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増毛(ましけ)山道——石狩市浜益区幌(ぽろ)~増毛町別苅(べつかり)の27km——と濃昼(ごきびる)山道——石狩市厚田区安瀬(やそすけ)~浜益区濃昼の11km——はともに、増毛山地西端を南北に走る山岳古道です。
ともに、江戸時代後期、幕府(箱館奉行所)の命で、海岸線のニシン漁場やアイヌ民族との交易を仕切っていた場所請負人(増毛山道は伊達林右衛門、濃昼山道は浜屋与三右衛門)に開削させたものです。
一帯の海岸は断崖が連なり、海岸沿いに往来できる「道」がなく、海岸線を迂回する交通路として、安政4年(1857年)に前後して開通しました。
背景には嘉永6年(1853年)、プチャーチンのロシア艦隊が長崎に来航し北海道周辺の国境画定を求めて以来、北方警備の交通路整備を急ぐ事情があったためです。
両山道とも江戸―昭和期に使われましたが、海岸沿いの国道231号の整備とともに戦後、廃道化していました。
しかし地元有志らが復元作業を進め、濃昼山道は2005年、増毛山道は2016年に復元、国土地理院の地形図にも再記載。2018年に同時に北海道遺産に選定されました。