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日本山岳会が選ぶ「日本の山岳古道120選」

7 三浦新道

十和田湖と東方を結ぶ明治の要路

三浦新道は、明治16年(1883年)に五戸町の三浦泉八が開削に着手した約16㎞の牛馬道で、青森県初の有料道路でした。
開削の主な目的は、銀山(十和田湖畔)と八戸方面間の物資の輸送ですが、すでにこの道の東側約3分の1は、江戸時代に戸来三嶽神社を起点とする十和田神社(十和田湖畔)への参詣道でもありました。
また鉱山関係者や湖岸の開拓者たちなど多くの人々が利用した道でした。
明治35年(1902年)1月、八甲田雪中行軍遭難事件が起きたとき、弘前歩兵第31連隊はアクリ峠を越えて新郷村に無事辿り着きました。
その翌年の東北地方飢饉のときには、英国宣教師ウォルター・ウエストンが新郷村羽井内など被災地を訪れて救援活動を行っています。
※写真は、南方にある十和利山から見た大文字山(手前中央)とその奥の戸来岳(右:鍋を伏せたような大駒ヶ岳、左:三角錐の三ツ岳)です。
大文字山の右の肩(東方)がアクリ峠(約880m)で、ここから左(西方)にある885峰に向かって走っている白い線(残雪)が三浦新道です。

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