single-kodo120_detail
109 国東半島 祈りと修行の道
六郷満山31霊場のうち、長安寺は第8番札所、天念寺は第9番、無動寺は第13番、椿光寺は第12番、應暦寺は第11番札所となっています。天念寺の前を流れる長岩屋川には川中不動があり、名所・旧跡が多く点在し、また、天念寺耶馬・無動寺耶馬は国指定名勝に指定されています。
金剛山長安寺は天台宗のお寺である。長安寺左横の階段の奥には、身濯神社(みそそぎ)がある。境内には形の良い国東塔がある。長安寺は春には石楠花、6月には紫陽花が見ごろを迎える。
長安寺からは、参道を下らず、天念寺方面(北西)へ進む。長安寺のトイレのある駐車場横を通り、車道に合流する。
車道を横断し天念寺方向に山道を下る。ここは国東半島峯道ロングトレイルのコースにもなっている。
山道を下ると、県道548号地蔵峠小田原線に出る。
県道を横断し右に行けば、天念寺の駐車場がある。駐車場からは、天念寺耶馬が一望でき、涯上の無明橋も望むことができる。
また、眼下には、天念寺や鬼会の里歴史資料館が見下ろせる。
(道路を横断して左に下り、長岩屋川を渡ると右に川中不動下の駐車場にたどり着く。トイレ有り。)
駐車場の左わきから階段を下り、長岩屋川を渡ると正面が天念寺である。
右側が身濯神社、左側が天念寺講堂である。天念寺の前を流れる長岩屋川の中には、川中不動がある。
龍門岩屋に立ち寄り、無動寺側へ下る。
下り口も急峻なので注意しながら下山する。
天念寺耶馬から無動寺までの下りは、所々コンクリートで舗装されているが、荒れており滑りやすい。
30分ほど下れば無動寺である。
無動寺の前を通る県道654号線赤根真玉線を西へ400mほど進むと椿堂入口である。
椿光寺は六郷満山霊場第12番札所である。
さらに300mほど歩くと福真磨崖仏の案内看板が立っている。
県道からの入口には鹿よけフェンスがあるが、開閉して中に入り、田圃の中を南へ下り、橋を渡ると再び鹿よけフェンスがある。
その先には小さな鳥居がありくぐって進むと、右に石造屋根の覆屋があり、見事な磨崖仏が壁面いっぱいに掘られている。
さらにその奥の石段を登り詰めた先が福真堂(四王岩屋)である。
県道にもどり更に500mほど西へ歩くと、旧無動寺跡に着く。
ここには身濯神社(六所権現)、磨崖宝塔、吉祥天像、磨崖種子山王権現がある。
また、旧上真玉小学校手前には中之坊磨崖仏がある。
室町末期から江戸初期の作とされ、中央に阿弥陀如来坐像、右に如意輪観音、左は地蔵菩薩である。入口には看板はなく、廃屋の跡を踏み分けて入る。
石段もあるが、近年の風雨で土砂が流出し風倒木が覆いかぶさっている。
平成15年に豊後高田市教育委員会が設置した案内板があるが、かろうじて読める程度でかなり傷んでいる。
県道にもどり、更に西へ進むと、真玉川と大岩屋川の合流点になる。
大岩屋川を渡り、すぐに右折する。200mほど進むと左後方に十一面岩屋がある。
車道にもどり應暦寺に向かう。應暦寺駐車場は大岩屋川を渡った右側にある。
應暦寺本堂左の参道を登って行くと、六所権現がある。さらに本殿の左から登っていくと堂の迫磨崖仏。
その先が奥の院である。奥の院は峯入り行者の休憩所だったと伝えられている。
歴史資料館右の里道より岩屋を巡ることができる。
入口には、「危険 この岩峰は、転落の恐れがある危険な箇所があります。事故等が発生した場合でも責任は一切負えません。関係者以外の登山は、ご遠慮ください。」との注意喚起の看板が立っている。
※ヘルメット、自己確保用にカラビナ、スリングを、共同装備としてザイルを準備するとよい。
右回りに巡ると以下の8つの岩屋がある。
①忌堂岩屋(江戸時代中期の観音菩薩像と弘法大師像)、この岩屋の奥には穴が開いていて天井には大きな古い蜂の巣が下がっている。
②小両子岩屋(鬼会の里に収蔵されている木造阿弥陀如来立像は元ここにあった)
③鳥岩屋(不動明王と観音像)
④福永岩屋(毘沙門天と観音像) 段上を上がれば火灯(打)岩屋だが、右に龍ケ鼻の岸壁を巻いて下り、
⑤門出岩屋(馬頭観音が安置されているといわれているが、現在は3体の石仏)へ。岸壁をさらに回り込んで、
⑥影堂岩屋(鬼会の里に収蔵されている千手観音像は、元ここにあった)。
⑦火灯(打)岩屋(石造覆屋と多くの石仏が並ぶ)へは、⑥よりさらに登り、左の岩上に2つの岩穴が開いており、共に鎖が設置され、通り抜けできる。
どちらからでもたどり着ける。再びもとにもどりさらに登りあがると、左に鋭角に登りあがる。
斜面上に鎖が張られ、涯上に上がることができる。
ここが龍ケ鼻で、突端には祠がある。この祠の位置から見上げると無明橋が見える。
折り返して無明橋へ向かう。登りあがる崖も急峻で鎖が付いている。登りあがり左に曲がれば無明橋である。
無明橋の先には祠がある。右に曲がると、左右どちらからでも行けるが、鎖が張られた断崖を下る。
ここが一番の難所。両側は切り立っていて、とても危険である。
心配な人はロープで確保してもらいながら降りた方がよい。
降りつくと、正面に⑧龍門岩屋(2つの堂宇に分かれており、多くの仏像が並んでいる)がある。左に下れば無動寺である。
無動寺右側の身濯神社(みそそぎ神社)の長い階段を登り、境内左側が登山道。
何度かジグザグに折れ曲がり登っていくと崖下に廃屋が見えてくる。
涯の急斜面であるが、淵をトラバスして廃屋に入ってみると仏像が安置されている。
登山道にもどり少し上り、右に折れると小さな無明橋があり、その先は正面に天念寺耶馬の景観が広がる展望所である。
ここにも両子山を背景に祠が立っている。引き返して登山道にもどり、いよいよ岩の急峻な崖を登っていく。
鎖が設置されている。
主稜線に東から登りあがり、振り向くと展望が開ける。
眺望の良い場所だ。さらに先へ数m進むと、無動寺耶馬の最高点(230m)に到達する。最高点は大きな岩の上だが、中断まで登りあがり、さらに南側に巻いて登りあがることができるが、大きなハゼノキがあるので注意。
下山も急勾配の箇所があり要注意。梯子の掛かっている箇所もある。
最後の下りは露岩の下りで、鎖が設置されている。降りついたところは椿堂の入口である。
福真摩崖仏へは鹿よけフェンスを2ヵ所開閉して通行しなければならない。
国東半島は両子寺を中心に放射状に谷筋が広がっている。奇岩奇峰が屹立する険しい山々は、僧侶が厳修する祈りの道であり、多くの寺が山ひだに点在している。
「六郷満山」は、もともと国東半島の六つの郷(田染、来縄、伊美、国東、武蔵、安岐)に開かれた寺院の総称で、養老2年(718年)に宇佐八幡の化身といわれる仁聞菩薩が法華経二十八品になぞらえて28の寺院を開いたことに始まる。
歴史的にみると、六郷満山は、神仏習合発祥の地とされる宇佐神宮の神宮寺であった弥勒寺の僧侶たちの修行場として始まったところが多く、宇佐神宮・弥勒寺と深く関わりながら発展していった。
永久元年(1113年)に、これらの修行場が比叡山の末寺となり、六郷満山というまとまりが成立した。
六郷満山の寺院は、学問を行う本山(もとやま)、修行を行う中山(なかやま)、一般の人々に仏の教えを説く末山(すえやま)に分かれる。
往時は国東半島一帯に185の寺院、洞窟、僧坊を含め約800の堂があり、野山のいたるところに石仏、石塔が点在していた。
約1300年間の栄枯盛衰を経て、今もなお六郷満山は人々の信仰を集めている。宇佐国東では、仏像や野の石仏、石造物、民族的伝承行事の中にいにしえから続く祈りが継承されている。
(参照:「六郷満山開山1300年 神と仏と山と鬼」2018年4月27日 大分合同新聞)
峯入りは、9世紀中ごろより、能行(のうぎょう)により始められた。明確に記録に残るのは江戸時代からである。最古の記録は元禄14年(1701年)、以来嘉永6年(1853年)まで計9回は確認されている。①元禄14年(1701年)、②宝永3年(1706年)、③寛延3年(1750年)、④宝暦9年(1759年)、⑤安永8年(1779年)、⑥寛政11年(1799年)、⑦文化14年(1817年)、⑧天保8年(1837年)、⑨嘉永6年(1853年)
明治時代になり一時中断され、戦後、昭和34年(1959年)に再興され、以降、昭和35年(1960年)、昭和36年(1961年)、昭和54年(1979年)、平成12年(2000年)、平成22年(2010年)(6日間、54カ所)、平成29年(2017年)(20日間 183カ所) に行われている。
※案内板より
六郷満山中山本寺 本尊は千手観音菩薩 元正天皇御宇養老2年(718年)仁聞菩薩の開基。
平安末期国東半島の六郷に仏教文化が華咲いた鎌倉時代、この寺が六郷山寺院の惣山として最盛期を迎える。
木造太郎天立像及び二童子像、銅板法華経は国指定重要文化財。
太郎天像は、天狗神を表しているといわれている。
天狗は修験道の守り本尊、大日如来の使者である不動明王が修験の極致にある者の前に現れるときに太郎天の姿をしていると考えられている。
※案内板より
鋭く聳える岩峰を背にして開かれた天念寺は、六郷満山の中でも修行の寺として知られ、かつては12の院及び坊で構成されていた。
本堂の御本尊は釈迦如来。講堂の御本尊は観音菩薩。
九州西国三十三ヵ所第5番札所、国東六郷満山霊場第9番札所である。
山号の由来でもある横長の岩屋には、鬼を迎えて幸福を願う新年の法会「修正鬼会」を行う講堂、身濯神社(みそそぎじんじゃ)が連なり、川の中には護摩行の場であった「川中不動」、北の御山には天空に架かる「無明橋」が見え、僧侶達の歴史を物語っている。
長岩屋川の巨岩に掘り込まれた不動明王の磨崖仏。磨崖仏自体は室町時代の作とされているが、岩の頂には経筒が埋められた孔があり、岩自体は平安時代から信仰されていたことが伺える。
(国指定名勝「天念寺耶馬及び無動寺耶馬」の一部)
天念寺の背後に鋭く屹立する岩峰群は、御山として千年の歴史を持つ。御山の修行場「岩屋」の中でも、多くの石仏を祀る龍門岩屋、火灯(打)岩屋(ひともし(うち)いわや)。
小両子岩屋に祀られていた高さ2mほどの木造阿弥陀如来坐像(平安時代後期)は、重要文化財に指定され、鬼会の郷歴史資料館に展示されている。
天念寺耶馬の景色は、既に、江戸時代中期の思想家・三浦梅園によって評価されていた。
天念寺耶馬の頂上に架かる無明橋は、幅1.2m、長さ3.5mほどの石橋(アーチ橋)。六郷満山の修行「峯入り」では、最も険しい行程の一つとされている。
架設年代は大正時代で、無明橋がかかる前は、丸太橋を渡していたと伝わる。
養老2年(718年)、仁聞菩薩の開基と伝えられる。六郷満山中山本寺の一つ。修行並びに祈祷の道場であり、最盛期には12坊を擁していた。
江戸時代に1500mほど下流の下黒土(通称小岩屋)から現在の場所に移されたと伝えられる。
堂内には薬師三尊をはじめ、多くの仏像が安置されている。
木造不動明王坐像は、現在の無動寺の本尊(下黒土の中之坊跡に旧在)。
平安時代後期の作。国東半島地方仏の代表の一つ。木造薬師如来坐像は、中世無動寺の本尊。11世紀後半の作。
背後に並ぶ12神将は鎌倉時代の作。
(国指定名勝「天念寺耶馬及び無動寺耶馬」の一部)
六郷満山の修行の寺である無動寺の背後に、見るものを圧倒する巨大な岩壁が座している。
中世には黒土(石屋)と呼ばれる寺院があった御山だが、江戸時代には良好な修行場を求めて、下黒土(しもくろつち)から移動してきた。
峯入りで天念寺を越える行者たちは無動寺耶馬を眺め、逆に無動寺耶馬の無明橋から、天念寺耶馬を望むことができる。
四王岩屋(現福真堂)の参道にある磨崖仏。五智如来や六地蔵、六観音など19体もの仏像が彫られている。江戸時代に地元の石工が造った大きな石造覆屋も特徴。
※案内板より
国東六郷満山中山本寺11カ寺の一つ。
奈良朝時代、養老2年(718年)宇佐八幡神の応現と云われた仁聞菩薩の開基により、盛況時は末寺末坊社等25を擁したと伝えられる。
本尊は千手観世音菩薩。平安・鎌倉を始め各時代の仏像・文化財が多く残されている。
(県史跡)
室町初期の作。比丘坐像、比丘尼坐像、六地蔵立像、十王像、六観音立像が彫られている。
峯入り行者の休憩所でもあった。
営業時間 9:00~17:00(12月~3月 9:30~16:00) 定休日:第2、第4火曜日
館内には、国重要文化財である「阿弥陀如来立像」「勢至菩薩」「千手観音立像」が展示されている。鬼会シアターでは修成鬼会の様子をVTRで見ることができる。またレストランでは豊後高田の手打ちそばを食べることができる。
鬼が仏になった里くにさき(六郷満山日本遺産推進協議会)
https://www.onie.jp/topics/detail/2ed12a39-d897-4a8a-b2ee-516670e67ad7
国の重要無形民俗文化財に選定されており、旧暦の1月7日に行われる。五穀豊穣や無病息災を祈願する六郷満山文化を代表する伝統行事になっている。登場する鬼は、仏の化身とされ、赤鬼と黒鬼が松明を振り回す、火祭りである。
出典:豊後高田市ホームページ
https://www.city.bungotakada.oita.jp/soshiki/4/3248.html
長安寺
↓ 50分 1.5km
天念寺
↓ 90分(8つの岩屋、無明橋を巡る場合) 1.0km ↑
天然寺から直接龍門岩屋へ登り上がることもできる。0.6km 20分
龍門岩屋
↓ 30分 0.7km
無動寺
↓ 40分 0.5km
無動寺耶馬230mピーク
↓ 40分 0.5km
椿堂入口
↓ 20分 0.5km
福真摩崖仏
↓ 20分 0.7km
旧無動寺跡
↓ 60分 1.6km
應暦寺 ⇔ 奥ノ院 片道0.4km 往復30分
※無動寺から椿堂入口まで県道を通れば 10分
移動距離 8.4km 所要時間:約8時間
大分空港より車で40分、28㎞
JR宇佐駅より車で25分、16㎞
大分空港より車で39分、33㎞
JR宇佐駅より車で24分、17㎞
長安寺、天念寺、無動寺、應暦寺にはそれぞれ駐車場有り。
長安寺駐車場、天念寺川沿いの駐車場、應暦寺本堂左にはトイレがあるが、その他はありません。
・大分県文化財調査報告書「歴史の道調査報告書 峯入りの道」第五十四輯、大分県教育委員会、昭和56年3月
・森塚良郎「日本の街道地図 街道名:峯入りの道 街道番号:大分07-01A、大分07-01B」
(問い合わせ先:runtabijapan@yahoo.com.jp)
http://unpoh.web.fc2.com/syukis/morituka/kaidoumap/kaidou-map.html
・飯沼賢司著「国東六郷山の信仰と地域社会」中世史選書17、同成社、2015年
・飯沼賢司「中・近世の六郷山寺院と峯入り」別府大学アジア歴史文化研究所報、第18号。2000年
・「六郷満山開山一三〇〇年記念 大分県国東宇佐 六郷満山展 ~神と仏と鬼の郷~」九州国立博物館、平成29年9月
・「天然寺耶馬及び無動寺耶馬 名勝調査報告書」豊後高田市教育委員会、平成28年12月
・「宇佐国東半島を巡る会」ホームページ
http://usarokugo.com/kunisaki.html
(国東市国東町小原2721-2 tel 0978-73-0300)
・「国東半島宇佐地域・六郷満山誘客推進協議会」ホームページ
https://www.millennium-roman.jp/rokugou1300/
(国東市国東町安国寺1639番地2弥生のムラ国東市歴史体験学習館内 tel 0978-72-5007)
・「国東半島峯道ロングトレイル」ホームページ
http://www.kunisakihantou-trail.com/index.html
国東半島峯道トレイルクラブ(国東市国東町小原2662番地1 国東市サイクリングターミナル内)
・「豊の国千年ロマン観光圏」ホームページ
https://www.millennium-roman.jp
(別府市京町11-8 tel 0977-85-8511)
・「六郷満山峯入りの記録 平成二十二年庚寅年」
http://kunisakikaze.photo-web.cc/2010mineiri/2010mineiri-a.html
日本山岳会 東九州支部
鹿島正隆