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105 剣山表参道
●1日目:コリトリ(垢離取)橋 → 龍光寺富士ノ池本坊・劔山本宮劔神社 → 追分 → 劔山本宮一ノ森神社 → 劔山本宮二ノ森神社 → 劔山頂上 → 劔山本宮宝蔵石神社 → 剣山頂上(泊)<歩行約6時間>
出発は現在のコリトリ橋(標高750m)です。昭和51年(1976年)の山腹崩壊以前までコリトリ橋は、富士ノ池谷が穴吹川合流する辺りにあったとされますが、その場所は現在、堰となっています。
少し上流に新設されたコリトリ橋を渡ります。橋を渡った右手に不動明王像が祀られています。
しばらく車道を道なりに進んでから左手の尾根筋の道に入り、車道を串刺しするように山道を登って行きます。
高さ150mほど登ると、車道に出る少し手前に岩壁に彫られた不動明王像が見え、修行として登山する人びとの往来をうかがえます。
車道に出会ったら横切って山道へ入りさらに500mほど登ると、龍光寺富士ノ池本坊・劔山本宮剣神社へ向かう車道に合流し、駐車場と門が見えてきます。
門をくぐり、階段を登って富士ノ池本坊に到り、建物正面から左手の道を進んで、福生大権現などの祠の前を通り、少し崩れた急な坂道を登って行くと劔山本宮劔神社となります。
神社の左手から注連縄下をくぐり追分に向けて登っていきます。
標高1400m辺りからブナ林が美しい場所となり、追分に到着します。
追分からは右手の剣山行場へ向かう道を取るのが本来の道順でしたが、この道は途中で谷が崩壊し、現在通行禁止となっています。
左手の一ノ森方向の道を高さ200mほど登ると、標高1650mを越えたあたりから、笹原となり所々に白骨樹が見える景観となります。さらに高さ200m登ると一ノ森ヒュッテが見え、ヒュッテ手前を右手方向に向かう小道へ進むと、劔山本宮一ノ森神社の祠があります。
一ノ森神社からは一ノ森ヒュッテの手前を左手方向へ進み、三角点へ登ります。
その後一ノ森頂上(1879m)を経て、剣山方向の西へ進みます。
下りの道を距離200mほど歩くと、昭和40年(1965年)に殉職した剣山測候所技官を弔った殉難の碑に行きあたります。
道が二股になっているのを左手へ進んで、ニノ森へ向かって登ります。
ニノ森の頂を越えて下りたすぐの所に劔山本宮二ノ森神社が祀られています。
その後、1kmほど進むと剣山山頂東側テラスが見えてきます。テラスを目指して少し急になった坂を登り、その後テラスから木道を歩いて剣山山頂(標高1955m)に到ります。
頂上を回った後に劔山本宮宝蔵石神社へ向かい、隣接する剣山頂上ヒュッテに到着します。
●2日目:劔山本宮宝蔵石神社 → 行場(不動の岩屋、おくさり、鶴の舞)→ 劔山本宮枝折神社 → 刀掛けの松 → 行場(劔山本宮古劔神社、劔山本宮三十五社、劔山本宮両劔神社)→ 一ノ森ヒュッテ → 追分 → 劔山本宮劔神社・龍光寺富士ノ池本坊 → コリトリ(垢離取)橋 <歩行時間6時間>
劔山本宮宝蔵石神社付近で朝日の御来光を拝んだ後に出発し、行場方向へ向かう北東方向の道を下ります。
100mほどの距離を進むと分岐があり、まず右手方向へ進み、不動の岩屋、少し下っておくさりを確認します。
その後分岐まで登り返し、右手へ進み、鶴の舞を確認します。
修行では、鶴の舞から崖を下り、千筋の手水鉢を通過、古劔神社に到りますが、鶴の舞の上方を通っている道を枝折神社、刀掛けの松方向へと進みます。
安徳天皇が宝剣を掛けたという伝説がある刀掛けの松があった場所から剣山頂へ向かう道の脇に道中安全を守る神と考えられている枝折神社が祀られています。
祠の前に猿田彦命の石像があります。
刀掛けの松の場所から東方向に戻り、途中、分岐を左手方向の道を取り、古劔神社へと向かいます。
岩場の下りの道の後、登りとなった道の右手の岩の下に古劔神社の祠があります。
その後、道をさらに東方向に進むと、左手方向に蟻の塔わたり、胎内くぐり、上臼という行場をめぐる表示があります。
表示の方へは下らず、右手へ登って行くと、左手に見える岩の上に三十五社の祠が確認できます。
さらに道なりに進んで下った岩の下方に劔山本宮両劔神社があります。
両劔神社前を通過し、すぐに左手に下って一ノ森方向へとすすみます。
トラバース道を登って行き、穴吹川源流の谷を横切り、剣山北斜面の岩石の転がった道を少しずつ登って行きます。
途中、通行禁止の追分からの道との分岐を通過しますが、右方向の下竹道という昭和になって開かれた道をたどり、殉難の碑がある場所まで登り返します。
その後、往路で通った道を一ノ森ヒュッテへと戻ります。
一ノ森頂上までは戻らず、手前で左手の一ノ森ヒュッテ方向の道をたどり、ヒュッテからは、往路登って来た道を下り、コリトリ橋まで戻ります。
初心者でも歩ける一般的な登山道ですが、行場周辺は足場の悪い所があるので注意が必要です。
途中1泊を必要とします。剣山頂上ヒュッテ、一の森ヒュッテ、一の森ヒュッテのテント場で宿泊可能です。
*剣山頂上ヒュッテ
080-2997-8482
https://tsurugisan-hutte.com/
*一の森ヒュッテ
0883-53-5911
https://www.city.mima.lg.jp/kanko/map/list/4042.html
剣山は標高1955m、四国山地東部に位置する徳島県最高峰の山です。
宝蔵神社や大劔神社のように巨岩があるためか、立石山または石立山と呼ばれていました。
剣山と呼ばれるようになるのは江戸時代以降で、安徳天皇の剣を山頂に埋めて神体としたなど山名の由来には諸説があります。
平家の落人伝説が伝えられる山ですが、江戸時代初頭に円福寺(三好市東祖谷菅生)や竜光寺(美馬市木屋平谷口)の主唱によって山伏修験の霊山として開発されました。
庶民が登拝するようになるのは江戸時代中後期以降です。
開発当初の登山道は、現在の主要登山道と重なる、劔神社(三好市東祖谷見ノ越)を管轄した円福寺を起点とした道だったとされます。
1757年(宝暦7年)の『異本阿波志』には「その余平山(木屋平)より参詣の道あり。諸人多くハ是より登る」とあることから、以来、竜光寺を起点とし富士ノ池から登る登山道が表参道とされているので、古道として主に表参道について紹介します。
この道は、1976年(昭和51年)に山腹崩壊があり、登山口であったコリトリ(垢離取)の位置が移動しています。
また、近年、一ノ森(1879m)を経ず行場から剣山頂上へ向かう道が崩れ、通行不能となっており、従来の表参道どおりにはたどれなくなっています。
古道として紹介する表参道は、現在の富士の池ルートと重なり、主に剣山修験道の徳島県東部、南部の信者を中心とする富士ノ池(竜光寺)派の修行の道として現在まで継承されてきました。
一方、見ノ越を起点とする登山道は、裏参道と呼ばれ、円福寺が竜光寺に対抗して見ノ越に不動堂(剣山円福寺)を建立、徳島県西部の信者を中心とする見ノ越(円福寺)派による修行の道、その後、登山リフト建設、自動車道の整備などから、現在剣山への主要登山道となっています。
■木屋平分間村絵図 1879年(明治12年)写(美馬市木屋平総合支所蔵 画像提供:徳島県立文書館)
1812年(文化9年)に作成された絵図の写しが残っており、表参道に一ノ森付近に経塚大権現(現一ノ森神社と思われる)、ニノ森大権現(現ニノ森神社)、宝蔵石権現(現宝蔵石神社)、古剣大権現(現古劔神社)などが祀られていたことを確認できます。また、現在の大劔神社の背後にある御塔石と呼ばれる岩の両脇に右神石、左神石と記された岩が絵図に記されていますが、左神石は、崩壊したのか現在確認することができません。岩の景観が変化していることがわかります。1976年(昭和51年)の大雨による山腹崩壊でかつで、絵図に描かれているコリトリ(垢離取)周辺は、いっさいなくなってしまっているとされます。
■渡辺広輝筆 祖谷山絵巻(徳島県立博物館蔵)
絵師渡辺広輝(1778~1838年/安永7~天保9年)によって描かれた絵巻によって当時の剣山頂上付近の様子と大劔神社付近の様子をうかがえます。現在の景観、宝蔵石、御塔石と大劔神社と比べることができます。宝蔵石はこの絵が描かれた際には「交合石」、御塔石は「大剣神石」とされていたようです。木屋平分間絵図にも描かれている、大劔神社の右に描かれた「脇立岩」とされる岩は現在確認することができません。
文化9年(1812年)の木屋平分間絵図によると、現在の富士ノ池本坊付近には冨士池坊、不動堂、八大龍王が祀られ、劔山本宮劔神社付近には両劔山神主、両劔山神社、福生権現が祀られていることが確認できます。
残念ながら古くからの社寺は残っていませんが、新たに祀られた八大龍王の石碑、福生大権現の祠などを見つけることができます。また崩壊したコリトリ(垢離取)の代わりに設置された禊場、祀られた不動明王像などがあり、山伏修験の霊山として信仰され続けている剣山を感じることができます。
社殿の背後にある宝蔵石が権現として信仰の対象になっていたようです。
宝蔵石は、剣山の名の由来の一つとされる1729年(寛政5年)に菊池武矩によって記された紀行文『祖谷紀行』の「安徳天皇の御つるぎを納め給ひしより、剣の峯といふなん」という記事にある剣が納められた石だという伝説があります。
表参道から少し外れていますが、主要登山道、見ノ越ルート上にあります。文化9年(1812年)に作成された絵図には大篠剣大権現として岩と社が記されています。御塔石は大剣岩、御神石ともいわれ、大劔神社の御神体とされ、この岩が剣のように尖っているから剣山という説が宝暦7年(1757年)に宇野真重が書いた『異本阿波誌』などに記されています。
徳島県立博物館(徳島市)
https://museum.bunmori.tokushima.jp/
徳島県立文書館(徳島市)
https://archive.bunmori.tokushima.jp/
●剣山お山開き 4月29日
劔神社(三好市東祖谷菅生)で神事がとり行われ、御神輿渡や餅投げが開催されます。
●劔山本宮奥かけ神幸祭 5月3日・4日
劔山本宮劔神社から御神体を山頂の宝蔵石神社まで運ぶとともに参加者が奥かけ修行を行います。
●劔山本宮山頂大祭 7月17日
劔山本宮宝蔵石神社(美馬市木屋平川上カケ) 例祭日(7月17日)以降の日曜日に神輿が山頂を練り歩きます。
●劔神社夏祭り7月17日
劔神社(三好市東祖谷菅生) で神事が行われます。
●劔山不動院円福寺(三好市東祖谷菅生)7月17日
剣山夏祭りとして柴燈護摩が行われます。
*祭礼日は変更することがありますので、事前に御確認ください。
劔山本宮宝蔵石神社 TEL.0883-24-2287
劔神社 TEL.0883-67-5277
円福寺 TEL.0883-67-5087
●小説『天涯の花』で有名となったキレンゲショウマの群生地
キレンゲショウマはアジサイ科の多年草。高さ1m前後で7月下旬から8月中旬にかけて鮮やかな黄色の花を咲かせます。宮尾登美子の小説『天涯の花』(1998年(平成10年)刊行)で一躍有名となり、現在、剣山の代名詞ともなっています。表参道上の刀掛けの松から両劔神社にかけてに群生地があります。
「1日目」
コリトリ橋出発
30分 ↓ 0.5km ↑ 30分
岩に刻まれた不動明王像
40分 ↓ 1.5km ↑ 40分
富士ノ池本坊
15分 ↓ 0.3km ↑ 15分
劔山本宮劔神社
60分 ↓ 1.5km ↑ 50分
追分
80分 ↓ 1.5km ↑ 70分
一ノ森ヒュッテ
10分 ↓ 0.3km ↑ 10分
一ノ森頂上
30分 ↓ 0.7km ↑ 30分
ニノ森頂上
40分 ↓ 1.0km ↑ 30分
剣山頂上
10分 ↓ 0.2km ↑ 10分
剣山頂上ヒュッテ
「2日目」
剣山頂上ヒュッテ
25分 ↓ 0.2km ↑ 40分
不動の岩屋
30分 ↓ 0.4km ↑ 30分
劔山本宮枝折神社
40分 ↓ 0.5km ↑ 40分
劔山本宮両劔神社
50分 ↓ 1.5km ↑ 45分
一ノ森ヒュッテ
70分 ↓ 1.5km ↑ 80分
追分
50分 ↓ 1.5km ↑ 45分
劔山本宮劔神社
15分 ↓ 0.3km ↑ 15分
富士ノ池本坊
40分 ↓ 1.5km ↑ 40分
岩に刻まれた不動明王像
30分 ↓ 0.5km ↑ 30分
コリトリ橋
JR穴吹駅~富士ノ池登山口 コリトリ(美馬市木屋平村川上)タクシー(約43km、1時間10分)
徳島自動車道・徳島I.C. → 大野(国道11号・55号)→ 国道192号・県道203号に入る → 左折し国道438・439号に入る → 富士ノ池登山口 コリトリ(美馬市木屋平村川上)
徳島自動車道・脇町I.C. → 脇町(国道193号)→ 穴吹(国道492号)→ 木屋平(国道438・439号)→ 富士ノ池登山口 コリトリ(美馬市木屋平村川上)
(注)国道438・439号は冬期(12月28日~3月31日)美馬市木屋平、三好市東祖谷からつるぎ町一宇で通行規制あり。
富士ノ池登山口 コリトリ駐車場
富士ノ池 駐車場
●「剣山表参道」を書くにあたって参考にした文献
〇平凡社地方資料センター編『日本歴史地名大系37巻 徳島県の地名』平凡社、2000.2
〇徳島県三好郡東祖山村誌編集委員会編『東祖谷山村誌』東祖谷山村誌編集委員会編、1978.11
〇三木寛人編『木屋平村史』徳島県麻植郡木平村役場、1951.2
〇飯田義資『剣山』(私家版)、1939.7
〇羽山久男「文化9年分間絵図からみた美馬市木屋平の集落・宗教景観」『阿波学会紀要 第54号 美馬市木屋平 総合術調査報告』徳島県立図書館、2008.7
●読者が参考になる文献
〇新居綱男監修/尾野益大『剣山物語 頂上ヒュッテ50年の歩み』剣山頂上ヒュッテ、2005.11
〇剣山観光推進協議会「剣山の観光と登山マップ」
http://www.turugisan.com/map.html?size3=b#map3
●古文書、古地図、絵図、絵画など
〇木屋平分間村絵図 明治12年写部分
(原品:美馬市木屋平総合支所蔵 画像提供:徳島県立文書館)
〇渡辺広輝筆 祖谷山絵巻(剣山絶頂図)(徳島県立博物館蔵)
《担当者》
日本山岳会 四国支部
庄武憲子
《協力》
徳島県立博物館
徳島県立文書館