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91 近江坂

保護中: 近江坂

古道を歩く

近江古道は今津町酒波の酒波寺(さなみでら)から始まります。


酒波寺からビラテスト家族旅行村への舗装道を上ると、駐車できる広場が有りトイレもあります。
道標に従い標高307m(P307)あたりまで登れば、一旦傾斜が緩くなり、ビラテスト今津に続く車道に出ます。

この先も何度か古道と車道は出入りしますが、車道上の出入口には統一された道標が建っており迷うことはありません。
古道は車道と並行して登るようになり、赤坂山P474mには酒波寺から2時間ほどで着きます。
さらに車道と古道を出入しながら登って行くと、駐車場に入るゲートがあり、その横を通り過ぎて100mほどで標高540mのビラテスト今津に到着。ここには売店とトイレが有ります。

緩い坂道を下り、15分ほどで平池に着きます。
平池の先のT字路を道標に従い右に折れ、ほどなく「近江坂登山道」入口を左折します。

直ぐに水場を渡ります。この先天増川まで水場の無い尾根をひたすら辿るので、補給しましょう。
水場を過ぎ、尾根道と谷の中腹を登る道の分岐に着きます。どちらの道を通っても上部で合流します。
ここから先は、大日尾根と呼ばれる長い穏やかな尾根道が大日岳まで続いています。
滝谷山の分岐に差し掛かる手前には小さな池があります。
滝谷山分岐の辺りから「シャクナゲ」の群落が見られ、5月頃は美しい花が楽しめます。
分岐を過ぎると瘦せ尾根となり、途中で顕著に地質が変わります。明らかに断層です。

※調べてみると熊川方面から南西に伸びる断層があり、堆積岩と付加体(砂岩泥)との境目である。中生代後期ジュラ紀に形成され境目は顕著であり、瘦せた尾根であるがゆえに素人目にも判り易い。
瘦せ尾根を過ぎると、穏やかな尾根となり、河内谷林道と交差する峠の抜土(ぬけど)に着きます。

水場上部の分岐点からここまでは1時間40分ほどの行程です。抜土から大谷山分岐、大御影山までは緩やかな登り下りで、高度は100mほど上がりますが尾根道は広く歩きやすい。
標高949.9mの大御影山には50分弱で着きます。国土地理院地図には山名も無いピークですが、若狭地方の最高峰で、中央分水嶺を構成。こんもりとした山容をしており、日本海に至る眺望も素晴らしく、水さえあれば最適な幕営地です。

山頂から北東に向かって下る広い尾根がありますが、この尾根は松屋地蔵大権現岳(P598)を経て福井県耳川上流の松屋に下っています。
大御影山からは、北西に延びる中央分水嶺の大日尾根を進みます。穏やかなブナの原生林が続き、疲れた身体と心が癒されます。最低鞍部(720m)を過ぎ、三重嶽分岐までは1時間程度です。
三重嶽分岐で高島トレイルとは別れますが、美しい原生林はなお続きます。

能登郷分岐までは1時間で着きます。
南西に延びる尾根を下ります。能登郷分岐(P784m)から見ると、この尾根中腹の上空には若狭原子力発電所から、大日岳を越えて京阪神方面に送電する「若狭幹線:50万V」が横断しているため、尾根上には目立つ鉄塔が立っており、それを目指して下れば一時間弱で天増川畔です。

工事用に仮設された橋を渡れば能登郷跡。
田畑の耕作跡がある能登郷跡は天増川に添うように広がっています。風に吹かれて鳴る送電線の不気味な音もここまでは届きません。
天増川林道を15分ほど遡り、大きな道標のある左からの谷を登れば、三十三間山からの滋賀・福井県境の能登越に着きます(三十三間山・大日・能登越と書かれた道標有り)。

大日方面に向かって小さなピークを一つ越えると、闇見(くらみ)神社と書かれた道標がぶら下がっている、若狭側の近江坂古道分岐に出ます。
所々にU字形に道跡が残るジグザグ道を闇見側に下ると1時間で若狭側の取り付き点に到着。

ここから荒れた林道を1時間ほど歩くと、林道入り口ゲートがあり、能登野集落までは直ぐで、JR十村駅までは2kmほどです。
林道ゲートから約1.2km取付道路を行き、町道に出て左折、山麓の道を行けば闇見神社参道と交差。
参道入口に「近江古道」案内板が建っています。

長かった近江坂古道はここで終わります。

この古道を歩くにあたって

健脚ならば酒波寺から能登郷跡をへて能登野まで1日で歩き通すことは可能。
近江坂古道は奥深い山域に位置しているため、ここを歩く登山者は少ない。
山の自然そのものの姿が保たれているので、獣や猛禽類の野鳥も多く生息している。それらに充分注意して歩いていただきたい。
尚、大御影山からP784の間はブナ原生林で、緩い傾斜と広い尾根で構成されているので、非常時のビバークには困らない。
【難度】
酒波寺⇔ビラテスト今津=軽登山者向け
ビラテスト今津⇔大御影山=中級者向け
酒波寺 → 大御影山 → 能登郷跡 → 能登野=上級者・健脚向け

古道を知る

近江坂の歴史

近江坂古道は、滋賀県今津町にある酒波(さなみ)から福井県若狭町能登野まで続く約22km強、所要時間12時間程の交易路である。
標高949.5mの大御影山が最高点で、県境を跨ぐ長い道程の大半にブナ林が続く原生林の尾根道である。
かつて人馬が往来した道で、U字形の掘割の跡が今も各所に残っている。
古くから大日岳から三十三間山に至る山域は近江の酒波寺の寺領で、隣接する日置神社に残る古文書によると、観応2年(1351年)に酒波寺の入会地に若狭国倉見の人々が立ち入りを認められたお礼に、近江坂を越えて日置神社に大般若経を送ったと記載されている。
毎年4月におこなわれる川上祭には、山手米がお供えとして近江坂を越えて川上庄に運ばれていたという。
近江坂は人馬の往来が絶えることはなく、両国の人々が荷役を運び往来した道である。

古道の整備

この歴史ある古道の整備のために結成された「今津山の会」が2007年から高島市の委託を受け、今津地域まちづくり事業の一環として近江坂のルートの復元を進めた。
倒れた木々を取り除き、木地師が住んでいた能登郷の天増川には手作りの橋を架けた。
大日尾根から能登郷分岐にかけては、手入れのいき届いた美しい原生林が続く。
能登郷に下るルートは若桜町からの参加も得て行われ、馬に荷役を背負わせ人々が通った道が確定され、古道が蘇った。
近江坂古道の一部は高島トレイルと重なり、中央分水嶺でもある。

深掘りスポット

酒波寺

歴史は古く、奈良時代に「行基(ぎょうき)」によって開創されたと伝わる。
隣接する日置神社に残る古文書によると、観応2年(1351年)に若狭国倉見荘の人々が、酒波寺のある川上壮への立ち入りを認められたお礼に、唐から伝わった大般若経600巻を「酒波岩剣大菩薩」日置神社に送ったと記されている。このとき経典が運ばれた道が近江坂であり、そこには倉見荘の人々が峠を越えて経典を運んだと書かれている。
酒波寺の創建時は興福寺の末で56坊があった。元亀3年に津田信澄により焼失し領地を没収された。真言宗智山派。

闇見神社

『若狭国志』に「里民云い伝う。創建以後一千年余に及ぶ」等々と記してあり、同祀の天神さんが若狭地方では有名。闇見という変わった名前の由来は、昔、近江・越前・若狭の三国にかけてそびえたつ山があり、山の中腹にある池に大蛇が住み着き、住民を苦しめていたという。第十代垂仁天皇の御代に素戔嗚尊と奇稲田姫の化身の二老人が現れ、大蛇を退治しその尾から出てきた宝剣をほうり投げて、落ちた所に神社を建てた。それが滋賀県今津の「日置神社」という。
真二つになった大蛇の体の一つが、若狭のこの地にも落ちたので神社を建て、落ちた衝撃で世の中が真闇になったので「闇見神社」と名付けたという。ここで近江坂の起終点「闇見神社」と「日置神社」の関連性が伝えられている。

日置神社

小川を挟んで酒波寺と向かい合う。南北朝時代の観応2年(1351年)、若狭三方、能登倉見より山手として大般若経が寄進された。

三十三間山

酒波寺の寺領だった。三十三間山の名称は、京都の三十三間堂の棟木を納めたところから来ているという。古くは「倉見岳」、また天満神社の後山であることから「天神山」とも呼ばれていた。山頂の南側の大草原からは三方五湖や若狭湾、琵琶湖を望む大パノラマが広がっている。

ルート

【コースタイムは、前半と後半に分けて表示した】

《前半》 酒波寺からビラテスト今津間
酒波寺 →(2時間30分)赤坂山 →(1時間)ビラテスト今津

《後半》 ビラテスト今津から能登野間
ビラテスト今津 →(15分)平池 →(1時間50分)抜土林道
→(25分)P852近江坂分 →(50分)P950大御影山 →(1時間)P840三重岳分岐 →
→(50分)p784能登越分岐 →(45分)能登郷→(15分)林道から能登越の取り付き→(10分)
能登越 →(1時間)能登野側からの林道出合 →(1時間)林道ゲート能登野着

合計=11時間20分  総距離=約22km強

【参考までに:P784から大日岳を経由の能登野まで】
P784 →(20分)大日岳 →(10分)無線中継跡 →(20分)林道 →(20分)能登越
→(1時間)能登野側からの林道出合 →(1時間)林道ゲート能登野着
合計=3時間10分

アクセス

JR湖西線今津駅 →バスで総合運動公園線「酒波」下車、徒歩15分
能登野(徒歩)→ JR小浜線十村駅

参考資料

『大般若経が運ばれた古道・近江坂』「広報たかしま」平成29年12月号(No.215)
木村至宏編著「近江の峠」サンライズ出版

協力・担当者

《担当者》
日本山岳会京都滋賀支部
村上 正
岡田茂久

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