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109 国東半島 祈りと修行の道
宇佐神宮から大尾神社を参拝し、林道経由の後、山道を登ると、御許山頂に至る。ここまでの道は概ね、歩きやすい。
山頂には大元神社があり、真の山頂は神域のため、立入り禁止である。
六郷満山峯入りは、大元神社に行者たちが集まり、「護摩の儀式」を行うことから始まるという。
御許山東の駐車場から山道をたどると、金丸地区に至るが、道はきわめて分かりにくい。
なお、六郷満山31霊場のうち、宇佐神宮は第1番、宇佐宮弥勒寺は第2番である。
宇佐神宮駐車場から、参道の「仲見世通り」を通って境内に入ると巨大な鳥居が待ち構える。
寄藻川に架かる神橋を渡り、再び大きな鳥居をくぐり、すぐ左側の「大尾山参道」の石柱のある馬場道を左に入れば良いのだが、ここは、時間が許す限り、まっすぐ進んで上宮と下宮に参拝しよう。
本殿は、標高約40mの小椋山(おぐらやま)の山頂に建つ。朱色の八幡造という瀟洒な建物で、国宝に指定されている。令和5年11月現在、修理中で覆いがかけられている。(令和7年3月末に完成予定)
本殿の参拝が終わったら、時間があれば、下宮や弥勒寺跡なども見学すると、宇佐神宮や神仏習合の歴史に触れることができる。広大な神域内には、他にも、ご霊水や呉橋など見所が多い。
「大尾山参道」に戻り、真っ直ぐ東に進み、巨大な石灯籠の間を通って階段を登ると「和気公の碑」がある。
和気清麻呂を顕彰するため、大正4年(1915年)に建てられた記念碑で、日露戦争連合艦隊司令長官東郷平八郎元帥の揮毫になるものである。
ここを左に曲がって登って行くと、八幡大神をご祭神とする「大尾神社」がある。
本殿入口に鍵がかけられているが、中に入ることができるので、参拝する。なお、「大尾山参道」は、例年8月1日、御神幸祭の中日に行われる流鏑馬神事の会場として使用されている。
大尾神社から南東に向かって森の中に入る。森はすぐ終わり、左側に広大なカボス果樹園が造成されているのを望みながら進むと、工事中(令和5年11月現在)の現場の中に入るが、公道が通じているのでそのまま進んで良い。
この辺りは、工事のため、木が伐採されていることもあって、見晴らしが良い。
工事現場から御許山(おもとさん)林道に入ると、歩きやすく、平坦な舗装道がしばらく続く。
大分県教育委員会の資料では、山道をたどる箇所もあるが、歩きやすい林道を歩いて差し支えないだろう。
やがて、右手に「鳴川へ」と書かれた標識が掲示されているので、その先から左に入ると本格的な山道になる。
斜面をトラバ―ス気味に南南東に向かって登って行くと、ガードレールが見え、大きな「大元(おおもと)神社登山口」の案内板が立つ。
ここから、概ね、なだらかな山道をたどり、登って行くと、標高480m付近で右手に展望が広がり、次いで明治初期の廃仏毀釈の時代に首を切られたという「首なし地蔵」、さらにかつての隆盛の跡をとどめる「御許六坊跡」を経由して社務所の横を通過する。
ここから階段を一登りすると、大元神社社殿が建つ山頂に到着する。山頂自体がご神体のため、神社には本殿はなく、拝殿のみとなっている。また、神域のため山頂に立つことはできない。付近は、いかにも奥宮らしい荘厳な雰囲気が漂っている。
参拝が終わったら、いったん戻って、東に向けて林道を下ると、10分ほどで駐車場に着く。
金丸へは、この駐車場の北東の樹がまばらなところから入る。
テープが目につくが、稜線方向に向けて張られたテープなので、テープ沿いには行かず、池の東の縁を進むと、微かに踏み跡らしいものがあるのでそこをたどるが、極めて分かりにくい。
沢を下り、概ね標高340m付近で等高線に沿って進むと、やがて、はっきりした道に出る。
この明瞭な山道は上下2段となっているが、やがて合流する。
そのまま、道なりに歩いて、東に回り込むと、305m地点に到達する。
そこからは北に向かって進み、295mのピークを過ぎたら、地図に書かれた金丸地区への林道を目指して東側の沢へ降りる。下降点の目印はなく、踏み跡も見当たらないが、特に歩きにくくはない。ここも迷いやすいところである。
しばらく降りていくと、林道らしきものが目に入るが、付近は昔の段々畑の跡のため、どれが林道か畑なのか今一つ分かりにくい。
やがて、道もはっきりするので、降りていくとT字路にぶつかる。ここは、左右どちらに行っても金丸に出るが、左側に向かい、掲示板の指示通りに進むと、「龍神様」や「マブの口」(後述)を見学することができる。
金丸集落に降りたら、大徳寺の裏手にある大分県指定文化財の宝篋印塔を見学すると良い。梵字が朱色に塗られているのが珍しいとのことである。
宇佐神宮から大元神社までは、概ね歩きやすく、踏み跡もある。多少、浮石や落ち葉があるので、下りは要注意である。迷いやすいところは少ない。
大元神社から金丸地区までは、案内板・テープとも皆無で極めて分かりにくく、しっかりした装備と地形図、コンパス、GPSは必携である。なお、稜線沿いのルートは歩きやすくテープも散見される。
宇佐神宮から金丸まで、岩場など特に危険な箇所はない。
トイレは、宇佐神宮と大元神社にある。水場は宇佐神宮にあるが、途中にはなく、自動販売機もない。
駐車場は、宇佐神宮に何か所かあり、数百台分確保されている。
大元神社の300m東に駐車場があるが、そこに至る林道が、相当に荒れていて、令和5年11月現在、軽のRV以外はお勧めできない状況である。
大元神社に参拝するだけなら南側の正覚寺登山口から文化庁歴史の道百選のコースを40分ほど歩けば良い。道も良く整備されている。登山口には駐車場もある。
金丸地区に専用の駐車場はない。路肩の空き地など停めて支障のないところに駐車するか、民家の承諾を得るしかない。
宇佐神宮は、全国40600社余りの八幡神社の総本宮であり、欽明天皇32年(571年)、八幡大神(応神天皇のご神霊)が宇佐の地にご示顕になったことに由来し、神亀2年(725年)、宇佐神宮が創建された。一之御殿に「八幡大神」、二之御殿に「比売大神」、三之御殿に「神功皇后」をご祭神として祀る。本殿は国宝で、他に下宮、呉橋など見所が多い。
また、10年に1度、臨時奉弊祭(勅祭)が斎行され、天皇から勅使が遣わされる。
称徳天皇の信任を得た弓削道鏡が天皇の位を窺い「道鏡が皇位につくべし」との宇佐神宮の神託を得たと主張したため、あらためて宇佐神宮の神託を聞くため、和気清麻呂が宇佐神宮へ派遣された「宇佐八幡宮神託事件」は奈良時代の大事件である。
神護景雲3年(769年)、清麻呂は「無道の人(道鏡)は除くべし。」との宇佐神宮の神託を得て朝廷に持ち帰ったため、道鏡の怒りをかい、大隅の国に流されたが、翌年、道鏡の失脚により、都に帰ることができた。
「宇佐八幡弥勒寺建立縁起」によると、八幡大神が初めて姿を現した場所が大元神社であるとされている。かつては、霊山寺をはじめとする御許六坊と呼ばれる6つの坊寺が置かれ、隆盛を極めた。
山自体が本殿で、3つの巨石がご神体として祀られており、拝殿のみがある。山頂は神域として立入り禁止である。宇佐神宮の「奥宮」としての霊地となっている。
宇佐神宮の資料によると、神亀2(725年)に建立され、天平10年(738年)、現在の地に金堂・講堂が建立された。以後、弥勒寺は、全国で最も初期に成立した神宮寺の一つとして、また神仏習合の代表的寺院として発展し、広大な荘園を有していたが、次第に衰退し、明治元年(1868年)、明治政府の神仏分離令によりその歴史に幕を閉じた。現在は、「弥勒寺跡地」に礎石を残すのみである。
なお、弥勒寺金堂に置かれていた薬師如来(鎌倉時代後半の作)は、幸い近くの大善寺に移されたが、威厳に満ちた姿をされており、大分県重要文化財に指定されている。
慶応4年(1868年)1月、長州藩は佐田軍を攻めるため、宇佐の地に進軍し、その戦乱の中で御許六坊は焼失し、同年の神仏分離令とも相まって、御許六坊は再建されることはなかった。(御許山騒動)
宇佐神宮の上宮・下宮の参道周辺は、イチイガシやクスなどの常用広葉樹林が繁茂し、学術上の価値が高く、宇佐神宮社叢として、国の天然記念物に指定されている。
宇佐神宮本殿前と大元神社境内にご神木がある。
宇佐神宮の参道から外れたところに、霊水があり、八幡大神がご顕現になった場所と伝えられている。水量豊富だが、飲用不適と掲示されている。
また、大元神社の拝殿の左手少し下がったところにもご霊水がある。水量は僅かである。
古道から少し外れたところ(標高221mの前山山頂付近)にある。明治8年(1875年)、地元の方が私財を投じて開削し、東の金丸から西の日足を結んでいた(旭越)が、国道10号線の開通により、使われなくなったようである。マブとは、間歩のことで、坑道という意味であろう。昔の道路事情を伝える遺構である。
剣豪宮本武蔵が開いた兵法「二天一流」の第9代宗家は、昭和42年(1967年)宇佐の地に相伝された。そのことを記念して、宇佐神宮の地に石碑が建てられている。また、武蔵の手になる「赤樫の木刀」も宇佐神宮に保存されている。
国宝孔雀文磐など、宇佐神宮の宝物を展示する。
宇佐神宮境内 0978-37-0001
大分県の歴史と文化を紹介する。宇佐神宮から3km
宇佐市大字高森字京塚 0978-37-2100
宇佐地域の戦争資料を中心に展示
宇佐市大字閤440番地の5 0978-33-1338 宇佐神宮から4km
大分県が生んだ大横綱双葉山の資料等を展示
宇佐市大字下庄269 0978-33-5255 宇佐神宮から12.5km
宇佐神宮では、年間150近くの祭事を行い、皇室と国家の繁栄、豊作や穢れの祓いなどを祈念している。
大元神社の例祭は、例年4月29日に開かれ、多くの参拝者で賑わう。大元神社は、近年、パワースポットとして知られ、参拝者が増加している。
宇佐地域では、昭和14年(1939年)、宇佐海軍航空隊が開設され、昭和20年(1945年)には特別攻撃隊の基地となり、多くの航空隊関係者が命を落とした。宇佐地域も米軍の空襲をめぐり、激しい戦闘が繰り広げられた。
宇佐平野には今も掩体壕、爆弾池、海軍航空隊関連施設などの戦争遺構が残され、宇佐市平和資料館では多数の戦争資料を展示し、平和の大切さを学ぶ場となっている。
いわゆる「邪馬台国論争」の中で、作家の高木彬光氏(「邪馬台国の秘密」)や大分大学名誉教授の富来隆氏(「『邪馬台国』女王国」など)などが、邪馬台国 宇佐説を唱え、また、宇佐神宮比売大神が卑弥呼であり、宇佐神宮こそ卑弥呼の墓である、との説が唱えられている。1980年前後の地域おこし全盛時には、宇佐市を中心に新邪馬台国建国宣言など、邪馬台国にまつわるユニークな事業が展開され、全国的な話題となった。
宇佐神宮駐車場
↓ 10分 0.4km
宇佐神宮馬場(大尾山参道)
↓ 20分 0.55km
大尾神社
↓ 80分 4km
林道から山道に入る分岐
↓ 10分 0.3km
登山道入口の掲示
↓ 80分 1.6km
御許六坊跡
↓ 10分 0.3km
御許山山頂 大元神社
↓ 10分 0.3km
御許山駐車場
↓ 125分 2.3km
標高305m地点
↓ 15分 0.6km
金丸下降点
↓ 50分 1.2km
金丸集落
移動距離 11.6km、約6時間50分
※御許山まで宇佐神宮から登り3時間30分、下り2時間20分(参拝時間含まず)
大分空港から車で1時間
JR宇佐駅から車で10分
宇佐ICから車で15分
駐車場 370台以上
宇佐神宮から徒歩3時間
正覚寺登山口から徒歩40分
山頂直下東側駐車場から徒歩10分
駐車場は西屋敷から入るが、相当な悪路で、令和5年現在、軽のRV以外は通行困難な状況である。
「歴史の道 調査報告書 峯入りの道」大分県文化財調査報告書、第五十四輯、大分県教育委員会、昭和56年3月
飯沼賢司「中・近世の六郷満山寺院と峯入り」別府大学アジア歴史文化研究所報、第18号、2000年
「聖なる霊場・六郷満山」 大分県立歴史博物館、2018年4月20日
「大分の歴史 第2巻 宇佐八幡と石仏」大分合同新聞社、昭和52年4月15日
《その他(ネット関係等)》
宇佐国東半島を巡る会HP
国東半島宇佐地域・六郷満山誘客推進協議会HP
国東半島峯道ロングトレイルHP
宇佐神宮HP
日本の街道地図 街道名 峯入りの道 街道番号 大分 07-01A 森塚喜郎氏
宇佐市HP
国指定文化財等データベース 文化庁
日本遺産ポータルサイト、ストーリー#066鬼が仏になった里 くにさき、文化庁
文化庁選定「歴史の道百選 111」六郷満山峯入りの道
「国東半島宇佐地域世界農業遺産」国東半島宇佐地域世界農業遺産推進協議会
日本山岳会東九州支部
佐藤裕之