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信仰の山としての求菩提山の歴史は5~6世紀にさかのぼるとされますが、12世紀中頃(平安末期)に旧豊前国宇佐郡出身の僧、頼厳(らいげん)によって、ここに修験道がもたらされました。
それ以来、明治元年(1868)の神仏分離令まで、天台宗護国寺を中心に、求菩提山は九州を代表する一大修験道場となりました。
修験者が修行を行うための峰入道は、春の峰入道と秋の峰入道があり、近世の求菩提山では、春75日・秋35日間峰入りが行われていました。
現在、求菩提山とその周辺には今なお多くの修験道遺跡が残されています。
求菩提山中には、構の石門、座主館跡、みそぎ場、坊跡、現存する岩屋坊、安浄寺跡、三十三観音石像、獅子の口、護国寺跡(国玉神社中宮)、鬼の石段、上宮、磐座(いわくら)、護摩場跡、五窟、氷室、山伏の墓など等々があります。
周辺の古道沿いには、天井に飛天とみられる壁画の描かれた岩堂窟、写経所としての役割を果たしてきた如法寺、千手観音立像が安置された千手観音堂などがあります。