羽進撃の際にも利用していたと考えられています。
江戸時代、盛岡城が南部氏の居城となってからは、盛岡と秋田を結ぶ最短の道として盛んに利用されました。
日本海を利用する西回り航路で土崎湊(秋田湊)に陸揚げされた物資は、秋田街道経由で盛岡に運ばれました。
宝暦年間に野辺地湊が開港し奥州街道からの輸送が可能になっても、盛岡の近江商人は秋田街道を利用した陸送が距離も近いとして使い続けたそうです(『秋田街道』岩手県「歴史の道」調査報告)。
秋田街道と呼ばれるのは明治になってからで、盛岡藩では「雫石街道」、雫石では「秋田往来」、秋田藩(久保田藩)では「生保内街道」「南部街道」などと呼ばれていました。
江戸藩政時代には盛岡藩橋場と秋田久保田藩生保内にそれぞれ関所が設けられ、両藩の最短路として往来がなされましたが、しばしば領界の争いがあり寛永10年(1633年)幕府裁定で峠に境塚が設けられたといいます。
明治8年(1875年)に国見峠の県道の改修工事が行われ、これまでの道筋とは異なる馬車による通行が可能な緩斜面の道路が完成しました。
国見峠から北西へ約2.5km離れたところにある仙岩峠(当時は的方(まとかた))を越える路です。
現在は江戸時代以前の路のとくに山岳部の痕跡をたどることは難しい状態で、現存の古道の大半がこの明治期のものです。
昭和期は旧国道46号線による2車線の国見峠越えルートが新設され「南八幡平パークライン」と名付けられました。
待望の自動車道路貫通でしたが、積雪期は通行止めとなる不便がありました。
現在は廃道であり車両の通行はできません。
昭和40年以降は、全長2.5㎞の仙岩トンネンルをはじめとする隧道と鉄橋が連なる新国道が開通し、両県間の交通の最も重要な道になっています。
いまでも国見峠越えは、本州屈指の豪雪地を通過する難所といえましょう。
岩手県雫石町橋場に関所遺跡があり、江戸藩政時代に峠越えの街道ができたとされています。
境界を越えて自由に峠を往来したわけではなく、むしろ戊辰戦争に代表されるように侵略する、防御する、の最前線であったことが記録されています。
前九年合戦(1051年〜1062年)において、出羽の有力な豪族であった清原武則や源八幡太郎義家が山岳路を通って安倍氏討伐に向かったいう伝説もありますが詳細は不明です。
温泉施設「あねっこの湯」(道の駅内)
https://www.anekko.co.jp/onsen
(館内に旧街道を図解入りで説明しています)
雫石地域では年頃の娘を「あねっこ」と呼んでいます。
麦藁編み笠と絣の半纏、黄色の帯が特徴の野良着姿の女性です。
岩手県側仙岩峠まで登り2時間半(坂本川林道を歩けばさらに1時間)と稜線部歩き1時間
ヒヤ潟から旧国道46号線を峠の茶屋まで2時間(車両は通行できない)
または国見峠からの稜線を秋田県側に下れば(ササヤブなので)3時間の見当
国見峠から国見温泉駐車場までの近道1時間
ヒヤ潟から旧国道(廃道)をたどって現在の国道46号線仙岩トンネル入口まで2時間
出発点:岩手県雫石町橋場 国道46号線 道の駅「雫石あねっこ」
終着点:秋田県仙北市生保内 国道46号線 ドライブイン峠の茶屋
JR田沢湖線および岩手県交通バスは 盛岡~雫石
阿部陽子「岩手の山150」ツーワンライフ出版、2011
岩手県教育委員会『秋田街道』岩手県「歴史の道」調査報告
【担当】
岩手支部
中屋重直(原稿執筆)