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21 関山街道 嶺渡り古道
下山口へのアプローチは、自家用車かタクシーに限られる。
2台の車で下山場所に行き、1台をデポし、もう1台で出発地に戻って、登山を開始する。
下山後はデポした車で開始場所まで回送するといい。
出発は宮城県側の、国道48号のスノーシェッド駐車帯(関山トンネル宮城県側下流1㎞程)。
国道管理施設で数台駐車可。
下山は山形県側で、小屋ノ原の除雪の雪捨て場(萱倉沢林道入口付近)になる。
歩き始めてすぐ小川があり、下山口にも川がある。渡渉時には足を濡らさない事。
また水場として取水可能だ(他にコース上で取水出来る所無し)。
コース前半の峠までは、登り一方で、後半の下山口までは下り一方なので、疲労を考慮した山行が必要だ。
最後にルート上のポイントを登山順に示したい。
スノーシェッド駐車帯のガードレールを越え、直ぐに広瀬川源頭の小川を渡渉し、右岸沿いを300m遡上する。
坂下番所跡手前の沢を渡ると、殉難の碑(旧関山隧道開削前工事の火薬爆発事故で死傷した方々の)に着く。
ここからは一本の尾根道をひたすら登る。200m程登ると旧国道と交差地点に至るが、崖崩れのため左へ100mトラバースして右側の擁壁に仮設した梯子を登る。
ブナや広葉樹のジグザグ道は、橅の大木で一息入れると、沢から吹き上げる風が心地良い。
峠の茶屋(跡地不明)までは30分。南の山々(面白山や大東岳など)が大きくなって眺められる。
峠200m手前右側には、関山(仮称)への分岐があり、頂上経由で山形側で合流する。
分水嶺の峠または関山頂上での昼食は、林の中で歴史を感じながらとりたい(登山所要2時間)。
ここからは下山道。歩き始めてほどなく、関山からの道と合流する。
下山路はひたすら下ること1時間、ちょっとした平場に出る。
お休み処(仮称)は風もなく、疲れた時は、安心して休める。
この付近には「刀塚」と呼ばれる、刀剣の隠し場所がある(場所は不明)。
刀剣を持って、番所(関所)を通過できなかった為に、隠し置いたものとの事。
ジグザグ道が多くなり、お花畑も少なくなってくると、川の音が聞こえ始める。疎林を下ると川岸に至る。
ふみ跡を頼りに浅瀬を渡渉すると、道標が立つ萱倉沢林道分岐に辿り着く。
此処からは、嶺渡りルートは沢筋のルートに代わり林道に出る。国道48号までは200mほどだ。
国道を3㎞ほど下ると、旧道があり、長坂集落の民家内に長坂番所跡標柱が立っている。
◉渡渉する所が3ヶ所あり、雨後の増水時や雪解け水の多い季節は、濡れないように注意する。
坂下番所跡から旧国道48号の交差点までの急勾配は、ルート上一番の難所。ゆっくりと3点支持で登る。
迷子になりやすい所は、関山(仮称)頂上付近で、ふみ跡がたくさんある。
下山する方向を、地図とコンパスで確認の上、慎重に行動すること。
◉歩行適期は冬季を除き春夏秋に限る。
冬季は日本海側から吹く強風と積雪で、厳冬期の登攀と装備が必要。
残雪は5月初旬までルート上の障害となる年もあるので注意されたい。
関山街道の嶺渡り道は万治3年(1660年)伊達藩により開かれ、仙台側は作並の坂下に、山形側は関山の長坂に口留番所が置かれ、官道となった。以来200年あまり、明治15年(1882年)まで古街道としての役割を果たしてきた。
坂下番所から西進して奥羽山脈の分水嶺を越え、小屋ノ原への4kmは尾根筋を縦断していることから「嶺渡り」と呼ばれた。番所間が10km程度であった事から「嶺渡り三里」とも言われていた。
陸奥の国と出羽の国を結ぶこの街道は、戦略上重要な道であったにもかかわらず無防備であったことが記録に残っている。これは関山峠が軍馬が通れぬ険路であったことによる。そのため二口街道や笹谷街道よりも高低差が少ないにもかかわらず、利用者が少なかった。
道幅が狭く急峻なことから、牛馬の通行は叶わず、物資の運搬は、人が背負うものであった。
現在の県境の御境峠(標高800m)には茶屋「やらい張り所」が開かれたが、今もその茶屋の場所は特定されていない(古銭が発見された場所がある)。
なお古道として放置されてから100年以上の年月を経て、その足跡は消えつつある。
惜しいのは、両県共に国道48号線の整備に伴い、古道が新道の下になってしまった部分がある事だ。
関山街道は仙台から奥羽山脈の関山峠を越え天童を経て山形と結ぶ街道である。かつて山形からは関山街道や仙台街道、仙台からは作並街道や最上街道と呼ばれていた。次第に関山街道と言われるようになり、関山峠付近を除いて現在の国道48号となっている。
利用者が少なかった関山街道が脚光を浴びるのは、明治15年、山形県令三島通庸(みちつね)と宮城県令松平正直(まさなお)によって関山峠を貫くトンネルが完成し、馬車や人力車が通れるようになってからである。交通量が増え大いに賑わったという。
しかし、奥羽本線が明治34年に山形まで、同36年に新庄まで開通すると、交通量は激減。
関山街道が再び活発化するのは昭和43年に新関山トンネルが開通し、国道48号線が改良されてからとなる。
関山峠の仙台側の番所。
同じ所に、殉難の碑と広瀬川上流端の標柱、嶺渡り看板がある。
山形県東根市関山。国道48号線の旧道沿いにある猪野沢集落の民家内に標柱が建つ。
ルート上の大きなブナで、樹齢400年は古道開通時からの、休憩所の目安。
明治13年(1880年)、トンネルを開鑿するために用いていた火薬が爆発して、死亡23名(うち胎児1名)、重傷8名を出す事故が起こった。
当時はダイナマイトが貴重であったため、開鑿には火薬を用いていた。火薬を作並から運搬する途中、坂下境目御番所で過失から火薬に引火して爆発したもの。
供養碑として、大正15年(1926年)、東根市の「大滝ドライブイン」の一角に「関山新道開鑿殉難之碑」が、また昭和4年(1929年)に事故現場の「坂下番所跡」に石柱「関山新道開鑿殉難之碑」が建立された。
開湯は、寛政八年(1796年)。仙台藩の許可を得て、岩松久高氏(木房修)が開く。
http://www.sakunami-spa.com/
観光案内やパンフレットを配布。施設内には食堂や農林産物の直売所、各種 展示場、足湯がある。〔作並温泉街〕
https://lasanta.info/
街道筋にある高さ25m、幅35mの大瀑布。近くには文学碑(正岡子規、長塚節、国木田独歩などの詩や小説の舞台となった):入間橋付近
平家の落人、平貞能公が開山。阿弥陀如来像をご本尊とする。
貞観2年(860年)第3世天台座主慈覚大師円仁が創建。松尾芭蕉が1689年来訪し「静けさや岩にしみいる蝉の声」と奥の細道に詠んでいる。
小山田新道(猪野沢新道ともいう)は明治初期関山古道の改良工事の際、地元(猪野沢)の豪農の篤志家(小山田理兵衛氏)等が私財を投げ打って新道開削に尽力し、東根市の猪野沢から仙台市青葉区新川の初の小屋までを完成させた(距離27km)。
しかし諸事情により山形県令は、隧道で奥羽山脈越えの旧国道48号線を幹線道路としたため、小山田新道は幹線道路(国道)にならなかった。氏は焦燥の中、北海道へ渡った。
小山田新道は人々の記憶から消え去ることとなってしまった。
なお、子孫の方は札幌市在住、猪野沢の邸宅跡と墓碑は現存する。
蓮如上人の弟子。文明5年(1473年)、関山街道を越えて出羽の国へ至ったが、峠を越えた所で道に迷い、地元住民に助けられ、布教活動を続けることができた。(和尚は天童市内にお寺を開山)
雪解けと共に始まるのが山野草の百花繚乱。
イワウチワやショウジョバカマなど可憐なピンクの群落、純白のドウダンツツジ。
広葉樹は芽吹きの時期(落葉している)で、葉っぱの障害も無く、遠景の山々も微笑んでくれる。
花の時期の次は新緑の季節となる。麓から頂上に向って、雪線とともに上昇していき山桜のピンクが点在する。
涼風香る夏場は、嶺筋コース特有の木陰が少なく、水場も無い(水は持参が原則)。
9月に入ると錦秋の絨毯が、頂上から麓に向って降りてくる。紅葉と針葉樹の緑が織りなすハーモニーが心地良い。
北に船形山(山形県側では御所山)、黒伏山、寒風山、西に月山や朝日連峰、南に面白山や大東岳、東に運が良ければ仙台市街地越しに太平洋が望める。
関山街道 宮城県~山形県へ 山形県~宮城県へ
嶺渡り古道入口(駐車帯) 萱倉沢林道分岐(国道48号線)
↓ 15分 0.3km ↓ 90分 1.3㎞
坂下番所(殉難の碑) お休み場(100畳敷)
↓ 30分 0.2㎞ ↓ 90分 1.2㎞
旧国道交差部 関山頂上
↓ 90分 1.2㎞ ↓ 60分 1.2㎞
関山頂上 旧国道交差部
↓ 60分 1.2㎞ ↓ 20分 0.2㎞
お休み場(100畳敷)[付近には刀塚:所在不明] 坂下番所(殉難の碑)
↓ 60分 1.3㎞ ↓ 15分 0.3㎞
萱倉沢林道分岐(国道48号線) 嶺渡り古道入口(駐車帯)
(宮城県側)
自家用車の場合:東北自動車道宮城インターから国道48号線を山形方面へ1時間。
電車の場合:仙山線の仙台駅から山形方面へ。作並駅で下車しタクシー15分で駐車帯着
(山形県側)
自家用車の場合:東北中央自動車道の東根または天童インターから国道48号線を仙台市方面へ40分。
関山大滝を経て、萱倉沢林道分岐(除雪の雪捨て場)。
電車の場合:奥羽本線の東根・天童駅からタクシーで30分。路線バスは途中まで。
「関山街道さんぽマップ」全5葉のうち(その5)、関山街道フォーラム協議会、平成26年制作
「仙台市史 通史編4近世2」434頁
講演会「小山田新道を語る」資料 令和4年5月29日 仙台市宮城西市民センター講師:淺井紀夫(天童市)
黒木あるじ「ひがしね百物語(第5夜)」東根市公益文化施設まなびあテラス、令和4年3月31日発行
《担当者》
日本山岳会宮城支部
遠藤幸壽
《協力者》
関山街道フォーラム協議会
会長 平川新氏、事務局長 横山修司氏
(http://www.sekiyamaforum.com/forum/ )
天童郷土研究会 浅井紀夫氏