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104 四国八十八か所遍路道

保護中: 焼山寺道

四国八十八か所遍路道は、四国内に点在する88寺院を巡る、全行程約1400km、徒歩で約40日から50日を要する巡礼路です。
原型は1200年以上前に空海が行った山林修行で、その後修行僧が山海の難所を回遊する「辺地修行」へと展開し、江戸時代までに八十八か所の札所が固定され、一般庶民が巡る巡礼路となったとされます。
多くの難所を越える巡礼路ですが、転げ落ちるくらい急な道を意味する「遍路ころがし」として有名な、11番札所(徳島県吉野川市)から12番札所(徳島県郡)へ向かう「焼山寺道」、21番札所(徳島県)を巡る「かも道」「いわや道」「平等寺道」、そして「結願の道」として88番札所(香川県さぬき市)へ向かう「大窪寺道」を山岳古道として紹介します。

「焼山寺道」
11番札所(徳島県吉野川市)から12番札所(徳島県名西郡神山町)までの約12kmの山道で、転げ落ちるくらいの難所を意味する「遍路ころがし」のひとつです。空海が通ったといわれる当時の様子を残す道として「空海のみち」とも呼ばれています。

古道を歩く

■11番札所 藤井寺~庵まで
出発点は11番札所藤井寺境内にある「焼山寺道」入口です。
遍路墓などが立つ墓地の脇を通り過ぎ、石段や木製の階段の道を尾根筋に取りつくまで登ります。
尾根筋を登りきると車道に突き当たります。車道を横切り、山道を登り始めると北側に吉野川を眺望できます。その後あずま屋の展望台があり、焼山寺を起点とする「山ゟ〇〇丁」と記された丁石(1丁は約109m、丁石が歩く距離の目安になります)が点在し始めます。


あずま屋以後は山道の林間道となり展望がきかなくなります。1kmほど進むと水大師と示された水場があります。さらに1kmほど進むと、「」が名の由来ともされる長戸庵に到ります。
■長戸庵から庵まで
長戸庵から尾根上の道を登り下りしながら約1km進むと分岐となり、左手の焼山寺方向へ進みます。

続いて約750mで東からの山道が交わり、続いて250mで東からの林道が交わります。ここに二方向を手指で指し示す道標が立っています。
道なりに12番焼山寺方向へ進み標高600.4m地点の東側を巻いて進み、急な下りに差し掛かると柳水庵奥ノ院が見えてきます。
柳水庵奥ノ院の横には焼山寺道で確認できる石碑の中で最も古い1680年(延宝8年)の供養碑が立っています。続いて空海が柳の枝に加持を施して掘ったところ、水が湧き出したとされる柳水庵の本堂に進みます。

■柳水庵から一本杉庵まで
柳水庵を出て100mほど南に進むと徳島県道245号線と交差するので、県道を越えて左手方向の坂道を上がって行きます。
1kmほど南に進むと車道と交差し、道幅が少し狭くなった山道になります。
右手方向の石室内に頭部が欠損した地蔵菩薩が祀られています。
杉林の中を400m程進み、急勾配の道を上ると一本杉庵(浄蓮庵)への階段が見えてきます。
空海が野宿したという伝説が残る樹齢1000年以上の一本杉の下に空海の像が立っています。

庵の周囲には多くの石造物が残っています。
■一本杉庵から左右内谷まで
一本杉庵から左右内谷へは下り一方の道になります。1kmほど下りると林道と交差し、再び杉林に入って下りて行きます。
見えてきた民家の間を抜けて、徳島県道43号線に下り再び左手の歩道へ下って行きます。
緩やかな坂道を左右内谷川に向かって下りて行く途中、右手に牛頭供養塔の石碑があり、谷川が見えてきます。

■一の瀬橋から12番札所焼山寺まで
一の瀬橋を渡ると1763年(宝暦13年)の遍路墓があり、ここから焼山寺まで急坂が続きます。
200mほどの距離を上ると「四つ足堂」跡という薬師如来像を祀る小さな堂があります。
さらに700mほど進むと焼山寺駐車場に到る車道に合流します。
駐車場の脇を焼山寺境内に進んでいくと、山門に到る階段が右手方向に見えてきます。
杉木立の参道を進み、814年(弘仁5年)に空海が来山したと伝わる12番札所焼山寺に到着します。

■十二番札所焼山寺から焼山寺山頂(938m)奥之院往復
焼山寺本堂(標高約700m)から奥ノ院が祀られている焼山寺山頂(標高938m)を目指します。
本堂前から左手方向に進むと奥ノ院への登り口があります。
400mほど歩くと、右手に空海が大蛇を封じ込めたという大きな岩と祠があります。
さらに上り500mほど進むと奥ノ院があり、山頂(標高938m)となります。
南西方向に徳島県最高峰の剣山(標高1955m)を眺望できます。
登ってきた急坂を焼山寺本堂に向けて下り、本堂横の三面大黒天を参り、駐車場へと向かい終了。

この古道を歩くにあたって

遍路道としてよく整備されていますが、行程約14km、累積標高約1500m、歩行時間6~8時間の長い道のりで体力が必要です。
焼山寺駐車場から名西郡神山町の中心地まで約10kmの間、公共交通手段がないため、帰路はあらかじめタクシーの予約、マイカーのデポ等をしておいた方が無難です。
寄井観光タクシー:TEL 088-676-0345
つばめ観光タクシー:TEL 088-678-0224
川又タクシー:TEL 088-677-0137

古道を知る

『遍路日記』(1653年(承応2年))には11番札所藤井寺から12番札所焼山寺までについて「是ヨリ焼山寺へ往ニハ大事ノ山坂ヲ越行事三里也。阿波無双ノ難所也。」とあり、現在「焼山寺道」として伝わる山道を歩いたことがうかがえます。
四国遍路の発展に大きな功績を残したとされる真念の『四国遍路道指南』(1687年(貞享4年))には「これよりしやうさんじまで三里、山坂にして宿なし、壱里半ゆきて柳の水有。大師いませし日、旅人のつかれかなしませ給ひ、菩薩道具の楊枝を路のかたはらに立てたまへバ、大非の水わき出、いまにたえせぬ加持力、やうじもいとうるわしき糸柳となりてあり、それよりして遍路のともがら、涸魚のくるしミを一杓の下にのがる。又標石あり。」「さうち村、谷川有、こりとり行といふ垢離して焼山寺へ登、十八町、坂中に薬師堂有」とあり、道中に現在ある、柳水庵や「薬師堂」として四つ足堂跡に祀られた薬師如来についての記述が見られます。
柳水庵奥ノ院脇には1680年(延宝8年)の紀年銘が見える供養碑が残っており、1600年代から「焼山寺道」が遍路道として成立していたことをうかがえます。

深掘りスポット

■11番札所藤井寺
寂本の『四国遍礼霊場記』(1689年(元禄2年))に本尊薬師如来は弘法大師の作、堂前に古藤があって、寺名はこれによったのであろうとの記事があります。実際には、本尊の薬師如来に平安時代の年号が記されており、四国八十八か所霊場の中で最も古い紀年銘の仏といわれ、国の重要文化財に指定されています。通常奥ノ院に安置されて拝観することはできません。
■中務茂兵衛の道標
長戸庵から柳水庵までの途中にあり、四国遍路280回、道標石建立230余基といわれる中務茂兵衛(1845~1922年(弘化2年~大正11年))の164度目巡拝供養の道標とされます。中務茂兵衛の道標は、徳島県内に51基が現存するとされますが、焼山寺道上ではこの1基のみになります。


■柳水庵
焼山寺道の中間点あたりに位置し、真念の『四国遍路道指南』(1687年(貞享4年))に記述があります。本堂には神山町指定有形文化財の木彫の弘法大師像が祀られています。
■一本杉庵(浄蓮庵)
名前の由来となっている徳島県指定天然記念物の一本杉があります。空海がこの杉の元で野宿したという伝説があり、山号は一宿山です。

■12番札所焼山寺
寂本の『四国遍礼霊場記』(1689年(元禄2年))に本尊虚空蔵菩薩は弘法大師の作、本堂、御影堂の横に熱田明神祠、本堂の左に熊野権現社の拝殿、鳥居があると記されていますが、現在熱田明神、熊野権現社は確認できません。
奥ノ院へ向かう道中に祇園祠、毒龍の窟があり、弘法大師が建てた三面大黒堂があり、護摩堂、求聞窟、そして弥山権現があり蔵王権現を祀っているとされています。現在、三面大黒天は本堂向かって左に祀られており、山頂へ向かう途中に毒龍の窟に当たる大蛇封じ込めの岩を確認することができます。山頂には奥ノ院として蔵王権現を祀る堂があります。

ミニ知識

■お接待と納札
四国では四国霊場を巡礼するお遍路さんを敬い、助けることで自身がお遍路をしていなくても、そのお遍路さんと同じ功徳がいただけると言い伝えられてきました。お遍路さんはそういった接待をいただくことに感謝を感じ「お接待をうける」という様に「御」をつけることで敬意を表すようになったとされます。
また、お接待を受けたお遍路さんは御礼として自身の納札を手渡す古来よりの風習もあります。

四国八十八ヶ所霊場会


■最後まで残った空海の道ウォーク
毎年5月に、約1200年前に空海が歩いた時の自然がそのまま残っている唯一の遍路道を歩く、山道コース11番札所藤井寺~12番札所焼山寺経由鍋岩までという「最後まで残った空海の道ウォーク」がイベントとして開催されています。
https://88sekaiisan.org/calendar/spring.html

まつわる話

●焼山寺道途中の長戸庵には、弘法大師が休んでいると「丁度」足腰を痛めた旅人が通りかかり、空海が加持して治した。旅人は御礼のために堂を建立し弘法大師を祀り、修業山長戸庵と名付けたという伝説が残ります。


●柳水庵は弘法大師が道中、喉が渇いたので柳の木を加持して穴を掘ると水が湧いた所とされています(『四国遍路道指南』。
●一本杉庵(浄蓮庵)と12番札所焼山寺の由来
一本杉庵は杉の元で弘法大師が野宿したと伝わり、山号を「一宿山」としています。もともとは役小角が山を開き、蔵王権現を祀って結んだとされます。この地に修行に訪れた弘法大師が一本杉庵の杉の木の下で眠っていると夢の中に阿弥陀如来が現れ、お告げをします。弘法大師が目を覚ますと目の前の山は火の海。大師が身を清めて真言を唱えながら山を上ると、9合目あたりの岩窟から大蛇が姿を現し、向かってきました。その時光とともに虚空蔵菩薩が現れ、大師はその虚空蔵菩薩の力を借りて岩窟に大蛇を封じ込めました。そして大師は自ら三面大黒天を彫り、岩窟の上に安置、本尊の虚空蔵菩薩を刻み焼け山の寺と名付けました。(日本遺産 ポータルサイト「四国遍路」 STORY #015 歩き遍路のための「四国遍路」順礼マップ 第12番 摩盧山正寿院 焼山寺)
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story015/spot/

ルート

11番札所藤井寺
↓ 90分 3km
長戸庵
↓ 80分 3km
柳水庵
↓ 90分 2km
一本杉庵
↓ 90分 4km
12番札所焼山寺
↓ 60分 1.2km
焼山寺山頂(奥ノ院)
↓ 60分 1.5km
12番札所焼山寺駐車場

アクセス

■公共交通機関
〇JR鴨島駅~11番札所藤井寺(吉野川市鴨島町飯尾152)
徒歩(約3km、40分) タクシー(約3km、7分)
*鴨島タクシー TEL 0883-24-2345
〇12番札所焼山寺駐車場(名西郡神山町下分地中318)~徳島バス亭神山高校前
徒歩(約8km、120分)、タクシー(約8km、20分)
*寄井観光タクシー:TEL 088-676-0345
*つばめ観光タクシー:TEL 088-678-0224
*川又タクシー:TEL 088-677-0137

■マイカー
・徳島自動車道・土成I.C. → 国道318号線を南に進む → 国道192号線を左折する → 鴨島町上下島を右折 → 本家ふじや駐車場(駐車料金1日500円)
・徳島自動車道・徳島I.C. → 国道11号線続いて国道55号線を南に進む → 大野橋北詰交差点を右折して県道203号線を西に進む → 園瀬橋で左折して国道438・439号線へ入る → 右折して県道43号線に入る。12番札所焼山寺駐車場(志納料 普通車300円)
*車2台で行き、1台を12番札所焼山寺駐車場に駐車しておくことをお勧めします。

参考資料

●「焼山寺道」を書くのにあたって参考にした文献
〇徳島県教育委員会編『徳島県歴史の道調査報告書 第五集 遍路道』 徳島県教育委員会、2001.3
〇伊予史談会編『四国遍路記集 伊予史談会双書 第3週』 伊予史談会、1981.8
〇村上譲訳『教育社新書<原本現代訳>106 四国徧礼霊場記』 教育者、1987.3
●読者が参考になる文献
〇日本遺産 ポータルサイト「四国遍路」 STORY #015
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story015/
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story015/spot/
●古文書、古地図、絵図、絵画など
○四国徧礼絵図(愛媛県歴史文化博物館 絵図・絵巻デジタルアーカイブ)
https://ehime-archive.iri-project.org/detail/om-0078
○『四国徧礼道指南 増補大正』(香川県立図書館デジタルライブラリー)
https://www.library.pref.kagawa.lg.jp/digitallibrary/henro/komonjo/detail/DK01460.html
○徳島県文化の森総合公園/とくしまデジタルアーカイブ
https://adeac.jp/tokushima-bunkanomori/detailed-search?mode=catalog&word=&bl1=subject&bl1word=%E9%81%8D%E8%B7%AF&bl1op=and

協力・担当者

《担当》
日本山岳会四国支部
庄武憲子
《協力》
徳島県立博物館

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