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104 四国八十八か所遍路道
四国八十八ヶ所遍路道は、四国内に点在する札所(ふだしょ)と呼ばれる弘法大師ゆかりの88の寺院を巡る全行程約1400km、徒歩で約40日から50日の巡礼路である。
遍路道は、徳島県霊山寺を第1番札所とし、香川県大窪寺を第88番札所として一般的には時計回りに四国を一周する。
巡礼者は、「お遍路さん」と呼ばれ、各札所にある本堂と大師堂で蝋燭、線香をあげ納札し、本尊真言、光明真言、般若心経等を唱えて海岸沿い、山中に点在する88の札所(寺院)を参拝して巡る。この札所での参拝を「打つ」と言う。
巡礼者は、札所を打ちながら歩を進めるにつれ心の変化を感じるという。
また四国の人々の巡礼者に対する暖かい心遣いである「お接待」も心温まる風習である。
遍路道には、遍路宿、善根宿などもあり、地元住民や巡礼者同士のふれあいもある。
また、四国を一周する旅は、社寺仏閣をはじめとする文化、山・川・海の自然や食の豊かさのほか人との触れ合いも心を豊かにする。
四国八十八ヶ所遍路道の山岳古道は、各項をご覧ください。
・「焼山寺道」
・「かも道」「いわや道」「平等寺道」
・「大窪寺道」
現在は、ツアー遍路が多いが、車遍路、自転車遍路、歩き遍路、公共交通機関と歩きを併せたハイブリット遍路等巡礼者自身の状況と相談し、様々な形態の遍路ができることも魅力である。最近は、外国人のお遍路さんも多く、そのほとんどは歩き遍路で熊野古道等日本の古道歩きを経験しているハイカーが多い。
海外にも長距離の宗教巡礼路がある。代表的なものにスペインのカミーノ・デ・サンディアゴなど非常に距離が長い宗教巡礼路がある。これらの巡礼路が一方向的に聖地に向かう巡礼路(往復型巡礼路)であるのに対し、四国遍路道は1〜88番までの札所があるものの札所を巡る輪の巡礼路(回遊型巡礼路)である。
どこから巡ろうが逆に巡ろうが(逆打ち)許される。
決められた聖地に向かうこと自体が目的ではなく巡礼自体が修行であって心の平穏を得る旅であるからであろう。
四国札所を巡る歩き遍路は、約1,400㎞、40〜50日を費やす長旅である。すべてを一度に回る「通し打ち」のほか幾度にも分割して巡る「区切り打ち」とすることもできる。
概略は以下の通り(第1番札所霊山寺から時計回りに第88番大窪寺に至る順)。
阿波徳島の1〜23番札所の巡礼路は、1番札所霊山寺で発願し、難所が続く険しい道のりが最初の試練となる「発心の道場」である。
JR徳島駅からJR高徳線に乗る。板東駅で下車し、通称「一番さん」霊山寺に向かう。霊山寺門前で遍路用品を整え遍路を開始する。
10番切幡寺までは比較的平坦な遍路道を進むが10番切幡寺は門から332段の階段を登る。
この先、南下して欄干のない潜水橋である川島橋で「四国三郎」と呼ばれている吉野川を渡り11番藤井寺に向かう。
遍路道すべての橋の上では杖を突かない。弘法大師が橋の下で休まれているかもしれないからだ。
11番藤井寺を打った後は、遍路道最大の難所といわれる「遍路転がし」の急登で凡そ750m地点まで登った後400m弱下り、再度登り返して標高800mの12番札所焼山寺まで一気に高度を上げる。累積高度差は、約1,100mにも及ぶ険しい山道だ。
焼山寺からは徳島市に向かって下る。この後19番立江寺までは比較的高低差のない道である。
この先の20番鶴林寺、21番太龍寺への道も「遍路転がし」だ。
標高500mを越える2つ山の上り下りだ。21番太龍寺は、弘法大師が修行した場所といわれ、現在はロープウエイが敷設されている。
太龍寺下から海岸線に出て徳島県で最後となる日和佐の23番薬王寺を目指す。
歩き遍路の目安は9日間程度。
《写真:一番札所霊山寺山門》《写真:潜水橋川島橋》《写真:本文から遍路転がしの道》《写真:太龍寺から那賀川を見る》
土佐高知の24~39番札所は、どこまでも続く長い海岸線をひたすら歩く「修行の道場」である。
薬王寺を打った後は左に太平洋を見ながらひたすら高知の室戸岬にある24番最御崎寺を目指す。歩程は約74.5㎞、2日間の旅である。
最御崎寺からは北上し、左に土佐湾を望みながら高知市を目指す。
32番禅師峰寺から33番雪蹊寺間の浦戸湾は船で渡る。この海上ルートは県道であり、乗船料は無料である。約5分間の船旅を楽しむ。
高知を過ぎいくつかの札所を打ち、さらに西南へ海沿いを進む。
四万十川を越え四国最南端足摺岬にある38番金剛福寺を目指す。
37番岩本寺から38番金剛福寺までは札所間最長の80.7㎞であり、2日を要する。まさに「修行の道場」にふさわしい長旅である。
歩き遍路の目安は移動日も入れて13日間程度。
《写真:室戸岬》《写真:27番神峰寺》《写真:浦戸湾の渡し船》《写真:四万十川》《写真:足摺岬》
伊予愛媛の40~65番札所は、悟りの境地に至る修行の道で「菩提の道場」と言われる。
40番観自在寺で愛媛県に入り、左に九州との間の豊後水道を見ながら北上する。西予市の43番明石寺を打った後は久万高原にある2つの札所を巡る。
久万高原町は、標準標高800mの高地にあり、町内には石鎚山、四国カルスト、面河渓谷等の見どころがある。
この後、北の松山市に下り、松山市内、今治市の札所を巡る。
松山の道後温泉は歴史ある温泉であり建物である。坊ちゃん気分でひと風呂浴びるのもよい。
60番横峰寺では再び高所に登ることになる。ここは西日本最高峰石鎚山の山懐にある。60番を打ち終えたら瀬戸内海側西条市に下り東進する。65番三角寺を過ぎるといよいよ香川県に入る。歩き遍路の目安は移動日も入れて15日間程度。
《写真:45番岩谷寺の岸壁》《写真:四国カルスト》《写真:松山市道後温泉本館》《写真:霊峰石鎚山》
讃岐香川の66~88番札所は、煩悩から解き放たれ、感謝の気持ちを抱きながら歩く「涅槃の道場」とされている。
66番雲辺寺は遍路道最高標高911mの高所にありロープウエイも敷設されている。雲辺寺は香川第1番目の札所であるが境内は徳島との県境にあり寺は徳島側に立っている。
雲辺寺を打ち終わったら再び瀬戸内海沿岸に下る。
弘法大師生誕の地とされる75番善通寺を巡り丸亀市、坂出市を経て高松市に入る。
善通寺の南方向には金刀比羅宮が鎮座している。金刀比羅宮本宮は、海抜251mに鎮座し785段の階段、奥社巌魂神社は海抜421mで1,368段の階段がある。
84番屋島寺を打ち87番長尾寺を打つと再び山に入る。
最後の結願の山道は、「道の駅ながお」から4通りの道があるが旧遍路道ルートを経て約10㎞で最終88番大窪寺に至る。
大窪寺で結願を迎えた後は、1番札所霊山寺へのお礼参りや高野山奥の院へ結願の報告に向かうお遍路さんが多い。歩き遍路の目安は7日間程度。
《写真:66番雲辺寺》 《写真:結願の札所大窪寺山門》
四国八十八ヶ所遍路道は、四国内に点在する札所(ふだしょ)と呼ばれる弘法大師ゆかりの88の寺院を巡る全行程約1400km、徒歩で約40日から50日の巡礼路である。遍路道は、徳島県霊山寺を第1番札所とし、香川県大窪寺を第88番札所として一般的には時計回りに四国を一周する。巡礼者は、「お遍路さん」と呼ばれ、各札所にある本堂と大師堂で蝋燭、線香をあげ納札し、本尊真言、光明真言、般若心経等を唱えて海岸沿い、山中に点在する88の札所(寺院)を参拝して巡る。この札所での参拝を「打つ」と言う。
巡礼者は、札所を打ちながら歩を進めるにつれ心の変化を感じるという。また四国の人々の巡礼者に対する暖かい心遣いである「お接待」も心温まる風習である。遍路道には、遍路宿、善根宿などもあり、地元住民や巡礼者同士のふれあいもある。また、四国を一周する旅は、社寺仏閣をはじめとする文化、山・川・海の自然や食の豊かさのほか人との触れ合いも心を豊かにする。
この札所を参拝しながら巡る遍路道は、基本的に四国の海沿いを進むことになるが、中には山地に存在する札所もある。最高の位置にある札所は讃岐・徳島県境(実際は徳島県。)の第66番札所雲辺寺であり標高は911mである。また標高500mを越える札所は8か所にのぼりいずれも険しい山道を伴い、「遍路ころがし」と言われる険しい道が巡礼者を苦しめる。徳島県においては、本編で紹介している「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」といわれる「遍路ころがし」の山岳路が立ちはだかる。また、愛媛第60番札所横峰寺(標高750m)は、西日本最高峰、日本百名山である石鎚山の山懐にある。
さらに、高知の第37番岩本寺から四国最南端足摺岬にある第38番札所金剛福寺へ至る道は約81km、第23番薬王寺(徳島)と室戸岬の第24番札所最御崎寺(高知)間は約75kmと車道を含む長い道のりであり、山道とは違った苦しさを味わう。
これら1400kmの道の最後には、標高500mの高所にある第88番札所大窪寺があり、結願となる。結願の後は、第1番札所霊山寺へお礼参りに向かうお遍路さんや和歌山高野山奥の院へ結願の報告に向かうお遍路さんも多い。
四国遍路がいつ、だれによってどのように始まったか確かなことはよくわかっていない。奈良時代にはすでに諸国を回遊する仏教僧「聖(ひじり)」と言われる行者が人里離れた山中で修行していたが、中には四国海岸沿いを歩く「四国辺地」の修行をする者もいた。四国の南には太平洋が広がり、そのかなたに観音浄土があると信じていた修行僧が海岸辺(辺路)を巡る修行をおこなっていたらしい。この辺路が遍路に転じたともいわれ、四国遍路の原型ではないかとも言われている。若かりし弘法大師も太龍ヶ嶽や室戸岬で修行をし、室戸岬の御蔵洞で悟りを開き空海という名を得たと伝えられている。
11世紀に入ると弘法大師信仰が盛んになる。空海は、香川第75番札所善通寺の出身といわれ、四国各所で修行をしたことなどから四国の地は、高野山などと並び信仰上重要な位置を占めるようになる。
16世紀には僧、行者による修業とは異なる一般人による遍路がみられるようになってきた。
江戸時代になると四国辺路が定着、さらに17世紀になるとガイドブックともいわれる「四国辺路道指南」(1687刊)が出版され、四国辺路は大衆化した。1~88の札所番号はこの本によるものであるとされている。1番札所が徳島にある理由は、四国に入る際、大阪から徳島へ入る巡礼者が多かったことにあったためと言われている。この時代の巡礼者は、東日本、九州など遠隔地からは少なく、また困窮者や病人の巡礼者も多かったという。
明治に入ると神仏分離令政策により神仏習合の札所が多かった四国遍路はその影響を被ったこともあり一時衰退したが、近年は、交通機関の発達により時間短縮が図れたことに加え、ツアーに代表される観光要素も強くなり都市住民の遍路が増加した。さらに外国人が遍路に参加するなど国際化の様相を呈してきた。最近は観光の要素に加え心の安穏を求める遍路が増えているという。
この「四国巡礼」はその構成文化財「回遊型巡礼路と独自の巡礼文化」としては88ヶ寺のほか四国4県の遍路道が2015年日本遺産に登録された。
四国遍路道は元来、山間、海岸沿いの「辺地」を巡る修行路であり、それだけに神社と仏閣が同居している神仏習合の姿を見ることができる
12番札所焼山寺境内には十二社神社が鎮座し、79番札所天王寺には寺の山門がなく白峰崇徳宮の鳥居しかない。民俗学者近藤喜博氏は、神仏習合色が強い札所を1番霊山寺、27番神峯寺、30番善楽寺、37番岩本寺、41番龍光寺、55番南光坊、57番栄福寺、60番横峯寺、64番前神寺、68番神恵院としている。27番神峯寺は3世紀神功皇后が天照大神を祀り8世紀になって行基が十一面観音を合祀したという。37番岩本寺は仁井田五社の別当寺、57番栄福寺は伊予石清水八幡宮の別当寺、68番神恵院は琴弾八幡宮の別当寺であったという。64番前神寺は石鎚神社敷地内にあったとのことで石鎚山の東の遥拝所であった。また41番は、宇和島市三間町にあり「三間のお稲荷さん」といわれ山門鳥居と狛犬が祀られている。
さらに元禄2年(1689年)刊行の真言宗僧侶寂本の「四国偏(ぎょうにんべん+扁)礼霊場記」では、札所名が寺名ではなく「仁井田五社」「石清水八幡宮」「琴弾八幡宮」と神社名で記されているとのことだ。明治初めの神仏分離令により従来一体のものであった寺社は分離したが、四国での廃仏毀釈による破壊活動は例外もあったものの緩やかで比較的穏やかに札所は寺院に移管された。(参考資料:愛媛県生涯学習センター・四国遍路のあゆみ)
《写真:79番天皇寺》
讃岐平野に入ると円錐形の「おむすび山」が目を引く。この「おむすび山」は、あたかも富士山のような姿をしている。
丸亀、坂出の両市にまたがる飯野山(標高422m)は「讃岐富士」といわれ、県内に点在する「おむすび山」はまとめて「讃岐七富士」と呼ばれている。
香川の「おむすび山」は、富士山とは違い火山ではなく大昔の火山活動でできたもの。
「おむすび山」の中心部は、地下のマグマが地表に出る際の通り道でマグマが固まって硬い安山岩となり、その後長い年月をかけて周囲の軟らかい岩である花崗岩が削られて今の山の形になったと考えられている。
現在の四国に火山はないが、約1400万年前には、短期間の激しい火山活動があったという。
それは「瀬戸内火山活動」と呼ばれ、今の瀬戸内海を中心に、愛知県から大分県にかけて、頻繁に噴火があったと考えられている。香川県内でも飯野山(讃岐富士)や、小豆島、高松市と坂出市にまたがる五色台などで大量の溶岩が噴き出した。
屋島(高松市)の平らな山頂も、このときに流れ出た溶岩によって作られたものとのことである。
香川は、他の地域と比べても特に激しい火山活動が起きた。そのため、おむすび山が並ぶ独特の景観が生まれたほか溶岩の恵みがあるおかげで、高級石材として使われる庵治石など、石の文化も古くから栄えてきたとのことである(朝日新聞記事 長谷川修一氏 一部転載)。
また、この讃岐富士といわれる大野山は、坂出、丸亀両市それぞれに登山口があり1時間ほどで頂上に達することができる。頂上展望台から望む讃岐平野の景色は絶景である。
《写真:おむすび山讃岐富士》
弘法大師生誕の地とされる第75番札所善通寺最寄り駅のJR善通寺駅から土讃線に乗り、1駅でJR琴平駅に着く。金刀比羅宮は、香川県琴平町の象頭山東斜面に鎮座しており、親しみをこめて「こんぴらさん」と呼ばれている。本宮は海抜251mにあり785段の石段を登る。また奥社巌魂神社は海抜421mで1,368段の階段を登らなければならない。その参道途中には、色々な神をお祀りした小さな神社も多数ある。2024年には、金刀比羅宮12棟の建物が国の重要文化財に指定された。本宮の祭神は、大物主神と崇徳天皇で農業・殖産・医薬・海上守護の神として信仰されている。
江戸時代、社寺参詣が庶民に許可された唯一の旅だった頃、人々は「こんぴらさん」への参拝を夢見ており、今日でも日本全国から「こんぴらさん」を目指して多くの人が参拝している。
(金刀比羅宮HP一部転載)
《写真:こんぴらさん》
四国八十八ヶ所には宿坊を備えた寺院がある。宿坊は僧侶、信徒、参拝者のほか最近は一般旅行者も宿泊しているようだ。以前は多くの寺院が宿坊を営んでいたが、様々な理由で今日は10軒ほどが営業しているに過ぎない。利用する場合は事前に連絡し営業しているか確認する必要があるだろう。宿泊施設には、一般の宿泊施設、主にお遍路さんを対象とする遍路宿や民宿、善意に基づく善根宿などがあるが、宿坊は寺院に付随しており、特性上様々な体験ができる。僧侶との朝夕のお勤め、ありがたくいただく精進料理はもちろんのこと場合によっては写経などが体験できる。
《写真:宿坊での精進料理》
讃岐香川に入るとうどん屋が多いのに気づく。まさに讃岐うどんの本場である。統計によると香川では、週1回以上うどんを食べる人が90%を超え、70%の観光客は、香川の魅力1位にうどんをあげるという。2009年の農水省の統計によれば小麦粉使用量(うどん生産量)は、約6万トンであり全国シェアの約23%にのぼるという。2位の埼玉県の約2倍の量である。
江戸期以前から讃岐は瀬戸内気候と平地に恵まれ穀物栽培に適し、江戸時代に入ると二毛作が盛んになり小麦の生産量も増大し、うどん消費量拡大のベースになったと考えられる。
最近では、年賀状もうどん県で届くことになっているとのことである。遍路途上では是非うどん屋で舌鼓を打ちたいところである。
《写真:金刀比羅宮と階段》
https://www.i-rekihaku.jp/
〒797-8511愛媛県西予市宇和町卯之町4-11-2
TEL:0894-62-6222(代表)
FAX:0894-62-6161
開館時間:9:00〜17:30(入室は17:00まで)
休館日:月曜日(祝日及び振替休日に当たる場合は、その翌日)
※ただし毎月第一月曜日は開館、翌火曜日が休館
案内リーフレットPDF(2.5MB)
(前山地区活性化センター)
https://www.city.sanuki.kagawa.jp/institution/culture/culture_11
さぬき市前山936番地3
TEL:0879-52-0208
FAX:0879-52-0208
開館時間:8:00~16:00
休館日:年末年始(12月30日~1月1日)
五来重『四国遍路の寺(上)』角川書店、平成8年2月
五来重『四国遍路の寺(下)』角川書店、平成8年4月
愛媛大学四国遍路・世界の巡礼研究センター『四国遍路の世界』ちくま新書、2020年4月
星野英紀・浅野泰宏『四国遍路 さまざまな祈りの世界』吉川弘文館、2021年4月
地方史研究協議会編『徳島から探求する日本の歴史』文学通信、2023年10月
森正人『四国遍路 八八ヶ所巡礼の歴史と文化』中公新書、2014年12月
宮崎建樹ほか『空海の史跡を尋ねて 四国遍路ひとり歩き同行二人』へんろみち保続協力会、1997年
『るるぶ 四国八十八ヵ所 初めてのお遍路ガイド』2023年12月発行
・「四国地区博物館協議会」
・「遍路まるごと博物館」
・「おへんろ交流サロン」 さぬき市観光ガイド、さぬき市観光協会
・聖地巡礼 四国遍路 | 回遊型巡礼路と独自の巡礼文化
・四国遍路世界遺産登録推進協議会
・へんろみち保存協力会
・四国八十八か所霊場会
・四国遍路「みち案内表示シート」
・愛媛県歴史文化博物館
・[いよ観ネット]愛媛のお遍路はこう回る!愛媛 旅の特集(愛媛県の公式観光サイト)
・四国遍路に出かけよう (徳島県観光情報サイト阿波ナビ)
・お遍路(香川県観光協会公式サイト —うどん県旅ネット)
・[阿波ナビ]四国遍路に出かけよう (徳島県観光情報サイト)