single-kodo120_detail

2 様似山道・猿留山道

保護中: 猿留山道

猿留(さるる)山道は、襟裳岬や庶野から猿留にかけての難所を回避するべく、えりも町幌泉(現在のえりも町本町)から庶野山中の沼見峠を超えて猿留(現在のえりも町目黒)へ至る7里半(約30km)の山道です。
77%が国道、町道、林道となり、それ以外の部分は長らく放置されていました。
1997年(平成9年)からボランティアによる調査と復元が進められ、2009年(平成21年)にえりも町文化財に指定されました。

古道を歩く

追分峠バス停から猿留山道前後の林道を含めて日勝目黒バス停まで通して歩くと約20㎞で、所要時間は約6時間です。
追分峠の標高は161m、猿留山道最高地点の沼見峠は標高487m、日勝目黒バス停は標高2mです。
山道が残存し整備されている西入口(標高340m)から東入口(標高87m)のみの距離は8.4kmで、所要時間は約3時間30分です。
途中に徒渉があるので膝まである長靴で歩くか、登山靴で歩く場合は沢靴等を持参してください。
標高161mの国道336号線追分峠からえりも町有牧野ゲートをくぐり、広大な肉牛牧場跡の中の林道を進んでいきます。さらに進むとエゾシカ用の柵があるので開けたら必ず閉めてください。

アフツ小休所跡には猿留山道の解説板が設置され、牧場跡地の向こうに百人浜と襟裳岬を眺められ、山側には日高山脈主稜線最南端に位置する豊似岳を遠望できます。

さらに林道を進み北海道有林のゲートを過ぎると造林地になっています。
林道分岐に立つ猿留山道の方向を示す標識にしたがって進んでいきます。
道路幅が広がっているところが車両終点となります。

車両終点から進んでいくと進行方向左手に、山道西入口看板があり、左手の斜面を降りてトドマツの人工樹林帯を進んでいきます。
ガロウ川支流の谷間へ下っていきますが、途中、林道2本を横切ります。横切るところには案内標識があります。

ガロウ川支流は狭く水量が少ないので登山靴で渡渉ができます。
渡渉後はトドマツの人工樹林帯の山道を歩いて行きますが、トドマツの幹にヒグマの爪痕を見ることができます。
さらにガロウ川への谷間に降りていきます。ガロウ川沿いにも林道があります。

ガロウ川は観音岳の間の稜線を水源としており、真夏でも結構な水量がありますので、長靴または登山靴の方は沢靴等に履き替えて渡渉してください。
渡渉後、沼見峠に向けて登っていきます。このあたりもトドマツの人工樹林帯になっています。
人工樹林帯を抜けると、林道を歩き、山道に戻る箇所にはハシゴが設置されています。

さらに人工樹林帯が続きますが、針葉樹に交じって天然の広葉樹の巨木が残っています。
人工樹林帯のなかに細く山道が続いていくので道を見失わないよう歩いてください。
山道と作業道が交わっていますので注意が必要です。山道は斜面を横切っていますので、何本かの小さな沢を渡りますが湿地のようで水はほとんど流れていません。

いつの間にか人工樹林帯から天然の広葉樹林帯に移行しています。
山道が巨木と巨木の間を通るようなところもあります。

江戸時代は大沢と呼んでいたシトマン川支流の牧場の川の深い谷を渡るべく、等高線に沿って山道が付けられていますが、小さな沢の谷間には石を積み上げて山道を作ったさまを見ることができます。
また山道に赤い人工物が埋め込まれていますが、これは国の史跡調査の際に埋め込まれた調査(測量)鋲です。
沢沿いの山道を行くと、大沢徒渉地点手前の右岸が苔むした岩場となっていて、上流から水が湧き出てきています。
江戸時代に行き交った人々の喉を潤したのではないかと推測できます。

大沢渡渉地点は幅が狭いので登山靴で問題ありません。この大沢にはニホンザリガニが生息していたとの江戸時代の記録が残されており、現在でもニホンザリガニの生息が確認されています。
大沢徒渉地点の左岸側の山道も石垣を積んだ上につくられており、足下をよく見てみると苔むした石が累々と積まれている様を見ることができます。

しばらく行くと前方に笹で覆われた沼見峠がある尾根が見えてきます。
沼見峠直下の樹林帯を抜けると笹に覆われた標高488mの沼見峠分岐。

沼見峠には妙見菩薩(1859年)と馬頭歓世音菩薩(1861年)が建立されています。

広葉樹の向こう側に豊似湖および豊似岳方面の稜線を見ることができます。
山道は、沼見峠から猿留川に向かって延びる尾根伝いに続いており、この尾根から豊似湖へ降りる分岐もあります。

さらに山道は尾根伝いに続いていきます。途中、木々の合間から豊似湖が垣間見えます。
さらに城の枡形のように道をクランク状に細工している箇所や石垣のように石を積んでいる箇所が残っています。

さらに道は尾根伝いに切り開かれ、尾根上の巨木のわきを山道が通っていきます。
標高200mあたりから尾根の東側を北流しているワラビタイ川へと降りていきます。この区間は山道が崩落している箇所もあり、えりも町ではしごをかけたり道を付け替えていたりしています。

ワラビタイ川の支流にハシゴで降り、さらに支流に沿って歩いていくと猿留山道東入口との表示板があるワラビタイ川渡渉地点に至ります。ここは水深がありますから長靴または登山靴の方は沢靴等に履き替えて渡渉してください。

渡渉後はワライビタイ川に沿っている林道を歩いていくと林道ゲートに到着します。

このあたりが江戸時代のカルシコタン小休所跡と思われますが、痕跡が残っていないため場所の特定はされておりません。
車を駐車している場合はここが終点となります。公共交通機関利用の場合は、林道ゲートから右手に林道を進みT字路を左折して、猿留山道橋を渡ると猿留川沿いの林道に合流するので、下流へと向かって歩いて行くと猿留(サルル)集落、今のえりも町目黒地区に到着します。

この古道を歩くにあたって

一部には標識がありますが十分ではありませんので、道に迷わないよう、地形図、コンパス、GPSなどを持って、地図を読みながら歩行ください。
山道の谷側が、ササなどが覆い斜面が見えにくく、足を踏み外すと滑り落ちる危険性のある場所もあります。頭上から枯れ枝などが落ちてくる危険性があります。自己責任で歩行ください。
ヒグマ、マダニ、ツタウルシ、スズメバチ、吸血性昆虫などが生息していますので、予防対策をしっかりとお願いします。とくに様似山道、猿留山道ともにヒグマの生息地のため、ヒグマスプレーを携行し、単独行動は控えるようにしてください。冬季の穴待たず熊の痕跡が見受けられ、また凍結個所もあるので冬季の入山は控えてください。
一般入山時期は、雪解け後の6月上旬から積雪前の10月上旬までとなります。

古道を知る

江戸幕府は1781年(安永10年)から蝦夷地や樺太を幕府の役人に調査させ、1798年(寛政10年)、180人からなる蝦夷地大探検隊を派遣します。この一員であった幕府役人の近藤重蔵が、択捉島からの帰路、悪天候のため、現在の広尾町で数日間、足止めとなりました。そこで重蔵は私財を通じて従者数人とアイヌ人68人とが協力して広尾町ルベシベツからビタタヌンケまでの3里(11.8km)の山道を開削しました。これが後にルベシベツ山道と言われる蝦夷地初の山道です。
江戸幕府は、調査を元に寛政10年(1798年)年12月27日、信濃塩崎陣屋5000石松平家の第3代当主であった松平忠明 (信濃守)を蝦夷地取締御用掛に命じ、1799年(寛政11年)1月16日、松平忠明に加えて大河内政寿、三橋成方(右記2名は江戸在勤)、勘定奉行石川忠房(左近将監)、目付羽太正養(庄左衛門)にも同様の命令が出され、同日付で東蝦夷地(函館から知床岬までの太平洋側)を松前藩から召し上げ、幕府直轄地としました。さらに同年2月には寄合の村上常福(三郎右衛門)、西丸小姓組の遠山景晋(金四郎)、西丸書院番組の長坂高景(忠七郎)の3人が蝦夷地御用掛に追加されました。
そして松前から根室までの道路整備に乗り出しました。この中に様似(シャマニ)山道と猿留(サルル)山道が含まれています。
両山道の区間は、砂浜の波の引間、岩を乗り越え、カニのごとく岩を横に伝いながら進む難所でした。様似山道1里半(約7km)と猿留山道の7里半(約30km)の開削命令を1799年(寛政11年)、幕府が下しました。
蝦夷地取締御用掛の大河内政寿が様似に至り、中村小市郎や最上徳内が監督として1799年(寛政11年)年5月18日に様似山道が、6月21日に猿留山道が着工され、両山道ともに年内に開通しています。
蝦夷地取締御用掛は、とにかく早く道路を開削することを目指しますが、最上徳内は後世に残るよう丁寧に仕事をしたいということで意見が対立し、松平忠明によって7月10日に罷免されています。
様似山道西側入口の様似と猿留山道西側入口の幌泉(えりも町本町)に会所、様似山道東側のホロマンベツ(幌満川河口)に止宿所、様似山道にはコトニ小休所とホロマンベツ小休所、猿留山道にはモセウシナイ小休所、アフツ小休所、カルシコタン小休所、さらに猿留(えりも町目黒)に番屋を設置しています。
会所には、番人が置かれ幕府役人や北方警備に当たる藩士の宿泊、人馬継立、早走、早馬、早船などの御用、外国船出没などの非常事態の報告を行う場所、止宿所は幕府役人や北方警備に当たる藩士の宿泊、小休所は昼間の休憩所、番屋は会所に準じた業務を行うところでした。
このように幕府直轄地となることで、蝦夷地の陸上交通網は飛躍的に改善をされました。
山道開削から3年目の1802年(享和2年)に東蝦夷地の警備にあたっていた南部藩により様似山道が改修されました。
全国を測量した伊能忠敬が山道開通翌年の1800年(寛政12年)に、北海道の名付け親の松浦武四郎は1845年(弘化2年)から1858年(安政5年)にかけて3回、さらに榎本武揚は1854年(嘉永7年)と1872年(明治5年)に両山道を通過した記録が残っています。
1874年(明治7年)には植物学者の宮部金吾が様似山道でサマニカラマツを発見し、アポイ岳の高山植物群落調査へと繋がりました。
徳島藩筆頭家老であり、かつ淡路国洲本城主だった稲田邦植が1870年(明治3年)10月、新政府より北海道静内郡(現在の新ひだか町)等を賜り、開拓を命じられます。
この静内開拓は船山馨「お登勢」、池澤夏樹「静かな大地」、映画「北の零年」などに描かれています。1873年(明治6年)、その家臣の原田安太郎は、様似山道の山中に、宿屋(原田宿)を開設し1885年(明治18年)まで営みました。新政府となり、会所や止宿所、小休所が営まれなくなり、山道の治安が悪化したことがあり、宿屋開設を望む声が地域にあったと伝えられています。その声を受けて原田安太郎が宿屋を開設して往来する人々の世話や様似山道の倒木の撤去などを行っていました。
実際に1874年(明治7年)、原田安太郎の息子である嘉七が1人で留守番をしていた夜に宿泊者に襲われ、大格闘の末に相手は逃げ、翌朝逃げていった宿泊者を捕まえるということもあったそうです。
猿留山道では1997年(平成9年)から所在調査や歴史資料調査が行われ、2003年(平成15年)からはボランティアによる刈り払い作業などが実施され、2009年(平成21年)にえりも町文化財に指定されました。
2015年(平成27年)からのえりも町教育委員会による調査で、全長29.5kmのうち、北海道有林内6.32kmの区間(道有林内)が良好に遺存することが明らかとなりました。

深掘りスポット

アフツ小休所跡

百人浜から日高山脈が海中に沈む襟裳岬が遠望できる場所に休憩所が建てられていた跡地となります。この場所から、松浦武四郎や伊能忠敬も同じ風景を眺めた記録が残っています。私たちも江戸時代と同じ風景を眺めることができます。

ガロウ川

観音岳の間の稜線を水源としており、真夏でも結構な水量があり、江戸時代は渡るのに苦労したのではないかと推測できます。

大沢

江戸時代は大沢と呼んでいたシトマン川支流の牧場の川の深い谷を渡るべく沢沿いの山道を行くと徒渉地点手前の右岸から水が湧いていて、江戸時代に行き交った人々の喉を潤したのではないかと推測できます。大沢にはニホンザリガニが生息していたとの江戸時代の記録が残されており、現在でもニホンザリガニの生息が確認されています、大沢徒渉地点の両側の山道は石垣を積んだ上につくられており、足下をよく見てみると苔むした石が累々と積まれている様を見ることができます。

沼見峠

笹に覆われた標高488mの沼見峠。広葉樹の向こう側に豊似湖(カムイトウ)と、観音岳から続く稜線を見ることができます。
沼見峠には1859年(安政6年)に妙見菩薩が、1861年(文久元年)に馬頭観世音菩薩が建立されています。
どちらの石碑にも請負人「杉浦嘉七」と彫られています。
この杉浦嘉七とは、屋号が福嶋屋、二代目杉浦嘉七で、襲名する前は井原忠三郎と言う名前の方です。
十勝場所・幌泉場所の請負人でした。
場所とは、蝦夷地の地域流通制度のことです。
松前藩が考案した制度で、蝦夷地を直轄地にした江戸幕府は、その制度を当初は廃止しますが結局は取り入れています。
請負人が幕府と契約して(場所)地域の管理や産物の商いを独占し、その利益の一部を幕府に支払う制度で、アイヌからの搾取の温床になっていました。
猿留山道が結ぶ幌泉場所と十勝場所の請負人だった「杉浦嘉七」が石碑を2体も設置しているということは、それだけ山道の通行者が多かった、収入があった表れではないでしょうか。

豊似湖

沼見峠から眺めることのできる、日高山脈襟裳十勝国立公園唯一の自然湖です。流出河川のない内陸湖でもあり、アイヌ語ではカムイトウ(神の沼)と呼ばれていました。
馬蹄湖、ハートレイクとも呼ばれ、北海道を代表する菓子メーカーのコマーシャルや外装紙に描かれることで有名になった湖です。
車で行くこともでき、トイレのある駐車場から湖まで200mです。
湖に生息するニホンザリガニは、えりも町文化財保護条例で天然記念物に指定されており捕獲が禁止されています。
違反すると罰金または科料に処されますのでご注意ください。
湖周辺には、氷河期の生き残りで国内では北海道のみに生息するエゾナキウサギやヒグマ、マダニが生息し、ツタウルシも分布しています。

ミニ知識

襟裳神楽 海中渡御

襟裳岬の航海の安全と大漁を祈願するために、1814年(文化11年)の襟裳神社建立以来、襟裳神楽が秋季例大祭で奉納されています。
囃子、笛、太鼓、鐘の伴奏により、ひょっとこが獅子を躍らせるという獅子神楽になっています。
また秋季例大祭では神輿の海中渡御も行なわれています。

えりも駒踊り

青森県、岩手県南部出身者が郷土を懐かしみ1935年(昭和10年)に住吉神社秋季例大祭に奉納したのが始まりと言われています。
一時期途絶えましたが、1962年(昭和37年)にえりも本町青年会が中心となって復活させ、現在はえりも高校の授業に「えりも駒踊り」が導入され伝承が図られています。
踊りは2部構成で踊り馬は「流し馬」「あい馬」「あそび馬」の三つの基本形があり、非常に激しく、躍動感あふれ、牧場を走る様子を彷彿とさせる踊りです。

まつわる話

豊似湖(カムイトウ)

猿留山道の沼見峠の眼下に見えるのが豊似湖、アイヌ語でカムイトウ(神様の住む沼)です。
馬蹄形になったのには伝説があり、江戸後期の探検家 近藤重蔵の従者が沼見峠あたりで突風により馬もろとも豊似湖に落ちて亡くなってしまい、それがきっかけで沼の形が馬蹄形になったというものです。
カムイトウといわれる神様の住む沼であるから沼見峠など沼が見えるところでは沼の方向を向いて歩いてはいけないというアイヌの言い伝えも残っています。

ルート

追分峠
↓90分 6800m
アフツ小休所跡
↓30分 1600m
山道西入口
↓30分 1300m
ガロウ沢渡渉
↓60分 1600m
大沢渡渉
↓20分 1300m
沼見峠
↓30分 800m
大沢渡渉
↓70分 2800m
ワラビタイ川渡渉(山道東入口)
↓20分 600m
ワラビタイ川林道ゲート

アクセス

公共交通機関

ジェイ・アール北海道バス様似営業所(電話0146-36-3432)※様似山道・猿留山道
日交ハイヤー株式会社 様似営業所(電話0146-36-2611)※様似山道
日交ハイヤーえりも営業所(電話01466-2-2165)※猿留山道西側
広尾タクシー有限会社(電話01558-2-3456)※猿留山道東側
有限会社港タクシー(広尾)(電話01558-2-2171)※猿留山道東側
【猿留山道】
(西入口) ジェイ・アール北海道バス様似広尾線「追分峠」下車徒歩2時間40分
(平日 様似営業所発の朝1便のみ、土日祝はハイヤー利用)
(東入口) ジェイ・アール北海道バス様似広尾線「日勝目黒」下車徒歩1時間50分
(平日 様似・広尾方面 午前各1便午後各2便、土日祝 様似・広尾方面 午後午後各1便)

マイカー

出発地点の車を回収する必要がありますので2台以上で行き、下山地点に車をデポすることが必要です。
(西入口)国道336号線追分峠、猿留山道西入口付近に数台の車を停めることができます。
国道336号線追分峠から猿留山道西入口に至る林道はえりも町有牧野と北海道有林内にあります。
追分峠にあるえりも町有牧野ゲート、また北海道有林入口ゲートは施錠されています。西入口まで車両走行される場合は、事前にえりも町役場産業振興課(電話01466-2-4624)と北海道庁日高振興局森林室(電話0146-22-2451)に連絡し、許可承認を得る必要があります。
(東入口)国道336号線をえりも町目黒地区の「豊似湖 目黒生活館」の標識がある広域林道へ曲がり直進します。
猿留ふ化場を過ぎてさらに直進し、咲梅林道へ左折し、猿留川とワラビタイ川を渡り、直ぐに右折してください。直ぐに左手に猿留山道東入口の標識がありますので、右手手前の空き地に駐車ください。

参考資料

「日高のあゆみ 風雪に耐えて 日高支庁百年記念誌」北海道日高支庁発行(1973年)
「北海道 道路53話」北海道新聞社編集・発行(1979年)
「北海道道路史Ⅰ行政・計画編」北海道道路調査会編集・発行(1990年)
「北海道道路史Ⅲ路線史編」北海道道路調査会編集・発行(1990年)
駒井千恵子・三浦忠雄「日高路やま花たび」北海道新聞社発行(1998年)
三浦宏編「道の歴史を訪ねて」(財)北海道道路管理技術センター発行(2003年)
長谷部一弘(函館市北方民族資料館学芸員)「福嶋屋杉浦嘉七四代のお話」道南ブロック博物館施設等連絡協議会ブログコラムリレー第42回(2015年6月4日付)
「新版 北海道の歴史 上 古代・中世・近世編」北海道新聞社発行(2011年)
西條奈加「六つの村を越えて髭をなびかせる者」 PHP研究所発行(2022年)
「アイヌ民族 歴史と現在―未来と共に生きるために」第15版(公財)アイヌ民族文化財団(2024年)
「えりも町ふるさと再発見シリーズ1 地球を見よう!」えりも町教育委員会・えりも町郷土資料館・水産の館編集・発行(1997年)
「えりも町ふるさと再発見シリーズ2 石碑・石仏」えりも町教育委員会・えりも町郷土資料館・水産の館編集・発行(2000年)
「えりも町ふるさと再発見シリーズ3 猿留山道」えりも町教育委員会・えりも町郷土資料館・水産の館編集・発行(2003年)
「えりも町ふるさと再発見シリーズ3 猿留山道」えりも町教育委員会・えりも町郷土資料館・水産の館編集・発行(2003年)
中岡利泰外「えりも町におけるニホンザリガニに関する記述および東洋小学校における「総合的な学習」について」『えりも研究 第1号』えりも町教育委員会・えりも町郷土資料館・水産の館編集・発行(2004年)稲木静恵「榎本武揚とえりも」『えりも研究 第8号』えりも町教育委員会・えりも町郷土資料館・水産の館編集・発行(2011年)
中岡利泰「北海道えりも町内における江戸時代開削の猿留山道について」『えりも研究 第10号』えりも町教育委員会・えりも町郷土資料館・水産の館編集・発行(2013年)
田中一典・中岡利泰「えりも町「猿留山道」におけるニホンザリガニの分布と生息環境-江戸時代の旅人が残したニホンザリガニの生息状況を知る-」『えりも研究 第11号』えりも町教育委員会・えりも町郷土資料館・水産の館編集・発行(2014年)
中岡利泰「間宮林蔵測量図に記載されたえりも地域の地名について」『えりも研究 第13号』えりも町教育委員会・えりも町郷土資料館・水産の館編集・発行(2016年)
「猿留山道リーフレット」 えりも町教育委員会発行(2016年)
※文献の多くは、下記図書館や資料館でご覧にいただけます。
えりも町福祉センター図書室
https://www.town.erimo.lg.jp/mobile/section/syakaikyouiku/sg6h9400000001h5.html
えりも町郷土資料館・水産の館
https://www.town.erimo.lg.jp/horoizumi/mobile/index.html

協力・担当者

《担当》
日本山岳会 北海道支部
高橋 健
《協力》
えりも町教育委員会 文化財係 中岡 利泰 係長
えりも町教育委員会 文化財係 高橋 梨沙 学芸員
えりも町教育委員会 文化財係 堂元 菜々実 学芸員
(敬称略)

Page Topへ