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9 岩手山古道

上坊コース

岩手山の参拝古道には、八戸、三戸、鹿角、西根方面からの上坊コースと盛岡城下、志和、稗貫周辺からの柳沢コース、雫石、秋田県仙北方面からの御神坂コースがあります。
現在の上坊(うわんぼう)コースは、江戸後期に古上坊新山堂が野火による焼失後、現在地に移設、登山道も移設の形跡がみられます。
現在は、移設前の上坊新山堂付近を古上坊跡、旧岩手山参拝道を巌鷲古道と称して、史跡の保存、コースの調査が行われています。ここでは移設後の上坊コースを紹介します。

古道を歩く

東北自動車道西根ICから国道282号及び県道焼走り線を5kmほど進むと、上坊登山口近くの岩手山焼走り国際交流村に到着します。ここは昭和40年代前半に開鑿された、岩手山登山の一般ルート焼走りコースの登山口となっています。
ここから八幡平温泉郷に通じる岩手山パノラマラインを西へ2kmほど移動すると、上坊神社登山口があります。
側道を少し下り、鳥居をくぐり、参道を800mほど進むと岩手山新山神社に到着。

岩手山新山神社は、大巳貴命、倉稲魂命、日本武尊が祭神。
史記によると江戸末期に野火で焼失した寄木の古上坊から当地に移転されました。
参拝を済ませ、いよいよ登山開始。
急坂を70mほど登ると林道に出ます。(岩手山パノラマラインから上坊神社に寄らずに上坊登山口へ向かう林道。)
林道を200mほど進むと10台ほど駐車できる上坊登山口駐車場に到着。登山届を投函し登山開始。
なお岩手山新山神社例大祭は、毎年新暦7月14日(旧暦5月27日)に地元平笠地区で行われています。
登山口の標高は700m。山頂までの標高差は1,338m。
江戸時代から大正、昭和の初期までの山岳信仰が盛んな頃は、山伏姿や参拝白装束に身を固めた信仰篤い登山者が草鞋を履き杖を持って「懺悔懺悔 六根清淨(ざーんげ、ざんげ ろっこんしょうじょう)」を唱えながら登山したといわれています。

登山口付近は、数十年前に植林したカラマツ林。比較的勾配のない道を進み、少し汗ばんだ頃、左手に大きな岩が現れます。昔から御座石と称して、この岩で休んだとの言い伝えが残っています。
少し登ると、樹林帯がナラ、ホウノキ、ダケカンバ、クリの木などの落葉樹林へと変わり、登山口から30分ほどで最初の石標となる二合目に到着。石標には二合目のほか文政五年の刻印が確認できます。
根曲タケがこの辺まで植生しています。ツキノワグマの気配に注意して休憩。一息入れます。
標高も800mとなり栂の樹林帯へと変わり、岩手山の幸「岩手山松茸」が採れる山域。
いよいよ岩手山上坊コースならではの修行の道らしくなり、「ざーんげざんげ ろっこんしょうじょう」の声も途切れ途切れか。
オオシラビソが少しずつ多くなってくると二合五夕目の石標。

この辺から獣道や松茸道が混在して下山時は道迷いに注意が必要です。
暫くしてこのコースの中間地点の三合目に到着。
周りは、コメツガの樹林帯です。標高も1200m。石標には文政5年と刻まれています。
一息入れて、三合五夕目の石標に到着。上坊コースで一番急峻な急こう配。上坊コースが敬遠される所以か。
植生もダケカンバ地帯に入り、急峻な坂を登りきると昭和40年代に新たな登山コースとして整備された焼走りコースとの合流地点「つるはし」分岐到着。
ツルハシは標高1400m四合目付近にあたると思われますが、石標は確認できていません。
「つるはし」の由来は、残雪の雪形が鶴の嘴に似ていることから言われています。
この付近はダケカンバの樹林帯で、昔から雪崩の発生は見られませんでしたが、平成4年に大規模な全層雪崩が発生し、樹齢100年を超えるダケカンバの大木が多数倒壊しました。
ここまでくれば頂上への難関突破。コースは岩手山北斜面をトラバース気味に辿ります。
岩手山北側に位置するため6月上旬まで残雪があり、雪解け跡にはユキザサ、シドケ、ボウナなどの山菜も見られます。
6月中旬からは高山植物の女王「コマクサ」、貴婦人「シラネアオイ」、8月中旬にはミヤマアキノキリンソウ、イワギキョウなどの見事な群落がみられます。
五合五夕目には祠があり、三十六童子と呼ばれる岩峰が現れ、その岩肌にはムシトリスミレが咲いています。

この大岩は昔、地元民が安産、子供の安寧を願い、岩場の周囲を伝い歩いて祈願したとの言い伝えが残っています。
最後の急勾配を登りきると六合目の石標が、さらに100mほど進むと平笠不動のシンボル「茶臼ケ岳」が見えてきます。六合五夕目の石標があります。

平笠不動は茶臼ケ岳と薬師岳の間の平地で、西岩手火山と東岩手火山が重なった所で、平成元年に避難小屋ができる前までは石組みの岩室の跡が残っていました。江戸時代から参拝者が雨や夜露をしのいだ場所です。
当時の参拝者はご来光祈願登山が主で、上坊神社を夜の11時過ぎに出発。平笠不動に2時頃に到着。午前4時前に御来光祈願のため岩手山頂を目指しました。
外輪近くには八合五夕目の石標があり、程なく柳沢コースと合流する権現様の鎮座している熊野山到着。

これより200m程で岩手山頂。頂には一等三角点があり薬師岳とも称されています。
万病を癒し、人々の寿命を延ばし、医療を司る薬師如来に由来し、現在も麓の寺院で崇拝されています。

火口中央で火口丘を形成している妙高山は、平安時代、仏教に古代からの山岳信仰が結びついた修験道が盛んになると、僧侶や山伏によって全国の名だたる名山は仏教・修験道の拠点になる例が多かったことから、「妙(たえ)なる高さ」「真ん中の山」という仏教関係の意味あいの「妙高」からの由来との伝えもあります。
岩手山頂に着くと、北上山地のはるか東の太平洋から昇る神々しい朝日に向かって手を合わせ「無病息災」、「五穀豊穣」、「家内安全」を祈願しました。
この習わしは古道とともに、現在も地元民によって受け継がれています。ブロッケン現象もたまに見られます。
岩手山外輪からは周囲2㎞ほどの火口全体が見渡せます。
外輪には江戸時代に設置された三十三観音像があり、信仰登山の面影を随所に残しています。
東側火口には岩手山神社奥宮が鎮座。この付近では、今も90度近い温度の噴気が出ており、活火山であることを実感させられます。

周囲の植生

オオカメノキ、ギンリョウソウ、マイヅルソウ、ムシトリスミレ、ガンジュアザミ、ヤマハハコ、イワブクロ、ヨツバシオガマ、モミジカラマツ、クルマユリ、イワギキョウ、コマクサ、シラネアオイ、ウコンウツギ、ハクサンチドリ、ミヤマアキノキリンソウ、トウゲブキ、イワカガミ、ツバメオモト、南部赤松、カラマツ、ナナカマド、ブナ、ミズナラ・ダケカンバ・ミヤマハンノキ、コメツガ、アオモリトドマツ、ハイマツ等の広葉樹から針葉樹林が観察できる。

生息動物

ツキノワグマ、カモシカ、シカ、アカゲラ、ホシガラス

この古道を歩くにあたって

上坊コースは岩手山の七つの登山コースの中では、一番距離が短いが、三合目から「つるはし」までが急こう配となっておりこのコースが敬遠される理由でもある。
また平笠不動手前の三十六童子までは、視界はあまり良くない。
隣の焼走りコースより1時間近く所要時間は短い反面、下りは急こう配のため、ゆっくりと下山したほうが膝への負担が少ない。
焼走りコースのエスケープルートとしても利用されている。
岩手山北西斜面のため6月中旬まで残雪があり、夏道ルートの確認に油断は禁物。
また、初冬期の11月、春山の3月から5月は、下界との寒暖差もあり岩稜帯や早朝時の凍結斜面での滑落や低体温症などに起因する重大遭難事故が発生している。単独登山や軽装登山は禁物である。初冬期から残雪期はピッケル、アイゼンの携行が必須といえる。
夏場でも、下山時の焼走りコースとの分岐の「つるはし」の確認や三合目までの区間は、キノコ道や獣道に入り、道迷いリスクもあるので注意が必要。また、3合目付近の下りは転倒に注意。

問合せ先

・岩手県八幡平市野駄 八幡平市役所商工観光課(0195-74-2111)
・岩手県八幡平市柏台 (一社)八幡平市観光協(0195-78-3500)

古道を知る

古くは霧山岳や巌鷲山(がんじゅさん)と称された岩手山は、西暦807年に坂上田村麻呂が巌鷲山大権現を創設したと伝わる由緒ある霊山です。
1603年には盛岡藩主・南部利直により「新山社社領」として公認され、寛文年間には平舘村の巌鷲山新山堂が再興されるなど、藩政下で厚く保護されました。文政5年(1822年)には上坊コースに道標が設置され、1857年には山頂のお鉢周りに三十三観音像が祀られます。

新山堂は明治2年の神仏分離令によって岩手山神社へと改号されるに至っています。
地質的には山頂西側に西岩手火山の外輪山である鬼ヶ城や屏風尾根の険しい景観を留めています。
伝説では鬼ヶ城を先住民の総大将・大武丸の住処とし、坂上田村麻呂が討伐のために「三十六童子」の大岩まで馬で駆け登ったという逸話が残ります。山麓には今も各地に神社が鎮座し、昭和初期までは各集落の「浄屋」で三日三晩の精進潔斎を行い、白装束に身を包んで六根清浄を唱えながら登拝する熱心な信仰文化が息づいていました。
上坊登山道は、1590年の豊臣秀吉の朱印状により南部領となった下北、八戸、三戸、鹿角を含む広大な地域の人々にとって、南部家のご加護のもとで歩まれた重要な参拝道でした。
現在も二合目から八合目五夕にかけて「文政五年」と刻まれた石標が多く現存し、古上坊コースの一合目五夕を含め、往時の信仰の足跡を今に伝えています。この道は、柳沢や御神坂コースと並び、岩手山信仰を象徴する歴史的な道筋として大切にされています。
また、南部藩政下では硫黄や薬草のトウキ、ハイマツが献上品とされたほか、6月に現れる「種まき坊主」の雪形が田植えの合図となるなど、生活に深く根ざしていました。
歴史的にも、前九年・後三年の役から、奥州街道・鹿角街道が交差する地としての豊臣期の統治、さらには戊辰戦争での軍事的動向に至るまで、岩手山周辺は常に戦略上の要所でした。
こうした重層的な歴史背景の中で、岩手山は山岳信仰の中心として、地域の風土と精神を支え続けてきたのです。

深掘りスポット

要所にある石碑を順に列挙します。ほとんどが、江戸時代に盛岡市や岩手郡の地元有志によって設置されたものです。信仰、修行の山として重要な役割を担っていました。現在は登山者にとって大切な道標となっています。
・岩手山新山神社
・御座石
・二合目石標(950m)
・二合五夕目石標(1,000m)
・三合目石標(1,140m)
・三合五夕目石標(1,260m)
・三十六童子手前石標
・五合五夕目石標(1,640m)
・六合目石標(1,700m)
・六合五夕石標(1,760m)
・七合目付近平笠不動石標
・七合目付近平笠不動近接石標
・八合五夕石標(1,980m):文政5年5月(1822年)と刻まれている
・熊野山権現様
・岩手山外輪三十三観音像
・薬師岳山頂石標
・岩手山頂一等三角点
・岩手山奥宮石碑群
※一合目、四合目、五合目の石標は未確認。
※一合五夕目石標は古上坊コースに現存している。

ミニ知識

岩手山平笠裸参り

平笠宮田神社(八幡平市平笠第14地割4番地)で毎年1月8日に行われる。江戸時代中期に岩手山噴火災害を鎮めるために男性が行っていたが、第二次世界大戦中に出征した夫や息子の武運長久を主婦が祈るようになり現在まで女性の荒行として残り、無病息災、家内安全、などを祈る。白装束、鉢巻、腰にしめ縄、白足袋、草鞋ばき、紙の使いの目印である33枚の紙が付いた笠をかぶり、口にはくわえ紙、手には験竿の一行が法螺貝を合図に宮田神社から8km先の大更八坂神社へ歩く。

旧松尾鉱山跡

江戸時代の文献にも、八幡平での硫黄の調査願が見られていたが、1914年から本格的な採掘がはじまった。一時は日本の硫黄生産量の30%、黄鉄鉱の15%を占め、東洋一の産出量を誇り、標高900mの山あいに出現した鉱山町には最盛期の1960年には1万人以上が暮らし、セントラルヒーティング完備の鉄筋コンクリート造りの集合住宅や学校、病院、映画館など当時の日本の最先端施設を備えたため、「雲上の楽園」と呼ばれた。1960年代に石油精製工場において硫黄が生産されるようになったために1972年に閉山され、木造建築は延焼実験目的で焼却され、鉄筋コンクリートの建物のみが残された。

「お山がけ」

*「御神坂コース」「柳沢コース」共通*
毎年、旧暦の5月27日に「お山がけ」と呼ばれる岩手山への登拝が行われていました。
「お山がけ」で登拝するのは未婚の男子が多く、盛岡藩(南部藩)の各地から多くの男性が集まったといいます。
それまで七日間、浄屋(こもり小屋)で精進潔斎して白衣をまとい、先達の案内で六根清浄を唱えて頂上をめざしました。
奥宮の参拝後は、守札、ハイ松、硫黄などを持ち帰り、田畑の葦や短い笹に結び付けて立て五穀豊穣、無病息災を祈りました。
江戸後期には「お山がけ」が盛んになり、参詣者や講中によって、道標や接待小屋、石仏などが設置されるようになりました。お鉢にある清水権現、7合目にある鉾立権現、8合目の接待権現、山頂の三十三観音など当時のものが現存します。
女人禁制が解かれ女性が登拝できるようになったのは明治時代の半ばころです。

巌鷲山

*「御神坂コース」「上坊コース」共通*
岩手山の別名を「巌鷲山(がんじゅさん)」といい、春に鷲の形をした雪形が残ることからそう呼ばれていたという説が有力です。「いわわしやま」と呼ばれていましたが、「岩手」の音読み「がんしゅ」と似ていることから、転訛したものだとも言われいます。
古くは「霧山岳」「大勝寺山」とも呼ばれ、「南部片富士」と呼ばれることもあります。

まつわる話

つるこの大蛇ものがたり

昔々、岩手山のふもとにマタギ(猟師)の父娘が住んでいました。娘はツルといい、ある冬、父親は猟に出かけましたが、雪深い山野を歩きつづけたため飢えと寒さに行き倒れしようとしていた時、お山の中腹にくぼ地があり、マタギは、山霊のご加護と喜び、その中に入って休んでいると、小蛇がマタギの傍でふるえています。
心のやさしいマタギは、小蛇を懐に入れて暖めてやりました。その時、お山の中腹から溶岩が噴きだし、観念したマタギは、「おまえだけは助かれよ」と言い小蛇を小高い森めがけて投げ、自分は熔岩流に呑まれて死にました。
残されたツルは、毎日、溶岩流の傍に来て、父の名を叫びながら泣いていました。
ある日、菩薩に抱かれて東の空へ飛んでいくツルの姿を村人が目にしました。それっきりツルは戻ってきません。
ツルがいつも坐っていた場所に大蛇のむけがらが残っていました。
父親のマタギが助けた小蛇が、菩薩のお使いだったのでしょうか。
昭和37年以降、山麓には大蛇が5度現れ、村人は、この伝説と思い合わせて、吉兆としております。

御座石

上坊登山道の岩手山新山神社から少し登った登山道脇にある岩で、結界を超えて女人禁制のお山に入った高齢の女性が、この岩まで登ってきたところ、神の怒りか、疲労で動けなくなり、この大岩に座したとの言い伝えが残っています。

ルート

上坊登山口
↓ 2時間
つるはし
↓ 1時間
平笠不動避難小屋
↓ 40分
岩手山山頂
下山は上坊登山口まで約3時間

アクセス

登山口(岩手県八幡平市平笠上坊国有林)
国道282号及び東北自動車道西根インターチェンジから岩手山焼走り国際交流村までは大型車も通行する県道焼走り線または八幡平市道平の沢線を使用。
バス等の公共交通機関はありません。
岩手山焼走り国際交流村から上坊登山口までは、上坊神社参拝道又は、非舗装の林道を標高700mの終点まで約3㎞あります。
登山口には10台程度の駐車スペースはありますが、トイレ・水場はありません。トイレは、平笠不動避難小屋にあります。(上坊神社参拝道は、岩手山パノラマラインより上坊神社までで駐車スペースは7台程度。)
林道のため降雨時等浸食により道路が荒廃している時があります。
なお、焼走り国際交流村には食堂や売店等の日帰り温泉館、キャンプ場・トイレ・駐車場があります。

参考資料

小原実義「巌手山記」岩手山壱萬講社 1940年
西根町史編纂委員会編「西根町史(上)」西根町 1986年
岩手日報社出版部編「いわて歴史探訪」岩手日報社 1998年
岩手放送、アイ・ビ・シー開発センター「岩手山」岩手放送
「八幡平市山岳協会10周年記念誌」

協力・担当者

《担当者》
日本山岳会岩手支部
高橋 時夫

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