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103 別子銅山廃道

別子銅山廃道

古道を歩く

日浦登山口~ダイヤモンド水~銅山越~東平~遠登志

日浦登山口の標高は約800m、銅山越の標高が1300m。標高差500m、距離にして3.1km。
日浦~ダイヤモンド水までは約40分。ここから銅山越までは約1時間。東平の第三通洞の標高が約750m、銅山越から第三通洞までの標高差は約550m、景色の良い馬の背ルートで距離にして約2.8km。時間は約65分。遠登志の標高が220m。
第三通洞から遠登志までの標高差は約500m。距離は約3.4km。時間は約70分。
今回対象とした別子銅山廃道の古道は、住友グループが登山道整備と遺構の昔の写真並びに解説文を各所に設置してくれているお蔭で、全行程歩きやすい登山道である。
日浦登山口駐車場には10台ほど駐車可能。登山口には旧別子銅山の別子地区の概略図が掲示されている。
しばらく登って行くと接待館跡と醸造所跡がある。醸造所では酒、醤油、味噌が造られ、レンガ造りの煙突が残っている。接待館跡には立派なレンガ造りの塀が残されており、杉木立の山道を辿ると小学校と測候所の跡地がある。

明治22年(1898年)に私立小足谷尋常小学校をこの地に建設、さらに高等小学校を併設し、明治27年には私立別子尋常高等小学校となり、最盛期の明治32年には生徒数298名を数えた。
また隣接して煙害対策として測候所が建てられた。道端に続く高い石垣は山林課と土木課の事務所兼劇場の跡地で、明治22年に建てられた劇場では毎年5月の山神祭の3日間、京都から歌舞伎役者を呼び寄せ、数千人の観客をうならせたという。
足谷川左岸の登山道を辿ってきたが、黒橋を渡り右岸を少し登ると、ダイヤモンド水の休憩所がある。
ここには立派なトイレが設置されている。
この辺り、昔は高橋(たかばし)と呼ばれていて、明治12年、対岸に洋式の熔鉱炉が建設されてからは粗銅を採っていた。最盛期には製鉱課の施設や木炭倉庫などがひしめいていた。

戦後、ボーリング調査をしている時に、大量の水が噴出。事故でダイヤモンドを散りばめた先端部がねじ切れて今も孔底に残っているためダイヤモンド水と呼ばれるようになった。
対岸の絶壁の上には明治10年から20年頃、沢山の焼窯が建ち並んでいた。
焼窯という石囲いの中に多量の薪と生の鉱石を交互に積み重ねて燃やすと、1ケ月位で硫黄が燃えて発散し、銅と鉄からなる焼き鉱が残る。これを更に熔鉱炉で製錬することにより粗銅になる。
分岐点で第一通洞南口経由の標識に従い、橋を渡りしばらく登って行くと、開坑から明治30年頃まで鉱山の心臓部として機能してきた木方(きかた)製錬所跡がある。
更に山道を辿り標高1210mまで登ってくると、元禄4年最初の生産坑である歓喜間符と歓東間符が並んでいる。
両間符は明治初期までの200年間、別子銅山の主たる生産抗であった。

この上部一帯には山方という鉱夫の集落があった。
ジグザグの山道を辿ると銅山越に達する。ここには峰地蔵と呼ばれる3体の石仏が安置されている。
銅山越一帯には国の天然記念物の指定を受けたツガザクラの群落が点在し5月には可憐な花を楽しめる。
ここから右折して尾根沿いの山道を辿ると約2時間弱で西赤石山(1626m)に登ることができる。
五月初旬のアケボノツツジが見事である。
銅山越から少し下ると銅山峰北墓地がある。
更に進んでいくと銅山峰ヒュッテの建つ角石原に着く。

ここは明治19年、第一通洞開通に伴い主要運搬経路の中継地点となり、選鉱場と焼鉱場が設置された。
明治26年には角石原停車場を起点に石ケ山丈まで上部鉄道が開通した。
登山道はここを起点に、昔から使われていた尾根沿いの景色の良い馬の背ルートと、緩やかな山道が続く柳谷コースに分かれる。
上部鉄道を辿る道は登山道整備不良のため、角石原から兜岩分岐点までは通行止となっている。
馬の背ルートを下って行くと木立が切り開かれた場所があり、東平、新居浜市街、瀬戸内海を望め、振り返ると西赤石山の主稜線を見渡すことができる。
起伏のある山道を下って行くと柳谷ルートの山道と合流の後、緩やかなジグザグの広い山道を第三通洞の入口まで下って行く。
ここは大正5年(1916年)、別子側の東延から採鉱本部が移った場所で、東平周辺案内図が建てられている。

ここに描かれている喜三谷ルートは廃道となっており通行止。
東平地区は車で来ることができるため、現在は西赤石山の主要な登山口である。
貯鉱庫跡、索道基地跡、インクライン跡、娯楽場跡等多くの遺構が残されている。

新たに東平歴史資料館保安本部跡にマイン工房が整備され、電車発着場跡は大きな駐車場となり、東平地区は東洋のマチュピチュと呼ばれ、大勢の観光客が訪れるようになった。
登山道はインクライン跡の階段を下りてから、小女郎川に架かるペルトン橋を見て左岸沿いに進み、ゴルジュ地帯を眺めながら山道を下って行く。
標高500m地点には、索道の中継基地跡のレンガ造りの建物の遺構が残されている。
最後に小女郎川に架かる遠登志橋を渡って県道に出る。

遠登志橋は明治38年(1905年)に架けられたアーチ橋で、東平に通じる生活道路並びに硫化銅等の重金属を含む坑内排水を小女郎川に混入させないための坑水路も併設されていた。平成5年にアーチ部分を残して、吊橋となった。

橋を渡ると仲持像が建立されており、解説文を読むと男子は約45Kg、女子は約30Kgの粗銅を担いで降ろし、帰りに生活物資を担ぎ上げていたと書いてあった。
県道脇には車3台駐車できるスペースがある。

この古道を歩くにあたって

東平から喜三谷コース経由新太平坑まで通行止。
角石原から上部鉄道跡経由兜岩分岐まで通行止。地図参照

古道を知る

別子銅山は、元禄3年(1690年)、別子山中における露頭の発見に始まります。
以後、昭和48年(1973年)の閉山まで283年にわたり採鉱が行われ、江戸時代から昭和に至る日本経済を支えるとともに産業の近代化の礎を築いた、世界的に知られた鉱山でした。
元禄4年(1691年)に別子銅山最初の坑口、歓喜間符(まぶ)が開口。
元禄15年からは銅山越~東平(とうなる)~立川中宿(仲持による人力)~新居浜口屋(馬利用)までの輸送ルートが開設されました。
明治13年(1880年)、牛車道(約28km)が旧別子山村の目出度(めった)町から新居浜口屋まで完成。
明治26年(1893年)に上部鉄道(石ケ山丈~角石原)並びに下部鉄道(惣開から端出場)が開通。
牛車運搬が廃止されました。
今回の古道調査では、起点を旧別子銅山登山口の日浦。銅山越・東平経由で終点を遠登志(おとし)までとしました。
この間には別子銅山の遺構が多く残され、住友グループが登山道整備並びに遺構の案内板設置を行っています。

深掘りスポット

 

 

 

 

ミニ知識

昔の製錬方法

江戸時代から明治にかけて、古道を通って仲持が山中で製造された粗銅を担いで人力で新居浜まで運び降ろしていた。
山中でどうやって粗銅を製造していたのかを説明しよう。
採鉱:歓喜間歩等で鉱石(黄銅鉱等)を採鉱する。
粉砕・選鉱:鉱石を砕いて、銅成分を含む良い部分だけを選ぶ。出来たものは鏈(くさり)という。
焼鉑:焼竃で鏈1800Kg、焼木1125kg、炭20kgで30日間蒸焼きにする。出来たものを焼鉑という。
す吹床:5回に分けて、1回あたり炉に焼鉑360Kg、炭約400kgを入れて24時間かけて空気を入れながら燃やす。出来たものは鈹(かわ。硫化鉄と硫化銅が溶けあったもの)。
間吹床:炉に鈹375Kg、炭225Kgを入れ24時間かけて空気を入れながら燃やす。表面の鍰(からみ。廃物)を取り除き粗銅を得る。

植林

銅山を経営するには大量の木材を必要とした。
坑道を保持するための坑木。建築用の材木。製錬用の薪、木炭等である。
江戸時代は銅山周辺の木を伐り出して利用していた。しかし別子山村の山林だけでは賄いきれず、土佐藩の村からも炭を買うようになった。
銅山周辺40~50ha程は伐採と煙害で樹木がほとんど生育していかなかったため、台風の襲来の度に風水害の被害を受けていた。
明治に入り、積極的に植林事業を開始。
ところが明治32年8月の台風の集中豪雨で山津波が発生。
513名の命が奪われ、高橋の製錬施設等が壊滅的な打撃を受けた。
広瀬宰平、伊庭貞剛、鈴木馬左也と三代にわたる総理事が植林を強力に推し進め、その後も継続して地道に植林事業を継続してきたので、現在では立派な山林となっている。

ルート

日浦登山口
40分 ↓ 1.7km ↑ 30分
ダイヤモンド水
60分 ↓ 1.4km ↑ 40分
銅山越
20分 ↓ 1.1km ↑ 30分
角石原
45分 ↓ 1.7km ↑ 60分
第三通洞
70分 ↓ 3.4km ↑ 100分
遠登志

アクセス

■日浦登山口
車利用となる。高速道路松山自動車道新居浜IC~マイントピア別子~大永山トンネル~日浦登山口(25km約40分、駐車場10台)
■遠登志登山口
公共交通機関利用の場合
JR新居浜駅からバス利用でマイントピア別子。マイントピア別子から徒歩約40分で遠登志登山口
車利用の場合
高速道路松山自動車道新居浜IC~マイントピア別子~遠登志登山口(8km約12分、駐車3台)
■東平登山口
公共交通機関利用の場合
JR新居浜駅からバス利用でマイントピア別子。マイントピア別子からシャトルバスで東平へ。但しシャトルバスは11時と13時の2便しかないので観光目的となる。
車利用の場合
高速道路松山自動車道新居浜IC~マイントピア別子~河又~東平登山口
(16km約30分、駐車場40台)

参考資料

「住友別子鉱山史」上巻、下巻、別冊、住友金属鉱山(株)、平成3年発行
『銅山峰を仰いで』「山村文化36号」山村研究会、2021年発行
寺尾國義セレクト・構成「明治・大正・昭和 別子銅山風土記 近藤廣仲収蔵写真集」近藤慧、平成2年発行
「東平記憶の継承」「東平記憶の継承」制作プロジェクト、2022年発行

協力・担当者

《担当者》
日本山岳会四国支部
今井順一

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