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46 赤城山古道

保護中: 赤城山古道 六道の辻道

赤城山への参詣の道

群馬県中央部にそびえ四方に大きくすそ野を広げる赤城山は標高1828m(黒檜山)の火山です。「日本百名山」の一つでもあり、榛名、妙義とともに「上毛三山」の一つに数えられています。
古くから信仰を集め、四方から山頂の赤城神社(大洞赤城神社)をめざす参詣道が数多くありました。いくつかの参詣道は現在も車道やハイキングコースとして利用されていますが、当時の痕跡はわずかに残っているだけです。
赤城山山麓には旧石器時代から人々が暮らし、古墳時代には東国の中心として栄えました。
山中には中世の寺院跡や祭祀の痕跡が残り、雨乞いなどで盛んに登拝した記録を見ることができます。
山頂の赤城神社はいまも車で参拝する人々で賑わっています。
その時代時代の目的や信仰対象に応じた登拝の道があったと思われます。

西麓から六道の辻を経て大洞への道

赤城山西麓の旧勢多郡赤城村・北橘村(現渋川市)からも何本かの道が、赤城山大洞を目指して登っていました。それらの多くは中腹の「六道の辻」に集まり、姥子坂から外輪山の姥子峠を越えて、三途の川と呼ばれた船ヶ沢を渡り、新坂平から地蔵岳の北面を巻いて、大洞にあった旧赤城神社へと向かっていました。
ここでは、西麓から登る道の中から渋川市赤城町溝呂木から六道を経て大洞に至る道を紹介します。

古道を歩く

溝呂木から950m標高点へ

赤城山西斜面上の標高420mほどのところに位置する渋川市赤城町溝呂木(みぞろぎ)までは、JR渋川駅からバス(関越交通)の便があります。そこから実質的な登山口である標高約800mのT字路に突き当たるまで、赤城自然園を経ておよそ6キロの車道歩きをしなくてはなりません。4月から11月の赤城自然園開園日には渋川駅から自然園までのバスが運行されますので、アプローチの短縮には役立ちます。自然園からT字路までは2キロほどです。
マイカーならT字路まで入ることが出来ます。駐車はじゃまにならない場所を選びましょう。
このT字路からはほぼまっすぐに登る道ですが、2022年5月の調査時点では林業工事で通行が難しくなっていました。そのため舗装された林道を北に1.5㎞ほど行った地点に車を置き、地形図に示された北西に延びる尾根上の道を目指しました。
林道からの登りはじめは植林地で踏み跡が交錯していましたが、登るにつれて、左手の沼尾川の支流に落ちる急斜面が迫ってきて、片尾根上になり、踏み跡もはっきりしてきます。オリエンテーリングの標識もありました。そのまま尾根上の踏み跡を登り上げると、950mの標高点で、T字路からまっすぐ登ってくる道と合流します。

尾根をたどり六道へ

標高950m付近からは比較的幅の広い道をたどります。未舗装ですが、四輪駆動車なら走れそうな部分もあります。
いっぽう、場所によってはモトクロスの轍が掘られ、雨水で深くえぐられ歩きにくい個所もあります。
また、林業の作業道も交錯し、道標がなくわかりにくい分岐もあります。
古い道しるべや石仏など古道の歴史を感じさせるものもありません。
現在地を確認しながら徐々に高度を上げ、標高1162mの三角点のある高まりの南を巻いて、さらに明瞭になってきた尾根を東に向かうと、尾根道のわきに巨石があります。このあたりは古道の雰囲気を感じることができるでしょう。
ここから少し下り気味に行くと穴山との鞍部です。
鞍部から穴山へ登り返し、穴山の北斜面を巻いて行くと舗装された林道に出ます。この林道を直進すると六道の辻です。六道の辻は標高1200mほどで、ここには六面に地蔵尊が彫られた石造物があり、赤城西面各地からの6つの道が合わさるところとされていますが、現在では林道も通り、古い6つの道は明確に確認できません。
前橋から新坂平に至る赤城県道の途中にある箕輪からも、六道へと舗装された林道が上がってきていますので、その道を利用することで、溝呂木からの区間を割愛し、六道から古道らしさの残る姥子坂を登って大洞に至る区間を歩いても良いでしょう。

姥子坂から外輪山を越えて新坂平へ

六道の進行方向に向かって左手にある姥子坂登山口付近は広場になっていて、駐車も可能です。
姫百合駐車場下の県道から舗装された林道が通じています。広場奥の大きな石が障害物のように置かれた登山口からは道も細くなり、古道の印象が濃くなってきます。
春にはツツジ類やズミなどが咲くゆるやかな尾根道を登って行きます。
途中、左手の窪状になった所が古い地図にある鳩清水と思われます。
その先、1286mの標高点を過ぎた下りで、地形図上では右手の桜沢から道が合流しますが、今回の調査では踏み跡や道形は認められませんでした。

この地形図上の道が、箕輪から姥子坂に直接登る道だったものと思われます。
この地点を過ぎるとだんだんと傾斜が増してきます。右手には木々の間から時折、荒山が望めます。
途中で道が二つに分かれます。登りはどちらへ入っても問題ないのですが、下りで北側の道に入ると、元の道に戻らず、そのまま下ってしまう踏み跡に迷い込む恐れがあるので気をつけましょう。
最後は少し急登になりますが、それもわずかで、樹林におおわれた外輪山上の姥子峠に登りつくことができます。

姥子峠から新坂平へは、牧柵に沿うように外輪山の尾根を少し南に行ったところから左に尾根を外れてわずかに下ります。しかし、もともとは峠からまっすぐ下ったものと思われ、下りきったところは沼尾川の支流の船ヶ沢の源頭で、昭和初期の概念図には別名「三途の川」と記されています。つまり、ここからが「地獄」という意味で、かつての赤城の地獄信仰がうかがえます。
また姥子坂の「姥子」とは、地獄の入口に待つ葬頭河婆(脱衣婆)のことを指していると言われ、峠には昭和30年代まで葬頭河婆など10体近い石像もあったという話も伝わっています。
現在その姿を見ることはできず、『群馬県歴史の道調査報告書第20集』(群馬県教育委員会・2001年)にもそれに関する記述はありません(2023年に新坂平の赤城山総合観光案内所前に葬頭河婆の像が置かれ、同案内所内に「地獄めぐりコーナー」が設置されています)。

新坂平から大洞の旧赤城神社社地へ

新坂平周辺は白樺牧場と呼ばれ、最近まで牛の放牧が行われていました。
ツツジの名所としても有名で6月の花の季節には多くの観光客や登山者が訪れます。
現在、牛の放牧はされていませんが、代わりに羊が飼われています。
しばらく道路と牧柵の間を歩き、牧場の風景を楽しみながら進みます。
この道の最高点の左手に赤城山総合観光案内所があり、トイレや売店・軽食コーナーもあります。
大洞(だいどう)へは観光案内所の先で車道から左の未舗装の道に入り、見晴山方面に向かいます。見晴山の登り口で県道を横断し、反対側の樹林に入る「句碑の道」と呼ばれる遊歩道が、ほぼかつての道をたどっています。

水原秋櫻子(みずはらしゅうおうし)などの著名な俳人から市民作家を含めた数多くの句碑を見ながら下って行きます。
左に少し入った所にある秋櫻子の句碑を見てコースに戻ると、まもなく県道に出ます。
自動車の往来に気をつけて道路を横断し、進行方向左手の歩道を歩いて行くと、まもなく左に下る道路があります。
この道に入ると左手下にかつての赤城神社があった場所が見えてきます。神社の建物は残っていませんが、昭和40年代に現在地の小鳥ヶ島に移築されるまでの鳥居や玉垣などが残り、往時をしのぶことができます。
また道路右手には石段があり、八丁峠方面からの道にまっすぐ続いていたようです。

この古道を歩くにあたって

全体的に急な登り下りもなく歩きやすい道ですが、植林地では林業作業が行われ、作業道が交錯しています。作業車の通行や作業の邪魔にならないよう、またルートを外さないよう気をつけてください。
また、クマやイノシシ、シカなどの野生動物も多く生息しています。シカの糞は道端にもたくさん落ちています。クマやイノシシは特に危険なので、熊鈴の携行や単独行や少人数での入山を避けるなど、注意して行動しましょう。

古道を知る

六道と姥子坂、姥子峠

赤城山の西斜面は、このコースの六道の辻付近を頂点として、西側に大きく扇状に広がり、中腹より下の広大な裾野に続いています。そのため、赤城西麓の各地から大洞を目指す道の多くは、地形的にもこの六道の辻付近に集まることになります。
古くは実際に六つの道が合わさっていたということですが、現在では古い道が消え、新しい林道もでき、その面影も薄らいでいます。地形図上でも6つの道を確認することはできなくなっています。
各地からの道は六道の辻で一本に合わさってからは、姥子坂の尾根道を登り、外輪山上の姥子峠を越えて赤城山の巨大なカルデラに下り、大沼湖畔の大洞へ向かっていきます。
六道とは仏教の六道輪廻を連想させますし、赤城山の地獄信仰との関連も想像させます。この六道の西手前の両側が急斜面となって切れ落ちた尾根道には蟻の戸渡りという名前も伝えられ、これは修験による命名も連想させます。
また、西麓からだけでなく、南の前橋から登ってくる人たちの多くも、新坂平経由の道が通じる以前は、箕輪から、この六道あるいはその上の姥子坂に上がり、姥子峠を越えて赤城大洞を目指したものとも考えられます。
そのため、六道から姥子坂を登る道は、赤城山の西麓から南麓にかけての村々から赤城へ通じる道が一つに集まって外輪山を越える、メインストリート的な存在であったことがうかがえます。
かつて5月8日(もともとは卯月八日)の祭礼に山麓の村々から登ってきた人たちが、この道で列を作っていたのでしょう。
ちなみに姥子坂の「姥子」とは、昭和40年代に出版された『赤城の神』(今井善一郎著)によれば、峠の外輪山の外側に葬頭河婆(しょうづかばあ・脱衣婆)の石像があり、これを「オバコ」と呼んだとあります。そして姥子坂を越えると、そこには三途の川と呼ばれた船ヶ沢があり、人々はこれを越えて地獄へと入って行ったわけです。
また同書によりますと、六道の辻には、死んだ子供のために石を積む習慣が絶えず、そんな石積みがいくつかあると書かれています。今は姥子峠に葬頭河婆の石像も、六道の辻に石積みを見ることもありません。

深掘りスポット

六道の辻の石造物

前述のように、赤城西麓から赤城大洞を目指す道の多くは、地形的にこの六道の辻付近に集まりました。ここには上段に六面の地蔵尊が彫られた石造物があり、往時の面影をとどめています。
下段の文字は読み取りにくい状態ですが、群馬県教育委員会編『群馬県歴史の道調査報告書第20集信仰の道―上毛三山を中心に』(2001)によれば、「南 いしゐ(石井) 古めの(米野) 南西 かしわき(柏木) みそろき(溝呂木) 西 つくだ(津久田) 下南室(?) 北 □□□ 北東 赤城山 南東 みのわ(箕輪)とあり(()内は筆者注)、文久3年(1863年)に建てられたものということです。

勝保沢の鳥居

渋川市赤城町勝保沢の県道大間々上白井線、かつての前橋から沼田へ通じる沼田街道の山側に鳥居が経っています。
「従是本社迄参里拾五町、当村中」「寛政壬子年六月吉辰」とあり、1792年に建てられたことが分かります。
この鳥居から登る道も、ここで紹介した道と合わさり、六道、姥子坂を経て赤城大洞へと続いていました。

ミニ知識

赤城信仰の歴史

三夜沢赤城神社の裏山の荒山から延びる尾根上に「櫃石」と呼ばれる高さ2.5mほどの巨石があります。
周囲からは鏡、剣、玉などの8世紀中ごろと考えられる石製模造品が出土しています。
遅くともこのころから信仰の対象になっていて、麓に赤城神社が鎮座されたこととの関連も強くうかがえます。
平安時代には大沼、小沼への納鏡も行われるようになり、赤城は水神、農業神として信仰されました。
また大洞の赤城神社(現在は小鳥ヶ島に鎮座)は平安時代初期の大同年間の創建と伝えられ、日光を開いた勝道上人が登山を試みたとの伝承もあります。
また中世の赤城山は仏教の影響を強く受けるとともに、地獄信仰の対象となり、もともと神倉山(ほくらやま)と呼ばれた地蔵岳は14世紀以降に現在の山名に変わりました。六道や姥子坂(葬頭河婆)、三途の川など、本コース上にも地獄信仰の名残を見ることが出来ます。
明治に入ると、廃仏毀釈の波は赤城山にも及び、地蔵岳山頂にある首のない地蔵像も当時を物語るものと言われています。
大洞の赤城神社は1970年(昭和45年)に、現在の小鳥ヶ島に移されました。5月8日(もともとは卯月八日)に春の例大祭が行われますが、赤城の山開きの日でもあります。かつては山麓の村々から多くの参詣者が古道を登り赤城大洞に集まり、さらに過去1年間に家族を亡くした家では地蔵岳に登り、祖霊に会うとされていました、

ルート

林道上の駐車地
↓ 2時間20分  4.5km
六道の辻
↓ 1時間40分 2.3km
新坂平
↓ 50分  2.0km
大洞

アクセス

《バス》
関越交通:電話0279-22-2020
●JR渋川駅から「溝呂木四つ角」(赤城町溝呂木)下車。
そこから「T字路」までおよそ6km。
●4月から11月までの赤城自然園開園日にはJR渋川駅から「赤城自然園」まで運行。
自然園からT字路までは約2km。
●六道から上部のみを登る場合は、前橋駅からの関越交通バスで「箕輪」下車。
《マイカー、タクシー》
●箕輪の姫百合駐車場に車を置いて六道経由で姥子坂から大洞までの古道を歩く。
帰路は「箕輪」までバスで戻る。
●マイカーやタクシーはT字路まで入れる。

参考資料

「群馬県歴史の道調査報告書第20集『信仰の道―上毛三山を中心にー』」群馬県教育委員会編、2001.3
「群馬県新百科事典」上毛新聞社、2008.3
今井善一郎「赤城の神」煥乎堂、1974.3

協力・担当者

《担当者》
日本山岳会群馬支部
根井康雄

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