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109 国東半島 祈りと修行の道
両子寺は、国東半島の中心に位置する両子山の中腹にあり、杵築藩の厚い保護のもとに江戸時代、六郷満山の中心的存在をなしていました。
今回の調査の最終ルート地点です。
瑠璃光寺から両子寺までのルートは、県道富清掛樋線 651 号さらに県道両子山武蔵線 55 号を北北西方向に登り詰めます。
大部分が舗装道路です。
途中には、郷土が生んだ三浦梅園先生旧宅「国指定史跡」や、それをたたえる資料館、梅園家のお墓などがあり、往時を窺い知ることができます。
県道富清掛樋線651号、安岐町糸永地区(水準点105の位置)を、両子寺方面へ向かって左折する。
すぐに両子川に掛かる橋に差し当たる。
橋を渡りまもなく瑠璃光寺への案内看板がある。看板に導かれ瑠璃光寺に到着。拝観料300円。
瑠璃光寺にはユニークな住職がおり、住職の講話を聴くことができる。
この寺は、六郷満山末山末寺で、養老2年(718年)仁聞菩薩が開祖したと伝えられているが、足利尊氏が建武3年(1336年)、祈祷所として中興し隆盛を極めた。立像阿弥陀如来像は県指定有形文化財11世紀前半ごろの作と推定されている。
その他にも沢山の仏像があり、市指定有形文化財となっている。
境内は、桜や石楠花の花々に囲まれている。
瑠璃光寺からは、両子川の右岸添いを歩く。
道幅は狭く単線である。車も少なく静かな散歩道という感じ。
沿道の両脇には桜の木が植えられ、なかなか趣のある道である。
桜のアーケードが終わると間もなく柚ノ木橋である。
柚ノ木橋から県道富清掛樋線655号を横断すると、臨済宗東福寺派桂徳寺の二層式山門が出迎えてくれる。
境内奥には町指定の立派な宝篋印塔がある。
さらに進むと、右手に八坂神社がある。仁王像はふくよかで、愛嬌のあるお姿である。
その先には、光蓮寺、八坂神社(祇園社)がある。
旧国東市立西武蔵小学校跡は、現在は七島藺学舎になっている。
三浦梅園旧宅へは、両子川(右岸)河川管理道を 400mほど遡ってつきあたった市道を左方向に進む。
正面に三浦梅園資料館が見える。
資料館(入館料200円)、三浦梅園旧宅、梅園先生家のお墓などがある。三浦梅園旧宅は昭和34年、国指定史跡になっている。
両子寺右岸を遡って約400m、安岐町富永の集落道を北北西に進むと、西福寺到着。
西福寺は無住であるが、県指定有形文化財がある。
西福寺から道なりに約1.0km、さらに両子川右岸集落道遡ると、県道両子山武蔵線55号に交わる。
少し登ると右手に歳神社の鳥居が見える。鳥居に掛かる扁額には、歳大明神(六所大権現)と書かれ、鳥居の手前には、仁王像がいかつい顔をして境内を守っている。
ここから両子山(仁王像)までの約1時間半は、ほぼ直線のアスファルト舗装の県道をひたすら進む。正面に見える両子山を目指すが、なかなか両子山は近づいて来ない。長く歩く。
ようやく両子大橋(高架橋)が見えてきて、両子大橋(高架橋)下をくぐり、少し行くと、大型の道路標識が見える。左に行けば豊後高田、右に行けば国東赤根である。直進(両子寺)し、さらに先にある標識によると、
両子寺まで0.6kmとある。
坂道はコンクリ-ト舗装の参道に代わる。
歩いた先には高欄朱塗りの太鼓橋(無明橋)が現れる。
いよいよ、「峯入りの道」の最終到着地点である。
仁王像背面から階段が山門まで続き、山門より先は傾斜となり、石畳となって境内まで続く。
足曳山両子寺は、修行の中心地(中山本寺)である。
護摩堂は修行の道場。大聖不動明王は鎌倉期の作。
護摩堂の左の道を進むと、平成3年に再建された大講堂がある。安置された阿弥陀如来(県指定有形文化財)は木造で、鎌倉時代末期から南北朝時代の作とされる。
大講堂の先には大きな鳥居があり、その奥に奥の院がある。
奥の院には千手観音菩薩、宇佐八幡神、男女双子の天童子、両所大権現が祀られている。
石造仁王は全国に分布しているものの、その数は大分県が圧倒的に多く、中でも国東半島には、130を越える仁王が確認されている。
寺域や仏像、神社の守護を目的として造られた仁王は、鎌倉時代から造られ始め、安土桃山時代に最盛期を迎える。
しかし、江戸時代の後半になると仁王は村全体、個人の信仰の対象として造立、奉納されることが多くなる。
両子寺の仁王は大型で容相もいかめしく、天衣や裳の表現にもすぐれている。
阿形像左手の持つ金剛杵は肩上に構え、右手は腰の位置で挙にする。
吽形像右手は肩下掌を前に開き、左手は腰をやや突き出し、胸骨や筋肉の表現には力強さが感じられ、国東半島を代表する仁王像である。
銘はなく、寺の伝えによると文化10年(1814年)の作といわれ、総高247cm(阿形・吽形)、像高230cm(阿形・吽形)石材は角閃安山岩である。 (安岐町教育委員会)
結願は仏教用語で「けちがん」と読み、予め日数を決めて行う法会や修行、願掛けなどの予定日が終了、または修行がおわることである。
両子寺は、「峯入り」の結願の寺であり、熊野磨崖仏の前で開闢法要し、険しい山を歩いて人々に加持をしながらやってきた修験者は、最後にここにやってくるのである。
道の大部分は、県道(アスファルト舗装)で初心者でも迷うようなコースではありません。
道路横断の際、車両に注意して下さい。
六郷満山の僧侶が、昔、仁聞が修行した当初の霊場巡りをして修行することを峯入りという。
この峯入り行事は仁聞を学び、仁聞の位置に到達しようとする修行で、六郷満山の僧侶たるものは、一度はこの修行をしなければならないとされている。
この難行苦行を修了してこそ、初めて六郷山寺院の住職たる資格ができると考えられていたほど、非常に厳格で、規律正しいものである。
夜は寺の堂内に休むところもあるが、山籠といって岩窟の中で夜を過ごすところもある。
山籠の時は食物をとらない。寺の堂内での宿泊時には、その地方の信徒から食物材料のお供えがある。
その供物を一行の僧侶が料理して食べる。ある寺から次の寺に行く時は、その寺の付近の信徒の元気なものが、一行の僧侶の数だけ出てビクニ(肩車)に乗せて、次の寺まで供奉して行く。先達だけは錫杖を持って草鞋姿で徒歩で歩く。
一行の行者が一列に行儀を正して不動の真言を唱えながら行くと、通過する村の人々は、老幼男女ともその路傍に出て拝むのである。
行者を肩車に乗せた供奉者は、次の目的地の寺に着くと、暇を告げて帰る。
これはまったくの奉仕で、このことを一生の誇りとしているのである。
別れに臨んで、それからの供奉者は、あらかじめ新調して持参した草鞋をその行者に献じ、その行者が今まではいていた草鞋を戴いて帰るのを、唯一の光栄とするものである。
峯入りの行事は、概ねは春である。(河野清実氏、『国東半島史』による)
六郷山は時代と共に衰退の一途たどり、いつしか峯入り行事も行われなくなくなった。
しかし、戦国時代の乱世を過ぎてから、全国的な復興思想の影響もあって、六郷山も復旧のきざしがみえはじめ、資料によると江戸時代の中期頃から、峯入行事が復活している。
年代順に示すと次のようである。
寛延3年(1750年)
宝暦9年(1759年)
安永8年(1779年)
寛政11年(1799年)
文化14年(1817年)
天保8年(1837年)
嘉永6年(1853年)
明治に入って再びすたれた。峯入りの資料はあり、峯入りの史跡は残ってはいるが、一千年間にわたって伝えられた意義深いこの修業が、永久的に亡び去ることは、まことに遺憾に思われていた。
ところが昭和の時代、観光開発や文化財保護が強く叫ばれる中に、関係者の間にこの復活が計画され、昭和34年3月に復活を見た。
嘉永6年を最後に中絶していた峯入り行事が、106年ぶりに復活実施されたのである。4泊5日で185ヶ所の霊場を巡拝しながら、昔ながらの荒行が行われた。
六郷満山中最古の寺で、本尊の薬師如来、両脇の阿弥陀如来、釈迦如来はいずれも平安中~後期の作と伝えられています。
中でも阿弥陀如来は貴重で、重要文化財に指定されています。
他にも地獄極楽の曼荼羅など多くの文化財があります。
住職の楽しい講話が大変話題を呼び、ツアー客が訪れる寺。
境内にあるサルスベリは樹齢600年と言われ、赤やピンク、白い花が夏の間中、鮮やかな色で咲き続ける。
(国東市観光協会HPより)
史跡指定範囲は 5,420m²に及び、旧宅や土蔵などが建つ屋敷地、塾跡、墓所、参道からなる。平成14年~18年度にかけて建物の修理、発掘調査、墓所及び参道の整備工事を行った。
平成14年〜16年度に旧宅本体の解体修理を実施した結果、解体時の建物調査と地下遺構の埋蔵文化財の調査により、旧宅について様々なことが確認された。
梅園が晩年に建てた旧宅は、その後2回の大きな改造があったことが判明。主な改造は下屋にあたる部分で、江戸時代末頃と明治時代末頃とみられ、その結果ひとまわり大きな建物になり現存する。
『七島藺(しちとうい)』は、大分県の国東地方だけで生産されているカヤツリグサ科という植物で、畳の材料となります。
似ているもので「い草」がありますが、い草の断面は丸いのに対し七島藺は三角形をしています。七島藺には、350 年の歴史があり、琉球畳は本来、この七島藺を使ったものをいいます。七島藺学舎では、七島藺を使ったコースターや草履など工芸作品作り体験も行えます。
《詳細情報》
所在地:〒873-0355 大分県国東市安岐町富清3209
電 話:0978-65-0800
両子山の中腹にあり、六郷満山の中では中山本寺、すなわち山岳修行の根本道場に当たり、特に江戸期より六郷満山の総持院として全山を統括してきました。
境内は瀬戸内海の国立公園、大分県史跡に編入され、全国森林浴の森百選の指定地として自然に恵まれ、四季を通じて、殊に、新緑、紅葉の時期には、遠近を問わず、大勢の参拝客で賑わいます。
三浦梅園資料館では豊後聖人とも呼ばれる江戸時代の学者、三浦梅園(1723 年~1789 年)の遺稿を数多く展示し、その生涯や学説を紹介する短編映画(約10分)を上映しています。梅園は、なぜと疑問に思ったことをとことん考え抜き、「玄語」「贅語」「敢語」の梅園三語を漢文であら
わして条理学と呼ばれる学問体系を打ち立てた先哲です。
もともと梅園自身が設計して建てた旧宅(国史跡)に保管されてきた自筆稿本類 30 種 212 冊及び器物 4 点(肖像画・顕微鏡・落款印)は、国から重要文化財の指定を受けており、資料館ではこれらを三浦家からお借りし保管・展示しています。
館名:国東市三浦梅園資料館
所在地:〒873-0355
大分県国東市安岐町富清 2507-1
電話番号:0978-64-6311
ファックス番号:0978-64-6310
会館時間:午前9時00分~午後5時00分
入館料:一般(高校生以上):300 円(団体 200 円)
小中学生:200 円(団体 100 円)
※団体は10名以上
休館日:月曜日(祝日の月曜日は開館して翌火曜を休館)、祝日等の翌日、年末年始(12月29日~1月4日)
(※瑠璃光寺~両子寺ルートではないが、近隣スポットとして紹介)
奈多宮・奈多八幡宮とも呼ばれ、主祭神は比売大神、応神天皇、神功皇后で、伝承では宇佐神宮の別宮として、太平1年(729年)に宇佐神宮大宮司であった宇佐公基にて創建された。
宇佐神宮の旧神体とされている木造僧形八幡坐像と、2躯の木造女神坐像の三神像を収蔵しており、これら三神像は国の重要文化財に指定されている。
参道にいる大きな玉に均整の取れた丁寧な造りの狛犬が寄りかかっている姿はほほえましい。
また、大友宗麟の正室の奈多夫人は、当宮の大宮司の娘と言われている。
八幡奈多宮は六郷満山霊場の181番で、183番は横城山東光であった(六郷山183ヶ所霊場記)。
入峯行の出発点が御許山とすれば、「霊場記」で181番にかかげた八幡奈多宮は最終点の霊場といえる。
瑠璃光寺
↓ 31分、1.7km
柚ノ木橋
↓ 4分、0.4km
桂徳寺
↓ 17分、0.7km
八坂神社
↓ 6分、0.3km
光蓮寺
↓ 9分、0.6km
八坂神社(祇園社)
↓ 7分、0.8km
西念寺
↓ 9分、0.3km
七島藺学舎
↓ 11分、0.7km
三浦梅園
↓ 20 分、0.8km
西福寺(国東塔)
↓ 24分、1.4km
歳大明神
↓ 71分、4.2km
無明橋(石造)
↓ 5分、0.2km
両子寺
公共交通機関は利用しにくい(タクシー利用の場合)
大分空港~瑠璃光寺 タクシー (約18分)
JR杵築駅~瑠璃光寺 タクシー (約30分)
大分空港~両子寺 タクシー (約28分)
JR杵築駅~両子寺 タクシー (約36分)
◉マイカー
東九州自動車道・速見 JS~日出IC〜瑠璃光寺(約27分)
東九州自動車道・農業文化公園IC〜瑠璃光寺(約41分)
東九州自動車道・速見 JS~日出IC〜両子寺(約36分)
東九州自動車道・速見 JS~日出IC〜両子寺(約44分)
・大分県文化財調査報告書「「歴史の道」調査報告書 峯入りの道」第五十四輯、
・飯沼賢司著「国東六郷山の信仰と地域社会」中世史選書17、同成社、2015年
・東国東郡教育委員会編纂「豊後国東半島史 全」上巻(昭和3年)、下巻(昭和7年)、上下合本3版(昭和48年)
・国東市・国東市教育委員会「国東の文化財探訪-国東半島のくらしと祈り-」2012年(平成24年)
・「六郷山寺院遺構確認調査報告書Ⅸ」大分県立歴史博物館報告書第5集、平成13年3月31日
・「六郷満山開山一三〇〇年記念 大分県国東宇佐 六郷満山展 ~神と仏と鬼の郷~」九州国立博物館、平成29年9月
・豊後高田市教育委員会「天念寺耶馬及び無動寺耶馬 名勝調査報告書」、平成28年12月
・大分県文化財調査報告書「六郷満山関係文化財総合調査概要(3)-杵築市・日出町・山香町・宇佐市・大田村の部-」第六二輯、大分県教育委員会、昭和57年3月
・酒井冨蔵著「国東半島の六郷満山」 第2版、昭和52年7月5日
・「宇佐国東半島を巡る会」ホームページ
http://usarokugo.com/
(国東市国東町小原2721-3 Tel0978-73-0300)
・「国東半島宇佐地域・六郷満山誘客推進協議会」ホームページ
https://www.millennium-roman.jp/rokugou1300/
(国東市国東町安国寺1639番地2弥生のムラ国東市歴史体験学習館内Tel0978-72-5007)
・「国東半島峯道ロングトレイル」ホームページ
https://www.kunisakihantou-trail.com/index.html
(国東半島峯道ロングトレイルクラブ 国東市国東町小原2662番地1国東市サイクリングターミナル内)
・「豊の国千年ロマン観光園」ホームページ
https://www.millennium-roman.jp
(別府市京町11-8 Tel0977-85-8511)
中野幡能「宇佐八幡宮史の研究 第1集」豊日史学叢書、1957年版
中野幡能「六郷満山の史的研究」藤井書房、1966年
中野幡能「古代国東文化の謎 」新人物往来社、1974年2月版
中野幡能「宇佐八幡と新羅文化」中野幡能、1991年11月版
中野幡能「八幡信仰と修験道」吉川弘文館、1998年2月
櫻井成昭「六郷山と田染荘遺跡 九州国東の寺院と荘園遺跡」同成社
日本山岳会 東九州支部
阿南寿範