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109 国東半島 祈りと修行の道

霊山寺~文殊仙寺ルート

霊仙寺~文殊仙寺ルート

夷谷の霊仙寺(14番札所)・実相院(15番札所)から文殊仙寺(21番札所)までのルートを紹介します。
夷谷(えびすだに)を挟む両岩峰は夷耶馬(えびすやば)ともいわれ、特に中山仙境は国の名勝に指定されています。
また、清浄光寺(16番札所)のある西方寺はミツマタの群生地で、春には見事な景観を楽しませてくれます。
旧千燈寺(現千燈寺17番札所)は、六郷満山の寺々を開基した仁聞菩薩の入寂の地でもあります。
岩戸寺(18番札所)は修正鬼会でも知られ、多くの国宝級の文化財が残ります。
文殊仙寺は文珠山の中腹にあり、日本三文殊の一つ。文殊耶馬は国の名勝に指定されています。
約2日半の行程です。

古道を歩く

[1日目]霊仙寺(れいせんじ)~千燈寺(せんとうじ)

旧三重小学校から県道635号小河内香々地線に出て、霊仙寺を目指す。
途中、前田の中山仙境登山道入口には、楽庭社があり、竹田川を渡る。
200mも進めば、左側に坊中岩屋がある。

さらに進むと、右に農村公園駐車場がある。トイレもあり県外からの登山者も多い。

左に、霊仙寺、実相院、六所権現が見えてくる。夷山霊仙寺は、六郷満山末山本寺で、養老2年(718年)、仁聞菩薩の開基とされる。
本尊は千手観音。平安後期作の阿弥陀如来坐像、不動三尊像もある。
山門前の仁王像や国東塔(桃山期作)など多数の石造文化財がある。
特に大地蔵尊(安政7年 1860年作)は高さ4.87m、総高6.7mあり、彫作で一石地蔵尊としては九州最大とされる。

竹田川を挟んで向い側の峰々が「中山仙境」である。
夷谷は、平安時代、「谷は大きな岩や巨木の根に覆われ、峰々は鋸の歯のように荒々しく、大いなる魔物の住む大魔所であった」といわれていた。
かつては未開の地であったようだ。そんな夷谷を開拓したのは、山岳仏教の修行僧たちであったと言われている。
3つの寺社が並ぶ風景は、国東半島の神仏習合文化をよく表している。人を寄せ付けない険しい岩峰群は、修行僧の霊場となり、修行の場であった。
それを見上げる地域の人々によって、仙人の住む聖なる山「仙境」と呼ばれるようになった。
六所神社の先から左の谷に入り後野越、一望岩を目指す。入口にはロングトレイルの案内板が立っている。
後野越から一望岩までは急登で要注意。一望岩には10段ほどの梯子が架かっていて、岩の上には数人しか同時に上がれない。
後野越への下りも要注意。
後野越から西方寺へ下っていくが、途中林道を横切る。
この林道沿いはミツマタの群生地で、開花期は見事である。
中ノ谷不動尊入口から反対側の道を辿ると「窓の迫」がある。
岩が空洞になり橋になっていて、その上を歩くことができる。
眺めは絶景である。古道から外れるが寄り道をしてみたい場所だ。

竹田津川沿いに1㎞ほど下ると、鳥居が見えてくる。
堂山橋を渡り、鳥居をくぐった先が西方山清浄光寺である。
養老2年(718年)仁聞菩薩の開基とされ、御本尊は阿弥陀如来である。
平安時代には六郷山二十八ケ寺の末山本寺で、六所権現、本堂、不動堂、阿弥陀堂、講堂など多くの御堂を有していた。
現在は無住で、千燈寺が管理している。
その脇の百数十段の階段を登りつめると、立派な山門がある。許波多社(こばたしゃ)(六所神社)である。

清浄光寺を後にして、中ノ谷不動尊入口まで戻る。
左折して竹田津川を渡ると、右上に中ノ谷不動尊がある。
国土地理院25,000分の1地形図の破線を辿り、阿弥陀越を目指す。
山道は定かでないが、かろうじてそれらしきものはある。
林道(車道)を横切り、鷲巣岳(436.4m)下の稜線に出る。
道は定かでないが比較的歩きやすい。
稜線下は伐採されていて、展望が開ける。
阿弥陀越手前の岩峰に出るが、注意しながら右下に下ると阿弥陀越しである。
阿弥陀越から、大藤岩屋、太郎天岩屋へ行くことができる。
阿弥陀越から大藤岩屋へはロープの張られた稜線右側面をトラバースしながら進むと辿り着く。
近年の土砂崩れで、大藤岩屋の前は崩壊しているため、下からは登り上がれない。
阿弥陀越から黒木山方面に伸びる稜線を辿ると、断崖下に太郎天岩屋がある。

稜線を太郎天尾根と呼んでおり、稜線上からは瀬戸内海に浮かぶ姫島や千燈岳、文殊山が一望に見渡せる。
阿弥陀越までもどり、千燈寺方向へ下山。途中、大不動岩屋で絶景を満喫し、尻付岩屋まで下り、県道31号山香国見線に出る。
千燈寺との中間地点左側に、千燈石仏がある。
千燈石仏は県指定史跡。一枚岩に薄肉彫りした阿弥陀來迎図である。鎌倉時代末から南北朝時代にかけての作とされる。

[2日目]千燈寺~岩戸寺

千燈寺にお参りし県道31号山香国見線を海の方へ下る。
1.5㎞ほど歩くと、光源寺観音堂がある。光源寺は無住。観音堂には金光寺聖観音像(しょうかんのん)(県指定有形文化財)が祀られている。
金光寺は元六郷満山中山本寺千燈寺の末寺であった。江戸期に廃寺となったため当堂に移され安置されている。平安時代後期の作と推定されている。
さらに下ると、左に八坂神社、その先に万徳寺跡がある。万徳寺は廃墟となり、草が生い茂り御堂はない。ただ境内には石造と石碑がいくつか残っている。

歩いてきた道を引き返し、平等寺の案内板があるので左折し、伊美川を渡る。
橋の先には鹿よけフェンスがあるので、開けて通過する。
坂道を登ると白い建物が見え、横に車道が通っている。
車道を横断してさらに坂を登ると、野田山平等寺(現在、無住)である。
五輪塔群があり、左の民家風の建物が御堂である。施錠されているが、左の柱に電灯のスイッチがあり、点けると御堂の中の蛍光灯が点灯し、中を覗くことができる。
千燈寺の末寺であった。木造釈迦如来三尊像(中央に釈迦如来坐像、向かって右に文殊菩薩坐像、左に普賢菩薩坐像)は、各像とも榧材一木造りである。文殊像底部に康平7年(1064年)の墨書がある。
一木造りの特色の濃い国東平安仏の中でも、最も古様かつ典型的な作例とされる。
平等寺下の車道(林道)を南に進み、途中から、真覚寺跡を目指し、車道を外れ、傾斜地を下る。
道はそれほど定かでないが、しばらく下ると、小渓に沿って石積みされた真覚寺の跡らしきところを通過する。
下に向かって右の木の幹に小さな赤色の案内プレートが下がっている。
西側の車道から伊美川を渡っても行けるが、鹿よけフェンスがある。
その先の民家の前には国東市教育委員会が平成22年に建てた案内板がある。県指定有形文化財で、正平7年(1352年)作とされている。
民家までは下りず、少し下ると、左に山道が付いており、そこを少し登り上がる。途中から道がなくなる。
雑木林の中、杉林の中を抜け、民家の畑に出る。
民家の先に下払坊跡がある。立派な国東塔と六地蔵、小堂がある。小堂の前が参道で石段が続く。

下払坊前の橋は渡らずに、さらに東の山沿いを歩き、浮橋を渡って龍神社の横に出る。
車道より左上へ、最初の山門入口に建つ鳥居をくぐる。
しばらく歩くと「西行戻し」と言われる所を通り、更に進み、先ほどの車道を2度横断する。
参道は奥の院まで延びる。その左側に寺院が並んでいた。まず、西の坊跡、本堂跡、ここに仁王像が建っている。
次いで、山王権現跡、講堂跡、長い階段を登り詰めると奥の院、六所権現、奥の院に向かって左岩肌には阿弥陀来迎磨崖仏、そして、仁聞入寂の岩屋がある。
さらに、その左奥に進むと、展望が開け、正面に黒木山、左に千燈岳、五辻不動を望むことができる。
奥の院に向かって右の山道を辿るか、一度来た階段を下り地主権現の横を通って登りあがると、仁聞国東塔、仁聞菩薩の墓、五輪塔群がある。

車道に出て不動山(352m)を目指す。途中不動茶屋があり、駐車場にはトイレもある。
案内板の横の参道を登って行くと、岩尾根になり視界が開ける。北には周防灘に浮かぶ姫島が見え、絶景である。
岩尾根には鎖が付けられていて、登り上がると崖の下に五辻不動(五智岩屋)がある。不動堂は東に面していて、ご来光を拝するのに最高の場所である。

岩尾根を下り岩戸寺を目指す。一度岐部の谷に下り、登り返すと岩戸寺越休憩小屋がある。
林道を横切り岩戸寺に向け下山する。再び林道に出て、ほどなくして岩戸寺山門入口である。
数段石段を上がると仁王像が出迎えてくれる。
参道は150段の石段で、修正鬼会の行われる講堂、岩戸寺国東塔、薬師堂、子安観音、六所権現へと延びている。岩戸寺入口にはトイレもある。

岩戸寺国東塔(国指定重要文化財)は、弘安6年(1283年)に造立され、銘文のある国東塔としては国内最古のものである。
また、岩戸寺修正鬼会(国指定重要無形民俗文化財)は、岩戸寺(旧正月7日)と成仏寺(旧正月5日)で隔年交代で行われている六郷満山最古の天台儀式である。その他にも多数の県指定、市指定の文化財がある。

[3日目]岩戸寺~文殊仙寺

岩戸寺からまずは三十仏へ。

県道544号文殊山浜線から山口池横を通り、左折。すぐに右折する。
山門には仁王像があり、長い階段を上り詰めると岩壁の下に社が建っている。

再び参道を下り公道にもどり、文殊仙寺までは谷間の古道を歩く。所々に石畳が残っている。
峯道ロングトレイルのコースにもなっている。
車道に出て、トンネルをくぐり、文殊仙寺の駐車場へ。駐車場は広く、山門の脇にはトイレもある。

参道入口には仁王像が立ち、長い石段を登ると山門がある。右には客殿、鐘楼、日本一大きいとされる高さ9mの宝篋印塔がある。
さらに登り奥の院へ。奥の院には文殊菩薩が安置されている。
峨眉山文殊仙寺は末山本寺。天台宗。六郷満山第21番札所となっている。
今回の古道ルートにはないが、長慶寺は第19番札所、大聖寺は第20番札所である。

この古道を歩くにあたって

後野越から一望岩の間(オプションルート:古道ではない)
急傾斜で側面は切れ落ちている。歩行注意。
中ノ谷不動尊から阿弥陀越へ
途中より道は不明瞭。車道に登り上がり下る。阿弥陀越まで植林帯の中を歩く。稜線に出たら南へ。岩稜なので要注意。
阿弥陀越から大藤岩屋へ
稜線を少し登り上がり、右へトラバースして行く。ロープが設置されているので沿って歩く。要注意
阿弥陀越から太郎天岩屋へ
ロープが設置されており、南に向かって稜線の東側をトラバースしていくと太郎天岩屋がある。稜線に沿って登り上がると太郎天尾根。断崖上の尾根で、歩行要注意!
暑い時期は、マムシや蜂に注意!

古道を知る

峯入りの道は、実施される年によって、ルートが異なっているようである。

本調査のルート(嘉永6年(1853年)の峯入りの道(推定))は、以下の資料に基づいている。
1.「「歴史の道」調査報告書 峯入りの道」
大分県文化財調査報告書 第五十四輯
大分県教育委員会 昭和56年3月(1981年)
2.森塚良郎「日本の街道地図 街道名:峯入りの道 街道番号:大分07-01A、大分07-01B」
(問い合わせ先:runtabijapan@yahoo.com.jp)
http://unpoh.web.fc2.com/syukis/morituka/kaidoumap/kaidou-map.html
2は、1で示されたルートをより詳しく地図(国土地理院2万五千分の1地形図)データにしている。
1は、昭和55年度国庫補助を受け実施された「歴史の道」調査事業の「峯入りの道」の調査報告書である。
元禄14年(1701年)(最古の記録)から嘉永6年(1853年)まで計9回峯入りが行われており、その各種資料を基にルートが推定されている。(①元禄14年(1701年)、②宝永3年(1706年)、③寛延3年(1750年)、④宝暦9年(1759年)、⑤安永8年(1779年)、⑥寛政11年(1799年)、⑦文化14年(1817年)、⑧天保8年(1837年)、⑨嘉永6年(1853年))、特に嘉永6年の資料が多く、嘉永6年の峯入りの道と推定されている。

深掘りスポット

窓の迫

中ノ谷不動尊入口から反対側の道を辿ると「窓の迫」がある。岩が空洞になり橋になっていて、その上を歩くことができる。眺めは絶景である。

尻付岩屋

※案内板より
修験者の行場で、旧千燈寺付属の霊場である。六観音の木造を安置した西の不動の一つで平地にあるが、他に大不動、小不動、太郎天岩屋がある。みな険阻な岩場で、妙見岩屋を加えて五辻の岩屋と言う。養老4年、異国降伏の祈祷を仁聞菩薩ほか5人の同行と不動五壇の秘法を修めたとされる。

補陀落山千燈寺

※案内板より
六郷満山中山本寺。現千燈寺は伊美川上流の段丘上に位置している。
明治になって千燈寺跡の西の坊が移転し、旧下払坊と合併して当地を寺地としたといわれている。
木造如来坐像、修正鬼会面は県指定有形文化財。石造不動明王像(小不動岩屋の本尊)、石造二童子像(制多迦童子、矜羯羅童子)、石造太郎天像(太郎天岩屋の本尊)は市指定有形文化財である。

西行戻し

※案内板より
平安時代末期、京都御所の北面の武士であった佐藤義清は平家の没落を見て、世をはかなみ西行と名を改め、真言僧となり、全国行脚の旅に出た。九州に渡り、六郷満山の千燈寺の住職の器量を見ようと、登ってここまで来たとき、たまたま小僧が綿を持って下って来るのに出会った。
そこで西行は小僧に向かって、「その綿売るか」と言ったところ、小僧は即座に「谷川の瀬に住む鮎の腹にこそ、うるかと言えるわたはありけれ」と和歌で答えた。
「小僧でさえこれほどであれば、和尚の器量は見なくても分かる」と、ここで引き返した。
それでここを西行戻しというようになったといわれている。

仁聞入寂の岩屋(枕の岩屋)

※案内板より
養老年間(717~723) 国東六郷満山の各寺院を開基した仁聞菩薩は千燈寺奥の院 枕の岩屋にて入寂したと伝えられる。豊鐘善鳴録(ほうしょうぜんめいろく)(延享2年 1745年)によると、「其の年の10月26日 千燈窟に於いて入寂す 三楞石(さんりょうせき)で封す」と書かれ、五輪塔群北端にある三個の角張った大石の中央に埋葬されたようである。また、豊後国志(寛政年間1789~1801年)には
「僧仁聞の墓は、伊美郷千燈寺にある。伝えるところによると、近世墓の木が枯れようとしている。寺僧が植え替えようと根を掘り、余尋程掘ったところ砂礫が非常に多く、銅筒三個が出た。蓋を開けてみると皆白舎利で、仁聞の遺骨だった。その周りは砂の入った十五の小壺で囲まれていた。」

仁聞菩薩の墓地

※案内板より
豊鐘善鳴録
「其年十月念六日於千燈之窟入定封塔以三楞石」
その年の十月二十六日千燈の岩窟に於いて入定す 塔を封ずるに三楞石(三個の大きな角のある石)を以てす
旧補陀落山千燈寺(天台宗) ※案内板より
本尊 千手観世音菩薩
由緒縁起
本寺は、養老2年仁聞菩薩の創建と伝えられ、六郷山中山本寺である。かつて末寺、末坊38か所を有していたと伝えられる。
仁聞菩薩が同行5人と不動岩屋において不動の法を行じた時、東北海の龍王がその徳に感じ、献燈すること一千に及んだ。よって千燈寺と称するにいたったという。
当寺は、仁聞入寂の地として、また六郷山無常導師所として六郷満山中で重要視された寺である。「太宰管内志」に「仁聞入寂の地・本堂千手・六所権現・山王権現・薬師岩屋・大講堂・地主観音・大師堂・尻付岩屋・普賢岩屋・大不動岩屋・奥ノ院不動岩屋・退転牛王岩屋・小不動岩屋・八大龍王岩屋・千燈寺末寺平等寺金光寺真覚寺」とある。
広い境内地の中に多くの史跡文化財があり県指定史跡となった。
西不動は千燈の谷を挟んだ西山に点在し修験道行者が聖地とした行場である。

五辻岩屋(五智岩屋)

※案内板より
豊鐘善鳴録によると、[元正天皇の養老2年(718年)六郷山を開創された仁聞菩薩は華厳、覚満、躰能、行満の四大徳を率いて伊美の五智窟(五辻岩屋)に登り不動の秘法を行ず 時に東北海の龍王其の徳を欽仰して一千の燈を献ず 其の霊応に縁て寺の名を千燈寺と名付け 補陀落山と号するは千手観音を祀るを以て也」と書かれている。
五辻岩屋は標高365m 眼下に姫島を始め、周防灘・豊後水道等を収める眺望絶景の地にして、不動堂は東に面してご来光を拝するに最高である。又 仁聞菩薩修行の霊地にして六郷山不動根本霊場で、ご縁日は毎月(旧暦)28日で五辻不動尊の名で広く親しまれ、多数の参詣者で賑わっている。春季大祭 3月第2日曜日

六郷満山31霊場について

補陀落山千燈寺は第17番、石立山岩戸寺は第18番札所
本古道調査ルートにない久保山長慶寺は第19番札所、治池山大聖寺は第20番札所である。岩戸寺のある来浦の谷を下った所にある。いずれも天台宗。

ミニ知識

峨眉山文殊仙寺

※「国東市の観光案合サイト」より
文珠山(616.0m)の麓にある。日本三大文殊のひとつ。648年に役行者(えんのぎょうじゃ)による開基とされている。ご本尊は文殊菩薩。12年に1度、卯の年に公開される。

「文殊耶馬」

※国東市ホームページより
「文殊耶馬」が、平成30年10月15日(月曜日)の官報告示により、正式に国の名勝に指定された。
文殊仙寺は国東半島で唯一、役小角による開基が伝えられている。一方で、六郷満山としては、養老年間(717~724年)に仁聞菩薩によって開基されたとされ、末山本寺であった。江戸時代に製作された「紙本著色文殊仙寺境内図」(大分県指定有形文化財)に描かれ、三浦梅園は「峨眉山十四境」として高く評価していて、既に江戸時代から景勝地であった。
「文殊耶馬が国指定名勝に」国東市ホームページ
https://www.city.kunisaki.oita.jp/soshiki/bunkazai/-meisyo181015.html

宇佐神宮 六郷満山霊場札所一覧

(「宇佐国東半島を巡る会」 宇佐神宮六郷満山霊場 事務局 〒873-0511 国東市国東町小原2721-1 tel0978-73-0300)

第1番 宇佐神宮(特別札所)
第2番 宇佐宮  弥勒寺
第3番 応利山  報恩寺
第4番 蓮華山  富貴寺(特別札所)
第5番 真木大堂(傳乗寺)
第6番 今熊野山 胎蔵寺
第7番 赤松山  願成就寺
第8番 金剛山  長安寺(特別札所)
第9番 長岩屋山 天念寺
第10番 最勝山  妙覚寺
第11番 大岩屋山 應暦寺
第12番 国東山 椿光寺
第13番 小岩屋山 無動寺
第14番 夷 山  霊仙寺
第15番 夷 山  実相院
第16番 西方山 清浄光寺
第17番 補陀落山 千燈寺
第18番 石立山 岩戸寺
第19番 久保山  長慶寺
第20番 治池山 大聖寺
第21番 峨眉山  文殊仙寺(特別札所)
第22番 龍下山 成佛寺
第23番 妙徳山  泉福寺
第24番 興満山 興導寺
第25番 大嶽山  神宮寺
第26番 参社山 行入寺
第27番 医王山  丸小野寺
第28番 金剛山 報恩寺
第29番 小城山  寳命寺(ほうめい)(小城観音)
第30番 杉 山  瑠璃光寺
第31番 足曳山  両子寺(特別札所)

ルート

[1日目]霊仙寺~千燈寺
旧三重小学校(スポーツセンター)
↓ 25分 1.4km
坊中岩屋
↓ 20分 0.7km
霊仙寺・実相院・六所権現
↓ 60分 1.3km
後野越・一望岩
↓ 30分 1.3km
中ノ谷不動尊入口⇔★窓の迫(片道0.7km 往復約50分)
↓ 30分 1.6km
清浄光寺・許波多社(六所神社)
↓ 30分 1.6km
中ノ谷不動尊入口
↓ 80分 1.6km
阿弥陀越⇔★大藤岩屋・太郎天岩屋(片道0.6km 往復約60分)
↓ 45分 2.2km
尻付岩屋
↓ 25分 1.2km
千燈寺
1日目 移動距離 13.6km 約7時間30分
★窓の迫、大藤岩屋・太郎天岩屋は除く
[2日目]千燈寺~岩戸寺
千燈寺
↓ 30分 1.6km
光源寺観音堂
↓ 5分 0.5km
平等寺入口
↓ 15分 1.2km
万徳寺跡
↓ 15分 1.2km
平等寺入口
↓ 10分 0.6km
平等寺
↓ 50分 1.4km
真覚寺跡国東塔
↓ 50分 1.0km
下払坊跡
↓ 30分 1.7km
旧千燈寺山門
↓ 90分 2.0km
五辻不動
↓ 90分 2.2km
岩戸寺
2日目 移動距離 15.7km 約8時間
[3日目]岩戸寺~文殊仙寺
岩戸寺
↓ 25分 0.7km
三十仏
↓ 55分 2.2km
文殊仙寺
3日目 移動距離 2.9km 約1時間10分

アクセス

霊仙寺

大分空港から車で46分、35km
JR宇佐駅から車で34分、28km
霊仙寺斜め前の農村公園に駐車場がある。トイレ有り

千燈寺

大分空港から車で40分、31km
JR宇佐駅から車で33分、28km
千燈寺斜め前(龍神社横)に3台ほど止められる駐車スペースがある。トイレ有り

旧千燈寺

大分空港から車で44分、32km
JR宇佐駅から車で48分、29km
広い未舗装の駐車場がある。トイレなし

五辻不動駐車場

大分空港から車で48分、33km
JR宇佐駅から車で41分、29km
10台ほどは止められます。トイレ有り

以上、国東半島の山中を通る最短距離で紹介していますが、海岸線沿いから、各谷に入ることもできます。
時間はかかりますが、国東半島の海岸線は風光明媚です。
特に、真玉海岸は“日本の夕日百選”に選ばれています。

岩戸寺

大分空港から車で35分、28km(海岸線より)
JR宇佐駅から車で38分、29km(国東半島中央経由)   山門右にトイレ有り

文殊仙寺

大分空港から車で30分、25km(海岸線より)
JR宇佐駅から車で40分、29km(国東半島中央経由)   駐車場右にトイレ有り

参考資料

・大分県文化財調査報告書「「歴史の道」調査報告書 峯入りの道」第五十四輯、大分県教育委員会、昭和56年3月
・森塚良郎「日本の街道地図 街道名:峯入りの道 街道番号:大分07-01A、大分07-01B」
(問い合わせ先:runtabijapan@yahoo.com.jp)
http://unpoh.web.fc2.com/syukis/morituka/kaidoumap/kaidou-map.html
・飯沼賢司著「国東六郷山の信仰と地域社会」中世史選書17、同成社、2015年
・飯沼賢司「中・近世の六郷山寺院と峯入り」別府大学アジア歴史文化研究所報、第18号、2000年
「六郷山寺院遺構確認調査報告書Ⅸ」大分県立歴史博物館報告書第5集、平成13年3月31日
※ 三浦梅園が28歳の寛延3年(1750年)に183霊場を記録していた。
・隈井修道「近世六郷山の特質について」大分県立歴史博物館研究紀要17、2016年7月
・東国東郡教育委員会編纂「豊後国東半島史 全」上巻(昭和3年)、下巻(昭和7年)、上下合本3版(昭和48年)
・国東市・国東市教育委員会「国東の文化財探訪-国東半島のくらしと祈り-」2012年(平成24年)
・「六郷満山開山一三〇〇年記念 大分県国東宇佐 六郷満山展 ~神と仏と鬼の郷~」九州国立博物館、平成29年9月
・豊後高田市教育委員会「天然寺耶馬及び無動寺耶馬 名勝調査報告書」、平成28年12月
・大分県文化財調査報告書「六郷満山関係文化財総合調査概要(3)-杵築市・日出町・山香町・宇佐市・大田村の部-」第六二輯、大分県教育委員会、昭和57年3月
・豊後高田市教育委員会「六郷満山寺院群詳細調査報告書」2016年
・渡辺克己著「国東古寺巡礼」双林社、昭和61年4月
・「図録 うさ・くにさきの歴史と文化」大分県立宇佐風土記の丘歴史民俗資料館、第2版、昭和57年6月1日
・「聖なる霊場・六郷満山」大分県立歴史博物館、初版、2018年4月20日
・隈井修道「近世六郷山の特質について」大分県立歴史博物館研究紀要17、2016年7月
1729年(享保14年)時点での28カ寺
両子寺 文殊仙寺 霊仙寺 無動寺 大暦寺 彌勒寺 天念寺
長安寺 富貴寺 岩脇寺 胎蔵寺 西明寺 千燈寺 普門寺 萬徳寺
岩戸寺 大聖寺 成佛寺 神宮寺 行入寺 興導寺 寶命寺 報恩寺
東光寺 明王寺 清浄光寺 丸小野寺 瑠璃光寺
・「宇佐国東半島を巡る会」ホームページ
http://usarokugo.com/
・「国東半島宇佐地域・六郷満山誘客推進協議会」ホームページ
https://www.millennium-roman.jp/rokugou1300/
・「国東半島峯道ロングトレイル」ホームページ 国東半島峯道トレイルクラブ
http://www.kunisakihantou-trail.com/index.html
・「豊の国千年ロマン観光圏」ホームページ
https://www.millennium-roman.jp
・「六郷満山峯入りの記録 平成二十二年庚寅年」
http://kunisakikaze.photo-web.cc/2010mineiri/2010mineiri-a.html
・国東市公式観光サイト「たびさき、くにさき」  観光スポット-祈る-
https://www.city.kunisaki.oita.jp/site/kanko/list188-554.html
・日本遺産ポータルサイト「鬼が仏になった里『くにさき』」 文化庁
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story066/
・文化庁選定「歴史の道百選」「111 六郷満山の峯入りの道」 https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/kinenbutsu/rekishinomichi/index.html
(文化庁選定「歴史の道百選」文化庁 (bunka.go.jp) )
・「六郷満山開山1300年『神と仏と山と鬼』」大分合同新聞、018年(平成30年)4月27日(金)
・「六郷満山1300年の息吹」大分合同新聞、2018年(平成30年)3月27日(火)
・「六郷満山 荒行復活へ -4月、7年ぶりに『峯入り』- 霊場183ヵ所を巡る」大分合同新聞、2017年(平成29年)2月22日(水)
・「県立歴史博物館特別展 聖なる山 六郷満山と仁聞(上)-仁聞の姿-」
・「県立歴史博物館特別展 聖なる山 六郷満山と仁聞(中)-法華経の美-」
・「県立歴史博物館特別展 聖なる山 六郷満山と仁聞(下)-「仁聞御作」の仏像-」

協力・担当者

日本山岳会 東九州支部
鹿島正隆

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