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109 国東半島 祈りと修行の道

熊野磨崖仏~富貴寺ルート

熊野磨崖仏~富貴寺(ふきじ)

六郷満山31霊場のうち、胎蔵寺は第6番札所、富貴寺は第4番札所、伝乗寺真木大堂は第5番札所である。
胎蔵寺の熊野磨崖仏は、現代の峯入りの出発点となってきた。鬼が一日にして築いたと云われる長い天然石の石段を登って行くと、岩壁に彫られた大日如来、不動明王が現われる。
国指定重要文化財であり、鍋山磨崖仏と元宮磨崖仏を合わせて三大磨崖仏といわれ、国指定史跡にもなっている。
元宮磨崖仏から富貴寺までの道は、元宮磨崖仏、大門坊磨崖仏、穴井戸観音、朝日観音、夕日観音や中世荘園の面影を色濃く残す田染荘(たしぶのしょう)、また国宝の富貴寺大堂など見どころの多いルートである。
近くには真木大堂(まきおおどう)や日本三大叡山といわれる西叡山高山寺などがある。

古道を歩く

[1日目]熊野磨崖仏~元宮磨崖仏

熊野磨崖仏入口には広い駐車場があり、観光バスも駐車できる。トイレも付設されている。
※駐車場手前の斜面上に、熊野墓地があり、逆修国東塔は県指定有形文化財。「逆修」とは生前に自らの供養を願うというものである。
●胎蔵寺・熊野磨崖仏
熊野磨崖仏は昭和以降の峯入りの出発点となってきた。
参道は谷沿いに伸び、駐車場から少し歩くと右の岩壁に二十三夜塔が埋め込まれている。
参道の左側に参拝受付場所があり拝観料を払う。正面が今熊野山胎蔵寺で、階段脇には仁王像が建っている。右側にはお土産物店が並ぶ。
直進して長い石段を登って行く。石段は287段ある。鬼が一夜にして築いたと伝わる自然石の乱積み石段を登り上がると、左側の巨岩壁に磨崖仏が見えてくる。右が大日如来、左が不動明王である。
国指定史跡であり国指定重要文化財でもある。造立年は藤原末期と推定されている。

さらに登ると熊野権現社がある。熊野権現社石段を登り詰めた左の建屋をくぐって鋸山に登ることができるが、現在、鋸山は反時計回りに周回するよう登山口の案内板に書かれているので注意が必要である。
胎蔵寺の本尊は阿弥陀如来。
参道を下ると、参道入口には、足掛け石、垢離場、庚申塔がある。

県道655号に出るが、旧道(古道)は県道を渡り、橋を渡る。
入口には国東半島ロングトレイルT1の案内標識が立っている。
旧道途中左側には小さな祠がある。
小さな橋を渡り、再び県道に出る。左に緑色の旧平野分校が見え、その反対側には平野トンネルがある。平野トンネルは入口に金網が張られ、通行できない。
平野トンネルを過ぎたところで鋭角に曲がり、田ノ口池の堰堤を通り山際を歩く。

山中に城山薬師堂がある。堂内の四面石仏は県指定有形文化財。巨大な安山岩の四面に半肉彫りで10体の仏像が彫られている。10体の仏像の内、5体が阿弥陀如来坐像、2体が薬師如来立像である。
薬師堂から下ると車道に出る。城山薬師堂四面石仏入口の案内板があり、ここが参道入口である。

古道は、大曲の奥から東の山際を巻いて慈恩寺に向かうが、民家の庭は通り抜けできないので、かんのん橋までもどり慈恩寺に向かう。
大曲の奥の生子岩(四等三角点166.3m地点)に金高墓地があり、県指定有形文化財の石造宝塔がある。
稲積山慈恩寺は現在臨済宗東福寺派になっているが、かつては天台宗で、稲積山観音寺と呼ばれていた。御堂の左側に観音堂がある。

桂川の手前の右上には立派な祠があり、「周ケ尾の岩屋堂」と呼ばれている。
桂川を渡り、県道34号豊後高田安岐線に出て右折すると、鍋山磨崖仏である。鍋山磨崖仏は、熊野磨崖仏、元宮磨崖仏とともに国指定史跡である。制作年は平安時代後期から鎌倉時代初期と推定され、中央に高さ約2.3mの不動明王、両脇に「矜羯羅童子」と「制多迦童子」が刻まれている。急斜面を100段ほど登ると覆屋の中に磨崖仏がある。

鍋山磨崖仏の前を流れる桂川沿いに遊歩道が整備されている。三宮八幡社の前から見る三の宮の景は絶景である。
田染中学校までの道路わきにも、祠やお堂がある。
田染中学校から県道655号線に出て左折。道路に沿って10分ほど歩くと、右側に立派な木造覆屋が見えてくる。元宮磨崖仏である。

[2日目]元宮磨崖仏~富貴寺

元宮木造覆屋の中の岩壁には、不動明王を中心に5体の磨崖仏が薄肉彫りで刻まれている。室町時代後期の作である。
(豊後高田市のホームページでは、欠落したものを含めて6体とし、また「鎌倉時代末期〜室町時代初期の作」となっている。)
磨崖仏に隣接して八幡宮がある。大きな鳥居の奥に社殿があり、境内には苔むした小さい仁王像が建っている。

八幡宮の前を通る県道655号線に戻り、交差点を渡り、南へ約500m行くと、大門坊磨崖仏の案内板が立っている。
右に入って行くと大きな弘法大師の石像が立っている。その奥に大門坊磨崖仏がある。案内版によれば、御堂に向かって左側岩壁奥から、多聞天立像、薬師如来像、大日如来坐像、尊名不詳の仏像、不動明王像が岩に彫られているとのことだが、苔や草に蔽われ風化も激しく判別は難しい。

県道655号線に戻り、さらに南に100mほど行くと、穴井戸観音の大きな案内板がある。
そこを右折し緩やかな坂道を登っていくと、100mほどで穴井戸観音、朝日観音、夕日観音の入口である。
道を挟んで反対側は間戸稲荷神社である。案内標識の矢印に従って進むと両脇に菖蒲園がある。

そこから道を少し上ると穴井戸観音伝説岩屋登口と書かれた高さ30cm程の石柱が立っている。
100段ほどの石段は一つ一つが小さく、緑の苔に蔽われ、手すりもぐらついているので滑らないように慎重に上る。
石段を登り上がると岩屋の下に御堂があり、中に木造の薬師如来像がある。電灯のスイッチがあり点けると薬師如来像が照らされる。
お堂を左に回り込むと、裏に奥行き約30m、幅約10m、高さ5mほどの大きな洞窟がある。
洞窟は奥が深く薄暗いが、入口に電灯のスイッチがあるので点けて中に入る。洞窟の中央には観音像が祀られている。中の洞窟は一周して堂の右側から外へ出る。出口にも電灯のスイッチがあり消灯する。

穴井戸観音から来た道を戻り、菖蒲園を過ぎて右折し、山道を辿ると100mほどで朝日・夕日観音の登り口に着く。
朝日観音岩屋の手前には、鎖のついた滑りやすい石段があり慎重に降りる。
岩屋は高さ30mほどの大きな岩の中腹に掘られており、観音様が祀られている。
降りてきた鎖のついた石段を登り、反対側に行くと夕日観音がある。

夕日観音から時計回りに下ると展望台がある。そこからの景色は素晴らしく、遠くに西叡山を望み、眼下には田染荘の美しい田園風景が広がっている。
展望台から下ると麓の田染小崎地区に入る。このあたりは中世の面影を今も色濃く残している。
大きな屋根がひときわ目立つ光隆山延寿寺(浄土真宗)は、中世の頃には田染荘の荘官の住む「尾崎屋敷」が境内にあった。
延寿寺には県指定有形文化財の延寿寺石殿がある。石殿の表と裏に六地蔵尊像、側面に虚空蔵菩薩像と聖観音菩薩像が彫られている。
宇佐神宮の神官、宇佐(田染)栄忠が建立したことを示す銘文が刻まれている。延寿寺石殿は県指定有形文化財である。

田染の荘から北へ向かい、泉源寺地区を過ぎると田圃を巻くように畦道を通り、天神宮の長い階段の下に着く。
登り上がると小さな社がある。社の右の山道を辿ると民家の軒先に出て、六郷山本山末寺の日野山岩脇寺に辿り着く。

岩脇寺は六郷満山霊場第3番札所。現在は無住で本堂が残っており、嘉永6年2月13日の入峯修札がある。
岩脇寺の境内を出て左に少し行くと、岩脇寺奥の院へ通じる細い小道がある。登っていくと六所権現や磨崖仏があるが風雨に曝され風化が進んでいる。

岩脇寺から主要地方道路豊後高田安岐線を横切り桂川を渡り、七田、大平、松の木の各地区を通り、影平で一般地方道新城山香線と合流する。道が中村に下っていく途中に、左に下る旧道がある。電柱が目印である。
車道から外れると藪道で、枯れた竹林をかき分けて進む。
ほどなくして蕗川左岸に県指定有形文化財の「其田の板碑」と飛び石がある。
その横には高さ約190cm、幅約270cm、厚さ約110cmの巨石があり、「其田(そのだ)の飛び石」と呼ばれている。行者がこの石から飛んで行をしたと伝えられており、今でも峰入り行では行者がこの石から飛んでいる。
市道に出て右に約150m進むと、六郷山本山末寺の蓮華山富貴(ふき)寺である。

富貴寺は六郷満山第4番特別札所。山門前に駐車場とトイレがある。
石の階段を上ると右側に本堂があるが、2024年12月現在改修中である。階段をさらに上ると、九州最古の木造建築物で国宝の大堂が見事な姿を現す。大堂は宇治平等院鳳凰堂、奥州平泉中尊寺金色堂と並び日本三大阿弥陀堂の一つに数えられている。本尊は阿弥陀如来である。
大堂の柱には元禄14年2月13日と宝永3年2月13日の2つの入峯柱銘がある。元禄14年の入峰柱銘は、記録に残る最古のものである。また大堂には国指定重要文化財の木造阿弥陀如来坐像が祀られ、周りの壁画には阿弥陀如来の住む極楽浄土が描かれている。平安時代の壮麗な仏世界を表している。
また、大堂の周りには国東塔や笠塔婆など石造文化財も多数ある。

この古道を歩くにあたって

以下の4区間は山道である。
1.田ノ口池から城山薬師堂入口まで
2.穴井戸観音入口から小崎への降り口まで
3.天神宮入口から岩脇寺まで
4.其田の飛び石の降り口
その他はアスファルト道路である。

古道を知る

六郷満山を巡ると、平安王朝の面影を残す仏像や鎌倉・室町期の厳めしい仁王像、その姿の美しさから固有の様式名をもつ国東塔など、歴史的にも価値を認められた優れた造形の仏像・石塔の数々と出会うでしょう。それと同時に、数多の路傍の石仏や岩窟に祀られた仏像、寺の境内の片隅や山陰に立つ石塔、石碑、庚申塔などに気づきます。
全国にある石仏の70%を占めるとも言われるこれら石仏・石像群は素朴で、神仏への憧憬と想像力を駆使した造形で、国東半島の大きな魅力となっています。
これらすべてが人々の祈りの形です。人々の祈りゆえに、すべてひとしなみに尊いのです。
六郷満山は古代から現代までつづく祈りの水脈をもち、多くの謎を秘めたままこの地に息づいています。
神と仏と鬼が集う国東半島は、行者がわたる峯にも、無垢の自然にも、里人とともに執り行う祭りにも、平和を希求する人々の祈りが込められています。

「国東六郷満山 宇佐神宮と国東半島霊場札所巡り」
六郷満山霊場会会長  寺田豪明氏(両子寺住職)による序文より抜粋

深掘りスポット

熊野磨崖仏(国指定史跡)

田染地区の南端に位置する熊野磨崖仏は国東半島最大の磨崖仏である。参道入口に六郷満山霊場第6番札所今熊野山胎蔵寺があり、ここから287段の乱石積の石段を登ると左側の崖壁面に、向かって右側に大日如来、左側に不動明王の巨大な磨崖仏が見えてくる。その造形から、大日如来が11世紀半ば以前、不動明王が12世紀後半以後の作とされている。現在の峯入りでは、不動明王前の広場で採燈護摩を焚き入峰が始まる。

元宮磨崖仏(国指定史跡)

富貴寺と真木大堂をつなぐ県道655号線の道路沿いにある。田染の総社であった八幡神社北側の岩壁に薄肉彫りで刻まれている。不動明王を中心に右に矜羯羅童子(こんがらどうじ)、毘沙門天、左に持国天、声聞形尊像(=地蔵菩薩)が彫られている。
なお、左から3番目の制多迦童子(せいたかどうじ)が欠落している。
また、案内板には室町時代後期の作とあるが、豊後高田市のホームページには鎌倉時代末期〜室町時代初期の作とある。

穴井戸観音

古い苔むした石の階段をあがると、大きな岩屋があり中央にお堂がある。中に木造の薬師如来像が祀られている。お堂を左にまわりこむと、間口が広い大きな洞窟がある。洞窟の中には大小いくつものお地蔵様が祀られている。洞窟の最奥には観音様が祀られていて、これが穴井戸観音である。岩天井から雫が落ち、常に濡れているので別名「濡れ観音」とも呼ばれている。洞窟内の右側には深い穴があり、遠く離れた桂川の河口近くの権化の鼻に通じているといわれている。天井から落ちる雫は、仁聞菩薩が六郷満山の峰々を修行して歩いていた時にこの雫で喉を潤し疲れを癒したと云われ、「仁聞の隠れ水」と呼ばれて、昔からこの水を体につけると知恵がつくと伝えられている。

朝日観音、夕日観音

朝日観音は、高い岩山の中腹に掘られた岩屋の中に祀られている。西叡山高山寺の焼仏も祀られている。また、子授け観音としても知られ、観音様にお参りして真心こめて子授けを祈願して子持岩を拝むと、子宝が授かると伝えられている。朝日岩屋、夕日岩屋ともに、馬城山伝乗寺の三十六坊の一つと伝えられている。夕日観音から時計回りに進むと展望台があり、そこからの景色は素晴らしく、見下ろせば昔ながらの田染荘の田園風景が広がっている。

田染荘(たしぶのしょう)

(国指定重要文化的景観)
田染荘は、宇佐八幡宮「本御荘十八箇所」の一つ。国東半島の西部に位置し、中世に遡る宇佐八幡宮の荘園遺跡に起源を持つ。古代、国東半島には六郷(来縄、田染、安岐、武蔵、国崎、伊美)と呼ばれる6つの郷村が形成されていた。11世紀前半に田染荘の村落及び農地が開発され、その後宇佐八幡宮の荘園の一つとして重視され、田染氏を名乗る神官の子孫が代々支配するようになった。現在も平安時代の美しい田園風景が残っている。

富貴寺

六郷満山霊場第四番特別札所  蓮華山 富貴寺
古くは「蕗寺」と表し、「阿弥陀寺」とも称した。六郷満山本山末寺。本尊は阿弥陀如来。貞応2年(1223年)の「大宮司宇佐公仲寄進状案」(到津文書)によると、富貴寺は宇佐神宮大宮司家である宇佐氏代々の祈願所であり、除災招福の祈祷が行われていた。

富貴寺大堂(国宝)

日本三大阿弥陀堂の一つ。
山門をくぐり、拝観料を払い、正面の石段を上ると、古木に囲まれた阿弥陀堂が見えてくる。
榧(かや)の木材が使用され、屋根は宝形造り。中心の宝珠から四方に流れるような行基葺でわずかに反り返って優美である。
平安時代を代表する仏教建築で、九州に現存する最古の木造建築である。国宝に指定されている。
堂内に鎮座する本尊、阿弥陀如来坐像は榧の寄木造りで、平安末期の作。堂内の壁は極楽浄土、来迎図で埋められ、風雪を経て色褪せおぼろげになっていたが、大分県立歴史博物館による復元作業により、創建当初の美しく鮮やかな姿が明らかになった。
現在、大分県立歴史博物館に、堂内の壁画と阿弥陀如来坐像の実物大の複製品が展示されている。
平成25年には富貴寺の境内全体が国の史跡となった。
大堂の周囲には、国東地方特有の蓮華座にのる国東塔、鎌倉期のものとされる県指定文化財:笠塔婆(かさとば)、苔むして蹲るように並ぶ十王像と奪衣婆像など貴重な文化財がある。

富貴寺の御神木「榧木」(かやのき)

富貴寺大堂の左に御神木「榧木」がある。推定樹齢500年。国宝阿弥陀堂の平安時代の素材と阿弥陀如来には「かやのき」が使われていた。伝説では、昔高さ970丈(約2910m)もある大きな榧の大木があり、この榧の木一本で阿弥陀堂を造り、仏像を刻んだとされている。材は緻密で、柾目が美しく、独特のツヤと甘い芳香があり、またシロアリや水に強いため、平安から鎌倉時代にかけて作られた仏像にはよく使われていた。
※案内板より

真木大堂

六郷山の本山本寺の一つで、馬城山伝乗寺と言われている。現在は無住。かつて伝乗寺は大きな勢力を誇っていたが、鎌倉時代に消失した。
現在の本堂は江戸時代に再建されたものである。
昔から大堂の茅葺き屋根を村人が総出で葺き替えるなど、田染郷全体で大切に守ってきた。大堂前は馬場であったといわれ、付近には釈迦堂、芝堂などの寺坊跡があり、広大な寺域を誇っていた。
国指定重要文化財の九体の仏像は、収蔵庫に安置されている。
木造阿弥陀如来坐像、木造四天王立像、木造不動明王立像、不動明王の脇侍である矜羯羅童子(こんがら):制叱迦童子(せいたか)の二童子立像、木造大威徳明王坐像が保管されている。
本尊は阿弥陀如来坐像で、檜の寄木造り漆塗りで2mを超す。九体すべて平安後期の作である。
また、境内にある古代公園には、田染郷に散らばり埋もれていた石仏や石塔などが集められている(国東塔、宝篋印塔、五輪塔、板碑、石幢(せきどう)、石殿、石祠など)。

高山寺(天台宗)

西叡山にある高山寺は、京都の比叡山、東京の東叡山と並び、日本三叡山と呼ばれている。
平安時代に建立されたが、江戸時代には焼けてしまい、再建されたのは昭和59年。
かつて高山寺は六郷満山を代表する寺として栄えていた。
晴れた日には、高山寺の駐車場から、国東半島の中心部の山々や瀬戸内海の周防灘を望むことができる。絶景の場所である。

ミニ知識

国東半島の峯入り

峯入り行者たちの組織

峯入りのリーダーを「大先達」、その補佐役を「先達」という。参加した行者たちの世話をするのが「大越家(だいおっけ)」、その補佐役が「後越家(ごおっけ)」。これら役職者以外の六郷山峯入りの参加者を「結衆行者」あるいは「入峯行者」と呼び、初めての参加者を「初入」と呼んでいる。

行者たちの装束とアイテム

行者たちは、白の浄衣に白の山袴を着て、手甲脚絆をつけ、頭に八葉の蓮華を象った白の大黒頭巾を被り、輪袈裟を掛けて、首から頭陀袋を下げている。頭陀袋には人々に配る護符などさまざまな小物を入れている。
足元は白足袋に草履履きや白の地下足袋、手には必ず錫杖を持ち、法螺貝を携える行者もいる。白装束は、心身ともに穢れがないことを表しているが、死装束でもあり、峯入りによって行者が今までの自分を捨て、新たに再生する姿を表している。

大元神社(御許山頂)への参拝

兜巾揃いの前日、宇佐神宮の奥の院、御許山頂に鎮座する大元神社に大先達たちが参拝に行き、これから峯入りをすることを報告する。
御許山頂は八幡神が最初に現れたという聖地で、社殿はなく、禁足地の中に3つの巨石が祀られている。江戸時代、行者たちは時別に禁足地に入って礼拝することが許されていた。

宇佐神宮の昇殿参拝

御許山から下りてきた大先達たちは、宇佐神宮上宮で昇殿参拝をする。朱塗りの回廊に立ち並んで読経する姿は、神仏習合時代の八幡宇佐宮を想起させる。六郷山を開いた仁聞菩薩が、八幡神の化身であったことを実感させる一瞬でもある。

開白護摩

熊野摩崖仏の不動明王の前で行われる最初の行法。大先達が採燈師となって採燈護摩が焚かれ、入峯祈願の願文が読み上げられ、参拝者の祈願を書いた護摩木が炎の中に投げ込まれる。

散華

岩脇寺の裏山の峯道は崖の上を通っているが、行者たちはここからシキミの小枝を天空高く投げ、国東の地におられる諸仏諸菩薩を供養した。

岩飛び

六郷山峯入りで特徴的な行法。富貴寺の「其田の飛び石」は、法螺ケ石に登って飛び降りる行で、同様に岩脇寺、無動寺、千燈寺、両子寺などで行われている。

ビクニ

天念寺の手前で、疲れた行者を少しでも助けようと、供奉者(今では地元の人たち)が行者を肩車して運んでいた。行者たちと地元の人たちとの心の交流が古くからあったことがわかる。大分方言では肩車を「ビビンコ」などと言っている。

大般若

応暦寺の大般若では、大般若経を読誦しながら両手で経典をリズミカルにパラパラと開いていく。それが終わると、境内の老若男女の背中を経典でたたいて廻る。峯入りの功徳を分けてもらおうと、応暦寺の境内には多数の参拝者が詰めかけたようだ。

虫封じ

千燈寺境内で行われる虫封じでは、子ども達が境内に広げたゴザの上に横になり、疳の虫がおこらないようにと、行者たちが錫杖を手に次々に加持していた。「加持}とは災いを除くために仏や菩薩の加護を祈ることである。

結願護摩

両子寺の講堂前で行われる峯入り最後の行法。野外に不動明王の絵姿を描いた掛け軸が掛けられ、その前で護摩を焚き、峯入りが無事終わったことを報告して感謝する。

不動の真言

平成12年(2000年)に行われた峯入りでは、4日間で160㎞踏破。峯入りのあいだ、行者たちは、不動の真言を唱えながら険しい峰々を歩いた。
※参考文献:「国東半島の峯入り」六郷満山会発行、平成12年10月(2000年)

まつわる話

穴井戸の話

田染荘間戸(たしぶのしょうまど)地区にはかつて100軒ほどの家があり、とても栄えていた。
むかし、むかし、その日も子どもたちは鶏と追いかけっこをしながら楽しく遊んでいた。
ところがその中の一羽が、穴井戸(あないど)に逃げ込んでいなくなった。
子どもたちは必死で探したが見つからず、その日は暮れてしまった。
ところが諦めかけていた翌朝、その鶏が権化の鼻(現在の豊後高田市の中央公民館の下手付近)で「コケコッコー」と大きな声で鳴いたらしい。
今でも、穴井戸には、横穴があり高田の権化の鼻まで通じていると言われている。
また、穴井戸には観音様が祀られており、別名「濡れ観音」と呼ばれ、どんな日照りの夏でも、そのご神体はしっとり濡れている。
その水滴は「仁聞の隠れ水」と呼ばれ昔から知恵の水と言い伝えられており、この水を体に付けると知恵が付くと言われている。 ※案内板より

熊野摩崖仏の「鬼の石段」伝説

その昔、一匹の赤鬼が、熊野の山に住みつき、参拝者や里人を餌食にしていたので、権現様はこの様子を眺め大変心配されていた。
早速退治の名案として、三百段の石段を一夜で造りあげることを鬼に命じた。
そして一番鶏の鳴くまでに完成したらお前の好きなようにしてあげよう、若し一夜で完成しなかったらこの熊野の山より早々に立ち去ることを約束させた。
鬼は全力をあげて、大石小石を近くの山より集めて、自然石を巧みに組み合わせて、素晴らしい石段もあと一息で完成しそうになった。
この様子を山頂から眺められていた権現様はあと一息で完成という時、一段と声をはりあげて、「コケッコー」と鶏の鳴きまねをして、夜明けの一番鶏のときを告げた。
あと一息で完成の前に、一番鶏の鳴き声を聞いた鬼は、「無念残念」と大声をあげて、持っていた鉄棒に満身の力をこめて、石段の最上段より投げつけた。
みごとに築きあげられていた石段はめちゃくちゃになり、乱れ石段と早変わりした。
鬼は約束が果たせなったので、逃げ去ってしまった。
それ以来熊野の里には再び鬼の姿は見られなかったと伝えられている。
今でも熊野の石段は自然石の乱れ積みで「鬼の石段」と呼ばれ、その数は287段で300段に少し足りない。
※参考文献:「国東半島 六郷満山の伝承 景勝と仏の里」 渡辺 了

富貴寺の「大榧の木」の話

むかしむかし、田染の蕗(ふき)の谷に大きな榧(かや)の木が一本ありました。
この木の大きいことといったら、その影が朝は隣村の河内地区に及び、夕べには反対側の田原地区に達するほどでした。
仁聞菩薩様がここに霊場を開こうとして、この榧の木で大堂を建て、仏像を刻もうとなされました。
さて、いよいよ木びきがこの榧の木を伐ることになりましたが、不思議なことに伐っても伐っても次の朝にはもとどおりになっていました。
木びきが困っていると、ヘクソカズラがやってきて、「木から出てくるおがくずをその日のうちに焼いてしまうと倒すことができますよ」と教えてくれました。
木びきは、言われたとおりにして、やっと榧の木をきり倒すことができました。
さて、仁聞菩薩様は、この木で仏像を刻まれ、大堂は竹田の番匠(ばんじょう)(大工)に命じて建てさせました。
これが国宝富貴寺であり、今でも多くの信者に親しまれています。
※境内には今でも榧の木が植えられています。
※富貴寺山門前の案内板より

ルート

[1日目]熊野磨崖仏~元宮磨崖仏
熊野磨崖仏・胎蔵寺
↓       90分 3.5㎞
城山薬師堂
↓       10分 0.7㎞
★かんのん橋 ⇔ 金高墓地 国東塔  往復60分 片道1.2㎞
稲積山 慈恩寺
↓       50分 1.4㎞
鍋山磨崖仏・三宮の景
↓       90分 3.5㎞
田染中学校
↓       15分 1.6㎞
元宮磨崖仏
1日目 移動距離  10.7㎞ 約4時間15分
★かんのん橋、金高墓地国東塔 往復は除く

[2日目]
元宮磨崖仏
↓      15分 1.6㎞
大門坊磨崖仏
↓      30分 0.9㎞
穴井戸観音入口
↓      70分 1.2㎞
延寿寺
↓      55分 1.2㎞
岩脇寺
↓     110分 5㎞
富貴寺
2日目 移動距離 11.5km 約4時間40分

アクセス

熊野磨崖仏・胎蔵寺
大分空港から車で36分、30㎞  JR宇佐駅から車で22分、18㎞ 山門入口に駐車場、トイレあり
鍋山磨崖仏・三宮の景
大分空港から車で29分、25㎞  JR宇佐駅から車で22分、17㎞ 「三宮の景」に駐車場あり。徒歩3分、300m
元宮摩磨崖仏
大分空港から車で32分、27㎞  JR宇佐駅から車で19分、15㎞ ※近くには駐車場がありません。
穴井戸観音入口
大分空港から車で33分、27㎞  JR宇佐駅から車で22分、16㎞   入口の道を挟んで反対側に駐車スペースあり
延寿寺
大分空港から車で35分、28㎞  JR宇佐駅から車で22分、15㎞    道路沿いに駐車スペース有り
富貴寺
大分空港から車で37分、31㎞  JR宇佐駅から車で20分、15㎞    山門前に駐車場、トイレあり
真木大堂
大分空港から車で33分、26㎞  JR宇佐駅から車で22分、16㎞
高山寺
大分空港から車で51分、35㎞  JR宇佐駅から車で29分、14㎞

参考資料

「国東半島『田染』名勝調査報告書」豊後高田市教育委員会、平成29年(2019)3月
「夕日岩屋・朝日岩屋 名勝調査報告書」豊後高田市教育委員会、令和5年7月
宇佐国東半島を巡る会監修「国東六郷満山 宇佐神宮と国東半島霊場札所巡り」木星舎、2016年1月
六郷満山会「国東半島の峯入り」平成12年(2000年)10月
大分歴史博物館編「聖なる霊場 六郷満山」戎光祥出版、2018年
渡辺了「国東半島 六郷満山の伝承 景勝と仏の里」昭和59年(1984年)6月
大分県文化財調査報告書「『歴史の道』調査報告書 峯入りの道」大分県教育委員会 昭和56年3月
西海賢二、時枝務、久野俊彦編「日本の霊山読み解き事典」柏書房 2014年8月

協力・担当者

日本山岳会 東九州支部
鹿島正隆
下川智子

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