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114 阿蘇山古道

駒返峠越え

この駒返峠を越える道は、中世の武士団(阿蘇氏)が往来し、近世は地域の人びとの阿蘇参りや湯治の「あそ道」として利用された。
古代から阿蘇の火山信仰をもとに、時の中央政庁や朝廷と結びつくことによって、次第に力を蓄えてきた阿蘇氏は、阿蘇谷から南郷谷、さらに浜の館といわれる南部や西部へと肥後一円に勢力を広めていった。
その進出の過程では、南外輪山越えの駒返ルートが多用されたものと思われる。
武将としての阿蘇氏が終焉を迎えた後も、阿蘇参りや湯治の「あそみち」として主要な峠道であった。

古道を歩く

稲生野 → 駒返峠

九州自然歩道は通潤橋から、岩尾城跡を通り、「浜の館」の東側を北上する。
そのまま県道39号線を北へ10㎞で稲生野の集落、さらに2km北へ進むと舗装路終点となる。
右手に車10台くらい駐車できるスペースがある。
通潤橋から続く九州自然歩道は、舗装路終点からそのまま真っ直ぐに細い林道(軽自動車か小型車は通行可)となっており、約2kmで東大矢の旧営林署跡に至る。
舗装路終点のすぐ先、左側の尾根筋に元来の古道と思われる出入口があるが、入っていくと酷い竹やぶになり、ほとんど進めない。
今は舗装路終点から左へ(北方向へ)未舗装の幅員10mほどの林道があり、これを進むとよい。
この林道はトラックか4WD車なら通行可能だが凹凸が多く、乗用車は止めた方がよい。
元来の古道はこの林道の東側を走る尾根上にあり、並行して北上し、林道の終点で合流する。
その上の平坦地に出ると、そこには養蜂の巣箱がある。
この平坦地より手前50m辺りから左へ踏み込み、杉の植林帯に沿って進む。
やがて細尾根を行った後、右上に一段上がると広い台地状の尾根になる。

杉林の中で作業道が入りこんでいて、踏み跡は判然としないが、できるだけ高い尾根筋を行く。
10分ほどで台地状の尾根がくびれた鞍部にケヤキの大木が現れると九州自然歩道の曲がり角標識がある。
これを右へ曲がると東大矢の旧営林署跡へ下る。
駒返峠へはまっすぐ北上する。逆に駒返峠から下ってきた場合はここを左折せずに直進することになる。
ここから先は九州自然歩道となり、道は歩きやすく、標識や看板が多くなる。
15分も行くと林道に出る。林道を横断するが、5mほど先に登り口の標識がある。
ここから入った後、駒返峠まで、緩い勾配で気持ち良い広葉樹の中の径が続く。
約1.8kmで外輪山周回の歩道に出る。左折するとすぐ、0.2㎞で駒返峠に着く。

スギ木立の中で展望はないが静かで少し広いスペースの中にベンチ2個と地蔵尊の石祠がある。江戸時代には番小屋があったらしい。

駒返峠 → カルデラ内グリーンロード登山口

駒返峠からカルデラ内への下りは急斜面をジグザグに降りる。
岩の間の狭い径は石畳の痕跡が何となく感じられなくもないが、石畳とは認識できない。
峠から900mほど、杉の造林の中を進み、勾配が少し緩やかになってくると林道(駒返線)に出る。
林道を左(西)へ50mほど進んだ所に標識があり、右下の植林地へ再び入る(または林道を右に下る)。
15分ほど下ると小さな流れを徒渉する。(渡渉地点は現在かなり大きくえぐられて渡渉困難になっている)
徒渉すると再び舗装の林道に出て、これに沿って下る。
下る途中、右手東側には高台が仰ぎ見られるが、中世の南郷城(駒返城)跡である。

林道を500mほど下ると南阿蘇グリーンロードの登山口に出る。
登山口には山の神が祀られ、石碑や観音像があり、山の水が引かれている。
登山口から100m西側には、10台程の駐車スペースがある。

この辺りからの南郷谷や阿蘇五岳の眺めは雄大で絶景である。

この古道を歩くにあたって

稲生野の舗装路終点から未舗装林道を約1km歩くが、元来の古道はその東側の尾根の上を通っており、林道とほぼ並行している。
古道は途中、竹ヤブでおおわれているので歩くことはほとんど困難である。
九州自然歩道との合流点(ケヤキの大木)の標識を右折すると、自然歩道は南東にある旧営林署跡へと続くが、踏み分け道はなく途中はわかりにくい。

古道を知る

南阿蘇の外輪山を越えてカルデラ内外を結ぶ峠道は11ある。
そのうち幹線として使われてきたのは駒返峠である。
駒返峠は中世においては武士団、阿蘇氏の軍用の道であった。阿蘇氏は阿蘇谷(阿蘇神社)から南阿蘇(南郷の館)へ進出し、さらに13世紀には浜の館(山都町・旧矢部町浜町)に拠点を移した。さらにそこから甲佐町・御船町・益城町へと支配を広げる。
阿蘇氏の支配が終わると江戸~明治~昭和においては南阿蘇外輪越えの峠道はカルデラ外からの信仰のための「阿蘇参り」や「あそ道」として使われた。また、温泉湯治客の往来があり、近代まで麓の村で維持されてきた。
駒返峠と山都町浜町の「浜の館」を結ぶ古道は西大矢ルートが主であったらしいが、長い尾根ルートの大半は藪が生い茂り、現在は通行困難である。
一方、東大矢ルートは九州自然歩道が駒返峠から通潤橋まで設定されているので山道は歩きやすい。古道はかなりの範囲、九州自然歩道と重なっている。

深掘りスポット

御所塚

「御所塚」は景行天皇の御陵だという伝承が残る。
林道を横断する地点から東へ林道を500mほど下り、都々良川(つづら川)の上流の小さな沢の橋を渡った先が御所塚への入口である。20年ほど前までは「御所塚」の表示があったらしいが、現在は何もない。
「御所塚」はここから北北東に約400m、標高差は約60m登った所にある。
入口から作業道を北東に20mほど入り、左手の小さな沢を徒渉、杉の植林帯の中に入る。踏み分け道はないので植林帯の中、尾根筋あたりを登る。
やがてその右手にやや明るい広葉樹林が現れ、急に開けた丘陵地に忽然と円墳状の丘が現れる。2つ、よく見渡すと小さなものを入れ3つ、墳丘らしきものが認められる。辺りに木々が密生するでもなく、人の手で整備された様子もない。何か不思議で荘厳な雰囲気の空間である。
上手の墳丘には「天孫降臨之地」、中央の一番大きな墳丘には「景行天皇御陵」と刻んだ標石が置いてある。「御所塚」までは踏み跡もないので地図とGPSで慎重に往復する。
別のアプローチは南側の東大矢の旧営林署跡(この一帯には一時期、30数軒の人家や店があったらしい)から、「山の神」の前の林道を都々良川に沿って約800m遡行した所が入口地点である。

ミニ知識

「御所」の由来

〈以下は倉岡良友氏の「御所の歴史と信仰風土記」(山都町教育委員会)より御所の地名出典の抜粋〉
〇天保6年(1835年)藩主細川斉護公が南外輪山、大矢山で巻き狩りをされた記録の中に、東大矢に猟師や勢子600人ばかり配置して西の方に向かい追い立て御所道の辺りに追いつめて云々・・・とある。
〇天保11年(1840年)渡辺質の「矢部風土記」の大矢山の項で、「健磐竜命(たけいわたつのみこと)御狩りの神跡にて大矢山と言えり。又一説に景行天皇熊襲征伐の時、郡懸巡視の次暫くこの地に行宮を設けさせ賜えるにより王屋山とも言えり。今も上御所、下御所、大道などと言える処あり里俗恐れ憚り稚も兎も入らざる聖地なり・・・」とある。
〇明治9年7月13日、・・・江戸期からの上名連石村と名連石村が合併して御所村となる。
〇大正4年、上益城教育委員会が「矢部郷土誌」の中の古跡、社寺、の項で御所の地名と古墳(御所塚)について、「大矢山の麓に上御所、下御所という屋敷の跡2箇所ありて・・・」とある。

阿蘇参り

矢部郷ではどんな小さな集落にも天神さんと観音さんと阿蘇神社がある。なかでも阿蘇信仰は今も根強く、阿蘇参りは欠かすことのできない年中行事である。秋の彼岸の中日、集落から選ばれた数人が阿蘇神社まで出かけて五穀豊穣地区の繁栄を祈願する。代参者は地区の戸数分だけ守護札を受けて帰り、全戸に配る。『今は車があるからいいが、昔は外輪山の駒返峠を越えて歩いて行きよった。まだ夜の明けん3時か4時に出て、お参りするのは晩方。一晩泊まって、また歩いて帰ってきたもんです。』
阿蘇参りの起こりは、火を噴く山への畏敬、阿蘇火山そのものが信仰の対象だったのだろう。火口近くの山上神社が対象であった。原始的な火の山信仰があったうえに、中世の阿蘇氏が矢部を拠点にしたことで、矢部郷での信仰がますます確固としたものになった。(以上は「新・宇城学」熊本日日新聞より)

駒返峠ルートの自然環境:地形と植生

【稲生野から駒返峠】:九州自然歩道が通過する稲生野集落が標高約600m、駒返峠を含む南外輪山の連なりは約1000~1100mである。この南外輪山の南側の山野は、南向きのなだらかで日当りのよい傾斜地であるため、広い範囲にわたりヒノキやスギの植林地となっており、当然のことながら自然の純度は低く、植生はやや貧相である。林床には鹿の忌避植物と思しきアケボノソウやマツカゼソウ、ナギナタコウジュが多く見受けられる。地面に降り積もったコナラやクヌギなど落葉樹の枯れ葉を蹴散らし、またヒメバライチゴなどキイチゴ類の実を頂きながら歩くのも爽快なコースである。
(木本類)
アセビ・アワブキ・エビガライチゴ・カジカエデ・カキラン・クヌギ・ケヤキ・コウツギ・コナラ・
ツヅラフジ・ツルコウゾ・ニワトコ・ヒメコウゾ・ヒメバライチゴ・フッキソウ・ミヤマシキミ・
ムラサキシキブ・ヤマグワ・リュウキュウマメガキ・ウスバヒョウタンボク
(草本類)
アケボノソウ・イヌタデ・オオキヌタソウ・オタカラコウ・オニノヤガラ・
キバナアキギリ・コナスビ・ツクシアザミ・ツチアケビ・トチバニンジン・ナギナタコウジュ・
ナルコユリ・ニシノヤマタイミンガサ・マツカゼソウ・ヤマジオウ

【御所塚】少しコースから外れるかもしれないが、景行天皇御陵石碑や天孫降臨地石碑のある一帯「御所塚」は、樹冠を形成する高木層(アサガラ・イタヤカエデ・オオモミジ・カジカエデ・カツラ・ケヤキ・コハウチワカエデ・サワグルミ・チドリノキなどの落葉樹のほかイヌガヤなど一部常緑樹)の林床はドーム状の空間となっており、少ない種数の草本植物(ウスバヒョウタンボク・オオキヌタソウ・オモト・ナツエビネ・ニシノヤマタイミンガサ・フッキソウ・モミジガサ)が群生しており、森閑・静寂が魅力的な、一度は訪れてみたいパワースポットである。

【駒返峠からグリーンロード登山口】南外輪山の内側を下ると様子が一変する。南外輪山の外側(南側)は緩傾斜だったが、内側(北側)になると、一挙に断崖的地形となり、傾斜もかなり強くなる。登山路となっている谷筋は鹿も馬(駒)も歩けないほど急峻であり、正に駒返峠たる所以である。
標高820m地点で林道駒返線に出るまで、度重なる風雨に晒された登山道は荒れ気味で、岩石や倒木の間を縫うように歩かなければならない区間が長い。また急崖の斜面又はその下部に位置しているため人工林の植林は限られ、植生は比較的良好と言えるのではないか。落葉樹が中心であり、シイ類やカシ類が極めて少ないので、明るい森に感じられる。林道を横断して人工林の中の道を進んでもよいが、何とも味気ない。簡易舗装的な林道駒返線に沿って歩けば、木本を主体に極めて多くの植物が観察可能であり、令和3年に約120種の樹種を確認している。春であれば、ウワミズザクラ・オオカメノキ・ネジキ・ミツバウツギ・ヤマトアオダモなど白い花を付ける樹木を楽しめる。ただし、最近勢力を広げているジャケツイバラのほかクマイチゴやナガバモミジイチゴなどの棘植物が林道に枝を伸ばしてきているので、十分に気を付けたい。(戸上貴雄)

ルート

(※時間はゆっくりペースで休憩を含まない)
〔ヤマップデータ:距離7.0㎞ 標高差(稲生野→カルデラ内)は上り400m 下り460m〕
以下①~⑨の番号はルート図中の番号と一致する。
⑨グリーンロードの駒返峠登山口:標高660m
0.6㎞         ↑ 15分  ↓ 20分
⑧徒渉点:標高730m
0.7㎞         ↑ 15分  ↓ 20分
⑦林道駒返線出会い:標高820m
0.9㎞         ↑ 35分  ↓ 45分
⑥駒返峠:標高1058m
0.9㎞         ↑ 15分  ↓ 10分
⑤九州自然歩道を行く:標高1010m
1.2㎞         ↑ 20分  ↓ 15分
④林道出会い:標高890m
0.8㎞         ↑ 15分  ↓ 10分
③自然歩道との合流点(ケヤキの大木):標高840m
0.8㎞         ↑ 15分  ↓ 10分
②頂部平坦地(養蜂の蜜箱):810m
1.2㎞(未舗装林道歩き) ↑ 20分  ↓ 15分
①稲生野の舗装路終点:標高712m

アクセス

熊本市内からは山都町に行くには九州自動車道から九州中央自動車道に入り、令和6年2月開通した山都通潤橋ICで出る。「通潤橋」までは案内板に従い900mである。国の重要文化財であった通潤橋は令和5年、国宝に指定された。ここを起点として県道39号線を北上し、稲生野まで車で約30分、マイカーなら舗装路終点に駐車スペースがある。
南阿蘇グリーンロードの駒返峠登山口に迎えの車かタクシーを用意すれば、そのまま阿蘇のカルデラ内での動きがとれる。稲生野側に車を駐車した場合、駒返峠でUターンすると往復4~5時間程度のハイキングになる。
一方、阿蘇カルデラ内からスタートするには南阿蘇鉄道の中松駅からタクシーで県道39号線を南下し、そのまま南阿蘇グリーンロードに入る。駒返峠登山口はグリーンピア南阿蘇のすぐ南側あたりになる。
駒返峠から先は林道横断地点またはケヤキの大木地点まででUターンして往復してもよいし、縦走して稲生野へ抜けるなら、稲生野の舗装路終点に迎えの車かタクシーを用意するとよい。

参考資料

倉岡良友「御所の歴史と信仰風土記」山都町教育委員会
岩本政教編著「熊本の街道と峠」熊本日日新聞
熊本日日新聞社編「新・宇城学」熊本日日新聞
西日本新聞社開発局出版部編「九州自然歩道新ガイド〈中〉」西日本新聞社
矢部町史編さん委員会編「矢部町史」矢部町史編さん委員会

協力・担当者

《執筆者》
日本山岳会熊本支部
池田清志、中林暉幸、(植生)戸上貴雄 
《調査担当者》
池田清志、廣永峻一、中林暉幸、城戸邦晴、三宅厚雄、田北芳博、戸上貴雄(同支部会員)
《協力者》
大津山恭子氏 (山都町教育委員会)
田中保廣氏 (元営林署職員 山都町在住)

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